千年巡礼

石田ノドカ

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第3章 『雪解け』

12.飽きたから

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 威吹山山麓、暗く深い洞窟の中。
 妖憑は、首根っこを掴んでいた手を離し、空を地面の上に落とした。
 痛みに顔を歪めるでも、錯乱して何か喚く訳でもなく、力の抜けたまま、ただ横たわっている。

『おいおいつまんねぇな、壊れちまったかぁ? ハズレ持って来ちまったのかよ』

 わざとらしく項垂れ、溜め息を吐くと、傍らの適当な高さの岩に腰を下ろし、やれやれ、とばかりに首を振る。

「か、ちゃ……」

 細く開かれた目元から、溜まっていた涙が一滴、頬を伝って零れ落ちた。

『かちゃ? あぁ、母ちゃんってかぁ? どこの肉片だよそりゃあよぉ。って、なるほどなぁ。お前、監視所の妖だったのか。悪かったなぁ、全部壊しちまってよぉ』

「ぁ、あ……」

『んだぁ? やっぱ駄目だ、壊れちまってんなぁ』

 そう言ってまた、わざとらしく溜め息を吐く。

「そ、ら……空、なの……?」

 ふと耳を打つその声に、空の顔色が変わった。
 か細く、消え入りそうな声だが、それは確かに――

「母ちゃん……? か、母ちゃん…!?」

「やっぱり、空……良かった、生きていたのね……」

 慌てて起き上がり、声の聞こえた方へと急ぐ。
 落とされた洞窟の、更に奥の奥――そこに、壁と縄で繋がれたトコの姿があった。

「か、母ちゃん…!」

 その姿が見えるや否や、空は居てもたってもいられず走り出す。
 小石に躓いてこけてしまうが、何とかその顔がハッキリと見えるところまで辿り着いた。
 怪我は、ない。

『あぁ? その女、お前の母親だったのかよ? こいつは僥倖ってなぁ』

 そう語る妖憑の口調は、特段喜んでいる訳でもない。
 誰が誰と繋がっていようが知ったことではない。
 妖憑がトコを攫って行ったのは、空を攫った目的と同じだ。が、本来空に関しては、特に攫う理由は無かった。

 トコを攫い、美弥にそのことを伝えるよう仕向けた時点で、事は成った筈だった。
 その美弥が、戦場より戻った負傷者など見慣れているであろう筈の美弥が、想定以上に壊れてしまい、ユウに対しトコの名前を出さないことが災いした。
 遠くから監視している意味もなくなってしまった為、直接出向くか――そう考えていたところに、漢那とふたり、監視所の外を歩いている空を見つけた。
 自らが襲った監視所から無傷で出てきた両名。そこを目的としていたユウ。
 接点を持っていない筈がなかい。
 単純に、好都合だっただけだ。

「私がいるでしょう…! 空は解放なさい…!」

『そいつぁ出来ねぇ相談だ。あの癒術師の女が壊れちまった以上、その餓鬼はあのニンゲンをおびきよせる、いい餌なんだわ』

「ニンゲン――ユウに何をするつもり……? 彼に何の用があると言うの?」

『んなことどうでもいいから黙ってろ、あいつは必ず来る。そん時になりゃあ分かんだろうよ』

 妖憑は、どこか嬉しそうに呟く。

「……一体、何がしたいの……? 妖魔なら、私たち妖を殺すのが目的でしょう?」

『そりゃあ妖魔ならの話だ。俺様は妖憑、ゴミと一緒にすんなや。俺様はなぁ、自分の意思であのニンゲンと殺り合いたいんだわ』

 妖憑は、ニヤリといやらしい笑みを浮かべ、天を仰いだ。

『あいつ強ぇんだわ……ニンゲンのくせに、訳わかんねぇ妖気持っててよぉ。アレ全部解き放ってくれりゃあ、どんだけ楽しい殺し合いが出来るんだって……ぁぁぁあ、考えただけで飛びそうになるんだわァ!』

 上気した頬。
 恍惚の表情を浮かべ、ゾクゾクと震え身悶えるその様子に、トコと空は、恐怖とはまた別の気持ち悪さを覚える。

『もうちっと我慢するつもりだったんだけどよぉ? 好きなもんは最後まで残してっと後悔することもあんだろ? だからもう今のうちにつまみ食いでもしようってなぁ。そん為の餌なんだわ、お前らはよぉ』

「外道が…!」

『――って思ったんだけどなぁ。餓鬼は半分壊れちまうわ、女も無駄に強気と来たもんだ。あいつが来るの待ってんのも飽きてきちまったし……どっちか殺してもいいかぁ?』

 ギロリ、と鋭い視線が刺さる。
 それだけのことで身体は強張り、動けなくなってしまうが、トコは出来得る限り強気に睨み返すと、動ける最大限で空の前へと身を晒した。

「空、早く逃げなさい…! どうにかしてここを出るのよ…!」

「母ちゃ……」

「いいから動きなさい…! 私は大丈夫だから、早く…!」

『おいおい、俺様がそんなこと許すと思ってんのかぁ?』

 そんな声が聞こえたのは、睨む目線の先ではなくすぐ背後。
 幾らもあった筈の距離が埋められているどころか、その姿が消えたことにも、声がした後で気が付いた。

「ひっ……こ、子どもに手を出したら許さないわよ…!」

 それでも何とか強気に出るが、その声にも言葉にも、もう覇気が籠ってないことは明白だった。
 今の一つの動きだけで、逃げるなどということが不可能であることを理解してしまったからだ。
 それでも何とか時間を稼いで、何か、誰か、事態を変えてくれることを祈る。

『――って魂胆も見え透いてるんだわ。女ぁ、お前から殺るつもりだったが、やっぱそうなったら餓鬼からだよなぁ』

「ひっ…!」

 吐息のかかる程すぐ近くまで顔を寄せて、低く響く声で妖憑が言う。

「やめなさい…! 私、私からよ…! 子どもには手を出さないで…!」

『五月蠅ぇなぁ。別にどっち殺そうがどっちも殺そうが、大して変わんねぇだろうがぁ。俺様はあのニンゲン一匹さえ来てくれりゃあそれで良いんだからよぉ』

 面倒くさそうに吐き捨てた後で、

『つーわけだ。じゃあな、餓鬼ぃ』

 握った拳を振り下ろした。

「やめ――!」

 トコは思わず目を瞑る。

「うわぁぁあ…!」

 愛する我が子の悲鳴が木霊する。
 ――その声が、すぐに途切れることはなかった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 耳に届くのは、空の小さくも荒い息遣い。
 トコは、恐る恐る目を開いた。

「お、お前……なん、で……」

 ふたりの目線の先には――
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