妖狐の寵愛~影無し少女の嫁入り~

奏白いずも

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五、あやかし屋敷に住まう

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「さて、未だ妻ではない女性と同室は問題か?」

「え?」

 結婚相手に人間を選ぶことから想像するに、色々と規格外なのか、はたまた器が大きいのか。いずれにしてもあやかしに、この妖狐に常識的な思考を期待していなかったので、もっともらしい発言に驚かされてしまった。

「なんだ、この部屋……俺の傍にいたいのか? では、このまま抱いてしまうぞ。これでも抑えているんだが」

 耳聡いのか戸惑いは拾われていた。わざわざ言い直さなくていいのに!
 落ち着きなさい私――そう言い聞かせて睨みつけ、改めて妖狐を観察する。
 服装は昨夜の簡易なものから袴へと変わっていた。好き勝手に遊ばせていた髪は高く一つに結ばれ赤い紐が目を引く。藍色の羽織は品が良く、まるで剣を扱う侍のように気高い。
 ふわふわの耳も獣の象徴である尾も消えている。妖しい魅力を放っていた黄金色の瞳は眠りについたように落ち着き、こうして見ると人間としか思えない。
 一応、見目麗しい異性に告げられているという自覚はあるので私が普通の感性をしていたら心を踊らせていただろう。相手が普通の人間であればの話だけれど。
 反論を待っているような、意味深に細められる瞳は何? 私がうろたえるのを楽しむつもり? 望み通りになってたまるものか。

「そうなる前に刺し違える」

 ひとしきり心の中で喚いた後、言ってやった。今の私にできる最上級の返答だ。

「せいぜい健闘するといい」

 いくら虚勢を張ろうとも己の身を守る術のない私は結局侮られていたけれど!
 妖狐は前触れもなく立ちあがり、すっかり立ち尽くしていた私は突然のことに半歩足を下げてしまった。不覚だ……。
 ゆったりとした動作で距離を縮めているともなれば昨夜の非道なる行い(口付け)が脳裏を過ぎり速やかに拳を握った。それは妖狐が着ていた藍色の羽織を脱ぎ始めたことで核心に変わる。

「何を――」

 いざとなったら拳で顎を狙う。触れようものなら問答無用で叩きこむ!
 狙いを定めて構えるが、妖狐の行動は私の予想と違っていた。姿を追って首を巡らせると、背後に回り私の肩に脱いだばかりの羽織をかけている。当然ながら背の高さが違うので裾を持て余していた。

「着ていろ」

 あまりにも最低限のことしか告げられず、意味がわからないと高い位置にある顔を見上げる。

「寒くも何ともないけれど」

「そんな薄い夜着一枚で他の男の前に出せるものか」

「別に、困ることはない」

 私の発言に驚いたのか、妖狐は目を丸くする。確かに夜着は一般的に人前に出るような格好ではないけれど裸を晒すわけでもない。どうせ相手はあやかしなのだろうと思えば体裁も気にならなかった。

「普通の女性は困るはずだが……君は逸脱しているのか?」

 その通りだ、私は普通から逸脱している。だがおわかりいただけるだろうか。あやかしから普通について説かれる心境を! それはもうやるせないというか、苛立つというか、立場がないというか……とにかく腹が立つ。
 言い訳をさせてもらえるのなら、自ら望んだことではない。責任を転嫁するようで心苦しいが、育った環境のせいもあると言わせてもらいたい。

「では言い方を変えよう」

 腹部に腕が回り、背に熱を感じる。
 まさか、抱きこまれた!?

「ひっ!」

 今のは私が上げた声?
 自らの反応に戸惑っていると、さらに気配が近くなる。

「いずれ妻になる者の艶姿を他の男に見せるなど、俺を嫉妬で狂わせたいのか? 本来ならばすぐにでも着物を用意したいのだが、何分急なことで支度が整っていない。だから、どうか俺のために着ていてくれ」

 耳元で告げられ、温かな吐息を感じてはさすがに羞恥が募る。艶のある声は耳に馴染み、睦言のように甘い囁きは私の肌を赤く染めていた。

「ほお、そういった反応は出来るのか。上出来だ」

 満足そうな声音が聞こえて私はもがく。このままここに収まっていてはいけない気がした。何が、かは良くわからないけれど、とにかく体に良くない気がした。風邪でもないのに、体がこんなにも熱を発しているから――
 必死に暴れてやれば名残惜しそうに手が離れ、解放されると即座に距離を取った。

「からかわないで!」

 遊ばれた、弄ばれた、いいように!

「屈辱!!」

 何をされるか油断も隙もないという警戒で妖狐から視線が逸らせない。背後に柱が当たるまで後ずさり、大人しく羽織を掻き合わせて正座する。大きな羽織は私をすっぽり覆い隠してくれた。

「それでいい」

 終始楽しそうにしている妖狐に納得がいかない私は何も間違ってはいないはずだ。

藤代ふじしろ

 妖狐はおもむろに襖の向こうへと声をかける。誰かの名だろうか、不思議に思っているとすぐに返答があった。

「ここに」

「入れ」

 外からする声は男のものだ。「は?」と小さく戸惑うような雰囲気を感じたが、それきり返答はなく、入室を許可しているというのに動く気配はない。

「その、朧様。新婚間もない男女の寝室に、わたくしのような者を入れては奥方様が気にされるのでは」

 外からは非常に言いにくそうな気配が漂っている。

「残念なことにまだ奥方様ではない。入れと言っている、遠慮することはない」

 歯切れの悪い物言いを零しつつも「それでは……」と、ようやく入室する気になったようだ。とても長い時間を費やしたように思える。

「失礼いたします」

 青年の髪は薄い紫色。物腰柔らかく、丁寧に頭を下げ入室する姿から目が離せない。
 美しいあやかし、なのだろう。新しいもの目にするたび、語彙の少ない自分が嫌になる。上手く伝える術を持たないことがもどかしい。
 見惚れているような相手と場合でもないけれど、危害を加えられることはないのだろう。妖狐の言葉を完全に信じるわけではないが、信じるしかないというのが現状だ。

 藤代と呼ばれた男は室内の状況、私と妖狐の姿を目に留める。
 得体が知れないという言葉は妖狐にぴったりだがこの藤代という男も負けていなかった。片目を覆うほどに伸ばした髪のせいで左目しか窺えないのだ。その左目は赤く、私の姿を前に驚き見開いたかと思えば瞬く間に平静を取り戻す。何を考えているのか、妖狐以上に読めない相手だ。

「朧様、奥方様、おはようございます。やはり、わたくしは邪魔ではありませんか? 朝からお楽しみのようですし……」

「問題ない。残念だが、お前が思うようなことは何もなかった」

「そう言われると、先ほど『まだ奥方様ではない』と申されたように聞こえましたが」

「賭けをしている。俺が勝てば晴れて妻に娶ることが出来ると約束を取り付けた。つまり婚約期間とでも言うべきか、今はまだ未来の妻としか言えん」

 違うと一言叫んでやりたいのだが、おそらく私が口を挟んでも無駄な空気が流れている。

「なるほど、かしこまりました。しかし朧様も悪い方ですね。あなたが勝負で負けたことなどありませんのに」

「さてね。椿はたいそう気が強い。俺も油断してはいられないさ」

「椿?」

「彼女の名だ。俺が与えた」

「左様で……。ではそのように扱わせていただきます」

 居住まいを正した藤代は慎重に頷いた。

「そうしてくれ。任せたぞ」

「かしこまりました」

 繰り広げられるやり取りを他人事のように見つめていると藤代が私の方に顔を向ける。

「奥方様、いえ椿様とお呼びいたしましょうか。『未来の奥方様』では少々長いですからね」

 そんな未来は永劫訪れないと決意したばかりであり、そう言いたかったのだが、口にする前に藤代の自己紹介が始まってしまう。

「申し遅れました。わたくし朧様に仕えております、藤代と申します」

 私は藤代の動きに細心の注意を払う。あやかし狐による不逞な振る舞いの数々もあって、油断大敵との警報が鳴り響いていた。

「あやかしなの?」

 どう見ても同じ人間なのに、わかっていても問いかけずにはいられない。

「はい。もちろんです」

「君の護衛兼、教育係だ」

 妖狐に補足された私は目を見開く。

「あやかしから学べというの!?」

 しかも護衛? 守られる? 私が、あやかしに!?

「俺の妻になるにあたって必要なことだ」

 これは三つの条件に含まれていなかった。どうしても嫌だと渋れば回避できる可能性もあるだろう。けれど私は考え、そして効果的な反論を思いつく。

「……なら、私からも一つ条件がある。稽古を付けてほしい」

 私の言い分に、藤代は目に見えて戸惑っている。それもそうだろう、仮にも奥方候補が稽古をつけろと主張しているのだから。

「さすがに奥方様にそれは……いえ末来のですが……そのような真似は」

「いいだろう」

「はあ、ですよね。そのように――っていいんですか!?」

 藤代は耳を疑い主に詰め寄る。

「構わない、好きにさせてやれ。この屋敷で君は自由だ。したいようにするといい」

「自由?」

 あやかしから与えられた自由なんて欲しくない。自由も然り、私が欲しかったものは自らの手で掴み取るしかない。だから私は、そのためにも強くなってお前を狩る。

「藤代、彼女を椿の間へ案内してやれ」

「かしこまりました。ご案内いたします」

 こちらですと部屋を出るよう促された。了承して足を進めるが、一つ思い出して呼びかける。

「妖狐」

「どうした。心細いのか?」

 どうしても聞いておきたいことがあっただけなのに曲解されていた。

「違う! 私の刀はどこ!?」

「刀? ああ、君が手にしていた刀はあの場に置いてきてしまった。大切な物か?」

「大切? 多分、それは違う。ただ、ずっと一緒だったから……」

 迷うことなく違うと答え、わかったと頷く。大切に扱っていたわけでもない、あれがないと死ぬわけでもない。私を形成する上でも生きる上でも、さほど重要な要素ではない。ただ、長年染み付いた癖は簡単には消えず、腰に重みがないと落ち着かないだけで。それと……切実に武器を入手したかっただけ。

「それでは椿様、私室にご案内いたしましょう」

 この男も私を椿と呼ぶのか……。これから先もここにいる限り私は『椿』なのだろう。
 あやかしから与えられた名とは滑稽だ。けれど『あれ』や『これ』に比べればましな呼び名であって、響き自体は嫌いじゃない。むしろ凛とした響きを好ましく思う。
 屋敷に暮らし、名前を呼び合う。まるで人間のようだと笑ってしまった。
 彼らはあやかしなのに……あやかしから人間のように扱われるなんてあってはならないことだ。
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