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第2章

憎たらしい相手 3

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「……本当、祈は祈だね」

 亜玲が小さくそう呟いた。かと思えば、テーブルに頬杖を突く。その目が、柔和に細められる。

「きっと、祈は誰にでも優しいんだ」
「……は?」

 淡々とした亜玲の言葉に、自然と怪訝な声を上げてしまった。亜玲は、ゆるゆると首を横に振った。

「俺に優しいだけじゃない。……ほかの人間の心も、いとも簡単に解かしていく。それが、俺は憎たらしかった」

 亜玲のきれいな指先が、俺の頬に触れた。まるで、本当に愛おしいものを見るかのような視線が、俺に注がれる。

 喉が鳴る。昨日の行為の際の亜玲もかっこよかったけれど、今のこの姿も……。

(って、なに考えてるんだ……! あれは、嫌々だった)

 ぶんぶんと首を横に振って、頭の中に浮かんだ感情を消す。そんな俺を見てか、亜玲がにたりと笑う。

「みんな、祈を好きになるんだ。……こんなに優しくて可愛い子、逃がしたくないって、思う」
「……買いかぶりすぎだ」

 俺がみんなに好かれることなんてない。だったら、亜玲のほうが――。

「俺はね、周囲が理想とする人間を演じなきゃ、ならないんだ」
「……どう、いうことだ」

 目を見開いてしまう。亜玲は、一体なにを言っているのだろうか。

「俺は完璧じゃないとダメなんだ。そうじゃないと、存在価値がない。俺は理想のアルファでいなきゃならない。そう、思ってきた」

 亜玲の手が、今度は俺の目元を撫でる。まるで、壊れ物に触れるかのようなほどに、優しい触れ方。心臓が高鳴る。

「作り上げた『上月 亜玲』を演じるのは、初めは楽しかったよ。……けれど、どんどん苦しくなった」
「……そ、っか」
「みんなが好きなのは『俺』じゃない。『上月 亜玲』という何処かにいる俺じゃない同姓同名の人物なんだって、思ってた」

 ……亜玲の苦しみに、俺はちっとも気が付けなかった。

 いや、違うのか。亜玲は、俺にそれを隠していたんだろう。幼馴染に、知られたくなかったのかもしれない。

「俺、嫌われるのが怖いんだ」

 何処かあきらめたように、亜玲がそう呟く。その言葉は、何故か俺の胸にすとんと落ちた。

「……じゃあ、なんで」

 けれど、それと同時に疑問も出てくる。だって、亜玲は俺に嫌われるようなことばかりしていた。嫌われるのが怖いのならば、あんな行動はとらないだろう。……普通は。

「……俺は、祈の全部が欲しかった。身体も、心も。なによりも、特別になりたかった」

 口が動かなかった。全部が欲しいなんて言われても、今までだったら信じなかった。質の悪い冗談だと蹴り飛ばしていた。

 だけど、今はそんな空気じゃない。冗談じゃ、ない。俺は肌でそれを感じ取る。

「お人好しの祈は、すぐに人に好意を向ける。でも、嫌悪だけは向けない」
「……あぁ」
「仲良くしていても、それは祈の中の不特定多数の友人に分類されるだけだ。……だから」
「だから、俺に嫌われて特別になろうとした、のか」

 亜玲の言葉を引き継いで、そう問いかける。亜玲は、静かに頷いた。

 ……もしも、もしもの話だ。亜玲の言っていることが全て真実なのだとすれば――亜玲は、嫌われるのが怖い癖に、俺に嫌われようとしていた。ちぐはぐな考え。でも、行動原理のすべては俺で……。

「正直、初めは祈に嫌悪感を向けられることに、くじけそうにもなったよ。好かれたいのに、嫌われたい。特別になりたいのに、特別になろうとすれば祈を傷つける」
「……うん」
「けれどね、いつしかこれでいいって、思った。俺は祈が欲しい。恋人になって、いずれは結婚して家庭を持ちたい。かといって、俺と一緒にいるのが祈の幸せになるとは限らない」
「……そっか」
「なのに、人間って強欲だよね。欲望のままに罠をかけて、そこにかかった獲物に優しくなんて出来ないんだ」

 亜玲の言葉は、きっと的を得ているのだ。そして、亜玲の中の獲物が、俺。……抗議に行って、まんまと罠にかかった憐れな小動物。

「頭の中では、ずっと幸せだった。祈に好かれて、両想いになって、俺のことを愛してくれる。現実じゃあり得ない妄想を、してた」
「……いつから、だ」

 俯いて、言葉を返す。亜玲がぱちぱちと目を瞬かせる。だから、俺は口を開いた。
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