ふつつかものですが鬼上司に溺愛されてます

松本尚生

文字の大きさ
20 / 51
5、お願い、そんなにいじめないで

5-2

しおりを挟む
「ヤだ!」
 翔太は全身で行人を押しのけた。
「俺、ユキさんの立場も会社の状況もようく分かってますから。去年の販促物の残り、探していきます。だからユキさんは早く戻って」
 翔太は肩で息をしながらそう言った。行人の目が不穏に光って翔太を見つめていた。荒っぽいキスのせいで唇が赤く濡れている。翔太はそこから目が離せない。行人のくれるものなら、それがどんな感覚でも欲しい。だからこそ、翔太は今ここで行人を受け容れる訳にはいかない。自分の欲望が起動してしまったら、途中でそれを止めることはできない。翔太の膝が震えていた。
 ふたりはそうしたまま数秒にらみ合って立っていた。
 行人は無言でネクタイを直し、カギを置いて出ていった。
(危なかった……)
 翔太は大きく肩で息をつき、手の平で髪がヘンに跳ねていないか確認した。
 あんな行人を見たのは初めてだった。
 何か、焦っているのだろうか。
 翔太の胸に、低いエンジン音のような不安が鳴った。ほかの物音に打ち消されるほど小さかったが、いつまでも消えない耳鳴りのような音だった。

 翔太はホコリまみれになりながら、何とか使えそうな資材を腕いっぱいに抱えて営業部へ戻った。係長席に行人はいなかった。原田と内海も営業先へ出たらしく、一係は空っぽだった。
 いないメンバーの机にこれ幸いとはみ出して、翔太が持ち帰った資材をより分けていると、部屋の扉がバタンと空いた。行人が足音も荒く部室を横切ってくる。怒っているのか、気合いなのか。物品庫でのやり取りを思い出して、翔太の背中が心持ち強ばる。
 行人は、翔太の席の後ろを通り過ぎるとき、少しだけ速度を緩めて、翔太の机にホチキスで留められた書類を置いていった。
「係長……?」
 翔太が見ると「稟議書」となっていた。そして、隅の方にみどりのふせん。
 小さく、『さっきはごめん』と書かれていた。
 書類には来春の「Pro'sキッチン」新商品の選定ツアーとあった。翔太がザッと目を走らせた限りでは、取引先の飲食店の中で、今年の年末納入額が大きかった順に、工場見学と試作品の試食を組み合わせた企画と読めた。別枠で通販での個人取引の部もある。試食と同時に、参加者が試作品の中から、自店で取り扱いたいメニューを選ぶ。要はご招待という報償で年末に大きく仕入れていただこうという目論見だった。
「係長、これ……」
「新商品の開発と絡めれば、三係の量販、企画課の直販事業と、商品開発室と、全部巻き込めるだろ。それだけ巻き込んで各係の予算を集めれば、このくらいの企画は打てる」
 確かにその通り。それに。翔太は口を開いた。
「それに、取引先も、新商品に自分の意見が反映されるとなれば!」
 翔太も、行人の部下として鍛えられて二年半。少しは行人の仕掛けを読み取れるようになってきた。行人はにこりともせずうなずいた。
「そうだ。当然その新商品が発売されるのを楽しみにして、仕入れることになるだろうな」
 翔太は感動した。
「係長……、この短時間に、これだけのことを?」
 稟議書には、営業課長、部長のほかに、PTプロジェクトチームリーダー、商品開発部長、それから、社長の判までもが押してある。
 翔太の視界がうるっとにじみそうになった。行人はゴホンと咳払いをひとつして、あさっての方を向いて早口で言った。
「ああ、まあ、課長はいつもそこにいるし、PTリーダーにはこういうときのために、日頃いやというほど恩を売ってあるしな。部長連中はひとつの部屋で週末ゴルフの相談してたから一網打尽でハンコ押させて」
 心なしか、行人の頬が赤い。
 この発想力と行動力。とにかく思いついてから行動が速い。翔太はいつものように行人の有能さに感服した。だが今日は、このとびきりの有能さが、翔太ひとりのために発揮されたのだ。思うような予算を使わせてやれなかった詫びとして、翔太のために。焦って社内で無体なことをしそうになった詫びとして。
 思い切り、公私混同だ。
 公私混同でも、会社の数字が伸びれば、いいじゃないか。
 ふたりが、ふたりにしか分からない公私混同を、ほかのひとに一切知られることがなければ、もうそれは公私混同ではなくなるのでは?
 そっぽを向いて赤面している行人の姿は、翔太の身体の奥にじんわりと炎を灯した。ほかのひとにヘンに思われないよう、いつもすぐ視線を外すようにしているのに、翔太は行人から目を離せなかった。キレイな横顔。長い睫毛。このひとは、ほかの誰でもない、自分のものなのだと思うと、翔太の胸はさらに熱くなった。
 社内放送がかかった。
『社内のみなさん、商品開発部よりお願いです。ただいまより新商品の試食を行います。手の空いているひとは、開発部ラボまでお越しください。繰り返します……』
 翔太は稟議書を大切に机の抽斗にしまい、そっぽを向いたままの行人に声をかけた。
「係長、行かないんですか?」
 行人は頬の赤みを片手で隠すようにして立ち上がった。
「ああ、行こうか」


「鴨のロースト」は、ベリーのソースと赤ワインソースのどちらで行くか。
 年末スペシャルとはいえ、かなり挑戦的なチョイスだ。
 商品開発部のラボの中央に置かれた広いテーブル。その上には、同じサイズに小さく切った鴨肉に、似たような色の赤いソースがかけられ、右と左に分かれて並べられていた。右に「ベリーのソース」、左に「赤ワインソース」と書かれた紙片が置かれている。
 ラボ長はPTリーダーを兼ねている。長い髪をひとつにまとめた、テキパキとした女性だ。行人の顔を見ると、「あら、来たわね」とにやりとした。行人は「さっきは悪かったな、忙しいとこ」と片手を上げた。翔太は行人に続いて、テーブルの周りに並べられた椅子にかけた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

サラリーマン二人、酔いどれ同伴

BL
久しぶりの飲み会! 楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。 「……え、やった?」 「やりましたね」 「あれ、俺は受け?攻め?」 「受けでしたね」 絶望する佐万里! しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ! こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。

入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?

monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。 そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。 主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。 ※今回の表紙はAI生成です ※小説家になろうにも公開してます

地味メガネだと思ってた同僚が、眼鏡を外したら国宝級でした~無愛想な美人と、チャラ営業のすれ違い恋愛

中岡 始
BL
誰にも気づかれたくない。 誰の心にも触れたくない。 無表情と無関心を盾に、オフィスの隅で静かに生きる天王寺悠(てんのうじ・ゆう)。 その存在に、誰も興味を持たなかった――彼を除いて。 明るく人懐こい営業マン・梅田隼人(うめだ・はやと)は、 偶然見た「眼鏡を外した天王寺」の姿に、衝撃を受ける。 無機質な顔の奥に隠れていたのは、 誰よりも美しく、誰よりも脆い、ひとりの青年だった。 気づいてしまったから、もう目を逸らせない。 知りたくなったから、もう引き返せない。 すれ違いと無関心、 優しさと孤独、 微かな笑顔と、隠された心。 これは、 触れれば壊れそうな彼に、 それでも手を伸ばしてしまった、 不器用な男たちの恋のはなし。

沈黙のΩ、冷血宰相に拾われて溺愛されました

ホワイトヴァイス
BL
声を奪われ、競売にかけられたΩ《オメガ》――ノア。 落札したのは、冷血と呼ばれる宰相アルマン・ヴァルナティス。 “番契約”を偽装した取引から始まったふたりの関係は、 やがて国を揺るがす“真実”へとつながっていく。 喋れぬΩと、血を信じない宰相。 ただの契約だったはずの絆が、 互いの傷と孤独を少しずつ融かしていく。 だが、王都の夜に潜む副宰相ルシアンの影が、 彼らの「嘘」を暴こうとしていた――。 沈黙が祈りに変わるとき、 血の支配が終わりを告げ、 “番”の意味が書き換えられる。 冷血宰相×沈黙のΩ、 偽りの契約から始まる救済と革命の物語。

刺されて始まる恋もある

神山おが屑
BL
ストーカーに困るイケメン大学生城田雪人に恋人のフリを頼まれた大学生黒川月兎、そんな雪人とデートの振りして食事に行っていたらストーカーに刺されて病院送り罪悪感からか毎日お見舞いに来る雪人、罪悪感からか毎日大学でも心配してくる雪人、罪悪感からかやたら世話をしてくる雪人、まるで本当の恋人のような距離感に戸惑う月兎そんなふたりの刺されて始まる恋の話。

αからΩになった俺が幸せを掴むまで

なの
BL
柴田海、本名大嶋海里、21歳、今はオメガ、職業……オメガの出張風俗店勤務。 10年前、父が亡くなって新しいお義父さんと義兄貴ができた。 義兄貴は俺に優しくて、俺は大好きだった。 アルファと言われていた俺だったがある日熱を出してしまった。 義兄貴に看病されるうちにヒートのような症状が… 義兄貴と一線を超えてしまって逃げ出した。そんな海里は生きていくためにオメガの出張風俗店で働くようになった。 そんな海里が本当の幸せを掴むまで…

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

ハイスペックストーカーに追われています

たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!! と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。 完結しました。

処理中です...