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第3章 『雪解け』
1.そういう子
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監視所へと赴く一行は、道中、妖魔に襲われそうになっている妖の子どもを救出した。
名前は『空』。未だ修行中の身であったユウが、その一環として訪れた監視所にて知り合った子どもだ。
監視所は、それぞれが桜花より少し小さい程度の敷地を有している。辺りをうろつく妖魔も程度が低く、監視所に常駐している兵だけでも対処は事足りる為、空のように監視所の居住区で生活をする者は多い。
中には、様々な理由から、桜花ではなく敢えて監視所を選んでいる者もいる。
意外だったのは、空を見つけた瞬間一番に飛び出していたのが、ミツキであったという点だった。
紗雪に懐き、ユウにも心を許しているミツキだが、他の妖相手であればどうかは分からない――という心配も杞憂だったらしい。
妖魔は嫌いで紗雪たち妖は好き、と言っていた言葉の通りに動いてみせたのだ。
しかし空は、事実上助け出してくれたミツキのことを、相当に警戒している。
出会ってすぐの紗雪からされたのとは違い、直接的な敵意を向けられるミツキだったが、当のミツキは鈍く、そんな意図には気が付いていない様子。
それを傍から見ていた紗雪は、ミツキが下手に踏み込まなくて済むよう、さりげなく手を握って一歩引いた距離を歩くようにした。
そんな空は、予てより病床に耽る母の為、単身、妖魔と遭遇し辛い道順で出かけていた。そこで運悪く捕まりかけてしまっていたところに、ユウら一行が遭遇したというわけだ。
「トコさんの調子、そんなに芳しくないの? あそこみは美弥さんがいるでしょ?」
トコ、というのは空の母の名前。美弥は、そこで医療の全てを担っている、美桜の一番弟子だ。
「美弥さんでも、完全に治すのは難しいみたい……病気が悪くなるのを、遅らせるのが精いっぱいだって言ってた……」
「そうなんだ。でも、どうしてそれで監視所の外に?」
「絵本に書いてあったんが。オオカムズの桃の花と種には、どんな病気もケガも治す力があるって。だから、それを探しに行こうと思って……」
当てのない無鉄砲な自身の行いに、次第に後悔の念が募って来たのだろう。空の声は次第に弱弱しくなってゆき、そのまま俯き黙ってしまった。
「うーん……オオカムズか。僕も絵本で見たことは有るけど、実際に存在するものなのかどうかは分からないな。桜花の書庫にある書物には、師匠の命で全部目を通したけど、そんな記述も無かったし。創作じゃないかなって。そもそも、そんな都合のいい物があるとしたら、誰も彼もがそれを求めて旅に出るだろうからね」
「だよね……ユウ兄ちゃんは、なんでこんなところにいるの?」
「仕事だよ。うちの隊が、一部壊滅状態にあってね」
「かいめつ……怖いことがあったの?」
「まあ、そんな感じ。だけど、大丈夫だよ。その為に僕らが遣わされたんだ。雪姉は一等強いからね」
「それは安心だね。でもオレからしたら、漢那兄ちゃんとタメ張ってるユウ兄ちゃんも、十分強いと思うけど」
「それは嬉しい言葉だね」
空の言葉に、ユウは嬉しそうに頷いた。
漢那は、空らの住む第一監視所で最も腕の立つ妖だ。
その昔、狐乃尾の部隊長を務めていた程の実力者だったが、ある時から監視所で定住し始め、その肩書も自ら降ろしたという話だ。
「オオカムズの桃、ね……もし本当にあるものとして、今ここら辺で桃が取れる場所って、どこかにあるのかな」
「それなら知ってる! いっぱい桃がなる場所、近くにあるんだ!」
「近くに?」
「うん!」
と、嬉々として語る空が懐から取り出したのは、一枚のボロボロになった紙切れ。
広げられたそこには、手書きの地図が描いてあった。
「これ、誰から貰ったの?」
「お母さん。さっきユウ兄ちゃんも話してた絵本に挟まってたんだ」
「絵本に? オオカムズの桃について書いてある絵本は、アレしかないだろうけど……僕が読んだことのあるやつには、そんなもの挟まってなかったな」
「きっと、誰かが後から挟んだものなのでしょう。本の装丁とは、素材も大きさも異なりますし」
後ろを歩く紗雪が言う。
紗雪がそう答えられるのも、例に漏れず件の絵本を読んだことがあったからだ。
「どれどれ……うん、確かにこの辺りの地図だね。あの本の世界は架空のものだったし、確かに誰かが後から挟んだものだろうね」
「ですね。でも空くん、それには桃の在処だとか、その絵が描いてあるわけでもありませんよね。どうして、それがオオカムズの桃の在処だと思うのです?」
「思ってるんじゃなくて、お父さんに聞いたんだよ。『これは宝の在処だよ』って。ボクにとって、宝ものは何でも治せる桃だから」
「あぁ……なるほど、そういうこと」
夢見がちな子どもによくある、論理の破綻した納得だった。
見た目の割に落ち着いた物腰だからと、その中身まで大人びているとは限らない。
ユウは苦笑しつつ飲み込むと、それについては言及しないで、行く先へと目線を向けた。
――自分だって、似たようなものだ。
「文字の筆跡がない以上、これが空くんのお父さんが仕込んだものかどうかは、判断がつけられないですね。少し困りました」
「うん。それに、宝の在処、なんて言い分も気になる。とりあえずは――」
「ねぇソラ! ももってなぁに?」
いつの間にやら紗雪の手元から離れていたミツキが、空にずずいと顔を寄せて尋ねる。
「それ、おもしろい? おいしい?」
楽し気に詰め寄るミツキだったが、
「う、うわっ!」
それに驚いた空が、寄せられたミツキの顔を、半ば殴るようにして押し返してしまった。
「あぅっ!」
相手からの思わぬ行動に、防げず、それを頬で受けて尻もちをついてしまうミツキ。
一瞬間、互いに茫然とした後で、立ち上がった空が、眼下に座り込むミツキを睨みつけた。
「う、うるさい…! お前が近付いたのが悪いんだからな…! 妖魔になんて、教えてやるもんか!」
早口に捲し立てると、空はそのままズンズンと進んでいってしまった。
ひとり取り残されたミツキは、紗雪に助け起こされながら、ただその背を目で追っていた。
「空、あんなやり方は――」
「妖魔じゃないか、あいつ」
「ミツキだ。あの子は、今は僕らの仲間なんだ」
「妖魔だよ、妖魔…! ユウ兄ちゃんも、何で妖魔なんかと一緒にいるんだよ…!」
「あんな奴――って、空…!」
足早に駆けてゆく空を、ユウが追いかける。
その背を見送りながら、ミツキは小首を傾げていた。
「ソラ、どうしたの?」
本当に分かっていない様子で尋ねるミツキに、紗雪はすぐには答えられない。
自身がそうであったように、あれだけ強く拒絶するからには、空にもきっと、何か事情があるのだろうことは明白だ。
妖魔は敵だから、とただ教えられて育った者とは違い、あの一瞬に見せたのは、確かな憎悪の色だった。
「その……あまり、嫌わないであげてくださいね。ミツキが無害なのだと本当の意味で分かれば、あの子だって、無暗やたらと敵視するようなことはなくなるかと思いますから」
「うん? わたし、べつにきらいじゃないよ?」
ミツキは当然のことのように答える。
「――ええ。貴女は、そういう子ですものね」
困ったように笑うと、紗雪はまた、ミツキの手を取り歩き出した。
名前は『空』。未だ修行中の身であったユウが、その一環として訪れた監視所にて知り合った子どもだ。
監視所は、それぞれが桜花より少し小さい程度の敷地を有している。辺りをうろつく妖魔も程度が低く、監視所に常駐している兵だけでも対処は事足りる為、空のように監視所の居住区で生活をする者は多い。
中には、様々な理由から、桜花ではなく敢えて監視所を選んでいる者もいる。
意外だったのは、空を見つけた瞬間一番に飛び出していたのが、ミツキであったという点だった。
紗雪に懐き、ユウにも心を許しているミツキだが、他の妖相手であればどうかは分からない――という心配も杞憂だったらしい。
妖魔は嫌いで紗雪たち妖は好き、と言っていた言葉の通りに動いてみせたのだ。
しかし空は、事実上助け出してくれたミツキのことを、相当に警戒している。
出会ってすぐの紗雪からされたのとは違い、直接的な敵意を向けられるミツキだったが、当のミツキは鈍く、そんな意図には気が付いていない様子。
それを傍から見ていた紗雪は、ミツキが下手に踏み込まなくて済むよう、さりげなく手を握って一歩引いた距離を歩くようにした。
そんな空は、予てより病床に耽る母の為、単身、妖魔と遭遇し辛い道順で出かけていた。そこで運悪く捕まりかけてしまっていたところに、ユウら一行が遭遇したというわけだ。
「トコさんの調子、そんなに芳しくないの? あそこみは美弥さんがいるでしょ?」
トコ、というのは空の母の名前。美弥は、そこで医療の全てを担っている、美桜の一番弟子だ。
「美弥さんでも、完全に治すのは難しいみたい……病気が悪くなるのを、遅らせるのが精いっぱいだって言ってた……」
「そうなんだ。でも、どうしてそれで監視所の外に?」
「絵本に書いてあったんが。オオカムズの桃の花と種には、どんな病気もケガも治す力があるって。だから、それを探しに行こうと思って……」
当てのない無鉄砲な自身の行いに、次第に後悔の念が募って来たのだろう。空の声は次第に弱弱しくなってゆき、そのまま俯き黙ってしまった。
「うーん……オオカムズか。僕も絵本で見たことは有るけど、実際に存在するものなのかどうかは分からないな。桜花の書庫にある書物には、師匠の命で全部目を通したけど、そんな記述も無かったし。創作じゃないかなって。そもそも、そんな都合のいい物があるとしたら、誰も彼もがそれを求めて旅に出るだろうからね」
「だよね……ユウ兄ちゃんは、なんでこんなところにいるの?」
「仕事だよ。うちの隊が、一部壊滅状態にあってね」
「かいめつ……怖いことがあったの?」
「まあ、そんな感じ。だけど、大丈夫だよ。その為に僕らが遣わされたんだ。雪姉は一等強いからね」
「それは安心だね。でもオレからしたら、漢那兄ちゃんとタメ張ってるユウ兄ちゃんも、十分強いと思うけど」
「それは嬉しい言葉だね」
空の言葉に、ユウは嬉しそうに頷いた。
漢那は、空らの住む第一監視所で最も腕の立つ妖だ。
その昔、狐乃尾の部隊長を務めていた程の実力者だったが、ある時から監視所で定住し始め、その肩書も自ら降ろしたという話だ。
「オオカムズの桃、ね……もし本当にあるものとして、今ここら辺で桃が取れる場所って、どこかにあるのかな」
「それなら知ってる! いっぱい桃がなる場所、近くにあるんだ!」
「近くに?」
「うん!」
と、嬉々として語る空が懐から取り出したのは、一枚のボロボロになった紙切れ。
広げられたそこには、手書きの地図が描いてあった。
「これ、誰から貰ったの?」
「お母さん。さっきユウ兄ちゃんも話してた絵本に挟まってたんだ」
「絵本に? オオカムズの桃について書いてある絵本は、アレしかないだろうけど……僕が読んだことのあるやつには、そんなもの挟まってなかったな」
「きっと、誰かが後から挟んだものなのでしょう。本の装丁とは、素材も大きさも異なりますし」
後ろを歩く紗雪が言う。
紗雪がそう答えられるのも、例に漏れず件の絵本を読んだことがあったからだ。
「どれどれ……うん、確かにこの辺りの地図だね。あの本の世界は架空のものだったし、確かに誰かが後から挟んだものだろうね」
「ですね。でも空くん、それには桃の在処だとか、その絵が描いてあるわけでもありませんよね。どうして、それがオオカムズの桃の在処だと思うのです?」
「思ってるんじゃなくて、お父さんに聞いたんだよ。『これは宝の在処だよ』って。ボクにとって、宝ものは何でも治せる桃だから」
「あぁ……なるほど、そういうこと」
夢見がちな子どもによくある、論理の破綻した納得だった。
見た目の割に落ち着いた物腰だからと、その中身まで大人びているとは限らない。
ユウは苦笑しつつ飲み込むと、それについては言及しないで、行く先へと目線を向けた。
――自分だって、似たようなものだ。
「文字の筆跡がない以上、これが空くんのお父さんが仕込んだものかどうかは、判断がつけられないですね。少し困りました」
「うん。それに、宝の在処、なんて言い分も気になる。とりあえずは――」
「ねぇソラ! ももってなぁに?」
いつの間にやら紗雪の手元から離れていたミツキが、空にずずいと顔を寄せて尋ねる。
「それ、おもしろい? おいしい?」
楽し気に詰め寄るミツキだったが、
「う、うわっ!」
それに驚いた空が、寄せられたミツキの顔を、半ば殴るようにして押し返してしまった。
「あぅっ!」
相手からの思わぬ行動に、防げず、それを頬で受けて尻もちをついてしまうミツキ。
一瞬間、互いに茫然とした後で、立ち上がった空が、眼下に座り込むミツキを睨みつけた。
「う、うるさい…! お前が近付いたのが悪いんだからな…! 妖魔になんて、教えてやるもんか!」
早口に捲し立てると、空はそのままズンズンと進んでいってしまった。
ひとり取り残されたミツキは、紗雪に助け起こされながら、ただその背を目で追っていた。
「空、あんなやり方は――」
「妖魔じゃないか、あいつ」
「ミツキだ。あの子は、今は僕らの仲間なんだ」
「妖魔だよ、妖魔…! ユウ兄ちゃんも、何で妖魔なんかと一緒にいるんだよ…!」
「あんな奴――って、空…!」
足早に駆けてゆく空を、ユウが追いかける。
その背を見送りながら、ミツキは小首を傾げていた。
「ソラ、どうしたの?」
本当に分かっていない様子で尋ねるミツキに、紗雪はすぐには答えられない。
自身がそうであったように、あれだけ強く拒絶するからには、空にもきっと、何か事情があるのだろうことは明白だ。
妖魔は敵だから、とただ教えられて育った者とは違い、あの一瞬に見せたのは、確かな憎悪の色だった。
「その……あまり、嫌わないであげてくださいね。ミツキが無害なのだと本当の意味で分かれば、あの子だって、無暗やたらと敵視するようなことはなくなるかと思いますから」
「うん? わたし、べつにきらいじゃないよ?」
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