ふつつかものですが鬼上司に溺愛されてます

松本尚生

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8、空っぽの部屋で、たったひとりで

8-7

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 行人は揃いのコーヒーカップの片方はブラックで、もう片方は翔太の好みの配合でミルクを入れてカウンターに並べた。翔太がカップをじっと見ているのに気付き、行人はくすぐったそうにまた笑った。
「このカップは何年か前の、結婚式の引出物。普段使うことないから、初めて使った」
 行人はコーヒーをひと口飲み、「結婚式なんて、出るばっかりでソンだよね」と歌うように言った。翔太はカップに口をつけた。やはり行人の舌は肥えている。行人が選んだものはどれもおいしい。行人がカウンターに肘を突いて笑った。
「ショウちゃんって、結構ヤキモチ焼くよね」
 翔太はぐっと答えに詰まった。コーヒーをくぴくぴ飲んで、ようやく言った。
「しょうがないじゃん。ユキのこと気になるんだもん。嫉妬深い男は嫌い?」
 行人は首を振った。
「カワイイ。嬉しいよ」 
 造りが頑丈なのか、高層階だからなのか、静かな部屋だった。翔太の木造二階建てのアパートは、幹線道路から離れているのにいつも車の音がしているのと、対照的だ。翔太はコーヒーカップを皿に戻して、言った。
「何で今まで俺を入れてくれなかったんだよ。俺、てっきりユキは親御さんと暮らしてるんだと思って、遠慮してたのに」
 行人もカップを置いて、目を伏せた。
「ショウちゃんが引いちゃうんじゃないかと思って。ただでさえ『尊敬してる』としか言ってくれないのに、距離置かれちゃったらどうしよう……って」 
 それは、翔太が行人に伝わる言葉を使わなかったからだ。翔太は素直に「ごめん」と謝った。
 翔太は行人の方に向き直り、言った。
「でもさ、俺、ユキのこと好きだとしか取れないような言動してたと思うんだけど。気持ち、隠してなかったし。それなりに表現してたはずだよ」
 行人もスツールを回し、翔太の正面を向いて言い返した。
「でも、はっきりそう言ってくれた訳じゃない。ショウちゃんは恋愛経験少ないから、流されてるだけかもしれないし。だからこそすごい勢いで流しきっちゃおうとがんばったんだけど」
 行人は肩を震わせた。
「もしかして思わせぶりなだけかもしれない。俺をメロメロにさせといて、実はそんな気なかったなんてことになったら……」
「ユキ……」
「そんなことになったら、俺、生きていられないから……」
 行人はスラックスの膝の辺りをギュッと握って下を向いた。
 翔太は大きくため息をついた。
「何だよぉ。結局俺らってただの、普通の、大恋愛だったんじゃん」
 翔太はそう言って、行人の顔をのぞき込んだ。行人の頬が見る見る赤く染まった。
「だからさ、そういうことサラッと言っちゃうショウちゃんに、俺は毎回胸を撃ち抜かれてるよ」
 行人は赤い顔を隠すように、「着替えてくる」と奥の寝室に消えた。
 翔太はふたり分のカップを洗って、ふきんで拭いた。食器棚を開くと、カップの分だけ隙間が空いていた。そこへそっと華奢なカップを収納すると、クリーム色のセーターに着替えた行人が戻ってきた。
「ユキ、熱は? だるくない?」
「うん、平気。今日はずいぶんいいよ」
 行人はソファに身体を預けた。翔太が心配そうな顔をしたせいか、行人は言った。
「たまにこういうことあるんだよ。四、五年に一度くらい。疲れると熱が出るんだ」
 翔太は台所で首を振った。
「違うね。疲労ってことで言えば、おととしのPT立ち上げのときの方がユキは疲れてた」
「ショウちゃん……」
 翔太は台所を離れ、行人の許へ歩み寄った。
「疲労だけじゃないよな?」
「ショウちゃん」    
「俺のせい……だよな」
 翔太はソファの行人の隣に腰かけた。
「俺がハッキリしなかったから。ユキを不安にさせたよな。ごめんな」
 翔太は行人の前髪をかき上げ、そっと自分の額を押し当てた。
「まだ少しだけ熱いよ、ユキ」
 行人は翔太の背中に腕を回した。
 しんと静かな部屋だった。ガランと何もないので、微かな音が壁に響く。外を冬の風が吹いた。風は窓ガラスを揺らして、暖房に曇りがちな街の空気を洗い流していく。
「……ショウちゃん」
「ん?」
「ここにおいでよ」
「ユキ?」
 行人は翔太の背中を握った。
「淋しいんだ。ここに独りで住んでるの」
 翔太は耳許に行人の声を聞きながら、行人が帰っていったあとの自分の部屋を思い出した。狭いベッドに独り取り残される、あの感じ。それを行人はこの広い部屋で。
「おかしいよね。ショウちゃんに会うまでは、そんなこと、感じたことなかったのに」
 誰かを好きになるって、そういうことなんだ。翔太は無言で行人の髪を撫でた。
「今のアパートは荷物置きに借りとくか、もっと家賃安いワンルームに借り換えるかして。住所はさすがに同じって訳にいかないから。そっちの家賃は俺半分出すよ」
 行人の提案は現実的だった。翔太は首を振った。
「ここのマンションだって、固定資産税とか管理費とかかかってるだろ。家賃はいいよ。でも」
「ん?」
「ユキ……じゃあ……」
 翔太は身体を少し離して、行人の表情を確かめた。行人は真っ直ぐ翔太の瞳にこう言った。
「うん。辞めない。ショウちゃんが一緒に住んでくれるならね」
 行人は翔太の頬を両手ではさんだ。
「昔の言葉でさ、『一緒になる』ってあるだろ。意味分かる?」
「ユキ」
「ショウちゃん、俺たち、一緒になろう」

 翔太は自分のアパートに戻ってきた。行人の広いマンションを見たあとだと、一段と狭苦しくてガックリする。
 翔太は壁のカレンダーを確認した。週末にはレンタカーを借りて、身の回りのものを運び出そうか。
 部屋の中を見渡すと、何かとものが増えていた。この際、要らないものをバッサリと処分するのも、いいかもしれない。高校卒業と同時にこの部屋に越してきて、七年が経っていた。この街に来てからの半分近くを、行人とともに過ごしてきた計算になる。
 これからは、行人と一緒の時間が増えていく。札幌に来てからの時間の半分を越し、生まれてからの時間の半分を越して。翔太はめまいがしそうになった。そんなことを考えるのを自分に許したのは、初めてだ。いつか終わるのだと思っていた。そしてまた独りの人生に戻るのだと覚悟していた。若い時分の今この刻だけ、行人の気まぐれで、数年だけ幸せの真似ごとを味わうのだと、心のどこかで諦めていた。
 それはシンデレラの魔法と同じ。刻を告げる鐘が鳴ると、夢のような時間は終わる。
 行人に「好きだ」と言えなかった翔太は、本気で好きになって、終わりの刻に傷付くのを怖れていたのだ。あんなに本心をさらけだしてくれていた行人なのに、愛されることが幸せすぎて、それを失う日が怖ろしかった。
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