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往来
四
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砂が舞いあがり、吹きつける風とともに視界を奪う。すぐに収まることもあれば、半刻(約十五分)以上、砂風に巻かれ続けることもあった。
行く手には、見渡すかぎりの荒漠とした砂地が広がっている。遠方には岩山もあり、ところどころに灌木の緑も見える。そのあたりには水場もあるようだ。
足場もすべて砂だった。褐色の砂面には、蛇が並んで這った跡のように、波打つ風紋が刻まれている。踏み出せばさらさらと崩れて、幾度となく足をとられた。斜面を登る。砂の丘陵がどこまでも連なり、丘の上から先を眺めても、ただ気が遠くなるだけだった。
そうでなくとも、アダムの足取りは重かった。いま歩いているのは炳辣国の西域、蕘皙国である。
巨蟹の月、下旬。砂漠の広がる蕘東地域も、高温多雨となる時季のはずだが、越境してからというもの、一滴の雨も降っていなかった。
布を巻いて、頭や顔は覆っている。それでも真上から照りつける陽射しは、容赦ない。ずいぶんと手厚い歓迎だ、とアダムは思った。
喉が渇いている。腰にさげた羊の革袋には水を満たしてあるが、少量ずつしか口にはしていない。この暑さである。歩きながら大量に飲んだところで、汗になってすべて流れ出てしまうだけなのだ。まったく飲まないのもまずいが、まとめて飲むのは岩塩を舐めながらで、しばらく休息をとるときだけだと決めていた。
国境を越えて、三日経った。はじめは気温の下がる夜を選んで歩いていたが、昨晩は砂風がやまず、まったく進めなかった。それで開き直って夜は休み、今朝から歩きはじめたのだ。陽は中天に達している。
いずれにしろ、姿を晒しておくべき頃合いだった。そろそろ、蕘東の連中には捕捉されているに違いない。アダムの見立てでは、国境近くの集落に、すでにかなり接近しているはずだ。
蕘皙国の東部を治めている部族の酋長は、危険な人物だった。激情家で、気に入らないことがあると残忍さを隠そうとはしない。召使いを木に吊るして短剣で斬りつけ、一枚ずつ爪を剥いだり、眼を抉り出したりというようなことを、奇声をあげながら嬉々とした表情でやってのけるのだ。首を斬り飛ばしたりするよりも、長い時間苦しむ。それを見て愉しんでいるような男だった。
アダムはずっと前に、国境近くで怪我をした少年を助けたことがあった。炳辣国の言葉がある程度は通じたので、少年に案内されるままに、気軽に集落まで連れて行ってやったのだ。酋長に強引に引き止められてしばらく滞在したが、アダムはそこで、生きた心地のしない数日間を過ごしたのだった。
できることなら、関わりたくはなかった。
蹄の音が聞こえ、アダムは弾かれたように顔をあげた。砂丘に囲まれる位置で、身を隠しようもない。もっとも、隠れることに意味はなかった。早くから捕捉しており、アダムが逃げ場のない位置に差し掛かるところを待っていたに違いないのだ。
白い駱駝が六頭、砂丘の向こうから姿を現し、砂を蹴立てて駆け寄ってきた。駱駝に跨っているのは若い男たちで、みな一様に朱色の布を頭に巻いている。
手際よく取り囲まれた。年嵩の男が駱駝の上から、アダムになにか言っている。蕘皙国の言葉のようだ。アダムには理解できなかった。
「武器を捨てろ。ゆっくりだ」
今度は、若い男が言った。炳辣国の言葉である。
アダムは、腰に佩いた短剣を鞘ごと抜き、砂の上に投げた。年嵩の男が、またなにか言う。そのたびに、若い男が炳辣国の言葉に直した。
「その杖もだ。それから両手を頭の後ろで組んで、膝をつけ」
言われる通りにした。地に膝をつくと、駱駝を降りた若い男が歩み寄り、アダムが顔に巻いていた布を剥ぎ取った。首の近くには、湾曲した幅広の剣があてがわれている。
アダムの顔を覗きこんだ年嵩の男が、おや、と意外そうな顔をした。東からの侵入者は炳辣人だ、と決めてかかっていたのだろう。
「何者だ?」
「私はアダム・シデンス。君たちの酋長に会いに来た」
アダムは、年嵩の男を真直ぐ見つめて言った。それをアダムの横に立った若者が、言葉を変えて男に伝える。アダム・シデンス、というところだけは、アダムにも聞き取れた。
それからしばらく、周囲の駱駝の上で問答が続いた。なにを言っているのかはわからない。若者も、アダムに伝える気はないようだ。
賭けるしかない。運が悪ければ、ここで死ぬ。それだけの生命だった、というだけのことだ。
後ろ手に縛られ、そこを通して首と腰にも縄を巻かれた。話がまとまったようだ。なんの説明もないが、集落へ連れて行き、指示を仰ごうというのだろう。ひとまずは、死なずに済んだ。
縛られたまま、駱駝に跨った若者の後ろに、荷物のようにして乗せられた。腹這いの恰好なので、揺れると腹に衝撃がくる。耐えるしかなかった。
ほんのひと駆けで、集落だった。やはり、かなり近くまで歩いていたのだ。
集落のはずれにある、倉のような狭い建物に放りこまれた。客人のあつかいではない。それでも、陽に晒されていないだけましだった。
埃っぽい倉に一人になると、躰を起こして地面に座った。縄は打たれたままである。
酋長は、自分のことを覚えているだろうか、とアダムは思った。
あれはもう、何年前のことになるのか。仮に酋長が、怪我をした少年を助けたアダムのことを覚えていたとしても、アダムが集落に滞在した数日間で、その恩には報いたと考えているはずだ。
それはつまり、身を守るためのものがなにもない、ということだった。いまのアダムは、炳辣国から越境してきた侵入者である。どんな理由を並べたところで、それは事実なのだ。
三人の男が入ってきた。そのなかに、炳辣国の言葉を話す若者の姿もあった。
白く輝くものが視界に入った。短剣。逆手に持ち替えながら、大柄な男が近づいてくる。背後を取られる。アダムが思わず身構えたとき、ふっと手が自由になった。縄が解かれたのだ。立たされ、首と腰に巻かれた縄も、すべて取り除かれた。
若者が倉の外に声を掛けると、男が入ってきた。小柄だが、躰は引き締まっている。二十七、八といったところか。外の光を背にしていて、顔はよく見えない。
男が、おもむろに衣服をまくりあげて右膝を出し、アダムに見せるように前に出した。臑に、古い傷痕があった。
「その傷は」
「ああ。歩けなくなったところを、助けられた。あんたに。泣き虫ザルフィだ。俺のこと、覚えているか?」
アダムは、その臑の傷に確かに覚えがあった。そして癖のある片言の炳辣国の言葉。たどたどしいが、聞きとることはできる。不意に、懐かしさがこみあげてきた。
「よく覚えてるよ、ザルフィ。蕘東の戦士らしい、立派な男になったな」
「俺はあのとき、十四歳だった。いまは、ただの戦士じゃない。ここの酋長だ」
言って、ザルフィが両手でアダムの手を握った。親愛の意を表すように、ぐっと力がこめられる。
「待てよ、誰が酋長だって?」
「俺だ。若くても、偉くなった」
「本当に酋長になったのか。どうして」
「前の酋長、俺の親父の兄貴。前の酋長は、なにかで怒って自分の息子を壺で殴り殺した。俺の親父は、ずっと昔に死んでる。次の酋長、俺にまわってきた」
「酋長の親族だったのか、ザルフィ。知らなかったよ。それにしても、よく私を覚えていてくれたな」
「アダム・シデンス。はじめその名前を聞いたときは、まさかと思った。だがこれを見て、間違いないと思った」
後ろに控えていた従者のほうを振り返り、向き直って差し出されたザルフィの手には、アダムの白杖が握られていた。ザルフィを助けたときも、アダムは白杖を持ち歩いていたのだった。
アダムは思いのほか歓迎され、通された酋長の館では、宴の席まで用意されていた。
素朴な挽豆の汁や、骨つきの羊肉に香草をまぶして焼いたものなど、さまざまな料理が大きな木の卓に並んでいる。椅子は、座面に羊の皮が張られただけの簡易的なものだった。時季とともに移動をし、遊牧を行う彼らにとっては、これで充分なのだ。腰をおろしながら、以前もそうだったことをアダムはなんとなく思い出していた。
ここと同じような集落が、北と南にもある。時季に合わせて遊牧はするが、集落の館はその先々で酋長が身を置く拠点のようなもので、駱駝部隊の陣営のような役割も担っているのだろう。
「好きなだけ、食べてくれ。俺は、またあんたに会えて嬉しい。羊と酒は、歓迎の証」
アダムの隣に腰掛けてそう言ったザルフィのそばには、大きな雄の炳獅子が寝そべっている。縄や鎖で繋がれてもいない。飼い馴らされているようで、ザルフィが鬣や顎を撫でても、地に伏せたままじっとしていた。
アダムは麦酒を呷り、羊肉の骨を手で掴んで、肉に食らいついた。脂が甘い。アダムのために仔羊を一頭、潰したようだった。
ザルフィが掌で卓を叩く。若い者を呼びつけたらしく、駆けつけた男に早口でなにか言っている。男が一度直立し、駆け去っていった。
泣き虫だった少年は、確かに集落を治める新たな酋長となり、警戒すべきだった先代の酋長は、死んでいた。先代は、酒の席で後継の話題になったとき、自身の老いというものを受け入れられず、激昂して嫡男を殺し、酔いが覚めたのちに我に返って憤死したという。そういった類の話を聞くたび、アダムも因果というものを感じずにはいられなかった。
ひと通り料理を平らげたところで、それを見計らったかのようにザルフィが手を叩くと、着飾った娘たちが出てきた。淫靡な気配を漂わせる妖しい視線を送りながら腰を振り、十数人が卓のまわりを踊りはじめる。
「どれでも気に入った女がいたら、アダムの相手させる。みんな、踊るよりも男の相手するほうが上手い」
陽に灼け、健康そうな褐色の肌の娘たちが、背後からアダムの肩や腕に触れてくる。きつく束ねあげた髪を振り乱し、肩越しに送ってくる流し眼は、思わずぞくりとするような妖艶さを湛えていた。豹のようなしなやかさと、毒蛇のような危うさは、男を誘うために磨かれたものなのだろう。
「せっかくだが、私は遠慮するよ」
「選びきれないのなら、一度に何人でもいい。俺は、いつもひと晩に三人は選ぶぞ」
「いいんだ、ザルフィ。ここへは、訊きたいことがあって来た。実のところ、あまり時間がないんだ」
不敵さを湛えた表情でアダムのほうをちらりと見たあと、ザルフィは酒杯を干し、杯の底を卓に軽く打ちつけた。従者に注げと命じたようだ。
注がれる麦酒をじっと眺め、ふたつの杯が麦酒で満たされると、すぐさま手を伸ばす。アダムの眼をじっと見つめて逸らさず、ザルフィはそのまま杯をちょっと掲げる仕草をして、片眉をあげて見せた。
行く手には、見渡すかぎりの荒漠とした砂地が広がっている。遠方には岩山もあり、ところどころに灌木の緑も見える。そのあたりには水場もあるようだ。
足場もすべて砂だった。褐色の砂面には、蛇が並んで這った跡のように、波打つ風紋が刻まれている。踏み出せばさらさらと崩れて、幾度となく足をとられた。斜面を登る。砂の丘陵がどこまでも連なり、丘の上から先を眺めても、ただ気が遠くなるだけだった。
そうでなくとも、アダムの足取りは重かった。いま歩いているのは炳辣国の西域、蕘皙国である。
巨蟹の月、下旬。砂漠の広がる蕘東地域も、高温多雨となる時季のはずだが、越境してからというもの、一滴の雨も降っていなかった。
布を巻いて、頭や顔は覆っている。それでも真上から照りつける陽射しは、容赦ない。ずいぶんと手厚い歓迎だ、とアダムは思った。
喉が渇いている。腰にさげた羊の革袋には水を満たしてあるが、少量ずつしか口にはしていない。この暑さである。歩きながら大量に飲んだところで、汗になってすべて流れ出てしまうだけなのだ。まったく飲まないのもまずいが、まとめて飲むのは岩塩を舐めながらで、しばらく休息をとるときだけだと決めていた。
国境を越えて、三日経った。はじめは気温の下がる夜を選んで歩いていたが、昨晩は砂風がやまず、まったく進めなかった。それで開き直って夜は休み、今朝から歩きはじめたのだ。陽は中天に達している。
いずれにしろ、姿を晒しておくべき頃合いだった。そろそろ、蕘東の連中には捕捉されているに違いない。アダムの見立てでは、国境近くの集落に、すでにかなり接近しているはずだ。
蕘皙国の東部を治めている部族の酋長は、危険な人物だった。激情家で、気に入らないことがあると残忍さを隠そうとはしない。召使いを木に吊るして短剣で斬りつけ、一枚ずつ爪を剥いだり、眼を抉り出したりというようなことを、奇声をあげながら嬉々とした表情でやってのけるのだ。首を斬り飛ばしたりするよりも、長い時間苦しむ。それを見て愉しんでいるような男だった。
アダムはずっと前に、国境近くで怪我をした少年を助けたことがあった。炳辣国の言葉がある程度は通じたので、少年に案内されるままに、気軽に集落まで連れて行ってやったのだ。酋長に強引に引き止められてしばらく滞在したが、アダムはそこで、生きた心地のしない数日間を過ごしたのだった。
できることなら、関わりたくはなかった。
蹄の音が聞こえ、アダムは弾かれたように顔をあげた。砂丘に囲まれる位置で、身を隠しようもない。もっとも、隠れることに意味はなかった。早くから捕捉しており、アダムが逃げ場のない位置に差し掛かるところを待っていたに違いないのだ。
白い駱駝が六頭、砂丘の向こうから姿を現し、砂を蹴立てて駆け寄ってきた。駱駝に跨っているのは若い男たちで、みな一様に朱色の布を頭に巻いている。
手際よく取り囲まれた。年嵩の男が駱駝の上から、アダムになにか言っている。蕘皙国の言葉のようだ。アダムには理解できなかった。
「武器を捨てろ。ゆっくりだ」
今度は、若い男が言った。炳辣国の言葉である。
アダムは、腰に佩いた短剣を鞘ごと抜き、砂の上に投げた。年嵩の男が、またなにか言う。そのたびに、若い男が炳辣国の言葉に直した。
「その杖もだ。それから両手を頭の後ろで組んで、膝をつけ」
言われる通りにした。地に膝をつくと、駱駝を降りた若い男が歩み寄り、アダムが顔に巻いていた布を剥ぎ取った。首の近くには、湾曲した幅広の剣があてがわれている。
アダムの顔を覗きこんだ年嵩の男が、おや、と意外そうな顔をした。東からの侵入者は炳辣人だ、と決めてかかっていたのだろう。
「何者だ?」
「私はアダム・シデンス。君たちの酋長に会いに来た」
アダムは、年嵩の男を真直ぐ見つめて言った。それをアダムの横に立った若者が、言葉を変えて男に伝える。アダム・シデンス、というところだけは、アダムにも聞き取れた。
それからしばらく、周囲の駱駝の上で問答が続いた。なにを言っているのかはわからない。若者も、アダムに伝える気はないようだ。
賭けるしかない。運が悪ければ、ここで死ぬ。それだけの生命だった、というだけのことだ。
後ろ手に縛られ、そこを通して首と腰にも縄を巻かれた。話がまとまったようだ。なんの説明もないが、集落へ連れて行き、指示を仰ごうというのだろう。ひとまずは、死なずに済んだ。
縛られたまま、駱駝に跨った若者の後ろに、荷物のようにして乗せられた。腹這いの恰好なので、揺れると腹に衝撃がくる。耐えるしかなかった。
ほんのひと駆けで、集落だった。やはり、かなり近くまで歩いていたのだ。
集落のはずれにある、倉のような狭い建物に放りこまれた。客人のあつかいではない。それでも、陽に晒されていないだけましだった。
埃っぽい倉に一人になると、躰を起こして地面に座った。縄は打たれたままである。
酋長は、自分のことを覚えているだろうか、とアダムは思った。
あれはもう、何年前のことになるのか。仮に酋長が、怪我をした少年を助けたアダムのことを覚えていたとしても、アダムが集落に滞在した数日間で、その恩には報いたと考えているはずだ。
それはつまり、身を守るためのものがなにもない、ということだった。いまのアダムは、炳辣国から越境してきた侵入者である。どんな理由を並べたところで、それは事実なのだ。
三人の男が入ってきた。そのなかに、炳辣国の言葉を話す若者の姿もあった。
白く輝くものが視界に入った。短剣。逆手に持ち替えながら、大柄な男が近づいてくる。背後を取られる。アダムが思わず身構えたとき、ふっと手が自由になった。縄が解かれたのだ。立たされ、首と腰に巻かれた縄も、すべて取り除かれた。
若者が倉の外に声を掛けると、男が入ってきた。小柄だが、躰は引き締まっている。二十七、八といったところか。外の光を背にしていて、顔はよく見えない。
男が、おもむろに衣服をまくりあげて右膝を出し、アダムに見せるように前に出した。臑に、古い傷痕があった。
「その傷は」
「ああ。歩けなくなったところを、助けられた。あんたに。泣き虫ザルフィだ。俺のこと、覚えているか?」
アダムは、その臑の傷に確かに覚えがあった。そして癖のある片言の炳辣国の言葉。たどたどしいが、聞きとることはできる。不意に、懐かしさがこみあげてきた。
「よく覚えてるよ、ザルフィ。蕘東の戦士らしい、立派な男になったな」
「俺はあのとき、十四歳だった。いまは、ただの戦士じゃない。ここの酋長だ」
言って、ザルフィが両手でアダムの手を握った。親愛の意を表すように、ぐっと力がこめられる。
「待てよ、誰が酋長だって?」
「俺だ。若くても、偉くなった」
「本当に酋長になったのか。どうして」
「前の酋長、俺の親父の兄貴。前の酋長は、なにかで怒って自分の息子を壺で殴り殺した。俺の親父は、ずっと昔に死んでる。次の酋長、俺にまわってきた」
「酋長の親族だったのか、ザルフィ。知らなかったよ。それにしても、よく私を覚えていてくれたな」
「アダム・シデンス。はじめその名前を聞いたときは、まさかと思った。だがこれを見て、間違いないと思った」
後ろに控えていた従者のほうを振り返り、向き直って差し出されたザルフィの手には、アダムの白杖が握られていた。ザルフィを助けたときも、アダムは白杖を持ち歩いていたのだった。
アダムは思いのほか歓迎され、通された酋長の館では、宴の席まで用意されていた。
素朴な挽豆の汁や、骨つきの羊肉に香草をまぶして焼いたものなど、さまざまな料理が大きな木の卓に並んでいる。椅子は、座面に羊の皮が張られただけの簡易的なものだった。時季とともに移動をし、遊牧を行う彼らにとっては、これで充分なのだ。腰をおろしながら、以前もそうだったことをアダムはなんとなく思い出していた。
ここと同じような集落が、北と南にもある。時季に合わせて遊牧はするが、集落の館はその先々で酋長が身を置く拠点のようなもので、駱駝部隊の陣営のような役割も担っているのだろう。
「好きなだけ、食べてくれ。俺は、またあんたに会えて嬉しい。羊と酒は、歓迎の証」
アダムの隣に腰掛けてそう言ったザルフィのそばには、大きな雄の炳獅子が寝そべっている。縄や鎖で繋がれてもいない。飼い馴らされているようで、ザルフィが鬣や顎を撫でても、地に伏せたままじっとしていた。
アダムは麦酒を呷り、羊肉の骨を手で掴んで、肉に食らいついた。脂が甘い。アダムのために仔羊を一頭、潰したようだった。
ザルフィが掌で卓を叩く。若い者を呼びつけたらしく、駆けつけた男に早口でなにか言っている。男が一度直立し、駆け去っていった。
泣き虫だった少年は、確かに集落を治める新たな酋長となり、警戒すべきだった先代の酋長は、死んでいた。先代は、酒の席で後継の話題になったとき、自身の老いというものを受け入れられず、激昂して嫡男を殺し、酔いが覚めたのちに我に返って憤死したという。そういった類の話を聞くたび、アダムも因果というものを感じずにはいられなかった。
ひと通り料理を平らげたところで、それを見計らったかのようにザルフィが手を叩くと、着飾った娘たちが出てきた。淫靡な気配を漂わせる妖しい視線を送りながら腰を振り、十数人が卓のまわりを踊りはじめる。
「どれでも気に入った女がいたら、アダムの相手させる。みんな、踊るよりも男の相手するほうが上手い」
陽に灼け、健康そうな褐色の肌の娘たちが、背後からアダムの肩や腕に触れてくる。きつく束ねあげた髪を振り乱し、肩越しに送ってくる流し眼は、思わずぞくりとするような妖艶さを湛えていた。豹のようなしなやかさと、毒蛇のような危うさは、男を誘うために磨かれたものなのだろう。
「せっかくだが、私は遠慮するよ」
「選びきれないのなら、一度に何人でもいい。俺は、いつもひと晩に三人は選ぶぞ」
「いいんだ、ザルフィ。ここへは、訊きたいことがあって来た。実のところ、あまり時間がないんだ」
不敵さを湛えた表情でアダムのほうをちらりと見たあと、ザルフィは酒杯を干し、杯の底を卓に軽く打ちつけた。従者に注げと命じたようだ。
注がれる麦酒をじっと眺め、ふたつの杯が麦酒で満たされると、すぐさま手を伸ばす。アダムの眼をじっと見つめて逸らさず、ザルフィはそのまま杯をちょっと掲げる仕草をして、片眉をあげて見せた。
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