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郭嘉奉孝
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兗州で曹操と呂布が争っていた頃、長安では激しい権力闘争が行われていた。
献帝を誰が擁するか。それで最大の権力者が決まる。
皇帝の一番近くに侍る者は、絶大な権力を得る。詔勅を引き出すことができれば、天下を自在にできる。
群雄割拠時代に入り、それは幻想にすぎなくなっていたが、長安ではまだそう信じられていた。
若干の真実は残っている。後漢皇帝の言葉を尊く思う勤皇の士は各地に残存し、勤皇の士のふりをする者も数多くいた。
たとえば劉備は、高祖劉邦の曾孫、中山靖王劉勝の末裔であると称しており、漢の帝室のために戦っている。少なくともそういうふりをしている。
献帝は董卓にかつがれて即位した。聡明な人で、自らには力がないとわかっている。
その董卓は、呂布と王允に殺された。呂布は李傕・郭汜軍に敗れて長安から去り、王允は極刑に処された。
長安は李傕、郭汜、張済、董承、楊奉らの実力者による寡頭制に移行した。
相変わらず献帝には実権がない。実力者たちは唯一無二の独裁者をめざして、皇帝の奪い合いをしている。
献帝は感情を持つひとりの人間というより、価値のある権力人形と見られている。
「洛陽に帰りたい」と帝はつぶやいた。
故郷へ帰り、誰にも支配されない暮らしを送りたい。
叶えることがむずかしい願いであるとわかっている。
この時期、曹操は献帝の争奪にまったく関与していない。
兗州の統治で手一杯。
献帝を掌中にするべきと考えたのは、郭嘉奉孝である。
彼は170年、豫州潁川郡生まれ。
現実的理想主義者とでも言うべき変わり種であった。
曹操には王道を歩んでもらいたい。
漢王朝のために働き抜き、天下を平定するという大功を成し遂げ、正々堂々と禅譲してもらって、皇帝位に即けばよい。
そのために必要なら、曹操は劉操に名を変えてもいいのではないか、と思っている。
理想を現実にするために、柔軟な思考をするのが、郭嘉という男である。
徐州大虐殺には反対したが、曹操が復讐にこだわり、止めようがないと知ると、同行して徐州軍との戦いの参謀役となった。
呂布軍との戦いが勝利に終わると、曹操の将来のための遠大な計画を考え始めた。この段階では、理想を想う。
献帝をお迎えしたい。
それを実現するための具体策を練る。
兗州では遠い。
郭嘉は、豫州がよいと考えた。それも彼の故郷、潁川郡が洛陽に近く、皇帝の御所としてふさわしい。
195年、豫州刺史は郭貢であったが、実態はともなっていない。
豫州は黄巾軍残党の支配地域であった。
「殿、豫州をお取りください。天下を平定するため、版図を拡大していかねばなりません」
郭嘉は、まだ献帝のことは胸中に秘めて、曹操に提案した。
「呂布との戦いが終わったばかりだ。いまは兗州の内治に集中したい」
「隣の豫州が乱れております。放っておけば、黄巾賊は兗州にも入ってくるかもしれません。逆に攻めて禍根をなくし、かつ支配地を広げるのが上策です」
「それもそうか」
曹操はその気になった。
この頃、曹操は典韋が大のお気に入りだった。呂布軍との戦いでは、数十人の歩兵を率いて突撃し、八十斤の重い戟をふるって敵兵をなぎ倒した。
「悪来のようだ」と曹操は評した。悪来とは、殷の紂王に仕えた剛力の武将である。
曹操は、親衛隊長の典韋を豫洲へ連れていった。彼は常に侍立して守ってくれる。
相変わらず無口で口下手だが、そんなところも好ましい。
豫洲の黄巾賊を討つと、沛国にいた許褚が帰順してきた。身の丈八尺の偉丈夫であった。
「わが樊噲だ」と曹操は言った。樊噲は劉邦に仕えた剛勇な武将。
典韋と許褚のふたりは、曹操が得た多くの士の中で最強である。劉備のもとにいる関羽と張飛に匹敵する。
曹操は兗州と豫州をあわせ持つ統轄者となった。
郭嘉は次の策を提案した。
「本拠地を司隷の近くへ移すべきです。洛陽の南、豫州潁川郡はいかがでしょうか」
「潁川のどこがよいか」
「許県が栄えており、首府とするにふさわしいかと」
「そうしよう」
この頃になると、曹操は郭嘉を信頼するようになっている。
「私の大業を成就させるのは、そなたであろう」という言葉をかけたこともある。
曹操は許県に移り、幕僚と軍勢を集め、衙を整備した。
196年に入り、ついに郭嘉は胸中の秘策を曹操に明かした。
「許県に献帝陛下をお迎えし、この地を許都になさいませ」
「帝をここに?」
「はい。殿が皇帝陛下をお守りし、天下を主導するのです」
「貴様、前々からそのことを考えておったな」
「すべては殿が王道を歩むためです」
郭嘉は深々と頭を下げた。
「殿は議郎や校尉として朝廷に仕えたことがありますね。洛陽の要人のどなたかに伝手はございませんか」
「伝手ならある。なにをしたいのだ」
「私が使者となりますので、手紙を書いていただけませんか。内容は、長安の情勢が心配である。献帝陛下はお元気にされているだろうか、というだけでよろしいかと。殿が帝の心配をしていると伝われば、物事はよい方向へと動いていくでしょう」
策士め、と曹操は思った。乗り気になったが、手のひらの上で転がされているようで、多少不愉快であった。
曹操はすぐに手紙をしたためた。
「董承殿に会って渡せ。ただの伝令ではなく、彼と連絡を取り合えるよう、よく話してこい。皇帝陛下のご座所をお移しするとなれば、遷都である。そのような大事をなすべきときかどうか、長安のようすをよく見てまいれ」
こうして、献帝の奪い合いに曹操も加わることになった。
郭嘉が曹操と董承の間を何度か往復し、陰謀は進んでいった。
帝は洛陽へ戻りたがっている。
驃騎将軍の張済が、献帝を長安と洛陽の中間にある弘農県へ移そうとした。そこは彼の勢力下にある。安集将軍の董承と車騎将軍の楊奉も軍を率いて、帝を護送した。
移動中に、司隷校尉の李傕と後将軍の郭汜が帝を奪い返そうとして、戦闘が起こった。
張済は李傕・郭汜軍に降伏した。
董承と楊奉が懸命に戦い、帝を連れて弘農を越え、洛陽まで避難した。
しかしそこは、董卓が焼き尽くし、廃墟となっている。
「曹操を頼りましょう」と董承は献帝に進言した。
曹操と董承の密約がすでにできあがっている。帝が頼れば、曹操は遅滞なく動くことになっている。
196年夏、曹操が洛陽へ軍を出して、楊奉を追い払い、献帝を許に迎えた。むろん董承は同行している。
許が後漢の都となった。すべて郭嘉の謀のとおりであった。
献帝を誰が擁するか。それで最大の権力者が決まる。
皇帝の一番近くに侍る者は、絶大な権力を得る。詔勅を引き出すことができれば、天下を自在にできる。
群雄割拠時代に入り、それは幻想にすぎなくなっていたが、長安ではまだそう信じられていた。
若干の真実は残っている。後漢皇帝の言葉を尊く思う勤皇の士は各地に残存し、勤皇の士のふりをする者も数多くいた。
たとえば劉備は、高祖劉邦の曾孫、中山靖王劉勝の末裔であると称しており、漢の帝室のために戦っている。少なくともそういうふりをしている。
献帝は董卓にかつがれて即位した。聡明な人で、自らには力がないとわかっている。
その董卓は、呂布と王允に殺された。呂布は李傕・郭汜軍に敗れて長安から去り、王允は極刑に処された。
長安は李傕、郭汜、張済、董承、楊奉らの実力者による寡頭制に移行した。
相変わらず献帝には実権がない。実力者たちは唯一無二の独裁者をめざして、皇帝の奪い合いをしている。
献帝は感情を持つひとりの人間というより、価値のある権力人形と見られている。
「洛陽に帰りたい」と帝はつぶやいた。
故郷へ帰り、誰にも支配されない暮らしを送りたい。
叶えることがむずかしい願いであるとわかっている。
この時期、曹操は献帝の争奪にまったく関与していない。
兗州の統治で手一杯。
献帝を掌中にするべきと考えたのは、郭嘉奉孝である。
彼は170年、豫州潁川郡生まれ。
現実的理想主義者とでも言うべき変わり種であった。
曹操には王道を歩んでもらいたい。
漢王朝のために働き抜き、天下を平定するという大功を成し遂げ、正々堂々と禅譲してもらって、皇帝位に即けばよい。
そのために必要なら、曹操は劉操に名を変えてもいいのではないか、と思っている。
理想を現実にするために、柔軟な思考をするのが、郭嘉という男である。
徐州大虐殺には反対したが、曹操が復讐にこだわり、止めようがないと知ると、同行して徐州軍との戦いの参謀役となった。
呂布軍との戦いが勝利に終わると、曹操の将来のための遠大な計画を考え始めた。この段階では、理想を想う。
献帝をお迎えしたい。
それを実現するための具体策を練る。
兗州では遠い。
郭嘉は、豫州がよいと考えた。それも彼の故郷、潁川郡が洛陽に近く、皇帝の御所としてふさわしい。
195年、豫州刺史は郭貢であったが、実態はともなっていない。
豫州は黄巾軍残党の支配地域であった。
「殿、豫州をお取りください。天下を平定するため、版図を拡大していかねばなりません」
郭嘉は、まだ献帝のことは胸中に秘めて、曹操に提案した。
「呂布との戦いが終わったばかりだ。いまは兗州の内治に集中したい」
「隣の豫州が乱れております。放っておけば、黄巾賊は兗州にも入ってくるかもしれません。逆に攻めて禍根をなくし、かつ支配地を広げるのが上策です」
「それもそうか」
曹操はその気になった。
この頃、曹操は典韋が大のお気に入りだった。呂布軍との戦いでは、数十人の歩兵を率いて突撃し、八十斤の重い戟をふるって敵兵をなぎ倒した。
「悪来のようだ」と曹操は評した。悪来とは、殷の紂王に仕えた剛力の武将である。
曹操は、親衛隊長の典韋を豫洲へ連れていった。彼は常に侍立して守ってくれる。
相変わらず無口で口下手だが、そんなところも好ましい。
豫洲の黄巾賊を討つと、沛国にいた許褚が帰順してきた。身の丈八尺の偉丈夫であった。
「わが樊噲だ」と曹操は言った。樊噲は劉邦に仕えた剛勇な武将。
典韋と許褚のふたりは、曹操が得た多くの士の中で最強である。劉備のもとにいる関羽と張飛に匹敵する。
曹操は兗州と豫州をあわせ持つ統轄者となった。
郭嘉は次の策を提案した。
「本拠地を司隷の近くへ移すべきです。洛陽の南、豫州潁川郡はいかがでしょうか」
「潁川のどこがよいか」
「許県が栄えており、首府とするにふさわしいかと」
「そうしよう」
この頃になると、曹操は郭嘉を信頼するようになっている。
「私の大業を成就させるのは、そなたであろう」という言葉をかけたこともある。
曹操は許県に移り、幕僚と軍勢を集め、衙を整備した。
196年に入り、ついに郭嘉は胸中の秘策を曹操に明かした。
「許県に献帝陛下をお迎えし、この地を許都になさいませ」
「帝をここに?」
「はい。殿が皇帝陛下をお守りし、天下を主導するのです」
「貴様、前々からそのことを考えておったな」
「すべては殿が王道を歩むためです」
郭嘉は深々と頭を下げた。
「殿は議郎や校尉として朝廷に仕えたことがありますね。洛陽の要人のどなたかに伝手はございませんか」
「伝手ならある。なにをしたいのだ」
「私が使者となりますので、手紙を書いていただけませんか。内容は、長安の情勢が心配である。献帝陛下はお元気にされているだろうか、というだけでよろしいかと。殿が帝の心配をしていると伝われば、物事はよい方向へと動いていくでしょう」
策士め、と曹操は思った。乗り気になったが、手のひらの上で転がされているようで、多少不愉快であった。
曹操はすぐに手紙をしたためた。
「董承殿に会って渡せ。ただの伝令ではなく、彼と連絡を取り合えるよう、よく話してこい。皇帝陛下のご座所をお移しするとなれば、遷都である。そのような大事をなすべきときかどうか、長安のようすをよく見てまいれ」
こうして、献帝の奪い合いに曹操も加わることになった。
郭嘉が曹操と董承の間を何度か往復し、陰謀は進んでいった。
帝は洛陽へ戻りたがっている。
驃騎将軍の張済が、献帝を長安と洛陽の中間にある弘農県へ移そうとした。そこは彼の勢力下にある。安集将軍の董承と車騎将軍の楊奉も軍を率いて、帝を護送した。
移動中に、司隷校尉の李傕と後将軍の郭汜が帝を奪い返そうとして、戦闘が起こった。
張済は李傕・郭汜軍に降伏した。
董承と楊奉が懸命に戦い、帝を連れて弘農を越え、洛陽まで避難した。
しかしそこは、董卓が焼き尽くし、廃墟となっている。
「曹操を頼りましょう」と董承は献帝に進言した。
曹操と董承の密約がすでにできあがっている。帝が頼れば、曹操は遅滞なく動くことになっている。
196年夏、曹操が洛陽へ軍を出して、楊奉を追い払い、献帝を許に迎えた。むろん董承は同行している。
許が後漢の都となった。すべて郭嘉の謀のとおりであった。
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