千年巡礼

石田ノドカ

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第3章 『雪解け』

22.もう一度

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「――何してるの」

 ついぞ我慢が出来なくなって。
 ミツキを吹き飛ばした菊理が去った後、倒れ込むその小さな身体に向かって尋ねた。

「ししょーのバ――ちがう、ユウだ!」

 悪態の一つでも吐きかけたかと思うと、その姿を見るや、目を輝かせて飛び起きるミツキ。
 気を失う寸前にも見えた身体で、よくも動けるものだ。

「おはよう、ユウ!」

「おはようって……今、もう昼過ぎだけど」

「うそ!? わ、ホントだ!」

 訓練所の窓から見える中庭にある日時計を見、ミツキが驚いた表情で言う。
 時計の見方なんていうものも教わっているのか、とユウの焦りが一つ増す。

「うーん……おなかへったなぁ。ユウ、いっしょにごはんたべ――」

「何してるの?」

「うん?」

「何してるのって。何で訓練着なんか着てるの?」

「なんでって、しゅぎょう! ししょーにつけてもらってるからだよ。でしいり!」

「…………なんで?」

 言葉で聞いて、尚意味が分からなくなってしまった。

 修行?
 弟子入り?

 そうであろう様子をその目で見てきた上で、何を言っているのか分からない。

「なんでって、なんで? つよくなりたいからだよ。ほかにある?」

「そうじゃなくて。何で強くなりたいのさ。というより、何でそんなことを師匠が許してるの? 咲夜様の審問は?」

「ユウ、なにいってるの? ユウこそ、なんでしゅぎょうしないの?」

「何でって……辞めたからだよ」

「やめた? なにを?」

「……狐乃尾。もう、どこかで戦う生活はしないってこと」

「なんで? つよくならないの?」

 当然のように言って首を傾げるミツキに、ユウは思わず目を逸らし、俯いた。

「…………なって、どうするのさ?」

「それはしらないけど。ユウは、なんでつよくなったの?」

「なってない」

「なってるでしょ? あのヘンテコなやつ、ユウがやっつけたんでしょ?」

「あ、れは……」

 ヘンテコな奴――おそらくは妖憑のことだろう。
 そう思うと途端に、数日前の記憶が襲い来る。
 頭痛を覚えて、息がし辛くなって、気持ちが悪くなって。
 それを誤魔化すように、強く唇を噛んで。
 床に滴り落ちる程の血が溢れても、気が付かない。

「ユウ?」

 ミツキが、小首を傾げて見上げている。
 心配そうな表情だが、それは今のユウのしんどそうな顔を見て言っているだけで、その背景まで考えてのことではないように見える。

「……何で、そんな無駄なことしてるのさ」

 言葉は、自分で思っているよりも冷たく出た。
 思わず顔を上げてミツキの表情を窺うが、ミツキ自身は然程気になってはいない様子だ。

「むだ? なんで? しゅぎょうすれば、わたしもユウみたいになれるかなって。それで、ししょーもこえたら、もっともっとつよくなったってことでしょ?」

 違う。
 そうじゃない。
 どうして、あれだけの出来事を経て、強くなろうなどという結論に至ったのか、それが聞きたいのだ。

 ――いや。

 聞いたところで、多分今の自分には理解が出来ない。
 今の自分とミツキとでは、見ているものが違い過ぎる。
 それが、この数日でよく分かった。

「師匠を超えて、どうするの?」

「ぜんぶ、まもる! わたしが、みんなをまもるの!」

「……っ……!」

 それは、昔日の誓いをも思い出させて。
 ユウは一層強く唇を噛んで、明るく笑うミツキと向き合った。

「何で…! なんでそんなことが思えるんだよ…! 出来る訳ないだろ…!」

 限界まで、いや限界を超えて修行をつけてもらって、身も心も強くなって、菊理にも認めて貰えて――それでも、護れない命があった。
 咲夜と同じか、それ以上に親しくなった相手だ。
 咲夜の次に護りたいと思えた相手を、護ることが出来なかった。

「せっかく助かった命なら、桜花に来たなら、もうゆっくりしてればいいじゃないか…! なんで戦おうとするんだよ…! 戦いに出たら、また何か失うかもしれないだろ! 自分だって!」

「それはちがうよ?」

 ミツキは、きっぱりと言う。

「たたかわないと、べつのところで、だいじなともだちがしんじゃう。しねって、ユウはいうの?」

「そんなこと――」

「でも、それっておなじことでしょ? みないようにしたいだけじゃないの?」

「そ、それは……」

「それに、つよくないと、もっとつよいやつにころされちゃうよ。ミコさまも、ししょーも、かてないやつなんでしょ?」

 もっと強い奴。
 酒吞童子。

「だから――」

「だったら、つよくないと、ミツキはミツキもまもれないの。ミツキは、ミツキをまもらないといけないんだよ」

 自分の身を護る為にも、大切な者を護る為にも、自分が強くならなければいけない。ミツキはそう言っているのだ。
 ただ――

「でもね、わたしは、ユウをまもるためにつよくなりたいんだよ」

「僕を……? どうして……?」

「さゆき、ユウをまもるためにたたかったんだよ。だから、わたしががんばるの」

「なんで……そんなの、ミツキじゃなくても――」

「うぅ~、ちがうちがう…! さゆき、ユウがだいすきだったんだよ…! だから、わたしがユウをまもらないとダメなの…!!」

「そんな――」

 ユウは、返す言葉に詰まってしまった。
 気が付くと、無垢だと思っていた瞳に、大きな雫が溜まっていたからだ。

「ミツ、キ……」

「さゆきは、ユウをまもりたかった。でも、わたしとソラをにがして、しんじゃった……だから、わたしはわたしをまもって、ユウもまもらなきゃいけないの…! だから、ククねえさんに、でしいりしたんだよ…!」

「だから、なんで――」

「ユウも、ユウをまもらなきゃいけないからだよ…!」

「……っ……!」

 その瞳が、どれほど真剣か。
 どれだけの覚悟を持ってのことか。
 分かっているはずだった。
 訓練所で菊理と手合わせをしているその様子を見たあの時から、本当ならその意味には気が付けるはずだった。

「わ……わたしだって、もっと、いっしょにいたかったんだよ……でも、もういなくなっちゃったから……だから、わたしがユウをまもらないとダメなの……さゆきがまもりたかったもの、たすけてもらったわたしが、ちゃんとまもらないと……でもそれは、よわっちいままじゃできないから……だから、わたしはわたしをまもらなきゃダメだし、ユウもユウをまもらなきゃダメなの…!」

 震える声で、それでも涙は流すまいと堪えながら、ミツキは話す。

「さゆき、ユウがすっごくすきだったんだよ……わたしといっしょにいるときも、ずっとユウばっかりみてた……それくらい、ユウが好きだったんだよ…!」

 それでも溢れ出した涙は止まらず、頬を伝い、服を、床を、溢れるままに濡らしてゆく。

 ――分かっていた。

 紗雪が、自分に何か特別な感情を抱いてくれていることは。
 時折見せるあの笑顔が、特別なものであったことは。

「さゆきがまもりたかったユウは、あんなことであきらめないもん……そんなよわっちなかおしてるユウなんて、ユウじゃない…!」

「ミツキ…!」

 我慢の限界だった。
 ユウは、力の限り、その小さな身体を抱き寄せた。
 ミツキも、同じだったんだ。
 このままではいけない、ここままではいられないと、何度も思った。
 それでも、ずっと一緒に育ってきた紗雪がいなくなったという事実は大きすぎて、どれだけもがいても取れない杭のように刺さって、心に、身体に、痛みを与え続ける。

 今だってそうだ。
 ミツキの言葉にハッとさせられながらも、その言葉を聞く度に、それが現実なのだと、もう変えられない事実なのだと、繰り返し確認させられているようで、苦しくて仕方がない。
 言葉は呪いのように、記憶は毒のように、心を締め付け蝕んでくる。

 ミツキは、一緒にいた時間は短い。それでも、得た愛は、受けた思いは、確かなものだった。
 それが一瞬にして失われてしまった苦しみ――思いに、強いも弱いもない。
 いなくなったものは確かに悲しい。それでも、命に代えて護って貰った命は、無駄にしてはいけない。
 その上で、護られたもの、護りたかったもの、それらのために命を使おうとミツキは前を向いたのだ。
 言うほど簡単なことでないことくらい分かる。
 ましてそれを口にする程の覚悟がどれほどのものかなんて、考えるまでもない。

「僕も、もっと一緒にいたかった……雪姉は、僕にとっても大切だったんだ……死んだなんて、思いたくないんだよ……」

「うん。そうだね」

「どれだけ泣いても喚いても、雪姉は帰って来ない……帰って来ないんだ……」

「うん」

「誰かを失うのが、こんなに痛くて苦しいものだなんて、知らなかった……だから、もう何もしなきゃ失うこともない、少なくとも見なくて済むって、そう思った……」

「うん。わかるよ」

 小さく頷きながら、ミツキもユウの身体に両手を回す。

「でも、そうじゃないよね……自分が足を止めたって、他の誰かがそこに立って、命を落とすかもしれない……それだって、本当に怖いし嫌なことだ……君がこれだけ頑張ってるのに、いいや、頑張ってるからこそ、自分が惨めで情けなくて……咲夜様に脱退の話をしたのだって、確かに心を決めた筈だったのに……なのに……」

 言いたいことが多過ぎて、どれから口にしているのかも分からなくなってきた。

「しんどいときは、やすんでもいいんだよ。でも、そればっかりじゃ、ダメだっておもう。ありがとうっていいたいのに、さゆきはもういないから。だから、ありがとうのきもち、いのちのつかいかたで、つたえていかないとダメなんだよ」

「命の、使い方……」

 命の使い方――ミツキの口にしたその言葉がとにかくも強く響いた。

 紗雪は、自分やミツキ、空の為に命を投げうって、本当に満足しただろうか。
 これが自分の命の使い方なのだと、言えたのだろうか。
 選択の時間が無い中で、紗雪は迷いはしなかったのだろうか。

 その答えを知ることは、今となっては出来ない。
 そんなことを考えるとまた、胸の辺りが締め付けられるように痛む。
 それでも、そうであるならば、助けられた命は、繋いでもらったこの命は、それに恥じない使い方であるべきだ。
 自分はこういう命の使い方をするのだと、胸を張って言えるように。

 いつかどこかで、転生輪廻した紗雪の生まれ変わりに出会えた時、それに大手を振って、これだけのことをしてみせたのだ、それは貴女のおかげだと、面と向かって『ごめんなさい』ではなく『ありがとう』と言えるような生き方を、するべきなのだ。

「あのね、ユウ。さゆきは、しんだんじゃないの。ユウを、まもったんだよ? まもられたユウがそんなんじゃ、さゆきにいいつけるからね? おこってもらわないと」

「……そうだね。こんなに情けない姿なんて、きっと雪姉も好きにはなってくれない」

「そうだよ。くるしいのも、いたいのも、わたしもいやだよ。でも、それをかんじたくないなら、じぶんがつよくなるしかないの。ユウが、いちばんわかってること。ちがう?」

「本当にその通りだよ……雪姉に恥じることのない生き方、しないとね」

「うん! わたしもがんばる。いっしょにしゅぎょう! だから、ししょー! ユウもいっしょによろしく!」

 そう話すのは、ユウの背後に向かってだった。
 薄くではあるが、ユウも忍び寄る気配には気が付いていた。

「盗み聞きするつもりは無かったんだが――まあなんだ、丸く収まったのなら何よりだ。なあ、馬鹿弟子?」

「師匠……」

「気持ちは痛い程分かるがな。紗雪は、私たち――いや、私にとっても特別な者だった。それを喪って、塞ぎ込んでしまうのは必定。次の日から明るく出てこいなどと言えんことは当たり前だ」

「…………はい」

「だがユウ、そればかりでないことは、お前が一番理解している筈だ。もっとも――ふっ。そこな子どもに諭されたのは、聊かしゃくだろうがな」

 菊理は、可笑しく笑ってミツキを見やる。
 それだって、自分自身の言葉の通り、喪った辛さを完全に乗り越えられてはいないような声音である。

「こどもじゃない、ミツキ!」

「悪かった。ミツキの言葉で気付けただけでも、まあ御の字であろう」

 わざとらしく笑って、

「だが勘違いはするな」

 努めて優しく、菊理は続ける。

「これからお前が改めて踏み出す道は、お前次第だ。何せ、お前はニンゲンなのだからな」

「…………ええ、そうですね」

 ユウはミツキの抱擁から離れ、立ち上がる。
 その顔に宿る僅かな熱に、菊理も不敵な笑みを浮かべた。

「改めて言うが、修羅の道だぞ?」

「分かっています。ですから師匠……今一度、奴の復活までに修行をつけてください」

「何故だ、と一応問うておこう」

「大切なものを、今度こそ護り切る為に。もう二度と、この手から零れ落ちないように。咲夜様も師匠もミツキも、世界だって護ってみせます」

 そこまでやってようやく、紗雪にも顔向け出来るはずだから。
 そんな台詞だけは、飲み込んで。

「――――なるほど」

 菊理は、組んでいた腕を解くと、ユウの元へと歩み寄った。

「今度こそ、ついてこられるのか? 一度は逃げた馬鹿者が」

「十年分も骨身にしみています。あと一年にも満たない時間くらい、どうってことありません」

「よく言った――ミツキ!」

 ユウの後ろ、ミツキの方へと視線を寄越す。

「なに?」

「これから、朝はこの馬鹿弟子を叩き起こしてから来い。修行はそれからだ。独りで来ても稽古はつけてやらんからな」

「わかった! ユウ、いっしょにいく!」

 ミツキの溢れんばかりの笑顔に、ユウはまた、何とも言えない心地を覚える。
 良いことも悪いことも、色々なことを思い出した。
 この笑顔にさえ、自分はいつか報いることが出来るだろうか。
 そんなことを、ふと考えた。

「ししょー、きょうもまだまだやりたい!」

「ならん! ――と、言いたいところだが、よく言った。丁度、この馬鹿弟子の性根を叩き直す時間も必要だったからな。今日は特別に、超過分の稽古をつけてやる」

「やったー! ほらユウも、いっしょに!」

 そう言って、ミツキはぐいぐいと袖を引く。

「…………師匠、少しだけ時間をください。すぐに戻ります」
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