R. I. P. 【6 feet under】

ギイル

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一章

指輪

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どうして忘れていたのか。
いや、もしかしたら、あの過去ごと記憶に蓋をしてしまいたかったのかもしれない。
雷は簾のように視界を遮った白銀の髪をのろのろとかきあげた。開けた視界の隅でこちらを心配そうに伺うメイムがいた。目が合った途端顔を背けたメイムを見て、自身がどんなに酷い顔をしているかは見当がつく。
「『R. I. P』からの離脱って現実世界に戻れるってこと?けれど…」
メイムは口を噤んだ。しかし雷にはメイムの言わんとしていることが手に取るようにわかった。
「誰もが望んで『R. I. P.』に来てるとは限らない」
「でもそんな人があんなに沢山の規定に従って何ヶ月も準備する?そんな生半可な覚悟で自分の残りの命全部を明け渡して仮想世界に来る?あり得ない!」
早口で捲し立てるようにメイムは言い切った。まるで自身のこれまでを必死に肯定しようとしているかのような口ぶりだった。
「現に俺は望んでこちらに来ていない」
雷の言葉にメイムは表情を固くした。驚愕のあまり目を大きく見開いていた顔は徐々に苦しそうなものへと歪んでいき、そして目を逸らし嫌いな食べ物を飲み込むように口を閉じて下を向いた。
「まあそれも過去の話だ。今はこの生活を十分に楽しんでる」
「そう」
空気が死んでいる。どうしたものかと雷は頭を乱雑にかいた。メイムは相変わらず下を向いているようだし、自身の右腕である男はいつの間にか席を外している。
頭の隅から隅まで探ってみても今出す最適な言葉が見つからない。
「その、なんだ…」
まだ言葉は見つかっていない。見切り発車で発した言葉を遮るように、コーヒーの匂いが漂ってきた。
「二人とも、コーヒーのおかわりは?」
コーヒーカップが三つ乗った盆を手にした部下がそこに立っていた。
助かった、正直に言えばそう思った。
メイムもゆっくりと顔を上げると、「お砂糖とミルクを頂戴」と強請った。
また元の位置に腰を落ち着けると三人には黙ってコーヒーを啜った。胃に落ちた温もりが徐々に全身に広がって無意識に強張っていた体をほぐしていく。
「ほんとにミタマは『R. I. P.』から出たと思う?」
ミタマというのはメイムの友人のことだろう。問うというよりも零れ落ちたという表現が正しい、独り言のような呟きだった。
「さあな」
明確な回答も言及もしてはいけないと雷は思った。あの時の自身がそうであったように。
「現実世界での寿命が尽きたら、こっちの世界の俺達はどうなるの?」
メイムはこちらに来て日が浅い。この世界での死を見たことがないのだろう。実際のところ雷も最近はめっきり人の死を見ていないから、メイムでなくてもここ数年の新参者は尚更だろう。
「消える。綺麗さっぱりな」
「どんなふうに?」
「データの消去と一緒だ。誰の記憶からも消され、この世界での足跡も全て消える」
「それじゃあ死んだって分からない」
そこがこの世界のミソなのだと、雷は予測していたままの質問に思わず笑みをこぼした。
「そいつに関する記憶や足跡が全て消去される。するとそこを埋めるものはなんだと思う?」
「その人の存在は他の何かで代替えできるものじゃないんじゃないの」
「その通り。つまり抜け落ちた記憶はそのまま。カオスだな。長い時間をかけて小さなズレが大きな違和感へと発展する。そうしてようやく人々は故人の存在を認識する」
「自分にとって何かしらで関わりのあった人間が死んだんだなってぼんやりと感じるってこと?」
「そうだな」
コーヒーカップを両手で包み込む。まだ手の中で湯気を上げている黒い液体は静かに、草臥れた顔をした雷を映し出していた。向こう側の自分に薄ら笑いを浮かべ、息を吹いてかき消してやる。
「まあ、それも。随分と昔の話だ。6年前に『R. I. P.』は寿命の半永久化を宣言した。そう易々と人が消えることはこの先ないだろう」
「それどう思った?」
「どうって…」
また開けたくない記憶が蓋をこじ開けようとしてくる。上から必死に押さえてつけて、平静を保つように雷は鼻で笑った。
「俺は別に、どうでもよかったな」
メイムはそんなものかと隣に座る男に目を向けると、その男も首を縦に二度振った。
「6FUは記憶や足跡を残しているあたり、おそらくシステムに反した不完全な存在だ。この世界に一種のバグを発生させて、その境目から現実へ脱出するという効果なんだろう」
ローテーブルの上で存在感を放つ毒々しい色をした薬を三人は遠巻きに見る。
「問題は誰が管理するか、だ」
下手をすればインポスターの餌食になるかもしれない危険性を伴った薬。片や見る人から見れば飲めば現実に戻れるかもしれない魅力的な薬。
こんな代物を雷やその部下が持つにしてはリスクが高すぎた。
「俺がポケットに入れて持っとくよ」
メイムが袋を手に取った。
雷は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「大丈夫。俺は絶対呑まないよ。真実が明らかになるまではね」
戯けた顔で笑うメイムに雷は何の言葉もかけることができなかった。独断で危ない橋を渡るには雷は他人の命や責任を背負いすぎていた。組織の上で傘を広げて他人を庇ってきたことを後悔したのはこれが初めてだった。
「もし、これから本格的にそれを調べ始めるなら、貧民街事件から調べ始めろ」
「貧民街事件?」
メイムは首を傾げた。やはり知らないかと雷は自分も歳をとったと感じる。
「最初のインポスターが現れた事件だ。スラムで現れたから貧民街事件」
「最初に機密を盗んだのはスラムの住民?」
「いいや。スラムにもうちと同じくらいの組織がある。そこの出の奴だな。場所はP地区だ」
「初めて行く」
「気をつけろ、P地区は俺達の勢力外だ。何かあってもすぐには駆けつけられない。駆けつけたとしても立場上、表立って助けることができないかもしれない」
忠告するように言い含める。
雷の緊張感を感じ取ったのかメイムは慎重に頷いた。
「そうだ、レイ。あれを持たせたらいいんじゃないか」
できる部下を持つとこういう時に頼りになる。
レイは自身の机の引き出しを乱雑に開けると、中のものをひっくり返したかのようなガラクタの海に手を突っ込んだ。指先にもう何年も出していなかったつるりとした角のない金属の感触がした。
それを引き摺り出すと同時にガラクタの一番上にあった金属製の細いチェーンも手に取った。
「これを肌身離さず首から下げておけ」
雷の大きな手の中に握りしめられた何かがメイムに差し出される。両手で拳の下に受け皿をつくると雷が握った拳をゆっくりと開けた。
「指輪?」
銀色の柄や装飾のないシンプルな指輪だった。
「それは『La M』のボスや幹部が親しい者や客人としてもてなした者に送る指輪だ。それを首から下げていれば下手な抗争に巻き込まれることはないだろう」
P地区の連中も正面きってはR地区と対立することは避けたいだろう。今も昔もそうやって自分達なりにこの世界で均衡を保ってきたのだから。
「だが、安心はするな。死にはしないが死ぬまでの過程はある、憶えておけ」
「わかった」
真剣に頷いてはいるようだが、所詮は子供だ。雷の言った本当の意味までは想像していないに違いない。
ただ無事を祈るしかなく送り出すだけなのを雷は歯痒く感じていた。
「じゃあ行ってくる」
「気をつけて」
帰りは一人で大丈夫だろう。そう判断したのか右腕である部下も雷と共にメイムを見送ることに決めたようだ。椅子から立ち上がることなく二人は小さな背中を見送ることしかできなかった。
ゆっくりと薄暗い廊下に子供が一人で消えていくような錯覚を起こしそうになりながら、扉が閉まるまでメイムを見続けた。
「なあ、アンダーボス」
自身が座っていた椅子を仕舞い、メイムのいたソファに部下が座る。
「ボスにはこの事は言わないでいいのか」
やはり言うと思っていた。彼はコンシエーリなのだ。ボスの右腕でもあり自身の右腕も兼ねる男は、どちらの肩を持つことができない。
つまり彼は雷の言葉を待っていた。
「これは俺が独断でしたことだ。責任は俺が取る。ボスには薬の事は言うな。子供に手を貸したとだけ伝えろ」
「わかった」
そう短く返事をして彼は深いため息を吐いた。
「全く。折角お前があの頃から立ち直って次のボスに相応しくなってきたってとこまできたのに。とんだ厄災が降ってきやがった」
「そうは言ってもお前もあいつのことは気にかかっていたんだろ」
「それは否定できないな」
先程の深いため息は何処へやら、彼は愉快そうに笑う。
「お前がまたあの指輪を指輪を引っ張り出す時が来るだなんてな。あの坊主には感謝だよ」
「そうだな」
どうか上手いこと事が運べばいいと二人は強く願うしかなかった。
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