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本編

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 それから一時間後。朱夏は居酒屋の前で巽がやってくるのを待っていた。母には友達と飲んで帰ると言っているため、遅くなっても特に心配していないだろう。それに、度々飲み潰れて梨央や桃花の家に泊まっているときもあるので、帰ってこなくてもそこまで心配しないはずだ。女の子なんだから注意しなさいという小言が飛んでくるくらいだろうか。

 そんなことを考えていると、朱夏の肩を後ろから誰かにたたかれる。それに顔を上げれば、そこには巽がいた。居酒屋の制服とは違い、普段着を身に纏う彼も大層魅力的だ。夏ということもあり薄手の服というのも朱夏からすればポイントが高い。体格がしっかりと見えるから。

「……お待たせ、しました」

 巽は緊張しているのか敬語になりながら朱夏に声をかけてくる。そのため、朱夏はにっこりと笑って「長い時間じゃなかったから、気にしないで」と答える。実際は今か今かと時計を見続けた結果、一時間が五時間くらいに感じられていたのは言わない。

「ちょっと、歩きながら話さない?」

 そう問いかければ、彼は「は、はい」と返事をくれた。だからこそ、朱夏は足を進める。

 ちなみに、巽が来たところで梨央と桃花は「ばいば~い」と手を振って帰っていった。完璧に空気を読んでいる。それがありがたいような、ありがたくないような。微妙な気持ちになりながらも、朱夏は隣を歩く巽の横顔を見上げる。

(あぁ、素敵だわ。……私、やっぱりこういう人が好きなのよぉぉ……!)

 髪の毛を染めたチャラい男よりも。話術が素晴らしく明るい陽キャよりも。たくましく何処となく不器用なスポーツマン。そちらの方が、朱夏は好きだった。

 ほろ酔い気分の所為なのか、あまり頭が冷静になってくれない。ぼんやりとする思考回路の中、朱夏はついつい巽の腕に手を伸ばした。そのまま腕を絡め、胸を押し付ける。……あんまりこういうことは褒められたことではないだろうが、この際背に腹は代えられない。理想の王子様がいるのだ。お持ち帰りされてでも、付き合いたい。あわよくばそのまま結婚したい。

「……つ、じさん?」

 朱夏の行動に戸惑っているのか、巽が腕を振り払おうとする。けれど、その力は弱かった。きっと、朱夏がけがをしないように手加減してくれている。それがわかるからこそ、朱夏の中の恋心がむくむくと膨れ上がる。

(このまま、お持ち帰りしてくれないかなぁ……?)

 そのたくましい腕を堪能するかのように触れ続け、朱夏は上目遣いで巽のことを見つめる。すると、彼が露骨に息を呑んだのがわかった。

 巽のことはずっと目で追ってきた。だから、彼が女性慣れしていないことはわかっている。水泳一筋で生きてきたことも、知っている。だから、迫られたら無下には出来ないはずだ。ついでに言えば、遊びで終わる可能性も明らかに低い。

「……辻、さん。あんまり、こういうのは……ダメ、かと」

 もしかしたら、巽は朱夏が誰にでもこういうことをする女性だと思っているのかもしれない。そのため、こんな言葉が出たのかも。そう思うものの、朱夏はへこたれない。その手と自らの手をつなぎ、指を絡める。その瞬間、巽の肩が跳ねたのがよく分かった。

「……好き」

 アルコールが回ってしまって、思考回路は冷静さを失い始めていた。朱夏が思わずそう口にすれば、巽が「……誰、を、ですか?」と問いかけてくる。

「秋風君のこと、私、好きなの……!」

 どうして、信じてもらえないのだろうか。そう思って泣きそうになるのをぐっとこらえ、朱夏は巽の顔を見上げる。ほんのりと赤く染まった頬ととろんとした目は、男性には酷でしかない。

「……い、いや、なんで。俺たち、話したこと、一回だけ……ですよね?」

 どうやら、巽もあの一回のことを覚えてくれているらしい。それがどうしようもなく嬉しくて、朱夏は「……結婚して?」と突拍子もなく告げる。

 冷静な朱夏がいれば、重い、重い! と突っ込んだだろう。しかし、今ここに冷静な朱夏はいない。

「ちょ、冷静に、なった、方が……」
「私は冷静ですからぁ!」

 冷静さの欠片もない状態なのにこんなことを言っても、説得力なんてない。だけど、朱夏は自分が冷静だと信じていた。

「好きなの、好きなの……! 付き合ってくれるまで離れないからぁ!」

 もう完全に迷惑な女だ。涙を零しながらそう言えば、巽は困ったように笑う。その後「……家、何処ですか? 送っていきます」と言ってくる。

「何だったら、秋風君の家に連れて行って!」
「……えぇ」

 朱夏の言葉に対し、巽は完全に戸惑っていた。そりゃそうだ。いきなりほぼ初対面の同期生に「家に連れて行って!」と言われているのだ。誰だって戸惑う。

「冷静になって、一旦考えてください」
「じゃあ、一つだけお願いがあるの!」
「結婚とか付き合うとか以外なら……」

 完全に思考回路を読まれている。そんなことを朱夏は思うが、これは一種のチャンスだ。そう考え、朱夏は口を開く。

「じゃあ、身体ちょっと触らせて!」
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