夜明けの続唱歌

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往来

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 炳東へいとうを訪れるのは、十数年ぶりだった。
 エフレムは、西域の駱駝らくだ部隊を追っていた足を東へと変え、海を目指して歩いていた。
 炳東の海を見るのも、ずいぶんと久しぶりのことである。雨は降り続いているが、さして気にもならなかった。それよりも、そろそろ海が見えるのではないかと、遠く雨の向こうにばかり眼をやっていた。 
 東に向かう間に、巨蟹きょかいの月になっていた。雨季もいよいよ本領を発揮しはじめる時季である。
 向かっているのは、漁労で暮らす部族の集落だった。炳東虎へいとうこと呼ばれる虎を見たことで、ふと炳東の集落のことを思い出したのだ。
 結局、駱駝部隊は見失っていた。大雨が、追うための痕跡を流してしまったのである。見当をつけて追跡することも不可能ではなかったが、そのまま蕘皙国ツァキシュロ側へと越境するには、いかにも情報が少なすぎた。西域との国境くにざかいの手前できびすを返し、途中で何度か荷馬車の隅を借りたりしながら、あとはここまで歩いてきていた。
 濡れた草地をしばらく行くと、丘とも呼べないほどの起伏があり、ふたつ越えたところで海岸線が見えた。波音までは聞こえない。それでも、懐かしさのようなものがエフレムの胸を揺さぶった。
 遠く、海面が鈍色にびいろに揺れている。哀しげな色だ。あの海も自分と同じように、降り続く雨に打たれているのだろう、とエフレムは思った。
 担いでいるものを落としそうになり、エフレムは自分がしばらく立ち尽くしていたことに気づいた。気を取り直し、また歩きはじめる。
 右肩に担いでいるのは、矢で射て捕らえた小鹿の肉である。一頭だけで森のはずれにいたので、群れからはぐれたのだろう。おまえと俺は似たようなものだ。弓を引き絞りながら、エフレムはそう呟いていた。次の瞬間には、眉間に矢の突き立った小鹿が倒れていた。小鹿はその場で解体して、必要な分だけを蔓草つるくさで縛った。残りは森にむ炳東虎あたりが食い漁り、そのあとは屍肉を漁る猛禽やからすついばむだろう。
 海へと注ぐ川辺に沿うように、質素な木組みの小屋が並んでいる。上流の一番上が村長の屋敷で、下流へ行くほど身分の低い者の小屋になっているのだ。暮らしているのは少数民族だが、ここでも原理神教が信仰されており、身分の低い家の生まれの者は、身分が低いまま一生を終える。その逆もまたしかりである。
 生まれながらに、人生が決められている。それは前世でのみずからの行いが決めたことで、すなわち現世での生き方が、来世の人生を決めるのだ、と説かれていた。原理神教のくその教えが、この炳辣国ペラブカナハのすべてを左右しているといっても過言ではない、とエフレムは思っていた。
 これまでに、反発する思いを抱かなかったわけではない。だが、エフレムの父も母も原理神教の信徒で、孟国もうこくに仕える隠術師いんじゅつしだった。エフレムもまた隠術師となるために、幼いころから厳しく育てられたのだ。それ以外の人生など、選びようもなかった。
 竹で組まれた簡素な門を通ると、そこがもう集落だった。誰何すいかされるものと思っていたが、見張りなどはおらず、そのまま立ち入ることができた。
 雨はまばらな降り方だが、道に人の姿は少ない。腰ぐらいの高さの土壁の向こうから、小さな子供が顔だけを出してエフレムのことをじっと見ている。睫毛まつげが長く、思わずたじろぐような澄んだ眼だった。エフレムはちょっと笑ってみせたが、子供から笑みは返ってこなかった。
 あまりに久しぶりで、知った顔に会えるかどうか、正直なところ自信がなくなってきていた。最後に会ったのは、エフレムが二十三歳のころだったはずだ。十数年の間に、人も集落の様子も変化している。当然のことだった。
 川辺のほうに、煙の柱が見えた。宛もないので、人が集まっていそうだという理由だけで、エフレムはそちらに足を向けた。
 古い小屋の並ぶ路地をくだる。前から来たずぶ濡れの野良犬が、わずかに肉のついた骨を口に咥えながら駆け抜けていく。思わず道を譲ったエフレムには、眼をくれようともしなかった。
 細い路地を縫うようにして、下流へ向かう。歩きながら、煙の出処でどころ沐浴もくよく場になっていたあたりだろう、と見当をつけた。
 煙に近づくにつれて、女の姿をまったく見なくなった。そしてさまざまな香の混じった煙のにおい。それで、エフレムには煙の正体を判断することができた。葬儀である。死者を、荼毘だびすのだ。
 路地を抜け、川辺へ出た。思った通り、沐浴場のそばの火葬場から、煙が立ち昇っていた。
 川の上流から下流にかけて、大きな船が四、五隻は並べられそうな幅を火葬場が占めている。そしてその広い敷地のほとんどが、積まれた大量の薪に占領されていた。よくある川辺の風景だ。色鮮やかな布が巻かれた竹の棺台(担架)に乗せられ、橙色だいだいいろ屍衣きょうかたびらに包まれた遺体が、いくつか並んでいる。火葬の順番を待っているのだろう。
 火葬場の近くに、やはり女たちの姿はない。嘆き悲しむ声が痛切すぎるために、それが神聖な儀式の妨げになるとして、葬儀には女の参列が許されていないのだ。
 穴のなかに積みあげられた薪の上に、赤い布で包まれた遺体が置かれている。遺体の上にも、重そうな薪が重なっていた。焼きはじめたばかりのようだ。
 煙の近くで執り行われている葬儀の喪主は、中央に立つ白い衣服の痩せた男だろう。その男のそばに、エフレムは昔の面影を残したままの友、ギーオの姿を認めた。声をかけたいところだが、終わるまで待つしかない。ギーオの手には竹の棒が握られており、ひと通りの葬儀が済んだあとも火の番をする様子だった。
 エフレムは小雨を浴びながら、火葬場へと続く階段に腰掛けて待った。
 精製牛酪ぎゅうらく(バターオイル)と、香木の炳白檀へいびゃくだんの香りが、煙とともに流れてくる。いずれも火葬のにおい消しに使われるものだ。こんな僻地でも、きちんと原理神教の様式にのっとった火葬をやっているようだった。
 五刻(約二時間半)ほど待つ間に、並んでいた遺体も順に火葬にまわされていった。先に火葬を終えた場所に水が撒かれはじめたところで、ギーオがようやく腰をあげた。
「よう、仕事は済んだか?」
 疲れた表情で階段をあがってきたギーオに、エフレムは気軽に声をかけた。
「なんだよおい。いつからそこにいたんだ、エフレム」
「五刻ほどだ。待っていた」
「まったく気づかなかったぞ。柄にもなく、よほど行儀よく待ってたんだろうな、おまえ」
 ギーオがそう言って顔をほころばせた。昔よりもさらに陽にけ、立派な顎鬚あごひげも蓄えているが、笑うと昔のままの顔になった。右頬の吹出物のように見える小さなこぶも、そのままである。
 案内されて、火葬場よりもさらに下流の、小さな木組み小屋へとしょうじ入れられた。
 狭く質素で、寝起きするだけの場所に見える。ここがギーオの住まいだった。板敷きの床の中央には火床が切ってあり、腰をおろすとすぐに、鍋がかけられた。
「手土産に、鹿肉を持ってきた。森で獲ったんだ」
白斑鹿びゃくはんろくか。いいな」
 白い斑柄まだらがらの毛並みが美しい、小さな鹿である。毛皮はすでに剥いであるが、ギーオにはすぐにわかったようだった。
「一矢で仕留めたのか、駆けまわる白斑鹿を。弓術の腕は相変わらずだな、エフレム」
「相変わらずなものか」
「ほう、おとろえたとでも言うか?」
「洗練されすぎて、つまらん。狙いを外すことが、まるでないんでな」
「軽口のほうも、相変わらずなようだ。友よ、ゆっくりしていけ」
 そう言って、ギーオは歯を見せて笑った。
「有難い。だが、そういうわけにもいかん」
「というと」
「ここへは、おまえにきたいことがあって来た」
「まあ、そんなところだろうとは思ったがな」
 エフレムがこの旧友を訪ねたのには理由があった。
 炳西から炳東へ。何日も歩くばかりに要することになったが、わけもわからず駱駝部隊や隠術師を追うなどして、闇雲に歩きまわるより、まずは情勢を知ることだと考えたのだ。
 孟国のこと、孟王城を落とした蕘皙国ツァキシュロの現状、そして炳都ペラブーハンの動き。鍋で鹿肉を煮こみながら、細かなことも確かめていく。
 昔からどこか憂鬱そうな眼をした男だったが、その眼は世のなかのことをよく見ていた。この村と孟国は遠く離れているが、エフレムが流刑となったことまで、正確に知っていたのだ。
 ギーオの、村での身分は末端の末端といっていいほどに低い。だが、村で孤児を見つけては食い物を分けてやるなどし、困ったことがあればできるかぎりの面倒を見てやる、ということを長年続けてきた。エフレムが最後に会ったときも、ギーオを慕う者は驚くほど大勢いたものだった。ギーオは、十四、五歳のころから現在までの二十年あまり、それを続けてきたのである。いまではすっかり大人になっている者も、少なくないだろう。
 彼らはたとえ村を離れても、ギーオを慕い続けているに違いない。そしてときどき各地の情報を故郷に持ち帰り、近況とともに話すのだ。
 ギーオはそうやって得た情報を照らし合わせて吟味ぎんみすることで、各地の情勢を読み、裏でそれを売ることによって、収入を得ていた。それは、身分に縛られない仕事である。認められていなくとも、禁じられていなければできる、というのが理屈なのだった。そして情報を売って得た収入で、また孤児の面倒を見るというわけだ。
 エフレムは、ギーオの売る情報を信用していた。孟国の正式な隠術師となってからも、その情報をあがないに来たことは一再ではなかった。 
 ギーオが、煮立つ鹿肉がすっかり隠れるほどに、鍋に香草を盛りあげた。無造作に壺から掴んで入れたが、独特なにおいを放つものや辛味のある草、刺激の強い山椒さんしょうの実など、さまざまな種類が混ぜこまれているようだ。
 鍋の上で山のようになっていた香草は、次第に鍋のなかに吸いこまれるようにしてしぼんでいき、煮汁を赤黒い色へと変えた。
 鹿肉が、椀に盛られる。エフレムは椀を受け取り、息を吹きかけてすすった。からだの芯が、かっと熱くなる。辛いが、止まらなかった。鹿肉の塊を口に入れる。溶けるように身がほぐれていく。獣臭さなどは感じなかった。
 炳都の情報を詳しく聞いているときに、ギーオが突然口を閉ざした。
「どうした?」
「いや」
「言いたいことがあるなら言えよ、ギーオ」
 神妙な表情で、ギーオが椀を置いた。エフレムほどには、食っていない。椀はまだ、半分ほどしか減っていなかった。
「実はな、俺は迷っていた」
「なにを」
「おまえが流刑になったという噂を耳にしたとき、俺は流刑地へ救いに行こうかと思っていた。どこかで舟を手に入れてな」
「馬鹿な」
「本当だ。だが、ここを離れるわけにはいかなかった。火葬場の仕事だけじゃなく、やっと歩きだしたような子供の面倒も見ていたしな」
「その気になれば、助けは必要なかったさ」
「俺もそう思った。生きることを放り出してしまうようなおまえが、その気になるかどうか、心配はしたがな」
「それで」
「おまえが生きているなら、いずれここへ俺を訪ねて来るだろう、と思った。孟国のことを訊きに来るはずだってな」
「なにが言いたいんだ、ギーオ?」
 言うと、ギーオが言葉を詰まらせてうつむいた。下唇を噛んでいる。しばらくして伏せた眼をあげ、エフレムをじっと見た。
「悪いことは言わん。炳辣国ペラブカナハを出ろ」
「なんだって?」
「この地を離れるんだ。おまえには自由が似合う。それを手にする力もあるはずだ、エフレム」
 意外なほど、切実な響きがこもった言葉だった。
「なあ、エフレム。おまえも知っての通り、俺は炳辣国で最下層の人生を送ってる。だが、それを悲しんではいないんだ。原理神教が説くような、宿業だからという理由じゃない。俺は、ここで生きてるんだ。自分自身がいつ食えなくなって死ぬとも知れないなかで、孤児を拾っては、一人前に育ててる。育ててるつもりだ。俺はそれでいいんだよ」
 だけどおまえは違う。そう言って、ギーオがひと粒だけ涙をこぼした。エフレムは驚き、しばし言葉を失った。
 孟国が滅び、主従の誓いは絶たれた。そうなのかもしれない。だが、絶たれたらあとのことはもうどうでもいいのか、という自問するような思いが、どうしても拭えなかった。
 孟王や王家に対する忠誠心のようなものは、流刑となったときに失せている。それは確かだった。
 それでも、やらなければならないことがある。隠術師として生きてきた。それが自分のすべてだったのではないか。そのなかで、つまらぬ謀略があった。余所よその隠術師が介入するような事態を招き、そして、本来守るべきだったものが滅びたのだ。
 それは、隠術師として厳しい鍛錬を重ねて生きてきた三十年を、嘲笑あざわらうような出来事だったのではないか。実際に、こうしているいまも、嘲笑っている人間がいるのだ。それをそのままにして、生きているとはいえない、とエフレムは思った。
「国も信仰も捨てて、自由に生きるんだ、エフレム。俺は、おまえにそうしてほしい」
 ギーオが向き直り、もう一度言った。もう泣いてはいない。
「頼む、ギーオ。知っていることを、すべて教えてくれ」
「エフレム」
「おまえの気持ちはわかった。正直言って驚いたが、おまえのような友を持てて、俺は嬉しい。だけどな、ここで放り出せば俺はこの先ずっと、死にながら生きてるようなもんだ。だから教えてくれ。どうするかは、それから決める」
 沈黙。ギーオが、腕を組んでうつむいた。
「生きることを投げ出すような真似はしないと、約束してくれるか」
「なにかやるにしても、それは俺が生きるためにすることだ。それは、約束する」
 エフレムの言葉を聞いたギーオが、硬い表情のままかすかにうなずいた。
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