緑を分けて

綿入しずる

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悲しみの浅瀬まで

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 採取後、あるいは採取待ちの時間ができると、カイは手の届くところから掃除をするようになった。パン屑の乗っていたテーブルがどうしても気になって拭き清めたのが最初だった。天板を拭くと他も埃がついているのが目について、結局拭き上げた。
「またやるの? 遊ぼうよぉ」
「中途半端は気になる」
「俺が半端なんだけどー」
「ちゃんと見てる」
 そうすると他も、ちょっとずつ手が伸びたのだ。家具がほぼ無い分やりやすかった。一思いに絨毯とカーテンを外に出し――セヴランはあれ以来カーテンを開けっぱなしにしていたので不要だった――上から埃を払っていった。
 毛ばたきをかけ終えて次はと箒を構えた中――ぽろん、と背後から音がしたのに、カイは驚き振り向いた。さっきまでは文句を垂れていたセヴランがいつの間にか竪琴を抱えていた。爪弾き、カイを窺って手慣らしの旋律を辿る。
 竪琴のほうはもう汚れていなかった。磨き上げられて弦が張り直されている。その上で滑らかに手が動く。
 カイの頬が緩む。何も、詳しく問うことはしなかった。
「手伝えよ」
 一応、言ってはみたがそれきりで、弾くのを止めることは勿論無かった。掃除は勝手にやりだしたことだし、そうして音が聞こえるのがこの上なく嬉しかった。だから自分がやって耳を傾けた。
 次からは、カイが行くともう竪琴が横に用意されていた。掃除が始まるとセヴランはいそいそと弾きだし、たまに歌を口遊んだ。カイを手伝う様子は見せず、時折、動作を急かすかの速い調子の曲や勇壮な英雄曲を選んで笑う。そうして弾き方を思い出した。指の感覚と、楽しいやり方を。
 一週間ほどかけ、埃っぽかった居間はすっきりと曇りが取れた雰囲気になった。窓も磨かれた。その次は台所のあちこちが水拭きされた。カイはストーブに残っていた灰を掻き出して、鍋やケトルなども一式洗った。
「これで少しは使いやすくなるだろ」
 空の籠の横にパンに被せるカバーをこれ見よがしに置いて見せると、セヴランは肩を竦める。最後、濡れた物を拭くくらいは彼も手伝っていた。
「まあこのへんはね、使うかも」
「料理は……しないか?」
「ちょっとはできるけど。外でうまいの食べたほうがよくない?」
「こんなに立派でオーブンもあるのに、勿体ない」
 いつもより綺麗に洗われたコップで水を飲みながら見渡す台所は、二人でも居られるくらい広い。道具もあった。誰かやっていただろう、と思えば、カイは言った後で少し気まずくなった。セヴランがやらないなら、恐らくは亡き母なのだ。その話に迫るのは――彼には上手い切り口が分からなかった。あまり触れるべきではないようにも思われた。特に今日は、もう時間もない。
「君料理までするの?」
 話が自分の側に向いてきたのにほっとして、隠さず頷いて水を飲む。
「趣味程度にな」
「家事程度じゃないんだ……得意料理なに?」
「……」
「得意ではない?」
「ケーキはよく褒められる」
「え、なんで隠したの今。焼いてきてよ」
「言うと思ったからちょっと迷ったんだよ……」
 あの後すぐに回復した風邪の一件から、二人は親しくなった。以前と同じような調子の会話でもどことなく質が違う。気安く、落ち着いていた。
 流しに寄りかかって目を細め、セヴランは甘えた声を作る。
「ケーキ焼いてくれていいし、掃除もまだ、トイレとか風呂もやってくれていいんだよ」
「自分でやれよ」
 勿論、言われると分かっていて言った。呆れた言葉が返ってくるのが嬉しくて笑ってしまう。セヴランもこの家が大切であるから、最低限、目も当てられぬことにはならない程度には守っていたけれど、こうも明るく清々しいのは久しぶりだ。そこにカイが佇んでいるのも嬉しい。軽口を叩くのも楽しい。機嫌よくにやにやする。
「……食器はあったよな。ティーセットはあるか」
 ケーキのほうも、さして本気で言ったわけではなかったけれど。
 問われたのに瞬き、セヴランは掃除中には開けられることがなかった備え付けの食器棚を見遣る。開けてみるまでもなく、幾つか思い入れが強く残している食器の中に間違いなくあったので、頷いた。
「……一つあるかな、売ってないはず」
「ケーキはまあともかく。今度茶を持ってくる。……好き嫌いあるか?」
 カイが視線を手元の水へと逸らしながら言うのに、ない、と首を振って期待に輝く目で窺う。
「掃除は一休み?」
「そう。ここは珈琲も出ないからな、自分で用意する」
 カイはもう外に出ているとは言わなくなった。なんとなく此処に居るほうが落ち着くようになって――居てやりたくなってしまったのだ。
 採取と諸々、仕事の内と言える分には、セヴランには一時間から二時間程度使える。そういう予定の組み方をしている。この家に居るのと、何処か外で時間を潰すのとはあまり変わりがない。外回りの園丁官はその点自由だ。掃除だって、お茶の相手だってできる。
「燃料ちゃんとあったかな。お湯沸かせるようにしないと」
「――ん」
 そうしてカイが居ついているのを明確にすると、セヴランは分かりやすく喜んで声を弾ませた。そわついてひきだしのマッチなど確かめ始める。その様子を見て、カイは照れて首元に手を置く。もう本当に後戻りできないところに居る。気づけば、ではなく、自ら進んできてしまった。
 面と向かって好意を確かめることは憚られて掃除などして、それでも着実に、歩み寄って近づいた。ここはそういう距離だ。ただの庭と園丁官というには明らかに親密で、互いに意識している。
 片付けを終え、本来の仕事も滞りなく。今日は背を覆うほどであった星葉蔦キッカの痕、保護剤を剥がして変哲の無い肌が戻っているのを確かめ一週間の記録を回収して、それじゃあまた、と家を出る。ドアが閉じる前に一時視線が絡んでセヴランが手を振る。ほんの些細なそのやりとりがカイの胸をくすぐった。
 親しくなったのが嬉しい。仕事の成果として、などという範囲はとうに越えて、個人的に。次はもっとと思う。
 居間と、台所の掃除は済んでしまった。次は一休み。――その先は未定。否、そもそも仕事をしに来ているのだから何はなくとも来れるのだが。考えて彼はちらとセヴランの家を振り向いて二階を見上げた。
 本当は一番片付けたいのは、数度見たあの部屋だった。物がない、割に散らかった雰囲気の、何かが荒れたセヴランの部屋。カイはあそこをどうにかしたい。――どうにかってなんだろうか、と思いながらも日々その思いが強くなる。

 カイが帰ると、セヴランは早速食器棚をあさってティーセットを確認した。華やかな緑色に小花柄の一揃いは母の気に入りで一番よく使っていた品だった。それで値はつきそうでも売れなかった。目に入るとつらくなって奥にしまい込んでいたが無事出てきた。見ればやはり、つんと胸の奥を刺す感覚はあった。
 袖を捲り、綺麗になった流しに水を出し、洗い桶に溜める。沈めて濯ぐ。その中で、ふと、吐息が声に変わった。歌が唇を突いて出た。
「気をつけて――月のようにはいかないわ」
 ティーセットを洗う母の手を思い出した。背中、横顔、布巾を取ってなどと言う仕草。機嫌よく歌う声と共に。その思い出を辿る。
「欠けたら戻らない。半分になったらそれきり――」
 それは洗い物をするときの定番だった。透き通る女の声ではなく、華奢な子供の声でもなく、その気配を受け継いだ男の声が伸びやかに紡いだ。一人だが明るい台所で。
「月の皿が欲しい――割れても元どおり。三日月のときは、何ものらないけど」
 冷える指先がポットとカップ、ソーサーを撫でる。一脚多いが一応洗った。
「月の皿が欲しい、すてきな金の皿」
 数度繰り返し――さっき他の物も拭った布巾で磨ききると、セヴランの顔には自然と笑みが滲んだ。悲しみが薄れたことを実感してまた寂しくはあったけれど、それでも、やっと前向きになれたなと彼自身が思った。
 彼は多くの歌を母に教わった。ほとんどすべて母と歌った。だからティーセットと同じだった。歌うと生前を思い出してつらい。記憶の中の声を消してしまいそうなのも怖い。それで遠ざけていた。竪琴も、喪失の悲しみの中では上手く鳴らなかった。もう二度と弾けないとさえ思っていた。
 けれどあの日、庭常から歌が聞こえたときには歌わずにはおれなかった。歌おうと本能が囁いた。竪琴は息を吹き返したかのように鳴り響いた。そうして一度やってしまうと、もう楽器を部屋の片隅に放り出しておくことはできなくなった。初めはその腕が衰えたことを嘆いてもいたのだが。
 自分の中でつかえて苛むようだった母の存在が、動き出すのを感じた。
 人生は、心身は、愛する母と音楽で出来ているとセヴランは思い出した。歌い奏でる楽しみだって、教えてくれたのは母だ。寂しいけれど、悲しいけれど、そんなときほど歌うのだとも言っていた。誰よりも美しい声で。――忘れないでよと呆れて怒る様まで思い浮かんだ。切なくも懐かしい。思い出すともっと、あの歌も、この曲もと内から溢れてきた。彼は母と同じ竪琴弾きライアスピラだった。
 歌いたくなって――聞かせたくなって。強張っていた手を慣らすうちにカイが掃除などやり始めたから手持無沙汰で。弾いてみればカイが、それは嬉しそうに微笑んだので。
 ――やっぱり、案外、好かれてる。
 風邪の日に得た感触が実感となって、セヴランは嬉しくて張り切った。音楽についてはなんでも、昔から褒められたから自信があった。楽師の求愛の一番はこれに違いない。口説き、戯れる気分で鳴らしながらカイが働くのを見ていた。
 同じ眼差しで、丁寧に洗ったティーセットを日差しの中で眺める。そうして、腕を、足を伸ばして陽光に翳した。しっかり生えろよ、なんて思ってしまう。生えないと真面目な男はすぐに別の仕事に向かってしまうのが分かっていた。お茶をする為にはまず採取の時間が要る。
 庭であるのはまったく悪くない。好いた人が手入れしてくれるのだから、最高だ。蔦を分けて触れた手を、微かにひやと触れた鋏の感触を、薬を塗る指先を、思い出してはセヴランは喉を鳴らす猫のような心地になる。
 調理用の燃料を買いに行くついで、菓子も用意しておこう。なんなら茶葉だって一つ買って置いといてやろう。良いところを見せて喜ばせてやるのだとセヴランは計画を立てる。また鼻歌が零れた。
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