緑を分けて

綿入しずる

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園の片隅(後)

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 建物の奥には陽の照る美しい庭園がある。
 周囲を高い壁に囲われてはいるが閉塞感を感じさせぬほどに広く、硝子の屋根も教えられなければ分からないほどの透明度を保って空を透かしていた。石を積まれ成された緩い傾斜を持つ地形を辿る人工の泉には絶えず水が巡り、風も穏やかに循環している。対なすように植わった柳の大木が二本、枝を揺らしている様が波のようだった。すべての痛みを取り除くと謳われる霊香柳の他にも多数の標本が、あるものは生い茂り、あるものは花を咲かせている。
 楽園――あるいはその再現といった雰囲気だった。
 第二保管庭園。この軍の研究分室が稼働し始めた当初から使用されている、重要標本の保管と栽培を担う庭である。
 これほどに豊かな庭ながら鳥や虫の姿は見られず、行き交うのは管理の仕事をする蝶や蜂の姿をとった精霊に限られる。出入りする人間も入室権限を持つ、勤務八年以上の園丁官のみとなっていた。通常であれば。
 セヴランは近づく人の気配に、ぽん、と一つ外すように竪琴を鳴らして顔を上げた。石垣の傍らの特等席、ピクニックのように敷物をされた上で胡坐を掻いてそうしていると木陰で遊んでいるようにも見えるが、実際には木に寄りかかるのではなく、彼から木が生えている。
 肩の黄金果樹はすっかり、彼の頭より上に広がっていた。さながら光背のように主張して彼自身の視界にも入り、安易には身動きが取れないほどになっていたがまだ消失の兆候はなく、成長の見込みありと採取は見送られていた。それで部屋ではなく庭の中で過ごしている。
「おはようございます。眠れましたか」
 正面に立ち声をかけたのは、この庭園の責任者の老年の園丁官だった。ひょろりと背が高く、細い目や口ひげが特徴的な顔だちをしていた。表情も声も柔和である。その長身を折り曲げて座り込むセヴランの機嫌を窺う。
 それは毎日、植物の様子を探るのとほとんど同じ所作だった。向こうの柳の木も、壁に這う蔦も、薄紅の花咲き誇る姉妹花シェーンファウストも、いつも似たような雰囲気で観察されている。
「意外と寝れたかな。なんだか落ち着いちゃったっていうか。ゆっくりさせてもらってます」
 セヴランは見上げて、大して居住まいも正さずに応じた。観察か監視の園丁官は一晩中ずっとついていたし、今もそこに居る。今更態度を取り繕おうとは思わなかった。別に真面目に座っている必要もなく、彼らの大事な植物の邪魔にならないように過ごしていればよいのだとは前のときに把握した。さすがにこの状態ではそこらを動き回る気にもならないが。
「なるほど、何よりです」
「カイとか、デニスさんは来てないの?」
 それより気になるのは断然、そっちだった。何かの書類を捲り仕事を始めようとする動きに、始まるより先に、セヴランは彼らが出入りしている通路のほうを覗き込み問うた。白髪の園丁官は首肯した。
「担当が違うのでね」
「彼が俺の担当でしょ?」
「此処の管理に当たる園丁官は我々なのです」
「……管理じゃなくても、来てくれたら嬉しいんですけど」
「検討します。まあまずは、私の話し相手をしてくださいよ」
 そうして流され、会話というよりも調査が始まってしまう。撮影や測定が繰り返され、いつもの健康チェックも採血まで行われた。記録係も含めて三、四人に囲まれてやるので実に仰々しい。
「あの、後ででいいから、っていうか俺が暇なときに来てくれると一番嬉しいってカイに伝えてくれると」
「分かりました。伝えておきます。――それではまた二時間後に確認致します。他の標本も巡回しておりますがお気になさらず」
 一通り終わるのを待ってからの念押しも、あっさりとした返事だけで往なされる。彼は部下に報告を任せて他の植物へと向かっていった。セヴランは暫らくその背を睨むように見つめ主張しておいたが、気にされた様子はなかった。
 視線を外して見れば他にも、あちこちで園丁官が働き始めていた。大層美しい庭に対する仕事ではあるものの、見た目には普通の庭師のようだった。大半が以前に外側の庭園で会った者たちと同じように前掛けやブーツの作業着だ。皆、一度は黄金果樹を見には来るが、セヴランに声はかけない。
 カイや、デニスの姿は無い。前に見た人さえ居ない。担当が違う、のだろうなと思って、セヴランは空を見上げて溜息を吐く。
 前のときで十分分かっていた。蔑ろというほど酷くはない、むしろ気を使ってもらえはするが――彼らはあくまで国家に奉ずる研究者で、軍人で、重要なのはセヴランよりも植物のほうだ。あくまで庭として大事にされているだけで、個人を見てはいない。
 ――やっぱりカイがいい……
 胸中にぼやく。此処ではさすがに家ほど甘やかしてはくれないだろうが、この際、他の園丁官と同じことをされるのでもよいからカイがよかった。他の園丁官では絶対に物足りなかった。ちゃんと自分を見ている男が恋しかった。
 そのように待遇には不満があるし木を背負った大変な状態ではある一方で、その木の所為かこの場自体の居心地は案外悪くないのも、正直なところだった。天から降り注ぐ日差しは奇妙なほどに気持ちよく感じられた。
 日光浴と、水分補給。定期的に繰り返される言葉が思い出された。はいはいと内心で返事をして、先程横に置かれた飲み水をぐいと呷って、息を吐く。どうやら放っておかれるようなので気晴らしに竪琴を抱える。弾くのは構わないと昨日の時点で許可が出ていた。――ちらと横を見る。近くに一人残って座った軍服の園丁官がこの時間のセヴランの担当だった。
「……リクエストある?」
 少しそちらに身を寄せ、相手のほうは姿勢よく堅苦しい職務の雰囲気を崩していないのでこそっと訊いた。こういうとき音楽というのは素晴らしい。雑談など振るより反応がよくて間が持つ。セヴランほどの実力者ならば大体、嫌な顔はされなかった。
「――水の旋律などはどうです」
「ああ。お上品だけど、まあ丁度いいかも」
 数秒悩んだ人の答えは、上官たちの耳にも入ることに配慮した朝に似合いの品のある一曲だった。得意分野とは些か異なるが有名な曲なのでセヴランも覚えていた。ここ数年で流行った曲以外なら、大体応えられる。
 指先が些か勿体つけて、流れる水のように弦を辿った。
 独奏はゆったりと庭園を彩るように響き始めた。大層優雅な勤務だったと、その日の勤務者たちは語る。

 まず立派に育った木が見えて、カイは息を呑んだ。柳の間にある美しい木。――その根は蹲る人の身に降りている。理解はしていても、そして一年以上現場で経験を積んでいても、目の当たりにするとこれは夢なのではと思える景色だった。
 セヴランは敷物の上に座り込み、石垣の上に枕を置いて身を預けていた。斜陽の陰の中で俯せになっているその顔さえも、宿す枝葉の為に常人とは違って見えた。
 問題のないことは他の園丁官から聞いていたのに、カイは駆け寄らずにはいられなかった。
 名を呼び手を取る前にセヴランは目を開けた。眠ってはいない、ただ休んでいただけの明瞭さでカイを見つけて笑う。
「やっと来た。マジで来れないのかと思った」
 嬉しそうな声音は極々、いつもの調子だ。カイの肩から力が抜けた。
「……本当は此処に入るほど権限がないんだ。此処は特別だから。――貴方の担当だから入れてもらえた。だからまあ、数分」
 横に屈み込みながら言えば、もう何度も聞いたとばかりにセヴランは呆れた顔をする。此処に植わっている植物は大事なものばかりらしいが、部外者ならともかく、こんな真面目な人間なら構わないだろうとセヴランは思うのに。融通の利かない話だった。
「……実が採れたって。聞いた?」
 カイは頷き、再びセヴランに根ざす木を見遣った。昼間のことだ。神話どおりの丸い果実が一つ実って収穫と相成った。一つ分の少しの重みを思い出すようにセヴランは肩を擦る。
「感動? 俺は実感が湧かない。こんな生え方だからさ、なってるところは見えなかったし、実物見ても……金色ってより黄色で、林檎とかみたいな、案外普通の実だったよ。まあまあ美味しそうだった。興味ないって言ったけど、味は気になるから一口くらい貰えばよかったな」
「芳しく豊潤で美味……だと言うな」
 神話の伝承はなんとも抽象的だ。状況に気圧されたカイの口振りにセヴランは笑ってしまう。
「まあマズかったらやってらんないよね、神様も。美味しいんでしょ」
 一日、いつもよりもっと会いたかったのに、いざ会うと何を話せばよいのかは二人して分からなかった。顔を見たかっただけ、いつものようなくだらない話をしたかっただけだったと思う。それはこんな姿だとちょっと難しかった。数分だけ、と考えるとまた焦る。
「調子は悪くなさそうだな。よかった」
「うん――」
 普段よりもどこか気づかわしげな声が言う。その顔に果樹の影が差している。日が暮れるなあ、と思って、セヴランは物寂しくなった。この庭は温度や風については魔法なども用いて常に最適が維持されているが、太陽ばかりは再現されず他と違わぬ夜が訪れる。一人にされるわけではない。灯りを点けて、寝ている間も観察が続くのが一日目で知れていた。それもカイがやってくれれば夜通し話せて楽しそうだが、どうもそうはならないらしい。暮れるのと帰るのが一緒なのはどうにも寂しいものだった。
「君のいつもの注意が正しいのを実感してる。水は美味いし日差しが滅茶苦茶気持ちいい、眩しいけど……」
 惜しんで、顔を見つめて続ける。他愛ない話もカイはどこか真面目に聞いている。普段は入れない場がそうさせるのかもしれなかった。
「……水が欲しいな」
 呟きに、横を向いた。
 セヴランの周囲はすっかり整って、カイとすれ違いに離席した担当者の席には暇潰しの本などと共、水差しや毛布が用意されていた。石垣の上で空になっているコップに注げという意味かとカイはそちらにも目を移したが、セヴランは身を乗り出し右肩を示した。
「こっちに。そんな気分」
 ――園の植物も採取後の育て方は普通の植物と同じだ。水をやり、ときに肥料もやり、病気や害虫を避けてさらなる採取や剪定を続けて育てていく。物言わぬ植物の声を聞き、応えるのが園丁官の仕事だった。カイたち外勤は多くの時間で庭となった人間のほうを相手にしているが、どちらかといえばそちらが本職といえた。
 このように、本当に声が聞こえるなら間違いがないなと思いながら――疑いもなく。カイは如雨露のように水差しを掲げた。
「――あは、きもちい」
 ひやと触れた水に淡緑色の目が細められる。
 落ちた水は黄金果樹の根で弾けて光る。葉の上で丸く水滴を結ぶ。散髪を先送りにしている毛先が濡れて細り、検査着が水を吸ってひたと肌に張りつく。
 やがてふーっと満足の息を吐いて、セヴランは襟を摘まんだ。カイは我に返った。
「……次はタオルかな」
「……そうだよな」
「着替えも持ってきて」
「そうだよな……!」
 セヴランの要求に、慌てて水差しを戻す。雰囲気に呑まれていたが、相手は庭木ではないのだ。濡れたままでは居られない。
 いくら気温が調節されているとはいえ、また風邪でも引かれたら大事だ。そうでなくとも着替えだって一人ではできない状態である。
 へら、とセヴランの頬が緩んだ。カイの顔は割と蒼い。
 珍しいくらいに焦って、水を零したと先輩に言い訳しにいくのを見て、セヴランは明るく笑った。水を欲したのは別に嘘でもなんでもなかったけれど――ばたばたと動くカイが予定よりも長くそうして世話を焼いてくれたので、まあ濡れた分はあった。
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