公爵夫人は命がけ!

保谷なのめ

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【第1章】婚約・結婚式編

29話 ダンスの練習

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 前世では馴染みのなかった社交界でのダンスは、とにもかくにも距離が近い。
 近付いて離れて、引き寄せられて回って、手の基本位置は相手の肩や腰だし、リディアがただのリディアであったときは何も思わなかったのに、前世を思い出してからだとなんだかやけに恥ずかしい。

「テンポが遅れていますよ!」

 ダンスの先生であるフローラの指導は厳しく、二度のやり直しをくらい、現在キースとリディアの練習は本日三曲目。ゆったりに見えて意外と体力を使うし、高いヒールで足は痛いし。結構大変なんだよなあ、これ。

「疲れてきたか?」
「いえ……まあ、少し……」
「意外と疲れるんだな、これ」

 キースは社交の場に出たことがないから、そもそもこうして誰かと踊ること自体が久しぶりだと言った。

「本当に一度もそういう場に出ていないんですか?」
「ああ。ずっと領地の経営で忙しかったからな」

 不安定な父親を支えるため、子どもらしいことも出来ずに領地の経営から何から、すべてをこなさなければいけなかったキース。幼いその肩に乗った重圧は計り知れない。

「……すごく、頑張ってきたんですね」

 そんな苦しみを背負わせてしまってごめんなさい。リディアは口には出さず、心の中でこっそりと謝罪をした。きっと大変なことだってたくさんあっただろう。それでもこうして、素敵な人たちの住む家と、領地を守ってきた、そんなキースを尊敬する。リディアの言葉にキースは少し目を見開いたが、すぐ元の表情に戻り

「……当然のことをしただけだ」

 と言った。曲が転調する。前世でも聞いたことがあるスタンダードなクラシックの曲だ。じゃあ今は一体何世紀なのかとか、そういうことは考えないようにしよう。

「もう少し顎を引いて、視線は上げすぎない!」

 フローラの指示に従って姿勢を整える。リディアは前世でそんなに音楽が好きだったわけではないので、今流れているのだって誰もが聴いたことのある有名曲だ。だとしたら、他の曲も前世で聴いたことのあるものなのだろうか。それとも、この世界のオリジナルなのだろうか。リディアが知らないキャラクターがいるということは、この世界だって作者とは独立して回っているところがたくさんあるはずだ。だとしたらオリジナルの曲だってたくさんあってもおかしくない。そんな余計なことを考えて、疲れた体を誤魔化した。

「そういえば、本番で使う曲って何にするんでしたっけ」
「あれ、君が決めたんじゃないのか」
「うそ、決めてないんですか?」

 くるくる回されながらそんな会話をしていたらフローラに「私語は謹んで!」と叱られ、キースはグッと口を閉じて表情を強張らせた。きっと幼い頃から指導されてきている癖なのだろう。そんなキースがおかしくて、リディアは思わず小さく笑いを漏らした。

「……なんで笑うんだ」
「ふふ……いえ、その……だって、ローゼンブルク家の公爵様が……怒られてそんな顔……」

 最近気が付いたけれど、キースは表情に乏しいように見えて、ちゃんと見ているとそうでもない。他人よりは薄いがちゃんと笑うし、困るし、こうやって緊張することだってあるのだ。今もリディアに笑われて、キースはちょっと不貞腐れるように眉をひそめている。

「……悪かったな」
「あー、そのままで良かったのに」
「……どういうことだ」
「珍しいから、もうちょっと見てたかったんです」

 揶揄っていると思ったのだろうキースはリディアの視線から逃げるように顔を逸らし、そしてまたフローラに「顔の向きが違いますよ!」と怒られていた。反射的に顔を戻したキースと視線が合って、リディアはまた笑う。

「ふふ……あはは……ごめんなさい、笑うつもりは……」
「……もういい」

 クスクスと笑いを抑えられないリディアと、照れくさそうなキース。遅れていたリズムは元に戻って、テンポよく体が動く。リディアは正直もうかなり疲れていたが、それでも叩き込まれた動作が崩れることはない。足がもつれてキースを踏んだり、バランスを崩して支えられたり。そういう展開はないというのが本来の主人公アリシアとの違いだ。

「はー……ごめんなさい、もう落ち着いたので、大丈夫です」
「……いつもそんな風に、笑ってくれていいのに」
「えっ」

 思い返せば確かに、この家に来てから、特にキースの前でのリディアはずっと気を張っていて、酒を飲んで大失態を繰り広げたあの日を除けば、こうして思いきり笑ったことなんてほとんどない。

——どういう意味よ、それ。

 今度はリディアが俯く番だった。キースの言葉の意図がまるでわからない。彼が初めて心を開いて好きになる人はアリシアで、リディアはそのために死ぬ運命にあるっていうのに。リディアは困惑するが、今はダンスのレッスン中。フローラが今度はリディアに「顔を上げて!」と注意してきた。ピシッと背筋が伸びるような声には逆らえず、跳ね上げるように視線を上げる。まっすぐリディアを見ていたキースと目が合って、彼はふ、と笑った。少なくともリディアにはそう見えた。

「……逆らえないだろ?」

 キースの視線の先が示すのはフローラ。悪戯っぽい、子供のような顔でそう問いかけるキースの顔は、リディアはもちろん、彼女の前世でありこの小説の作者である里奈にも想像し得ないものだった。

「……ええ、本当に……」

 ワルツは終盤に差し掛かる。ワン、ツー、スリー。染み込んだステップ。どれだけ頭の中がめちゃくちゃだって忘れることはない。

「はい! 最後まで気を抜かない!」

 繋がれている手が熱い。フロアに靴音が響く。キースの視線はずっとリディアを捉えていた。逃げたくて堪らないのに逸らすことができない。

「——君と踊るのは楽しいな、やっぱり」
「……それは、よかったです……」

 ポーズを決めて、音楽が終わる。
 ドキドキと心臓がうるさいのは、きっと三回も踊ったせいだ。リディアはそうやって必死に自分を落ち着けながら、ダンスの後のお辞儀をした。
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