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九死に一生を得る
しおりを挟むその時は突如としてやって来た。
「ありゃ! 今度行く眼科からの電話だ」
中村は家族の乗っていた車を路肩に停車させて、転職先の開業医からの連絡に応答しようとした。
ドアを開けて外に出ると、初夏の草の香りが鼻腔に充満し、車内の音楽と人工的な空気を一掃するのだ。
天気の良い湖岸近くの道路は見通しも良く、バス停の待避所に停めた車の周囲には湿気を含んだ草むらが、どこまでも青々と続いているばかりだった。
「もしもし、中村ですが……」
スマホの振動を静めて、通話状態に移行させた矢先……。
信じられない事に中村及び、その妻と娘が乗った車の後方から4トントラックがノーブレーキで追突してきたのだ。
ショックで中村は数メートル近く藪の方に弾き飛ばされてしまう。オフセットでトラックに追突された小型のファミリーカーの方は、紙細工のようにひしゃげた後、無惨にも横転してしまった。
中村が薄れゆく意識の中で最後に聞いた音は、救急車か何かが放つサイレンの音……。その場面の視覚情報は奇妙な事に全くと言っていいほど記憶に残らなかった。むしろ現実として認識したくは、なかったのかもしれない。
✡ ✡ ✡
「…………ここは? どこなんだ ……」
中村が次にぼんやりと知覚したのは、無味乾燥な白い天井。見ると自分の腕や下腹部には無数の管が繋がれ、酸素マスク・心拍数までモニターされていた。眼科外来に勤めている中村には、見慣れていたはずの病院の光景だが、今は激しく心を揺さぶられた。
「ちょっと早く、ドクターを呼んできて!」
偶然病室に居合わせた若い看護師は、焦ったような嬉しいような表情でバタバタとICUを移動してゆくのだ。
「中村さん! 分かりますか!」
『分かる訳ないだろう……』
中村は青い術衣に白衣を羽織ったドクターの呼びかけに、声にならない呟きを重ねた。彼にとって非情な現実が押し寄せる生き地獄の幕開けとなったのだ。
『そうだ、香里と真里はどうなったんだ! ぐおおお!』
突如暴れ出した重傷患者に病室はパニック状態となり、ベッドは軋み、点滴棒は輸液ごと揺らいだ。
✡ ✡ ✡
3日間の昏睡状態を抜け出した中村は、徐々にだが快方に向かっていた。
事故で後頭部を強打し、脳挫傷を起こしていた中村は、脳外科による適切な手術が行われ、何とか一命を取り留めたのだ。
容態が落ち着いてきた1週間後、ついに中村は最も欲していた情報を実の親から聞かされる事となる。
「それで、母さん、聞かせてくれ。俺の家族は? 香里は? それに真里はどこにいるんだ? 隣の病室か? それとも違う病院に入院してるのか? 早く会いたいんだ」
まだ絶対安静が必要な時期だったので、メンタル的に悪影響を与えるような事は何としても避けたかった。
それでも必死に妻と8歳になる愛娘の行方を譫言のように繰り返し、問い質そうと試みる息子の姿が目の前にある。やはり母親は同情して、口を閉ざしたままでいる事はできなかったのだろう。
「いいかい、あんたは昔から強い子だったね。今から言う事を、落ち着いて聞くんだよ」
「母さん……、母さん! 香里と真里は?」
「……香里さんと真里ちゃんはね……、あの時の事故で亡くなったんだよ。せめてもの救いは苦しまずに逝った事かね……。2人共、車内で即死の状態だったそうだよ」
「………………」
母親はハンカチを取り出して目頭を押さえ始めた。両目を赤くして一定周期に鼻をすすり、心なしか小刻みに震えているように思える。
「オイ、オイ、オイ、嘘だろ。……ハハ! まさかね」
現実が、あまりに苛烈すぎて他人事のような、演劇のワンシーンを観ているような、何だか超越した客観的感覚に溺れていた。
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