千年巡礼

石田ノドカ

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第3章 『雪解け』

7.一息ついて

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「うわっ…!」

 生き物の絶命する瞬間を初めて見るのか、空は飛び退き固まり、ミツキも黙りこんでいた。
 その脇を通り過ぎるように、紗雪は痛む腕を押さえながら立ち上がると、ユウの元へと駆け寄った。

「ユウ…! そっちは――」

「ごめん」

 俯いたまま、紗雪の言葉を制して声を上げた。

「十頭とも着いてきてる筈だった。ちゃんと十頭とも殺したつもりでいた。漢那に助けられてからやっと気付いた。その危険だって常に念頭に置いてる筈だった」

 震える声で、自分に言い聞かせるように早口で話すユウに、紗雪は困惑した様子。
 こで程までに取り乱すユウは見たことがない。

「どうしてユウが謝るんです?」

「雪姉の怪我は僕のせいだ。ミツキも空も危険に晒してしまった」

「私は妖ですよ? この程度の傷なら、すぐに治ります。ミツキも空くんも、怪我無く護りきることが出来ました。それで十分です」

「結果論だ。雪姉を護らないといけなかったのに」

 ユウはいつになく真面目に、それでいて覇気のない声量で言う。

「ユウ……貴方は、今でも……」

 ユウは無言で、首を振ることもしない。

「まったく……ユウ、私にはああやって言いますが、貴方だって、真面目過ぎるのではありませんか? 過ぎたことをいつまでも考えていたって、仕方がないことくらい分かるでしょう?」

「雪姉……」

「もっと皆に頼ってください。もっと、私にも背負わせてください。あの時のことは、何も貴方だけの所為ではないのですから。こういったことを生業としていれば、一度ならず二度三度、もっと長生きしている妖らは皆、経験しているものです。貴方にとってはアレが初めてのことで印象深いものなのでしょうが、だからといって、それをその身一つで背負い込む必要はないのですよ」

「……分かっては、いるんだけどね」

 ようやく、ユウはいつもの調子で苦笑しつつ答える。

「頭に心が追いつかないことだって、往々にしてあることです。貴方はまだまだ若いのですから、年長年配のお姉さんに、全部任せるくらいでいいんですよ」

 珍しく、らしく諭されたユウは、頷き、それ以上何か言うことはなかった。
 本当に丸投げすることは出来ないだろうが、その言葉は、張り詰めていた気を幾らも楽にしてくれたからだ。
 いつしか、余分に入っていた力も抜けていった。
 その様子を見ていた漢那は、頭の中で何かがハマったのか、なるほどと一つ頷いた後で皆の元へと歩み寄った。

「か、漢那兄ちゃん…!」

 岩窟から出てきた空が、漢那の身体にしがみつく。

「応応、空よ! 無事であったのは何よりだが、まずが雪女の姉ちゃんに礼を言うのが先よ」

「う、うん……ありがとう、雪姉ちゃん」

 漢那にしがみついたまま、首だけで振り返り空が言う。

「い、いえ、当然の仕事ですから」

 どこか気恥ずかしそうに答える紗雪。
 狐乃尾の仕事は、派手に表立って動くものは殆ど無い。そのため、自身の働きに対し直接礼を言われる機会もそうあるわけではなく、慣れていないのだ。

「やあやあ雪女さん、久しいな!」

 片手をひらりと振りながら快活に笑う漢那に、紗雪はふわりと笑って立ち上がる。

「お久しぶりです、漢那さん。なるほど、ユウの窮地を救ってくださったのは、貴方でしたか」

「いやなに、たまさか居合わせただけのことよ。それに、副長さんなら全部の獅子を倒すことなら叶っていただろうさ。儂が助太刀するまでに六頭仕留めておったのだからな」

「ですが、そのおかげでこちらにも間に合いました。ともすれば、と覚悟まで決めかけていましたから」

「応応、美女に礼を言われるってのは、やはりよいものだな! 報酬以上の悦びよ!」

 本音のような冗談のような台詞をサラリと吐きながら、漢那は豪快に笑う。

「して――其方のお嬢さんが、件の妖魔だな?」

 視線がミツキの方へと向けられる。

 それに気付いたミツキは、片手を挙げて漢那と向き合った。

「おじょうさんじゃなくて、ミツキ! さゆきにつけてもらったんだよ!」

「ほう、名を貰ったか! そいつは良きこと! ならば名乗ろう、儂は漢那だ! よろしく頼もう、ミツキ!」

「カンナ! わかった!」

「応応、良き哉!」

 うんうんと頷く漢那と、何が気に入ったのか同じように頷くミツキ。
 明るい者同士、波長でも合ったのか、打ち解けるのは早かった。

「しかし副長さんよ。先程のアレは何なのだ? お主の生い立ちはある程度知っておるが、儂らのような妖と比べ、幾らも非力な身体なのだろう? アレだけの衝撃に耐えられているのが不思議だ」

 漢那の問いかけに、ユウは苦い顔。

「答えられぬようなことか?」

「そういう訳じゃないんだけどね。僕自身、あれが一体何なのか、分からないんだ。妖憑との一戦で奴が退いたのも、僕のあれを見てからだった」

「嘘、を言っている訳ではないようだ。しかし分からぬとは、また可笑しな話よな」

「漢那も知っての通り、僕は咲夜様の細胞と適合し、移植されている。けど、だからって妖気が有る訳じゃない。身体は幾らか丈夫にはなったけど、特別な力なんてない。妖気がないせいで、妖術だって使えないんだから」

「ふぅむ……無我の境地、というやつだろうか。やられていた雪女さんを目にして、気が昂ったのだろうな」

「分からないけど、多分それはある。雪姉は大切な家族だから」

「こら、お姉さんをあまり揶揄うものではありませんよ、ユウ」

「酷いな、本音なのに」

 サラリと流され反論するユウも、冗談半分な言い方だ。

「まあ、訳の分からんことが出来るのは、儂ら妖とて同じことではあるからな。それぞれの特徴が濃すぎる。ユウの不思議一つ二つなど、些末さまつなことよな」

「お前のそういうところ、ほんと助かるよ」

「その時々に考えても分からんことは、無駄に考え続けていても意味はないからな。分かる時が来れば分かる、それでよかろう」

「よかろう、よかろう!」

「下手に知恵を付けた若造より、ミツキの方が分かっとるようだな! わっはっはっは!」

「そーだそーだ、わっはっはー!」

 口調のみならず仕草まで真似て、漢那の隣で豪快に笑って見せるミツキ。

「下品な笑い方まで真似しないでくださいね、ミツキ」

 と、𠮟りつけるように諭すのは紗雪だった。

「それで、漢那。たまたま通りかかったって言ってたけど、用件は?」

「それならもう叶ったとも! 儂はな、美弥から言われて、朝から見かけないってぇ空を探しに出たのよ。そうしたらば、旧友の顔を見るわそいつと捜索対象が同道しておるわ、良いことしかなかったってな話よ」

「空の捜索、か。やっぱり、とっくにバレてたみたいだね」

 ちらりと視線を寄越すユウに、空はバツが悪そうに俯いた。

「うっ……ごめんよ、漢那兄ちゃん」

「応とも。だが空よ、それはトコさんと美弥に言うことだ。儂はただの遣いに過ぎん。帰ったら、茶の一杯でも淹れてやりながら、事の仔細を正直に話すことだ。約束出来るな?」

「わ、分かった、約束する…!」

「うむ――ならば話はここで手打ちよ! 五体満足、大いに結構! お前さんの素直なところは、あの馬鹿そっくりで誠に好ましい! 是非ともそのまま育つがよい!」

「あのばか?」

 小首を傾げて尋ねるミツキに、漢那は「おっと」と前置き、何でもないと明るくはぐらかした。
 失言は失言だが、それをただ悲しむばかりでない漢那の性格は、空にとって、辛い過去でも悲しむばかりではいられないと前を向ける、いい理由にもなっている。

「捜索対象も見つかったことだ、儂はもうここいらに用もない故、監視所まで戻るが――お前さんらも同道するか?」

「漢那が居れば、道中の安全は保障されたようなものだ。是非とも頼みたい。ただ、今は雪姉を少し休ませてあげたいかな」

「大丈夫ですよ、ユウ。言ったでしょう、すぐに治ると。幸い、そう深い傷でもないのですから」

「でも――」

「相分かった! ならば儂がおぶって歩こう! お前さんは子どもらの護衛、儂は命の限り雪女さんを護る! それで如何か?」

 漢那の提案に、ユウは思わず声を上げそうになるが、

「そ、それが良いです、それでいきましょう、漢那さん…! 私のことは、よろしく頼みます…!」

 と前のめりに紗雪が割って入ったことで、飲み込んでしまう。

「応応、どんとお任せあれってな! 副長さん、後ろは全て任せたぞ! わっはっはっは!」

 半ばやけくそな返答で漢那の元へと駆け寄る紗雪。
 こんな時、いつもならもっと冷静な判断をするべく時間を要するところだ。
 ユウが変な気を回し始める前にさっさと進んでしまおう、という魂胆が丸わかりである。

「雪姉まで……はぁ、もう分かったよ。その代わり漢那、雪姉に何かあれば――」

「そのようなことには絶対ならぬ! 有り得ぬ! 儂はこの中で一番強いからな!」

 やや頼りない足取りで寄って来た紗雪をその背に乗せながら、漢那が答える。

「まったく、調子のいい……」

 その腕っぷしこそ疑いようは無いが、どうにも腑に落ちない。
 肩を落として息を吐きながら、ユウも立ち上がり、辺りに目をやった。

「儂は少し先の方を見て来る。ここいらは今は安全故、お前さんは空とミツキと共に、ゆっくりついて来るが良い」

「ゆっくり?」

「応とも。お前さんは幼少より酷な環境に置かれていたことだろうが、空に関しては、妖魔以外の生き物の死には触れたことのない、幼気いたいけな子どもよ。臓物すら拝んだことはないことだろう。雨も落ち着いてきた、胸いっぱいに空気でも吸いながら、ゆっくりと歩いた方がよい。頼んだぞ」

 努めて冷静に言うと、漢那はおぶった紗雪と共に歩き出した。
 確かに、その通りだ。
 納得し、頷いたところで、ユウ自身も身体に聊か力が入り辛いことに気が付いた。
 無意識の内に出てしまうあの力は、やはり人の身には過ぎるものらしい。
 漢那の言う通り、子どもたちの様子を見ながら歩くくらいが、丁度いいだろう。

 或いは、自分のそんな様子にも気が付いての進言だったのかも分からない。そう思えるくらいに、漢那はよく出来たおとなだ。

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