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ハッピーバレンタイン
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明るい音楽の流れる店内。いつもなら人々が素通りする棚に、女性の人だかりができている。別に、半額セールが行われているわけではない。俺は、彼女らより少しだけ高い身長を活かして、背伸びして背後から棚を覗き込んだ。
チョコレートだ。緑色の粉がかかった抹茶味の物から、大きな亀の形をしたもの。可愛らしいキャラクターの缶に入ったもの。どれもがパッケージにはリボンがかけられ、ハートなどの可愛らしい装飾が施されている。
バレンタイン。特設会場の端には、そう大きくあしらわれた旗が立てられていた。
とはいえ、だ。俺はどうやら、少し出遅れてしまったらしい。目を細めて見ると並んだチョコレートの名札には、そのほとんどに赤文字で『sold out』のシールが貼られていた。やっぱり。去年も当日に買いに来てほとんど売り切れていたよな、と小さく息を吐く。忙しかったとはいえ、それならインターネットででも注文しておくんだった。残り僅かなチョコレートへ手を伸ばす彼女らを尻目に、俺は意味もなく首に巻いた青色のマフラーを結びなおし、その場を後にした。
ついさっきまで思い描いていた満面の笑みを浮かべる頭の中のいおは、気づいたらどんな顔をしていたのか思い出せなくなっていた。
ふと、思う。スーパーのお菓子の棚なら、チョコレートがあるかもしれない。
もちろん、彼にそんなものを渡すつもりはない。彼は舌が肥えたタイプではないが、それでも収入はかなりある成人男性だ。そんな恋人相手にスーパーのお菓子でバレンタインを乗り切ろうなんて、そんなの俺のプライドより彼のプライドを傷つけかねないと思う。なのに。
気が付くと俺は、お菓子の棚の中では幾分か高価なチョコレートを手に未練がましくレジへと並んでいた。ご自宅用ですか、の問いも受けられないその買い物には嘲笑を零すしかない。
そんなとき。ふと背後から肩を叩かれる。
「あむあむ、マヨネーズもうなかったよ」
振り向いた先には、そう言って無駄にいい声でレジのおばさんへマヨネーズを差し出すいおがいた。
「なっんでお前がいんだよ……!?」
思わず声が大きくなる。しかし、彼はまるで支払いを急かすように俺の肩をトントンと叩いてにっこりと笑顔を浮かべた。
「せっかく久しぶりの休みなのにあむが勝手にひとりで出かけちゃうんだもん。確認したらここにいたからあわてて家出てきたんだよ?」
「確認って……?」
思わず首が傾く俺を、彼はハハと笑ってあしらった。
「ほらあむ、レジのお姉さんが困ってるよ。はやく~」
早くって言ったって。なんて頭をよぎるけど、迷惑をかけるわけにもいかない。俺は釈然としない気持ちでスマホを決済の機械へかざし、完了の合図を知らせる犬が鳴くのを確認した後にマヨネーズとチョコを手にレジを後にした。
「お前なぁ、勝手についてきたらだめだろ」
ため息交じりに背後を歩く彼を叱る。
「だって、心配で」と、彼は声のトーンを落とした。
顔を見なくても、眉を下げるいおの顔が容易に想像できる。俺はそんな彼の顔を見たくなくて、自らのマフラーへ口元を埋めて俯いた。
俺が彼を叱るのは、別にいおが悪いわけじゃない。ただの八つ当たりだ。
「ごめんね」と、小さく呟く。
彼はそんな俺の小さい声ですらすぐに聞きつけ、隣へ並んで俺の顔を覗き込んだ。
「何が?」
「チョコ、買えなかった」
「え、さっき買ってたよ?」
彼は心底不思議そうに首を傾けて垂れた瞳を瞬かせた。
「これは俺の」
本日一の、大きなため息が口から洩れる。しかし、彼はそんな俺の手をくいと優しく掴んで、握られたチョコレートを大きな瞳で見つめた。
「でも、これいいやつだよ?」
「スーパーで買ったチョコバレンタインで渡すやついるかよ」
「俺はあむがあんな人だかり入ってまでチョコ探してくれたって事実で既に嬉しいのに」
本当に、どこまでも優しいというか、愛が深いというか。思わずそんな彼が愛おしく思えて、こんな人の居る場所でも抱き着きたくなってしまう。でも、ダメだって。そう理性で抑えて、代わりにスーパーのものではあるがチョコレートを送ろうと顔を上げる。
彼はにっこりと微笑んで、俺の頭へ手を置いた。
しかし。その笑顔でふと違和感を抱く。そして、その違和感はすぐに確信へと変わった。
「いや、ちょっと待て……!? お前いつから俺の事見てた!?」
慌てて彼から距離を取り、マフラーを引っ張り口元を隠す。彼はくすくすとそのサラサラな髪を揺らしながら優しく目を細めた。
「いやぁ、別に。でも、前に女の人しかいないのにわざわざ背伸びしてチョコ探すあむは可愛かったし、見えにくいからって目細めて探すときの怖い目つきも俺は好きだよ」
そう優雅にふふと口へ手を添える様子はまるで。
「お前サイコパスだろ!? 完全犯罪するタイプだろ!? こえーよ!」
俺は声を荒げるが、ヤツは相変わらず優しい顔で俺の手を握るのだった。
「っはは、とりあえず。チョコ、ありがとう。あと、あむもね」
「え、俺?」
「ん? 俺にあむをプレゼントするためにわざわざリボンつけてるんじゃないの?」
いおはそう、俺のマフラーへ触れる。途端に、マフラーなんていらないくらいに顔周辺の熱が増した。
「ちげえからああああ!!」
「っはは、声大きいよあむ。ほんと、可愛い」
「ばかぁぁぁあああああ!!」
チョコレートだ。緑色の粉がかかった抹茶味の物から、大きな亀の形をしたもの。可愛らしいキャラクターの缶に入ったもの。どれもがパッケージにはリボンがかけられ、ハートなどの可愛らしい装飾が施されている。
バレンタイン。特設会場の端には、そう大きくあしらわれた旗が立てられていた。
とはいえ、だ。俺はどうやら、少し出遅れてしまったらしい。目を細めて見ると並んだチョコレートの名札には、そのほとんどに赤文字で『sold out』のシールが貼られていた。やっぱり。去年も当日に買いに来てほとんど売り切れていたよな、と小さく息を吐く。忙しかったとはいえ、それならインターネットででも注文しておくんだった。残り僅かなチョコレートへ手を伸ばす彼女らを尻目に、俺は意味もなく首に巻いた青色のマフラーを結びなおし、その場を後にした。
ついさっきまで思い描いていた満面の笑みを浮かべる頭の中のいおは、気づいたらどんな顔をしていたのか思い出せなくなっていた。
ふと、思う。スーパーのお菓子の棚なら、チョコレートがあるかもしれない。
もちろん、彼にそんなものを渡すつもりはない。彼は舌が肥えたタイプではないが、それでも収入はかなりある成人男性だ。そんな恋人相手にスーパーのお菓子でバレンタインを乗り切ろうなんて、そんなの俺のプライドより彼のプライドを傷つけかねないと思う。なのに。
気が付くと俺は、お菓子の棚の中では幾分か高価なチョコレートを手に未練がましくレジへと並んでいた。ご自宅用ですか、の問いも受けられないその買い物には嘲笑を零すしかない。
そんなとき。ふと背後から肩を叩かれる。
「あむあむ、マヨネーズもうなかったよ」
振り向いた先には、そう言って無駄にいい声でレジのおばさんへマヨネーズを差し出すいおがいた。
「なっんでお前がいんだよ……!?」
思わず声が大きくなる。しかし、彼はまるで支払いを急かすように俺の肩をトントンと叩いてにっこりと笑顔を浮かべた。
「せっかく久しぶりの休みなのにあむが勝手にひとりで出かけちゃうんだもん。確認したらここにいたからあわてて家出てきたんだよ?」
「確認って……?」
思わず首が傾く俺を、彼はハハと笑ってあしらった。
「ほらあむ、レジのお姉さんが困ってるよ。はやく~」
早くって言ったって。なんて頭をよぎるけど、迷惑をかけるわけにもいかない。俺は釈然としない気持ちでスマホを決済の機械へかざし、完了の合図を知らせる犬が鳴くのを確認した後にマヨネーズとチョコを手にレジを後にした。
「お前なぁ、勝手についてきたらだめだろ」
ため息交じりに背後を歩く彼を叱る。
「だって、心配で」と、彼は声のトーンを落とした。
顔を見なくても、眉を下げるいおの顔が容易に想像できる。俺はそんな彼の顔を見たくなくて、自らのマフラーへ口元を埋めて俯いた。
俺が彼を叱るのは、別にいおが悪いわけじゃない。ただの八つ当たりだ。
「ごめんね」と、小さく呟く。
彼はそんな俺の小さい声ですらすぐに聞きつけ、隣へ並んで俺の顔を覗き込んだ。
「何が?」
「チョコ、買えなかった」
「え、さっき買ってたよ?」
彼は心底不思議そうに首を傾けて垂れた瞳を瞬かせた。
「これは俺の」
本日一の、大きなため息が口から洩れる。しかし、彼はそんな俺の手をくいと優しく掴んで、握られたチョコレートを大きな瞳で見つめた。
「でも、これいいやつだよ?」
「スーパーで買ったチョコバレンタインで渡すやついるかよ」
「俺はあむがあんな人だかり入ってまでチョコ探してくれたって事実で既に嬉しいのに」
本当に、どこまでも優しいというか、愛が深いというか。思わずそんな彼が愛おしく思えて、こんな人の居る場所でも抱き着きたくなってしまう。でも、ダメだって。そう理性で抑えて、代わりにスーパーのものではあるがチョコレートを送ろうと顔を上げる。
彼はにっこりと微笑んで、俺の頭へ手を置いた。
しかし。その笑顔でふと違和感を抱く。そして、その違和感はすぐに確信へと変わった。
「いや、ちょっと待て……!? お前いつから俺の事見てた!?」
慌てて彼から距離を取り、マフラーを引っ張り口元を隠す。彼はくすくすとそのサラサラな髪を揺らしながら優しく目を細めた。
「いやぁ、別に。でも、前に女の人しかいないのにわざわざ背伸びしてチョコ探すあむは可愛かったし、見えにくいからって目細めて探すときの怖い目つきも俺は好きだよ」
そう優雅にふふと口へ手を添える様子はまるで。
「お前サイコパスだろ!? 完全犯罪するタイプだろ!? こえーよ!」
俺は声を荒げるが、ヤツは相変わらず優しい顔で俺の手を握るのだった。
「っはは、とりあえず。チョコ、ありがとう。あと、あむもね」
「え、俺?」
「ん? 俺にあむをプレゼントするためにわざわざリボンつけてるんじゃないの?」
いおはそう、俺のマフラーへ触れる。途端に、マフラーなんていらないくらいに顔周辺の熱が増した。
「ちげえからああああ!!」
「っはは、声大きいよあむ。ほんと、可愛い」
「ばかぁぁぁあああああ!!」
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