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妖精の楽譜 第2話 都会の学校
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翌日、おしゃべりな近所のおばさんたちが、僕が帰ってきたという話を聞いてやってきた。彼女たちは僕を見ながら背が高くなっただの、洗練されただのと言い合っていたが、やがて母を交えて世間話を始めた。今年の台風は大丈夫だろうかとか、村長がぎっくり腰になったとか、どうでもいいことをいつまでも鶏みたいに話している。うるさいので、僕は家から飛び出した。
しばらくあたりをぶらついた。
小川の丸い石ころの陰には沢蟹が隠れている。いつも怒ったような顔をしているのに、こいつを見ると思わず微笑んでしまうのはなぜだろう。素揚げにすると美味しいからだろうか。
玲の家にはいちじくの木が生えている。幹が横に伸びている木で、幼いころ僕たちはよくこの木に登って遊んだ。木は飛行機で、枝の上は操縦席だった。僕が操縦をしているとき、突然枝が折れ、僕は地面に落下した。下は草地で、幸いたいした傷はなかったのだが、次の日から木登りは禁止されてしまった。
僕は玲の家の玄関をノックした。
「こんにちは!」と声を張り上げた。
返事はなかったが、中からドタバタした音が聞こえた。留守ではないらしい。玲が出てきた。幼なじみの女の子だ。僕と同い年だが、高校には通っていない。中学校を卒業し、いまでは果樹園の手伝いをしているはずだ。
「やあ、櫂じゃないか。久しぶり」
「久しぶり、玲」
「元気そうだな。背が伸びたね」
「少しね。話でもしようかと思ってきたんだけど、邪魔かい?」
「櫂が邪魔なんて、そんなことあるものか。上がってよ」
玲の部屋は板が散乱していて、足の踏み場もないほどだった。
「何事だい、これは?」
「本棚を作ろうと思ってね。学校に行かなくなったし、たいして仕事もないし、暇を持て余しているんだ。今度町に出たとき、ごっそり本を買い込もうと思っているんだ。おっと、何か冷たいものでも持ってくるね」
「おかまいなく」と答えたが、玲は台所に行った。彼女の得意な酸っぱい檸檬ジュースが出ているだろうと予測した。思ったとおり、尖った氷入りの檸檬ジュースが運ばれてきた。
「なあ櫂、都会の高校ってのは、どんなところだい?」
それが彼女の一番聞きたいことなのだろう。
「そうだな。楽しいことは楽しいんだけど、僕はあまり好きじゃない。学校の規則はきびしく、先生も口喧しい。かと言って生徒は規律正しいというわけじゃなくて、隠れたところで、かなり乱れてる。不良もいる。でも、そんなことはどうだっていいんだ。学校なんてどこでもそんなものだ。僕が特に嫌なのは、全寮制ってところだね。いつも誰かと一緒にいなければならない。合わせるのは大変だよ。なぜ流行を追わなければならないのか、なぜ他人と競って勉強しなければならないのか、僕にはわからない。くだらない盗難事件やけんか、くだらないことばかりだよ」
僕は未整理のままあふれるようにしゃべってしまってから、玲のあぜんとした顔を見て後悔した。
「いや、いまのはただの愚痴だ。忘れてくれ。素晴らしいこともたくさんあるよ。たとえば、煙草を吸ったりさ。うまいよ。ここにいたら、子どもは吸えない。だけど、やっぱり僕はあそこが苦手だな。学校は複雑なところだよ。モラリストじゃやっていけないんだ。要領のいいやつらが得をする世界なんだ」
玲は少し驚いたようだった。
「煙草が素晴らしいこと?」
「ああ」
「想像以上に嫌なところのようだ」
僕は急に玲の部屋の居心地が悪くなったような気がした。檸檬ジュースを飲み干した。
「今日はこれで失礼するよ。ジュースごちそうさま」
「もう帰るのかい? また来てね。いや、今度は私が行こうかな」
「いつでもどうぞ。じゃあね」
僕は玲の家から逃げるように飛び出した。なぜあんなことを言ってしまったのか、自分自身を疑った。僕は莫迦だ。
嫌な気分になって、果樹園の中に足を踏み入れて、奥へ奥へと進んだ。僕は足早になっていた。しまいには駆け出し、村の果樹園を離れ、森の中に入っていった。
大木がたくさん立っていて、あたりは薄暗い。野薔薇の群生があって、気をつけないと棘で怪我をする。青い林檎を実らす樹が散らばって生えている。
そこは僕の秘密の場所だった。
野薔薇に隠れて、僕は待った。彼らに出てきてくれと祈った。しかし、あたりは静まりかえって、鳥の声すら聴こえなかった。
いつまで待っても静止した周囲のようすは変わらず、彼らは姿を現さなかった。
しばらくあたりをぶらついた。
小川の丸い石ころの陰には沢蟹が隠れている。いつも怒ったような顔をしているのに、こいつを見ると思わず微笑んでしまうのはなぜだろう。素揚げにすると美味しいからだろうか。
玲の家にはいちじくの木が生えている。幹が横に伸びている木で、幼いころ僕たちはよくこの木に登って遊んだ。木は飛行機で、枝の上は操縦席だった。僕が操縦をしているとき、突然枝が折れ、僕は地面に落下した。下は草地で、幸いたいした傷はなかったのだが、次の日から木登りは禁止されてしまった。
僕は玲の家の玄関をノックした。
「こんにちは!」と声を張り上げた。
返事はなかったが、中からドタバタした音が聞こえた。留守ではないらしい。玲が出てきた。幼なじみの女の子だ。僕と同い年だが、高校には通っていない。中学校を卒業し、いまでは果樹園の手伝いをしているはずだ。
「やあ、櫂じゃないか。久しぶり」
「久しぶり、玲」
「元気そうだな。背が伸びたね」
「少しね。話でもしようかと思ってきたんだけど、邪魔かい?」
「櫂が邪魔なんて、そんなことあるものか。上がってよ」
玲の部屋は板が散乱していて、足の踏み場もないほどだった。
「何事だい、これは?」
「本棚を作ろうと思ってね。学校に行かなくなったし、たいして仕事もないし、暇を持て余しているんだ。今度町に出たとき、ごっそり本を買い込もうと思っているんだ。おっと、何か冷たいものでも持ってくるね」
「おかまいなく」と答えたが、玲は台所に行った。彼女の得意な酸っぱい檸檬ジュースが出ているだろうと予測した。思ったとおり、尖った氷入りの檸檬ジュースが運ばれてきた。
「なあ櫂、都会の高校ってのは、どんなところだい?」
それが彼女の一番聞きたいことなのだろう。
「そうだな。楽しいことは楽しいんだけど、僕はあまり好きじゃない。学校の規則はきびしく、先生も口喧しい。かと言って生徒は規律正しいというわけじゃなくて、隠れたところで、かなり乱れてる。不良もいる。でも、そんなことはどうだっていいんだ。学校なんてどこでもそんなものだ。僕が特に嫌なのは、全寮制ってところだね。いつも誰かと一緒にいなければならない。合わせるのは大変だよ。なぜ流行を追わなければならないのか、なぜ他人と競って勉強しなければならないのか、僕にはわからない。くだらない盗難事件やけんか、くだらないことばかりだよ」
僕は未整理のままあふれるようにしゃべってしまってから、玲のあぜんとした顔を見て後悔した。
「いや、いまのはただの愚痴だ。忘れてくれ。素晴らしいこともたくさんあるよ。たとえば、煙草を吸ったりさ。うまいよ。ここにいたら、子どもは吸えない。だけど、やっぱり僕はあそこが苦手だな。学校は複雑なところだよ。モラリストじゃやっていけないんだ。要領のいいやつらが得をする世界なんだ」
玲は少し驚いたようだった。
「煙草が素晴らしいこと?」
「ああ」
「想像以上に嫌なところのようだ」
僕は急に玲の部屋の居心地が悪くなったような気がした。檸檬ジュースを飲み干した。
「今日はこれで失礼するよ。ジュースごちそうさま」
「もう帰るのかい? また来てね。いや、今度は私が行こうかな」
「いつでもどうぞ。じゃあね」
僕は玲の家から逃げるように飛び出した。なぜあんなことを言ってしまったのか、自分自身を疑った。僕は莫迦だ。
嫌な気分になって、果樹園の中に足を踏み入れて、奥へ奥へと進んだ。僕は足早になっていた。しまいには駆け出し、村の果樹園を離れ、森の中に入っていった。
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そこは僕の秘密の場所だった。
野薔薇に隠れて、僕は待った。彼らに出てきてくれと祈った。しかし、あたりは静まりかえって、鳥の声すら聴こえなかった。
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