ひとつのひ

綿入しずる

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本を重ねても知れぬこと 二

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「スイ殿、クノギ殿がいらしていますが、お通ししてよろしいですか」
「ん。ああ。じゃあ茶の用意を」
「承知いたしました」
 使用人からかかった声に、相変わらず変わり映えのしない自室の机に向かっていたスイは写本の手を止め、いそいそと隣の部屋へと移った。
 淡々とした作業は集中しすぎて時間が経ったのに気づくのが遅れることも多い。もうこんな時間かと日が傾き始めた窓の外を眺めて、ややあって現れた友人に相好を崩す。
「いらっしゃい、お疲れ様」
「お疲れ。ほれ土産。貰い物だが」
 クノギも応じて笑みを浮かべ、布巾の包みをテーブルに置いた。薄く甘い香りがするそれにスイは遠慮なく手を伸ばす。開いて見えた、詰所への差し入れの分け前として既に切り分けられている蒸しパンに表情は一層に緩んだ。
「ありがとう。少しは暇になったか?」
「まあまあだな。ま、この前よりは全然ましだ」
 こうして会うのは六日ぶりだ。祭の慌ただしさが過ぎた城の中はおよそいつもの静けさを取り戻して、衛士たちも普段どおりの仕事の流れを掴みなおしている。
 その昼休憩、僅かな時間でもスイの顔を見たくてクノギはやってきたのだ。使用人がすぐに茶を持ってきてくれるのに礼を言って彼にも菓子を分けてから、クノギはテーブルに頬杖をついた。
「お前のほうは? 劇だの詩会だのっていうのはどうした」
 早速蒸しパンを齧っているスイに聞き返す。刻んだ干し葡萄を混ぜた生地はまだ柔らかく、飲みこむのに難はなかった。
「どちらも手配を始めたって話だから、題目が決まったら何人か書庫に来るだろうな。早く日付も決まるといいけど。劇は観るだけでも、詩は少し用意しておかないと……」
 劇団を呼んでの観劇や詩を作って競う詩会は、王族貴族や上位の仕官たちの楽しみの場だが。単に楽しいだけではない。
 観賞するにも、詩を作り聴くにも、恥をかかないことは当然として、一目置かれたければ予備知識が必要だ。付け焼刃でも話題の種がないよりはよいと皆勉強をしに日々の職務の合間に書庫を頼ってくる。
 その上、城の知の象徴である書庫番はそういう催しの際、当たり前に出席になる。人数がいればそのうちの誰か、ともなるが、南の城で一人きりのスイは必然、毎回の出席だ。学者として一定以上の教養があるスイとしては焦るようなことはないが、些か大変な心地がするのは否めなかった。
 ましてや今回は王族にして城の主、王妹殿下の主催だ。緊張感は当然、参加者の意気込みも違ってくる。巻き込まれるような気持ちになるのも仕方がないことだった。
「なんかあれだろ、読み上げだかも書庫番がやるんだろ?」
「最初にその時期に合った名詩を引用して挨拶する。主催がやることも多いけど、結構それらしいのを出すのは大変だから書庫頼りってわけだ。殿下のお気に入りがなければ俺が探すことにはなるだろう。で、その後はお題に従ってまず合作で詩作して講評をして……」
 スイはつらつらと説明して――話を振った割に面倒臭そうな、詩会などには縁遠い下っ端の武官らしい顔をしたクノギに笑い、話を切って手に残っていた菓子を口へと押し込んだ。
 もくもくと噛んで甘みと芳醇な香りをよく味わって、少しの間を置いてから茶を含む。スイの好みで揃えられた青茶はほどよい熱さで喉を潤す。
「実は兄さんも呼んだって言われて」
「どっちの兄さん?」
「下のほう。王城の書庫番の。ちょっと詩が得意で……ここに俺が居るからという殿下の計らいなんだけど」
 スイは三男なので、兄は二人いる。宮廷教師の長男アガツと、王城の書庫番の一人である次男ヨカ。歳の近いほう――と言っても十は離れた兄の招待を、スイは他ならぬ城主から聞いていた。
 スイと同じく蒸しパン一切れをさっさと平らげたクノギは、曖昧に笑うスイに首を傾いだ。
「よかったじゃないか。……家族とは仲いいんだったよな?」
「それはそうなんだけど。来るとなるとちょっと、何か言われそうで気になると言うか。まあ、忙しくてそんなに話す時間はないと思うんだけども」
 兄、というか家族の構いたがりなところと、同業者の目線を意識してスイは苦笑いした。

 以前茶の時間に立ち寄った際の、困ったような嬉しそうなスイの顔。まあ大人になると兄弟の親愛も想像するほど単純ではないのだろうなあ、などと考えたことを、自身は一人っ子のクノギは思い出していた。
 衛士の仕事、一日の来客の予定について再確認したとき、名簿の中には確かにその名前があった。貴族も含めた、四日後に行われる詩会の参加者の連なりの中に。無事参加になったのだなと思ったの記憶はもう少し新しい。
 その人が今、名簿の中でも来客の一団の中でもなく、ほぼ単身でクノギの目の前に居る。
「迷ってしまって。忙しいところ申し訳ないが、書庫に連れていっていただきたい」
 敷地の中を二人一組で歩きまわって警備していた衛士に声をかけたのは、背の高い見慣れぬ男だった。やはり見慣れない若い従者だけ連れて城のほうの案内は連れていないが、入城の証となる札は二人ともが確かに所持しており、間違いなく客人だと確認ができた。
 年は三十四。中肉中背の黒髪青目。とは書類でも見ていた。顔はあまり似ていないが目の色はスイと同じだ。書庫番の格好をしていればもっと似たかもしれないが、客として訪れている今は官服ではなく襟と帯を同色の藍の織物で飾った、華美ではないが質よく品のある、貴族と肩を並べるに足る一族の男の装いだった。
「誰か供を求めなかったのですか」
「供なんて勿体ない。一人連れていれば十分だと……思って断ったのだが、ついでに庭を見ていたらよく分からなくなってしまって。面目ない」
「はは……ご案内します。すぐそこですよ」
 供なんて、と言うところとその声の調子はちょっと似ているなと思い、そのマイペースさに内心呆れながら、クノギは客人を書庫へと促す。クノギがよく書庫を訪れていることを知っている同僚は役割分担を目配せだけで済ませて、案内を任せて既定の順路へと向かった。
「書庫にご用事が?」
「弟がいるので、先に顔を見にいこうかと思って」
「ああやはり。スイ殿にはたまに酒の相手をしてもらっています。ご兄弟のお話もいくつか」
 相手は一切そんな目で見ていないとしても、片思いの男の家族に悪い印象を持たれるわけにはいかない。後ろを歩く従者は愛想なくだんまりなのでヨカと二人で自然な会話の流れを作って間を埋めながら、クノギは慣れた書庫への道を歩む。
 年は結構離れているが優しく、幼い弟によく付き合って走り回る遊びの相手にもなってくれたものだとスイが語っていた声を思い出す。
「おや、恥ずかしい話でなければいいが。あれも結構人と交流するようになった……のかな。衛士の方とは意外だ。何人か共に?」
 のんびりと歩みながらの弟の友人の少なさも理解している口振りに、クノギは眉を下げて笑った。
「いえ、ほとんど自分だけですが。来たばかりの頃に今日のように案内したことがあるのです。その縁で」
 取り繕ってやりたかったが、大袈裟に言ってこの後ぼろが出ればそのほうが恨まれるだろうと、嘘は言わない。ただ四年も前の――当然今より若く、新しい仕事場に緊張していた為に幾分幼くさえ見えた友人の姿を思い出して少し頬が緩んだ。
 ヨカは片眉を上げて、ああやっぱり、という顔をした。微笑ましく思っているような、残念がっているような、そんな曖昧な表情だった。その表情の作り方はスイと重なる部分があった。
「昔から片手ほどしか友人を作ってくれなくてね。それでもまあ、酒を酌み交わす相手がいるなら少し安心した。どうか仲良くしてやってくれ」
「それは勿論」
 多少、友情だけではない気持ちがあるので後ろめたさも芽生えたが。社交辞令ではなく少し意気込んで答えたクノギに、ヨカは笑みを深めた。
 そうこうしているうちに石造りの立派な書庫が見えてきて、クノギは先に立って見慣れた居室に続くほうの扉を叩いた。普段訪れる時間ではないのでもしや書庫のほうだろうかと考えるのは束の間、ぱたぱたと忙しない足音がしてこれまた見慣れた使用人が顔を出す。
「客人をお連れした。書庫番殿の兄君だそうだ。取り次いで、」
「会食で会う予定でしょうに」
 クノギの畏まった言葉が途切れたのは、珍しい時間の訪問者にそんなことではと察した書庫番当人も使用人の後ろから現れた所為だ。
 スイもまた、ヨカと同じく上流階級の礼服を身に着けていた。色こそやはり書庫番の藍色を選択していて控えめだが、いつもと比べては刺繍や紐飾りが多く華やか、首元を隠すように付け襟までした姿は、普段はそういう格好をしない者が着ていると婚礼なども思わせた。腰が帯で絞られて体の細さが際立つようだ。
 つまるところ懸想の相手がする格好として、クノギとしては意識を奪われるに足る見目だった。
「うわどうして」
 会食の為に城に出向く支度、髪も編み髪を加える当世風にしていたスイは、案内してきたのがクノギだと次の瞬間には気がついて間抜けな顔をして声を上げた。こうして出てくるにしても、普通であれば客の案内は城の中に居る使用人がやる仕事なので衛士の姿は予想外だ。
「こらなんて物言いだ。迷っていたところを案内してもらったんだ。――どうもありがとう、衛士の方」
「いえ、仕事の内です。会食まで余裕のある時間に着けてよかった」
 兄にぴしゃりと窘められて不満そうな顔をしたスイがまた、貴族のお坊ちゃんめいて映る。思わぬ幸運を噛みしめたクノギは、作り笑いでもない笑顔で応じた。
 衛士として会食の時間も記憶している。スイとしてはまずそこで会うつもりではあっただろうが、今の時刻ならば兄弟で積もる話も幾らかしてから城に戻ることができる。思わぬ訪問とは言え、悪いことばかりではないはずだ。
「友人は大切にしなさい」
「余計なこと言わなかったでしょうね……」
「余計なことなど何一つ。挨拶をしただけだよ」
 重なる言葉には黙って笑っておくしかできなかったが。クノギが後はよろしくと使用人と目を合わせて一歩下がると、眉を下げて肩を落としたスイがひらと手を振った。
「手間をかけた。ありがとう」
「仕事の内ですので。お似合いですよ、書庫番殿」
 繰り返し、なるべくさらりと自然にを意識して衛士の姿勢も保ったまま、クノギは褒め言葉を添えた。揶揄めいた響きになってスイは喜ぶどころか渋面となる。元々、こういう礼服の類は子供がおめかしさせられているようで似合わないと気にしてもいた。
「貴方も余計なことを言わないでくれ」
 クノギは勿論、本心からだとはわざわざ言わないままに笑って肩を揺らし、仕事へと戻った。
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