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怪異が見える
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それから数日間、中村はベッドの上でもがき苦しみ、やがて生ける屍のようになり、魂の抜け殻となってしまった。
回復期に必要となってくる、生きる事への執着心や明日への展望が薄れてしまい、明らかに精神状態がドン底にまで沈みきっていた。
「中村さん、お薬ここに置いておきますね」
「……ああ」
それでもベッドから体を起こし、窓際にまで座れるようになった中村に、看護師は固い笑顔で精一杯の言葉掛けをするのだ。
「気を付けて下さいね、中村さん。まだまだ自由に動ける状態じゃないから」
「分かった」
剃毛して坊主刈りとなった中村は、何か思うところがあったのだろう、カーテンを開けて外の風景を眺める事が多くなった。
そんなある日、思いもよらない事件が起こる。
「うわああああああ!」
動揺した声を上げる中村に、飛び上がった看護師が駆け寄った。
「どうされました? 中村さん! 何があったんですか?」
「そ、外! 外を見てくれ! バケモノがすぐ傍まで来ている!」
中村が震えながら指差す方向に、恐る恐る看護師が眼鏡を直しながら覗き見る。
――そこには特に変わった物などなく、彼が言うバケモノに相当する異形は何も見出せなかった。
「中村さん! どこに何がいるんですか?」
「何を言ってるんだ! すぐそこにいるじゃないか! ほら、真下の道路! 紫色で縞々のデカい芋虫みたいな奴が見えないのか!?」
眼鏡看護師が目を凝らしながら、該当する物を色々と捜してみたが、やはり巨大なバケモノはどこにもいない。もう素早く逃げてしまった後なのだろうか。
「……そ、そこに……」
彼が左手で顔を覆いながら、右の人差し指で指し示す方向には……。
病院の裏手からリネン類を搬入中である、何の変哲もないトラックが停車しているだけだった。
「中村さん、あれはただのトラックじゃないですか。どうしたんですか? 何もいないですよ。一体何が見えてるんですか?」
「君こそどうかしてる! あれが……、あれが本当に見えないのか? ほら! じくじく、じくじくと腹の透けた血管から黒い血が脈打ちながら流れて行ってる。背中の固い殻の先っぽにある頭から、いっぱい気色悪い触角が出たり引っ込んだりしてるじゃないか! ぇえ!?」
「!……中村さん……」
青ざめた看護師が中村を見る。血走った両眼を剥きながら冷や汗を流し、奥歯をガチガチと鳴らす更に青ざめた顔があった。
✡ ✡ ✡
「それで、先生。僕の頭はどうなってるんでしょうか?」
後日中村は脳神経外科から呼び出された。心療内科受診を拒み続ける彼が、すがった先でもある。中堅ドクターの牧山は、CTやMRIの頭部断層画像を凝視しながら中村にゆっくりと語り掛けた。
「――中村さんの職業は視能訓練士と聞きました。毎日眼科で、視力検査や視野検査、それに白内障とかの術前検査を行っていたんですよね?」
「ええ、脳梗塞を起こした入院患者様の視野を測ったり、他にも色々眼科的な検査をしていたんですよ。だから……」
「ある程度、神経眼科学にも精通しているという事ですね。だったら話は早い」
「僕の目は、いや頭の中は…………」
「まだはっきりしていませんが、非常に珍しい症例かもしれない。中村さん、これは大脳性変視症と呼ばれるケースに当たるのではないかと」
「じゃあ、誰にも見えない怪物が僕だけに見えたり、物が有り得ない形に変形して見えたりするのは……」
「あなたは事故の影響で、後頭葉の視覚中枢に損傷を負ってしまった。結果、視覚情報の統合不全が起こり、幻視や錯視を引き起こしているのかもしれない。医療従事者ならば、ある程度どんな物かは、ご理解いただけると思っています」
牧山ドクターの診断結果と、はっきりとした口調に中村は言葉を失った。少し頭を抱えて、深く溜め息を漏らすしかなかったのだ。
回復期に必要となってくる、生きる事への執着心や明日への展望が薄れてしまい、明らかに精神状態がドン底にまで沈みきっていた。
「中村さん、お薬ここに置いておきますね」
「……ああ」
それでもベッドから体を起こし、窓際にまで座れるようになった中村に、看護師は固い笑顔で精一杯の言葉掛けをするのだ。
「気を付けて下さいね、中村さん。まだまだ自由に動ける状態じゃないから」
「分かった」
剃毛して坊主刈りとなった中村は、何か思うところがあったのだろう、カーテンを開けて外の風景を眺める事が多くなった。
そんなある日、思いもよらない事件が起こる。
「うわああああああ!」
動揺した声を上げる中村に、飛び上がった看護師が駆け寄った。
「どうされました? 中村さん! 何があったんですか?」
「そ、外! 外を見てくれ! バケモノがすぐ傍まで来ている!」
中村が震えながら指差す方向に、恐る恐る看護師が眼鏡を直しながら覗き見る。
――そこには特に変わった物などなく、彼が言うバケモノに相当する異形は何も見出せなかった。
「中村さん! どこに何がいるんですか?」
「何を言ってるんだ! すぐそこにいるじゃないか! ほら、真下の道路! 紫色で縞々のデカい芋虫みたいな奴が見えないのか!?」
眼鏡看護師が目を凝らしながら、該当する物を色々と捜してみたが、やはり巨大なバケモノはどこにもいない。もう素早く逃げてしまった後なのだろうか。
「……そ、そこに……」
彼が左手で顔を覆いながら、右の人差し指で指し示す方向には……。
病院の裏手からリネン類を搬入中である、何の変哲もないトラックが停車しているだけだった。
「中村さん、あれはただのトラックじゃないですか。どうしたんですか? 何もいないですよ。一体何が見えてるんですか?」
「君こそどうかしてる! あれが……、あれが本当に見えないのか? ほら! じくじく、じくじくと腹の透けた血管から黒い血が脈打ちながら流れて行ってる。背中の固い殻の先っぽにある頭から、いっぱい気色悪い触角が出たり引っ込んだりしてるじゃないか! ぇえ!?」
「!……中村さん……」
青ざめた看護師が中村を見る。血走った両眼を剥きながら冷や汗を流し、奥歯をガチガチと鳴らす更に青ざめた顔があった。
✡ ✡ ✡
「それで、先生。僕の頭はどうなってるんでしょうか?」
後日中村は脳神経外科から呼び出された。心療内科受診を拒み続ける彼が、すがった先でもある。中堅ドクターの牧山は、CTやMRIの頭部断層画像を凝視しながら中村にゆっくりと語り掛けた。
「――中村さんの職業は視能訓練士と聞きました。毎日眼科で、視力検査や視野検査、それに白内障とかの術前検査を行っていたんですよね?」
「ええ、脳梗塞を起こした入院患者様の視野を測ったり、他にも色々眼科的な検査をしていたんですよ。だから……」
「ある程度、神経眼科学にも精通しているという事ですね。だったら話は早い」
「僕の目は、いや頭の中は…………」
「まだはっきりしていませんが、非常に珍しい症例かもしれない。中村さん、これは大脳性変視症と呼ばれるケースに当たるのではないかと」
「じゃあ、誰にも見えない怪物が僕だけに見えたり、物が有り得ない形に変形して見えたりするのは……」
「あなたは事故の影響で、後頭葉の視覚中枢に損傷を負ってしまった。結果、視覚情報の統合不全が起こり、幻視や錯視を引き起こしているのかもしれない。医療従事者ならば、ある程度どんな物かは、ご理解いただけると思っています」
牧山ドクターの診断結果と、はっきりとした口調に中村は言葉を失った。少し頭を抱えて、深く溜め息を漏らすしかなかったのだ。
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