結婚5年目のお飾り妻は、空のかなたに消えることにした

三崎こはく

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8.お飾り妻は謝罪された

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 ラフィーナは背筋を伸ばし、強い口調でジャンに反論した。
 
「いいえ、書類は確かにお渡ししました。私はジャン様の代理としてルネ・セラフィム修道院を訪れ、ユクト司祭から受け取った書類を、その日のうちにジャン様にお渡ししました。ジャン様が、自室でリリア様とお酒を飲もうとしていらしたときです。記憶にありませんか?」

 ラフィーナの言葉に、過敏な反応を示したのはジョージだった。

「代理? 酒? ジャン、どういうことなんだ。まさかお前は、ラフィーナ夫人にルネ・セラフィム修道院の訪問を任せ、自分は酒を飲んでいたというのか?」
「あ、あ……いや、父上。これは……ラフィーナの虚言だ! 責任逃れをするために適当なことを言っている! こいつはそういう女なんだ!」

 ジャンは必死に言い逃れようとするが、説得力は皆無だった。
 ジョージの「仕事で何か困っていることはないか」という質問に、ジャンは答えられなかった。「今年の税収はどうだ」という質問には、「農地の視察はラフィーナに任せたからわからない」と無責任な発言をした。
 
 そしてこのルネ・セラフィム修道院の一件だ。ジャンがまともに仕事をしていないのではないか、という疑問は抱かれて然るべきである。

 長く会話に耳を澄ませていたダイアナが、ゆったりと口を開いた。

「ジャン。『リリア』というのは誰なのかしら? 部屋に呼んで、一緒にお酒を飲むほど懇意にしている女性なの?」

 ジャンの顔はさらに青くなった。

「あ……えっと……リリアはその、仕事関係の友人で……そ、そうだ! リリアが仕事の話をしにきていたから、ルネ・セラフィム修道院の訪問をラフィーナに任せたんだ!」

 ジャンがそう断言したとき、かちゃりと音を立てて部屋の扉が開いた。
 部屋に入ってきたのはネグリジェ姿のリリアだった。馬小屋での一件以上、目に見えてやつれてしまったリリアは、はらはらと涙を零しながらジャンに縋りよった。

「ジャン様ぁ……私が起きたとき、どうして隣にいてくださらないのです……朝でも昼でも真夜中も、私がつらいときはいつでもそばにいると言ってくださったではありませんかぁ……」

 精神的に不安定なリリアは、今がどんな状況かなどまるで理解していないようだった。ジャンの胸元に顔をうずめ、幼い子どものように泣きじゃくる。
 ジャンは不自然に手を浮かせたまま硬直していた。
 
 そのとき、2人のメイドが大慌てで部屋の中に入ってきた。リリアの側仕えを任されているメイドたちだ。

「リリア様! この部屋に入ってはいけないと言ったではありませんか!」
「ジャン様は大切なお話中なのです、すぐにお部屋に戻りましょう」
「いや! 私はジャン様のそばにいるの! 離して!」

 大暴れするリリアは、2人のメイドに連れて行かれてしまった。
 ジャンの顔は血の気をなくし、死人のような有様だった。リリアが部屋に乱入してしまった今、もうどんな言い訳も意味をなさない。罪人は裁かれるときを待つだけ。

「――ジャン、見損なったぞ」

 短い言葉のあと、ジョージはジャンを殴り飛ばした。迷いのないこぶしだった。
 ジャンは壁に背中を打ちつけ、口の端から鮮血を流しながら最後の足掻きをしようとした。

「父上、違うんだ! リリアは、リリアは……俺につきまとってくる頭のおかしい女なんだ! あることないことでっちあげるから俺は本当に迷惑していて――」

 ジャンの作り話を、ジョージは一喝した。

「頭がおかしいのはお前の方だ! 私の知らないところで勝手に結婚を決めたのはこういう事情だったんだな。今までの話を聞くに、仕事もせずに毎日あのリリアという女と遊び呆けていたんだろう!」
「あ、あ……」
 
 罪はすべて暴かれたジャンは、池の鯉のようにぱくぱくと口を動かした。
 
 愚かなジャンは、まさかジョージが療養の末に回復するとは思ってもいなかっただろう。爵位を継いだことですべてが自分の物になったつもりでいた。思い上がり、傲慢にふるまい、楽をして生きようとした結果がこれだ。情状酌量の余地などあるはずもない。

「ラフィーナ夫人。ユクト司祭から報告を受けた内容は、交易税が跳ね上がったという話だけか?」

 ジョージがこぶしを撫でながら訪ねてきたので、ラフィーナは慌てて2カ月前の記憶を辿った。

「え、ええと……他にもいくつかお話はありました。イオラ王国では例年の同時期に比べて穀物の値段が上がっているようだとか、街中で兵士を募集する旨の張り紙をよく見るようになったとか……」
「そうか……」
「そういった事態を鑑みて、ユクト司祭は『イオラ王国が戦争の準備をしている可能性がある』と判断されたようです。報告をまとめた書類を渡されましたので、その日のうちにジャン様にお渡ししたのですけれど……」

 そこから先はジョージも知る話なので、ラフィーナは言葉を切った。
 ジョージが目を閉じて考え込んだ。背筋を伸ばして凜と立つ姿からは、もう病弱さは欠片も感じられない。彼が一時とはいえ病に冒されず、今もまだ辺境伯の地位に就いていれば、きっと何もかもが違っていたのだと思わずにはいられなかった。

 いくらか間を置いてジョージは目を開けた。それからラフィーナに向けて深々と頭を下げるのだった。

「ラフィーナ夫人、あなたには謝罪をしなければならないことがたくさんある。恥ずかしながら私はジャンがまともに仕事をしていないことも、愛人にうつつを抜かしていることも知らずにいた。あなたはカールトン家に嫁いできた身でありながら、ジャンに変わり懸命に仕事をこなしてくれていたのだろう。本当に申し訳ないことをした」

 ジョージに倣い、ダイアナもまた頭を下げた。元凶であるジャンに謝罪をされるならまだしも、ジョージとダイアナに謝罪をさせてしまうことは心苦しく、ラフィーナは慌てて制止した。

「そんな……ジョージ様とダイアナ様が謝ることではありません! 私の方こそ、ユクト司祭からの報告を放置してしまい申し訳ありませんでした……」
 
 このたびの件はジャンの怠慢が原因だ。リリアと酒を飲むことが楽しくて、ラフィーナが手渡した書類のことなど頭から抜けてしまったのだろう。
 今頃、あの書類はジャンの机に積み重なったゴミの中に埋もれているのか、それともちり紙として使われて捨てられてしまったのか。

 しかし責任がジャンにあるとはいえ、ラフィーナの行動によっては今回の事件は防げたこともまた事実だ。書類を手渡したことで満足せず、「書類は読んでいただけましたか」と何度か尋ねてみればよかったのだ。
 そうすれば少なくとも、ジャンが書類の内容を何も知らないという事態は防ぐことができたのだから。

「いや、あなたは何も悪くない。ジャンにはルネ・セラフィム修道院との関係の大切さをしっかりと伝えていたつもりだったのだが……。こんなに愚かな息子だとは思わなかった」

 ジョージは深い溜息を吐き、言葉を続けた。

「ジャンの処遇やあなたへの償いについては、少し考えさせてくれ。あなたが不利益をこうむるような判断は絶対にしないと約束する。本当にすまなかった」
 
 誠心誠意の謝罪に、ラフィーナは小さな声で「はい」と答えることしかできなかった。
 ジョージは部屋の隅で沈黙したままのジャンを一瞥し、声の調子を変えた。
 
「ダイアナ。すぐにルネ・セラフィム修道院へ向かおう。ユクト司祭に話を聞き、状況によってはすぐに手を打たなければ」
「ええ、すぐに行きましょう」

 ジョージとダイアナはラフィーナに短い挨拶を残し、早足に部屋を出ていった。
 ラフィーナはこの部屋で起こった出来事を丁寧に思い返しながら、遠ざかっていく2人分の足音に耳を澄ませていた。
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