ふつつかものですが鬼上司に溺愛されてます

松本尚生

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9、ふつつかものですが、愛してます

9-2

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 唐突に、行人が机にぐたりと伏せた。
「あーあ。ショウちゃん、男子とペア組ませたくないけど、内海さんみたいにかわいい女のコもイヤだな。どんな子が来るんだろ」
 翔太はボールペンを動かす手を止めて、顔を上げた。
「ユキ、きらりんのこと誤解してる。きらりん中身、チョーおばさん。手強いよー。かわいいってタイプじゃないから、全然」
「そうなの?」
 翔太は大きくうなずいた。
「へええ、詳しいねえショウちゃん。いつの間にふたりはそんなに理解し合ったワケー?」
 面白くなさそうな視線を投げる行人に、翔太は背筋を伸ばして言った。
「係長、そのOJTの時期はいつ頃目処ですか? 担当を持たせて任せてみるのは、大体いつ頃目標でしょうか。……てか、きらりんにあれこれ詮索されないようにガードしてるんだから。俺、がんばってるんだから」
 行人は上体を机の上にだらりと伸ばしたまま、顔だけを翔太に向けて「ふーん」と鼻を鳴らした。翔太は笑って行人のジャケットの裾を指でつまみ、甘えるように軽く引いた。
「係長ってば仕事しましょうよ。もうすぐ昼休みになりますよ。ねえ、俺に続き教えてよぉ」
 翔太のおねだりには、行人は抵抗できない。身体を起こして、再びキーボードを叩き始めた。
「ショウちゃん」
「何?」
 キーボードを叩く音が止まった。廊下を話し声と足音が通り過ぎた。
「チューしたい」
「え」
 ボールペンを持つ手が震えた。翔太が顔を上げると、行人が挑戦的な笑みで翔太を見ていた。翔太の大好きな行人の瞳。試すような、からかうような、でも、切ない瞳。
「……いいよ」
 行人の開いたノートPCの陰で、翔太はまぶたを閉じた。行人の指が翔太の顎に触れる。
「何それ、ショウちゃん……超カワイイ……」
 行人の体温が近付いたとき、部屋のドアが勢いよく開いた。
「西川! 今日の昼いいか? ラボ長がスランプで、味作りにつまづいてる。一緒に試食に入って欲しいんだ」
 企画課のひとだった。
「メシは炊いてあるって言うから、一食浮かす積もりで、助けてくれ」
 行人は小さく、「あ、ああ……、いいけど……」と答えた。
「頼むわ」
 短くそう言って企画課のひとは去っていった。
 バタンとドアが閉まったあとで、翔太は行人と顔を見合わせた。
「ちぇっ。今日はショウちゃんとラーメンでも食いに出ようかと思ったのに」
「よしよし。その代わり、夜はウチでゆっくりご飯食べよう」
 翔太はそっと行人の頭を撫でた。行人は素直に「うん」とうなずき、素早く一秒だけ翔太の唇に唇を触れた。
 昼休みになり、行人はしぶしぶラボに出向いた。翔太はコンビニで昼メシを買ってきた。今日もついプリンをカゴに入れてしまい、自分でもちょっと笑ってしまった。
 天気が好い。PCのモニターが見づらくなるので日中閉めきっているブラインドを、少し上げてみた。気温はピークに低いが、日差しは少しずつ春を孕んでいる。
 誰もいない部屋にひとり気楽にしていると、翔太の頬は自然と緩む。嬉しくて幸せで、誰もいないのについ下を向いてしまう。「行きます」と返事して、昨日ついに行人の部屋へ移った。これからは一緒だ。

 行人に「行きます」と返事して、身の回りのものだけを荷造りした。それと、預かっていた行人の着替えと。段ボール箱三箱を、熱の下がった行人が借りてきたレンタカーに積み込んで、広い3LDKに運び入れた。レンタカーを返しにいく行人に、部屋で荷解きしているかと聞かれたが、翔太は行人にくっついて一緒に行った。地下鉄駅のすぐ側のレンタカーはマンションからは徒歩六、七分。マンションからはJRの駅も近く、こちらは逆方向に徒歩五分、ダブルアクセスだ。何て便利な立地だろう。
 帰りに近所のスーパーへ寄った。地下のサービスカウンターで、翔太が専門店の焼き菓子を選んだ。一係のメンバーへ、行人の休んだお詫びの品だ。
 マンションに戻り、靴を脱いだところで、行人は改まってこう言った。
「ショウちゃん。いらっしゃい。よく来たね」
 翔太も、いつ言おうかとタイミングを探していた言葉を口にした。
「ふつつかものですが、よろしくお願いいたします」
 三つ指突きたいくらいのセリフだが、さすがにそれは時代錯誤というか、ポリコレ的にいろんな意味でアレだというか。とりあえず頭だけは深々と下げた翔太を、行人がギュッと抱きしめた。
「ショウちゃん。俺、大事にするから。ショウちゃんのこと、ずっとずっと、大事にするから」
 翔太は何も言えなくなった。黙ったまま、そっと行人の肩に頭を載せた。行人の身体は温かかった。今日のこの体温を、自分はきっと忘れないだろうと翔太は思った。ゆっくりと翔太も行人の背中に腕を回した。この体温は、今日から本当に、翔太のものだ。
 抱き合ったまましばらくして、行人は腕を緩めると、嬉しそうにふふと笑った。(ああ、このひと、今すごく幸せなんだな)と翔太は思った。多分、翔太も同じ顔をしている。
 空き部屋のひとつに段ボールを運び入れ、作り付けのクローゼットにテキトーにしまって作業終了だ。翔太は一緒に連れてきたぬいぐるみのうーちゃんを、台所のカウンターの端に置いた。夕食の支度をしていた行人が言った。
「ショウちゃん、うーちゃんそこに置いたら、台所の油ハネで汚れちゃうよ」
「うん、そうなんだけど……」
 翔太は恥ずかしさに目を伏せたが、意を決して顔を上げた。自分の思いは口にしないと。行人に伝わる言葉で。これからは一緒に暮らすのだから。
「ユキのとこに来るって、うーちゃんと相談して決めたから。今日だけうーちゃんに立会人になってもらう」
「立会人?」
「うん……」
 行人が夕食の皿を、腕を伸ばしてカウンターに置くのを待って、翔太は言った。
「今夜は……結婚式、みたいなものでしょ? 俺たちの……」
 行人はガクリと流しに頭を突っ込んだ。
「……ユキ? どうしたの? また俺、ヘンなこと言った?」
 翔太は慌ててアイランドキッチンを回りこみ、震える行人の肩をさすった。
「お前ぇ……」
 行人は流しの縁を握りしめて小さく言った。聞き漏らすまいと翔太は耳を近付けた。
「何?」
 行人は翔太の胴体にタックルした。
「わっ!」
 翔太は床に倒れ込んだ。
「どうしてそんなにカワイイんだよ! 今のはマジで俺死にそうになったわ。困る! 可愛すぎ! 息ができない」
 フローリングに押し倒されたようになって、翔太はドキドキした。行人の顔がすぐ近くにある。
「初日からこんなんじゃ、じきに本当に死んじゃうかも……」
 唇が触れ合った。行人のキスは、いつも翔太から正気を奪い去る。胸が、全身が熱くなる。
「ん……」
 翔太の指は行人のセーターを握りしめた。長い短いキスのあと、行人が翔太の唇の上で言った。
「ごめんショウちゃん。お腹、空いてたよね」
 翔太は指を解いて深呼吸した。身体の内側で揺らめきだした炎を鎮める。
「せっかくの食事が冷めちゃうね。ユキ、何かおいしいものを作ってくれたんでしょ?」
 行人は、今日はずっと笑っている。嬉しそうに、幸せそうに。翔太は自分の存在が、行人をこんなに喜ばせられることに驚いていた。翔太は、先に起き上がった行人が差し伸べた手を取り、立ち上がった。照れくさくて、ちょっと下を向いて席に着く。
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