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E《エピローグ》 or ST《サービストラック》
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原田が抜けてから数日で、内海はそれまでの礼儀正しい若女子テイストを捨てた。「業務量が多すぎて、あれこれ気をつかっていられない」とのことだっだ。
最低限のビジネス用語だけを残し、余計な装飾やその場を和ませるもの言いを全カット。それは案外内海によく合っていた。こちらが内海の本来の姿なのだろう。
それと同時に、内海はお茶汲みへの抵抗がなくなったのか、自分が飲みたいときに自分の飲みたいものを淹れ、ついでに他のメンバーへも同じものを配るようになった。これも、「女性だから」「男性だから」と区別せず、単純に仕事の結果を出していけばよいという行人の方針を、内海自身納得できたからだろうか。内海も一年かけて、行人のリーダーシップを彼女なりに評価して受け容れたのかもしれない。ひとへの洞察力が優れているのも、上手く営業先への気配りに活かして数字を伸ばしている。営業成績が上がると、余計な部分、例えば同僚への詮索にその能力を振り向けることがなくなった。今や内海は、気をつかわずに一緒に働ける、頼もしいメンバーだ。
翔太は自分のPCを開いた。行人の作ってくれた、新人OJTのロードマップを開く。先入観を持たず、平常心で、後輩を優しく厳しく指導する先輩の気持ちで。
(俺を育ててくれたのはユキだけど、俺はユキと同じようにはできないしな……)
いろいろと、不安だ。
不安ではあるが、日常業務は普段と同じだけある。翔太は歓迎会から花見シーズンの受注状況をPCで確認し、昨年と比較してオーダーが鈍っている得意先をリストアップしていった。
しばらく集中して、目が疲れた。退勤時間が近付いていた。翔太は用紙を取り出して日報を書いた。社長室に乗り込んだことは書かずにおいた。心の中でくすりと笑って、翔太はみどりのふせんを貼った。そこには「先に出る?」と書いた。立ち上がって係長席のトレイに滑り込ませる。
帰り支度の前に、Webでスケジュール管理システムを開き、明日のタスクをひとつひとつ書き出していった。それぞれに必要な物品を洗い出し、明日の出勤後すぐ揃えられるようリストアップしておく。明日出かける間際になってこれをやると、必ず脳みそがパンクしてしまうからだ。
行人が立ち上がった。
「お先に」
「お疲れさまでーす」
翔太と内海は口々に返した。行人は通りがかりに、翔太の机に日報を戻していった。「買いものしてく。欲しいものLINEして」
みどりのふせんにはこうあった。
翔太はそっとふせんを剥がし、後で綴じようと日報を脇へ寄せた。
「ただいまー」
翔太が靴を脱ぎながらそう言うと、台所から行人が飛んできた。
「ショウちゃん、お帰り!」
行人は翔太の肩に腕を回した。一瞬触れた行人の頬が、翔太の頬に温かかった。その瞬間、毎日のことなのに、翔太の胸の奥がキュッとなる。
翔太がぽんぽんと行人の腕を叩くと、ようやく行人は翔太を離した。翔太は春の軽めのコートを脱ぎ、玄関のクローゼットに仕舞う。
「今日の晩飯は何?」
「肉」
台所へ戻る行人の背中に、翔太は笑って言った。
「『肉』ってなんだよ。抽象的だな」
翔太が水を飲もうと台所へ入ると、行人の言った通り、肉がボウルに入れられ下味を付けられていた。翔太はくんくんと香りを嗅いだ。行人がいたずらっぽい笑顔で翔太の答えを待っている。
「分かった! 生姜焼き」
「ピンポーン! ユキさん特製生姜焼きでーす」
「わあ。俺、ユキの生姜焼き大好き!」
翔太は「じゃあ、キャベツの千切りは俺やるね」と言いながら部屋着に着替えた。
行人がジューと音をさせて肉を焼いていく。その横で、翔太はスライサーでキャベツを千切りにする。ワクワクする共同作業だ。
「ユキ、覚えてる? 前に俺の部屋で生姜焼き作ってくれたとき、俺の部屋の台所は狭くて、俺、わざわざ居間のテーブルで千切りしたんだよな」
「覚えてるよ。ショウちゃんの部屋では、こんな風に並んで食事の準備なんて、できなかったね」
「うん。ユキのとこ来て、よかった」
翔太がそう行人に言うと、フライパンを揺すりながら行人がチュッと音を立てて翔太の唇にキスをした。
翔太は目の前がポワ……ンとして動けなくなった。
「ビックリさせた? ごめんね。でも可愛い、ショウちゃん……、ショウちゃん!?」
気付くと行人が心配そうに見下ろしていた。
「ショウちゃん、どうしたの?」
翔太はぼんやりと行人を見上げて答えた。
「分かんない。『幸せだな』って思ったら、急に膝が……」
行人はフライパンを火から下ろし、翔太の目の前に膝をついた。
「幸せすぎて、腰抜かしちゃったの?」
「ユキ……」
キャベツを握ったままの翔太を、行人は抱きしめた。
「カワイイ! ショウちゃん、ホント可愛すぎるよ。こんな可愛いショウちゃん、もったいなくて三十八歳のオヤジを連れ回させたり、したくない!」
(ユキが不機嫌なのって、やっぱりそっちだったか)
翔太の腹がぐーっと鳴った。
夕食が済んで入浴も済ませると、テレビもないマンションは静かだ。翔太は最近気に入っているジャスミン茶を淹れて銀のトレイに載せ、ソファで本を読んでいる行人のところへ運んだ。
「飲む?」
「ああ。ありがと」
翔太はカップを載せたまま足下の床にトレイを置いた。テーブル代わりだ。
翔太がこの家へ来てすぐ、「寝ぼすけのショウちゃんが、ベッドで朝ご飯を食べられるように」と、行人が四角い銀のトレイを買った。翔太は寝る部屋と食べる部屋を分けたい派なので、朝食を運ばれるのは断った。が、それを楽しみにしていたらしい行人があんまりがっかりするので、コーヒーを運んでくるのだけは許した。それと、ガランと何もない部屋で、ソファに座ったときのテーブル代わりに使っている。
行人はソファの前にテーブルがなくて、不便はなかったのだろうか。仕事では究極に無駄を嫌う行人だが、私生活での基準はまだよく分からない。
翔太は(ま、いっか)と思った。全部分かってしまったら、楽しみが残らない。
翔太は行人の横にいたうーちゃんの頭をちょんちょんと撫でてから、反対側の隣へ座った。ソファの端がうーちゃんの定位置になっていた。
最低限のビジネス用語だけを残し、余計な装飾やその場を和ませるもの言いを全カット。それは案外内海によく合っていた。こちらが内海の本来の姿なのだろう。
それと同時に、内海はお茶汲みへの抵抗がなくなったのか、自分が飲みたいときに自分の飲みたいものを淹れ、ついでに他のメンバーへも同じものを配るようになった。これも、「女性だから」「男性だから」と区別せず、単純に仕事の結果を出していけばよいという行人の方針を、内海自身納得できたからだろうか。内海も一年かけて、行人のリーダーシップを彼女なりに評価して受け容れたのかもしれない。ひとへの洞察力が優れているのも、上手く営業先への気配りに活かして数字を伸ばしている。営業成績が上がると、余計な部分、例えば同僚への詮索にその能力を振り向けることがなくなった。今や内海は、気をつかわずに一緒に働ける、頼もしいメンバーだ。
翔太は自分のPCを開いた。行人の作ってくれた、新人OJTのロードマップを開く。先入観を持たず、平常心で、後輩を優しく厳しく指導する先輩の気持ちで。
(俺を育ててくれたのはユキだけど、俺はユキと同じようにはできないしな……)
いろいろと、不安だ。
不安ではあるが、日常業務は普段と同じだけある。翔太は歓迎会から花見シーズンの受注状況をPCで確認し、昨年と比較してオーダーが鈍っている得意先をリストアップしていった。
しばらく集中して、目が疲れた。退勤時間が近付いていた。翔太は用紙を取り出して日報を書いた。社長室に乗り込んだことは書かずにおいた。心の中でくすりと笑って、翔太はみどりのふせんを貼った。そこには「先に出る?」と書いた。立ち上がって係長席のトレイに滑り込ませる。
帰り支度の前に、Webでスケジュール管理システムを開き、明日のタスクをひとつひとつ書き出していった。それぞれに必要な物品を洗い出し、明日の出勤後すぐ揃えられるようリストアップしておく。明日出かける間際になってこれをやると、必ず脳みそがパンクしてしまうからだ。
行人が立ち上がった。
「お先に」
「お疲れさまでーす」
翔太と内海は口々に返した。行人は通りがかりに、翔太の机に日報を戻していった。「買いものしてく。欲しいものLINEして」
みどりのふせんにはこうあった。
翔太はそっとふせんを剥がし、後で綴じようと日報を脇へ寄せた。
「ただいまー」
翔太が靴を脱ぎながらそう言うと、台所から行人が飛んできた。
「ショウちゃん、お帰り!」
行人は翔太の肩に腕を回した。一瞬触れた行人の頬が、翔太の頬に温かかった。その瞬間、毎日のことなのに、翔太の胸の奥がキュッとなる。
翔太がぽんぽんと行人の腕を叩くと、ようやく行人は翔太を離した。翔太は春の軽めのコートを脱ぎ、玄関のクローゼットに仕舞う。
「今日の晩飯は何?」
「肉」
台所へ戻る行人の背中に、翔太は笑って言った。
「『肉』ってなんだよ。抽象的だな」
翔太が水を飲もうと台所へ入ると、行人の言った通り、肉がボウルに入れられ下味を付けられていた。翔太はくんくんと香りを嗅いだ。行人がいたずらっぽい笑顔で翔太の答えを待っている。
「分かった! 生姜焼き」
「ピンポーン! ユキさん特製生姜焼きでーす」
「わあ。俺、ユキの生姜焼き大好き!」
翔太は「じゃあ、キャベツの千切りは俺やるね」と言いながら部屋着に着替えた。
行人がジューと音をさせて肉を焼いていく。その横で、翔太はスライサーでキャベツを千切りにする。ワクワクする共同作業だ。
「ユキ、覚えてる? 前に俺の部屋で生姜焼き作ってくれたとき、俺の部屋の台所は狭くて、俺、わざわざ居間のテーブルで千切りしたんだよな」
「覚えてるよ。ショウちゃんの部屋では、こんな風に並んで食事の準備なんて、できなかったね」
「うん。ユキのとこ来て、よかった」
翔太がそう行人に言うと、フライパンを揺すりながら行人がチュッと音を立てて翔太の唇にキスをした。
翔太は目の前がポワ……ンとして動けなくなった。
「ビックリさせた? ごめんね。でも可愛い、ショウちゃん……、ショウちゃん!?」
気付くと行人が心配そうに見下ろしていた。
「ショウちゃん、どうしたの?」
翔太はぼんやりと行人を見上げて答えた。
「分かんない。『幸せだな』って思ったら、急に膝が……」
行人はフライパンを火から下ろし、翔太の目の前に膝をついた。
「幸せすぎて、腰抜かしちゃったの?」
「ユキ……」
キャベツを握ったままの翔太を、行人は抱きしめた。
「カワイイ! ショウちゃん、ホント可愛すぎるよ。こんな可愛いショウちゃん、もったいなくて三十八歳のオヤジを連れ回させたり、したくない!」
(ユキが不機嫌なのって、やっぱりそっちだったか)
翔太の腹がぐーっと鳴った。
夕食が済んで入浴も済ませると、テレビもないマンションは静かだ。翔太は最近気に入っているジャスミン茶を淹れて銀のトレイに載せ、ソファで本を読んでいる行人のところへ運んだ。
「飲む?」
「ああ。ありがと」
翔太はカップを載せたまま足下の床にトレイを置いた。テーブル代わりだ。
翔太がこの家へ来てすぐ、「寝ぼすけのショウちゃんが、ベッドで朝ご飯を食べられるように」と、行人が四角い銀のトレイを買った。翔太は寝る部屋と食べる部屋を分けたい派なので、朝食を運ばれるのは断った。が、それを楽しみにしていたらしい行人があんまりがっかりするので、コーヒーを運んでくるのだけは許した。それと、ガランと何もない部屋で、ソファに座ったときのテーブル代わりに使っている。
行人はソファの前にテーブルがなくて、不便はなかったのだろうか。仕事では究極に無駄を嫌う行人だが、私生活での基準はまだよく分からない。
翔太は(ま、いっか)と思った。全部分かってしまったら、楽しみが残らない。
翔太は行人の横にいたうーちゃんの頭をちょんちょんと撫でてから、反対側の隣へ座った。ソファの端がうーちゃんの定位置になっていた。
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