宙色ラテ

あしゅ太郎

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すれ違いと口づけの温度(2)

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カフェの閉店時間が近づく頃には、宙の心は一層ぐるぐるしていた。

(……やっぱり、俺から送るしか……。)

休憩室でエプロンを畳みながら、スマホを握りしめる。
でもメッセージを打とうとするたびに、さっきの“仲良いんだね”の声が脳裏で反響する。

(……誤解されたまま、嫌だ……。)

けど――送れない。
何をどう言えばいいか分からない。

「……はぁ。」

バッグにスマホを放り込もうとしたそのとき――
ぶるっと震えた。

(……!)

画面を見ると、そこには“鈴谷 遼”の名前が光っていた。

---

【鈴谷】
宙くん、まだバイト?

---

一瞬で心臓が飛び跳ねる。

慌てて返信を打つ。

---

【宙】
もうすぐ終わります
どうかしましたか?

---

ほんの数秒で“既読”がついて、すぐに返事が来た。

---

【鈴谷】
もし時間あったら
このあと少しだけご飯行かない?

---

「……えっ……。」

一気に頬が熱くなる。
嬉しいのと同時に、頭に浮かぶのは――

(もしかして……誤解、ちゃんと聞いてくれる……?)

---

【宙】
はい
行きたいです

---

送った瞬間、心臓がどくどく暴れる。

「……お兄ちゃん?」

ドアの隙間から陽里が顔を覗かせた。

「どうしたの? 顔真っ赤。」

「……なんでもない……。」

カフェの外では、中川が嬉しそうに陽里に向かって“カラオケ行こう”と叫んでいる。

(……店長のせいで……でも……。)

宙はそっとスマホを握りしめた。

(……ちゃんと話せる……。)

ドキドキと胸の奥で弾ける期待に、さっきまでの不安が少しだけ溶けていく。

---

閉店作業を終えて外に出ると、夜風が昼間のモヤモヤを少しだけ冷ましてくれた。

(……ちゃんと、話さないと……。)

店の外の街灯の下には、仕事帰りのスーツ姿の鈴谷が立っていた。
柔らかなシャツにジャケットを羽織り、スマホをいじっていた手が、宙に気づいてふっと止まる。

「……お疲れさま。」

「お疲れさまです……。」

視線が合うと、胸の奥がじんわり熱くなる。

「行こうか。お腹すいたでしょ。」

「……はい。」

横に並んで歩き出すと、宙は鈴谷の歩幅に合わせて少しだけ小走りになった。

(……ちゃんと……言わないと……。)

でも、口が思ったよりも重くて、何度も喉の奥で言葉が行ったり来たりする。

鈴谷はというと、道沿いの小さな定食屋を指差して「ここ入ろうか」と自然にドアを開けてくれた。


---

席に着いて、注文を終えた頃。
温かいお茶の湯気が二人の間をふわりと揺らす。

「……あの。」

やっと宙が声を出した。

「……この前……カラオケのこと……。」

鈴谷はゆっくり湯呑を置くと、視線を宙に合わせた。

「……ん。」

「……俺と店長がふたりきりで行くわけじゃなくて……妹……陽里も一緒で……。」

声が小さくなるけど、宙はちゃんと目を逸らさなかった。

「……店長が、妹と……カラオケ行きたいって……言い出して……。俺は……ただ巻き込まれただけで……。」

そこまで一気に吐き出すと、鈴谷の目が少しだけ柔らかくほどけた。

「……そっか。」

「……はい……。」

「……ふふ。」

不意に笑われて、宙の胸がきゅっとなる。

「……な、なんですか……。」

「……ごめん。俺、子どもみたいだったなって。」

そう言って、鈴谷が自分の頬を少しだけ指で掻いた。

「……宙くんが誰と仲良くしててもいいはずなのに……ちょっと嫌だった。」

(……っ!)

お茶の湯気が、急に遠くに感じるくらい、心臓が暴れだす。

「……俺のこと、そんな風に思わなくていいです……。」

言いながら、宙は机の下で手をぎゅっと握った。

(……思ってくれたのは、嬉しいけど……。)

「……宙くん。」

鈴谷が、湯呑を持つ指先で、そっと宙の手の甲をつついた。

「……俺、まだ知りたいよ。」

「……え……。」

「宙くんが、誰に笑ってて、誰に甘えて、誰に触れてほしいって思ってるのか。」

低い声が、お茶の湯気をかすかに震わせた。

「……ちゃんと、教えて?」

「……。」

宙は言葉を飲み込んだまま、小さく頷くしかなかった。

そして、定食が届いても、胸の奥の熱だけは冷めなかった。

---

食事を終えて店を出ると、すっかり街は夜の静けさに包まれていた。
昼間の喧騒が嘘みたいに、宙と鈴谷の足音だけが、舗装された歩道に控えめに響く。

「……美味しかったね。」

「……はい。」

肩が触れそうで触れない距離。
鈴谷のジャケットの袖が、歩くたびに小さく揺れて、そこに手を伸ばせたらどんなに楽かと宙は思った。

(……さっき、“教えて”って……。)

ちゃんと顔を見て言われたあの声が、まだ耳に残っていて、胸の奥が熱を持ったまま冷めない。

駅に近づくにつれて、少しずつ鈴谷の歩幅がゆっくりになる。

(……帰りたくない……。)

そんな風に思った瞬間、鈴谷がふいに立ち止まった。

「……宙くん。」

「……はい……?」

振り返ると、街灯に照らされた鈴谷の顔が、どこか子どもみたいに柔らかく笑っていた。

「……まだ時間、少しだけある?」

「……え……。」

宙の心臓が跳ねる。

「もうちょっとだけ……一緒に歩こう。」

それだけ言うと、鈴谷はそっと宙の手を取った。

指先じゃなくて、ちゃんと手のひらを包むみたいに。
宙の呼吸が一瞬止まる。

「……あ……。」

周りに人はいるのに、不思議と誰の目も気にならなかった。

「……駅まで、遠回りしよう。」

鈴谷の手が、少しだけ力を込める。

宙も小さく頷いて、握り返した。

温かい。
つないだ手のひらから、胸の奥にまでじんわり沁みていく。

歩幅を合わせて並んで歩く道は、さっきよりもずっと静かで、心臓の音が隣の人に届いてしまいそうだった。

(……あの頃よりも……ずっと……。)

何も言わなくても分かる気がした。

きっと、今度こそ全部ちゃんと伝わる。

指先じゃなくて、言葉じゃなくて――
こうして握った手のひらで。
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