ふつつかものですが鬼上司に溺愛されてます

松本尚生

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5、お願い、そんなにいじめないで

5-3

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 社員がぞくぞくとラボに集まってきた。狭いラボはすぐいっぱいになった。椅子が埋まり、その後到着した社員は、その周りに立ったままテーブルに手を伸ばした。
 どちらのソースでも、かなりおいしい。
 こういうとき、とにかく自分の意見を言ってみろ。行人はいつもそう翔太を指導する。シロウト寄りの営業の立場から翔太は言った。
「俺は『ベリーのソース』の方がうまいと思う。でも、一般のひとは『ベリーのソース』とメニューにあっても、どんな味かイメージが湧かないと思うんですよ。想像できないものはオーダーしない。まだ『赤ワインソース』の方が雰囲気をつかみやすい。だから、『赤ワインソース』の方が売れるでしょうね」
 テーブルを囲んで味を見ている面々がうなずいた。
 翔太の言葉を受けて、行人が続けた。
「ああ、だが本格的な『洋食』への入り口に、『ベリーのソース』があってもいいな。それに例えばヨーロッパ滞在経験があるとか、洋食を食べ慣れているけど、今は生活水準を落としているようなひとに、この味なら売れる。飲食店のファンづくりには、『ベリーのソース』もいいかもしれない」
 翔太は今の行人のコメントの中に、ラボメンバーの味作りを褒める言葉が含まれていることに気付いた。こういう気配りが、いざ行人がすごいスピードで仕事を進めようというときに利いてくるのかもしれない。
「ちなみに下代はどうなんだ。このふたつを同じ値段では出せないだろ」
 行人はラボ長の方を振り返ってそう訊いた。下代というのは、卸から小売店(この場合は飲食店)に販売するときの価格のこと。これに対して、小売店が客に売るときの価格は上代と言う。新商品を出すときは、まずこの辺りの価格をざっくり決め、そこからの逆算でかけられる製造コストを割り出してかかる。ラボ長は数回うなずいて答えた。
「そうなの。ベリーは一食当たり、納入価で最低でも80円UPになるわね」
 行人は「80円か……」と言葉を舌の上で転がした。脳内で膨大な計算が回っているに違いない。
 翔太は、ふと思いついたことを言ってみた。
「限定商品として『ベリーのソース』を出すというのはどうでしょう」
 行人が無言で隣の席の翔太を見た。ラボ長が愉快そうな笑顔で「どういうこと? 言ってみて」と促した。
「まず定番商品として『赤ワインソース』を出すんですけど、X'mas限定で一時期だけ、『ベリーのソース』に切り替えるというのは? パッケージもX'mas限定で、限定数量を終了したら元に戻すんです」
「いいんじゃない? 面白そう!」
 後ろの方で声がした。
 翔太が振り返ると、小太りのオッサン(社長)が作業着でニコニコ笑っていた。

「あっちゃーー」
 ドアを閉めるなり翔太は頭を抱え、しゃがみこんだ。
 責任をもって、「鴨のロースト」のX'masベリーバージョンを売り切らねばならない。果たして、どのくらいの数量が生産されるのか。恐ろしい。
「ステップアップにはいい経験じゃない? 俺もあれはいいアイディアだと思ったよ。期間限定商品なら売上のピークを作りやすい」
 行人はエプロン姿で鍋を振りながら言った。今日も先に社を出た行人が、翔太の部屋の台所で夕食の準備をしていた。
「ユキさん、今日の献立は何ですか?」
 翔太は肩を落として部屋を横切りながらそう訊いた。
「んー? 何だろうね。冷蔵庫の残りもので、テキトーにまかない。ショウちゃんに野菜食わせなきゃ」
 行人は手際よく炒め鍋に塩こしょうを振り混ぜた。
 翔太が部屋着に着替えるのと、ほぼ同時にテーブルに夕食が並んだ。
「いただきまーす!」とふたりは手を合わせた。
「んまい!」
 行人の作った野菜炒めをひと口ほおばり、翔太は言った。行人は「そう? よかった」と笑った。翔太は単純だから、うまい飯を食えば元気になる。そう、普段なら。
 翔太はごくりと呑み込んで、「はあーーっ」とまたため息をついた。
「ショウちゃん?」
 行人は箸を止め、心配そうな顔で翔太を見た。翔太はプルプルと首を横に振った。
「いえ、何でもないです」
 さすがにこのプレッシャーは大きい。しかも、不用意に自分が口走ってしまったアイディアがその場にいた社長に即採用されてしまった。つまり自分が蒔いた種。仕事としてはよいことでも、翔太個人としては自らギロチンの下に首を置いてしまったような気がしている。入社三年目。そろそろこういう課題も必要なのか。
 行人は、翔太のもともと引っ込み思案な性格をよく知っている。
「さっきも言ったけど、いい経験になると思うよ。自分の発案した商品を、存分に自分で売ってごらん。開発室や工場のひとの気持ちも、少しは分かるようになるよ」
 営業は、所詮他人が額に汗して作ったものを、右から左するだけの商売だ。「作り手」の気持ちを知ってるかどうかで、口調に重みが増すこともある。
「それに、今回は俺、ちょっとショウちゃんにお礼を言いたい」
「ユキさん?」
 行人はちょっと真面目な顔になって、箸を止めた。
「ウチの会社で『ベリーのソース』なんて攻めた商品が出てくるなんて」
 アサヅカフーズは、地元でこそ中堅食品メーカーだが、即席ラーメンスープと調味料に特化した商品構成で、営業規模の縮小は目に見えていた。そこを従来の自社製造をはみ出して、同業他社のキャパシティを活用して製造する業務用惣菜にチャレンジしてみた。これがダメだったら、全社上から下まで意気消沈して、目の前の死を座して待つしかなかったろう。まさに社運をかけた新商品だったのだ。
「『Pro'sキッチン』のヒットが商品開発室のヤル気に火をつけた。けど、俺は連中のヤル気をもっと伸ばしたかった。戦う相手は地元企業じゃなく、全国区だろう? もっともっと戦闘力の高い商品ラインナップにしていかないと」
 つられて箸を止め、行人の話をじっと聞いている翔太の頬を、行人はペシペシと軽く叩いて付け加えた。
「俺がいくら優秀でも、『売れる商品』じゃないと売りようがないからな」
(ふわあ。カッコいい)
 すごい自信だ。だが、行人が言うならその通りという気が翔太にはする。これを例えば原田が言ったのだとしたら、同じようには受け取らないだろう。
 行人は再び長い指で箸を動かし始めた。
「ユキさん……やっぱ、カッコいいなぁ」
 翔太は思わずそう漏らした。行人は驚喜した。
「ショウちゃん、カワイイーー!!」
 翔太は照れ隠しに、黙って行人の作った野菜炒めを大きく口に放り込んだ。
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