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第6話 深夜の秘めたる願い
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◇水車6
常連さんが増えた。きれいな女の人だ。
毎週1度は必ず来てくれる。天ぷらが好きみたいで、注文するのは必ずうどんと天ぷらのセットだ。僕としては日替わりセットも食べてほしいのだけど、それはまぁしょうがない。お客さんの注文に応えるのが僕の仕事だ。
初めて店に来たときは、大きなリュックをかついでいたので驚いた。カタツムリ戦争以後、山登りをする人は激減していたからだ。山ガールなんて絶滅したと思っていた。もっとも、彼女は山ガールっていうようなイメージではなくて、もっと本格的な登山家という感じだった。
その後はラフな格好で来店するのと登山姿で現れるのと半々というところだ。美人でスタイルのいい彼女が来ると、僕は思わず見つめてしまう。お客さんを凝視したりしたらいけないと思って、すぐに目をそらすけれど。
来店が10回を超えた頃、僕は声をかけた。
「いつもご来店ありがとうございます」
彼女は微笑んだ。
「このお店、とっても美味しいから。東京で1番の店だと思っているの」
過分な誉めことばだった。
「ありがとうございます。でもそれ、誉めすぎですよ」
僕は調理場に戻った。うれしかった。思わず笑みがこぼれてしまう。
「お兄ちゃん、鼻の下伸びてる」風鈴が不機嫌そうに言った。
「バカ言うな」と僕は言ったが、本当に鼻の下が伸びているかもしれないと思って、顔を引き締めた。
それから、僕はその美しい常連さんとときどきことばを交わすようになった。彼女から話しかけてくれることもあった。
「マスターは歳はいくつなの?」
「二十歳です」
「私と同じだわ」
彼女が僕と同い年だということがわかった。自然と親近感が湧いた。
「その歳でこんなりっぱなお店を切り盛りして。すごいわ」
「毎日必死ですよ」
仕事があるので、それぐらいしか話はできない。
あの人はなんていう名前なんだろう、と僕は思うようになった。
僕が彼女のことを考えてぼーっとしていると、妹から「お兄ちゃん、仕事、仕事」と言われて、我に返るというようなこともあった。
いかん、しっかりしないと。外食産業では毎年たくさんの店が開店し、同じくらいたくさんの店がつぶれていく。競争の激しい、厳しい世界なのだ。父に借りたお金も返さなくてはならないし、この店舗の賃料だって馬鹿にならない。気を抜いている暇はない。
がんばって美味しい料理を作り続けなくてはならない。
◇深夜6
私はときどき山に入り、罠猟をして肉を食べ、渓流釣りをして魚を食べた。髭の男には再会できなかった。前にあの男が言ったとおり、どこかへ移動したのだ。私も狩場を1か所に固定するのは避けた方がいいだろう。
山で肉を堪能したら、街に帰ってバイトをする。そしてときどき「みずぐるま」に通う。それが私の生活パターンとなった。
このままだといつか肉食がバレて、私は破滅するかもしれない。肉食をやめて、みずぐるまの食事で満足していれば、私は平穏に生きていける。
しかし私は山通いをやめられなかった。肉食を絶つことなどできない。
山で食べる素朴な焼き肉だけでなく、ちゃんとした肉料理も食べてみたかった。みずぐるまのマスターに川魚の天ぷらを揚げてもらいたい。スパイスを効かせたジビエ料理を作ってもらいたい。私はそんな空想をやめられなかった。
梅雨が終わり、本格的な夏が到来していた。
山を下りて、私はいつものように高尾山麓に立ち寄り、みずぐるまに入った。いつもは天ぷらとうどんを頼むのだが、その日は気が向いて、日替わりを注文した。
豆のカレー、コロッケ、トマトの煮物のセットだった。それを食べて、私は毎回天ぷらばかり食べていたのを後悔した。この店のものは何を食べても美味しい。
みずぐるまのマスターに聞いた。
「マスターの名前はなんていうの?」
「江口水車と言います」
「水車? ああ、それでお店の名前がみずぐるまなのね」
「変な名前でしょ。妹の名前は風鈴っていうんです」
この店のウェイトレスが彼の妹だということはすでに知っていた。
「水車に風鈴。確かに少し変わってるわね」
「はは・・・」
「でも私の名前も風変りなのよ」
「へぇ。なんていうんですか?」
「深夜。野村深夜っていうのが私の名前なの。深い夜っていう字」
「深夜ですか・・・。きれいな名前ですね」
マスターが笑みを浮かべた。そして調理場に去った。
人のよさそうな罪のない笑顔。肉食という罪を犯し続ける私とは対極にあるような人。しかしその彼に肉料理を作ってほしい、と私は思わずにはいられなかった。
江口水車。昼間の光が似合う。犯罪に手を貸す人とは思えない。
お肉を料理してほしいの・・・。
そう言いたかったが、切り出すことはできなかった。
常連さんが増えた。きれいな女の人だ。
毎週1度は必ず来てくれる。天ぷらが好きみたいで、注文するのは必ずうどんと天ぷらのセットだ。僕としては日替わりセットも食べてほしいのだけど、それはまぁしょうがない。お客さんの注文に応えるのが僕の仕事だ。
初めて店に来たときは、大きなリュックをかついでいたので驚いた。カタツムリ戦争以後、山登りをする人は激減していたからだ。山ガールなんて絶滅したと思っていた。もっとも、彼女は山ガールっていうようなイメージではなくて、もっと本格的な登山家という感じだった。
その後はラフな格好で来店するのと登山姿で現れるのと半々というところだ。美人でスタイルのいい彼女が来ると、僕は思わず見つめてしまう。お客さんを凝視したりしたらいけないと思って、すぐに目をそらすけれど。
来店が10回を超えた頃、僕は声をかけた。
「いつもご来店ありがとうございます」
彼女は微笑んだ。
「このお店、とっても美味しいから。東京で1番の店だと思っているの」
過分な誉めことばだった。
「ありがとうございます。でもそれ、誉めすぎですよ」
僕は調理場に戻った。うれしかった。思わず笑みがこぼれてしまう。
「お兄ちゃん、鼻の下伸びてる」風鈴が不機嫌そうに言った。
「バカ言うな」と僕は言ったが、本当に鼻の下が伸びているかもしれないと思って、顔を引き締めた。
それから、僕はその美しい常連さんとときどきことばを交わすようになった。彼女から話しかけてくれることもあった。
「マスターは歳はいくつなの?」
「二十歳です」
「私と同じだわ」
彼女が僕と同い年だということがわかった。自然と親近感が湧いた。
「その歳でこんなりっぱなお店を切り盛りして。すごいわ」
「毎日必死ですよ」
仕事があるので、それぐらいしか話はできない。
あの人はなんていう名前なんだろう、と僕は思うようになった。
僕が彼女のことを考えてぼーっとしていると、妹から「お兄ちゃん、仕事、仕事」と言われて、我に返るというようなこともあった。
いかん、しっかりしないと。外食産業では毎年たくさんの店が開店し、同じくらいたくさんの店がつぶれていく。競争の激しい、厳しい世界なのだ。父に借りたお金も返さなくてはならないし、この店舗の賃料だって馬鹿にならない。気を抜いている暇はない。
がんばって美味しい料理を作り続けなくてはならない。
◇深夜6
私はときどき山に入り、罠猟をして肉を食べ、渓流釣りをして魚を食べた。髭の男には再会できなかった。前にあの男が言ったとおり、どこかへ移動したのだ。私も狩場を1か所に固定するのは避けた方がいいだろう。
山で肉を堪能したら、街に帰ってバイトをする。そしてときどき「みずぐるま」に通う。それが私の生活パターンとなった。
このままだといつか肉食がバレて、私は破滅するかもしれない。肉食をやめて、みずぐるまの食事で満足していれば、私は平穏に生きていける。
しかし私は山通いをやめられなかった。肉食を絶つことなどできない。
山で食べる素朴な焼き肉だけでなく、ちゃんとした肉料理も食べてみたかった。みずぐるまのマスターに川魚の天ぷらを揚げてもらいたい。スパイスを効かせたジビエ料理を作ってもらいたい。私はそんな空想をやめられなかった。
梅雨が終わり、本格的な夏が到来していた。
山を下りて、私はいつものように高尾山麓に立ち寄り、みずぐるまに入った。いつもは天ぷらとうどんを頼むのだが、その日は気が向いて、日替わりを注文した。
豆のカレー、コロッケ、トマトの煮物のセットだった。それを食べて、私は毎回天ぷらばかり食べていたのを後悔した。この店のものは何を食べても美味しい。
みずぐるまのマスターに聞いた。
「マスターの名前はなんていうの?」
「江口水車と言います」
「水車? ああ、それでお店の名前がみずぐるまなのね」
「変な名前でしょ。妹の名前は風鈴っていうんです」
この店のウェイトレスが彼の妹だということはすでに知っていた。
「水車に風鈴。確かに少し変わってるわね」
「はは・・・」
「でも私の名前も風変りなのよ」
「へぇ。なんていうんですか?」
「深夜。野村深夜っていうのが私の名前なの。深い夜っていう字」
「深夜ですか・・・。きれいな名前ですね」
マスターが笑みを浮かべた。そして調理場に去った。
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