エスメラルドの宝典

のーが

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第14話

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 宝典を盾にする千奈美。標的に照準を合わせ、琴乃は周囲にある宝石の発光を強くする。
 攻撃をしかけようとする彼女を、慧の手が制した。

「待ってくれ琴乃、まだ千奈美の答えを聞いてない」
「時間切れよ。充分に待ってあげたわ。それでも選べないんだから、どうしようもないでしょう」
「もう少し待ってくれ。まだ俺たちを攻撃してないだろ? 迷ってるんだ」

 声色は冷静でも必死さが滲む。琴乃は腕組みした。

「ふぅん。ま、いいけど、アンタはどうするつもり?」
「なにがだ?」
「その女がアンタを選ばないと言ったら、そいつを殺せるの?」

 琴乃は慧に尋ねたつもりだった。
 けれども、この邸宅には街の喧騒も自然の雑音も届かない。静寂に浸透する彼女の声は、離れた位置の千奈美にまで伝わった。
 実のところ、琴乃は彼女にも聞こえるよう意図したのだ。そのために声量を高めて慧に問いかけた。
 立場は逆転する。
 千奈美に選択を迫った慧が、今度は選ばなければならない。

 フリーフロムを潰して、ボスの藤沢も千奈美も消してしまうのか。
 それとも……

「そんなもの、裏切ると決めた日から覚悟できている」

 琴乃を置き去りに、慧は千奈美との距離を詰める。
 腰の両端にあるうちの片方の柄を握り、引き抜いた。直刀の刃は千奈美の展開する宝典の光を帯び、怪しく緑色に煌く。
 剣尖は地面と水平。一点を捉えて、静止する。
 対峙する千奈美の首筋を、慧の刃が狙った。

「お前がフリーフロムで悪行を重ねるなら、お前は俺の敵だ」
「慧……本気なんだね」
「俺は選んだ。お前はどうする? フリーフロムを潰すか、死ぬか」
「私に勝てるの?」
「勝てないかもな。だが、たとえば裏にいる琴乃と二体一になったら、どうだろうな」
「一対一で結構よ。アンタは足手まといだから」

 血気盛んな発言。慧の隣に並ぶ琴乃は腕組みしたまま、千奈美を見据える。

「――上倉くん、戦うのなら、私が上倉くんを守ります」

 玄関から歩み寄ってきた鏡花が、愛用する薙刀を構えた。服装も寝間着からAMYサービスの制服に変わっていた。

「――僕も混ぜてもらおうか。客人をもてなすのも、下っ端の役目だろう」

 遅れて俊平も現れる。暢気な調子で足を止め、彼の言う〝客人〟を注視する。
 背後の連中を横目で確認し、慧は千奈美に視線を戻す。
 向けていた剣尖を、地面にさげた。

「こっちに来い。悪事とわかってるなら、もう手を汚すな」
「わかってるよ。でもそうしなきゃ生きていけなかった。私を拾ってくれたのは、汚れた手だったから」
「間違ってたんだ。他人から奪ってまで生き延びるってこと自体。もうやめよう。そんな、誰にも誇れない生き方は」
「やめられないよ」

 どうしようもない呟き。
 千奈美は、宝典を霧散させた。
 言葉と裏腹の行動に慧たちは一瞬困惑する。
 その隙をつき、千奈美は素早くホルスターからリボルバーを引き抜き、銃口を慧に合わせる。
 向けられた深淵を視認した彼の頬に、冷や汗が伝う。

「本来なら死んでるはずの私に生き方なんて選べない。慧のことまで文句をつけるつもりはないけど、ボスを狙うなら容赦しない。それが、私に与えられた生き方だから」
「選べないから、ボスの望むように動くのか。そんなの人形だ。それでいいのか?」
「良いも悪いもないよ。そうすることしかできないだけ」
「どうあっても、フリーフロムから寝返るつもりはないんだな」

 答えず、千奈美はAMYサービスの面々を眺めた。
 最後に慧を見据える。そこには憎悪も憤怒も悲哀もない。機械のように無機質で、暗く濁った眼光を湛えていた。
 黙秘が雄弁に、彼女の意思を表していた。

「わかった。ならばボスに伝えてくれ。お前たちは、必ずこの俺が潰してやる――」

 金色の閃光が慧の頬を掠めた。視線の先の銃口から、微かな白煙が夜空に立ち上る。
 千奈美は雑にまとめた髪を振り乱して、開け放たれていた正門から闇に消えた。
 
   ◆
 
 慧は名状しがたい混沌とした感情を抱いた。
 理想の展開とはならなかったが、最悪でもない。
 千奈美に向けられた殺意をだけは、耐え難い痛みだった。

 繰り返し大きく深呼吸して、彼は心の緊張を解く。
 琴乃も魔術の衛星を夜気に溶かした。まだ青紫の粒子が残っているうちに、彼女は納得がいかない様子で慧を見た。

「わかってるわよね? 感謝しなさい」

 漠然とした文句。それだけを告げて、琴乃は玄関に歩いていく。
 もちろん慧は理解している。
 宝典魔術による雷撃はいつでも可能だった。それでも琴乃が千奈美に手を出さなかったのは、慧の〝そうして欲しくない〟を察してくれたからなのだと。

「いいのかい上倉。彼女ほどの宝典魔術師なら、AMYサービス的には大歓迎だろうけど」
「見ての通り交渉失敗だ。残念だが諦めるしかない」
「彼女と敵対する道を選んで、良かったのかい?」

 今朝出会ってから初めての真面目な顔つきの俊平。鏡花も気になるのか、ジッと慧のほうに目をやった。
 慧自身は誰とも視線を合わさない。彼は、邸宅の屋根あたりを見上げた。

「……良いも悪いもない。自分で選んだ道だ。行く手を阻むなら、どのような障害であっても排除する。それだけだ」

 決意に満ちた宣言に、鏡花も俊平も反応を返せなかった。
 侵入者が鎮圧された夜の庭に、穏やかな空気が流れる。
 夜空に世界を照らす月と星は見えない。分厚い灰色の雲が覆い隠している。
 底の見えない井戸にも似た暗闇が、天高く広がっていた。
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