1 / 3
プロローグ 雨夜に香る梔子
しおりを挟む
大正初期。
帝都郊外の町、神在坂。
昼から降り始めた雨は、夜の闇が深まってもやむ気配がなく、境内の木々を重たく濡らしている。
今夜の灯守神社は、雨音以外の一切の物音が絶え、ひっそりと静まり返っていた。
奥の古い屋敷で、ただ一人留守を預かる晴臣は、すでに灯りを落として布団に入っていた。
しとしとと屋根を打つ雨音だけが、暗い座敷に満ちている。
――ふいに。
すっ……と、枕元の障子が、音もなく開いた。
(……え?)
起き上がろうとして、身体が指一本動かぬことに気づく。
金縛りだ。
喉も凍りつき、声が出ない。
同時に、むせ返るような甘く重たい梔子の香りが、部屋の中に立ち込めた。
――ずしり。
晴臣の腹の上に、生気のない重みがのしかかってきた。
(え、嘘、乗ってき――!?)
金縛りで強張る晴臣を見下ろしていたのは、乱れた黒髪の隙間から覗く、恐ろしくも美しい女の顔だった。虚ろな瞳が、真下の獲物を真っ直ぐに捉えている。
(いやあぁぁぁぁ――!)
女の凍えた指先が、晴臣の寝巻きの衿元に掛けられた。抵抗できないのをいいことに、帯が乱暴に解かれ、着物の合わせが左右に大きくはだけさせられる。
(ひっ……! 殺される)
声にならない悲鳴が漏れた。露わになった熱い胸元に、女の掌がぴたりと吸い付く。胸板から腹へと、這いずるように撫で下ろされていく感触は、生々しく、悍ましかった。
『あ、な、た……やっと、ひとつに……』
女の顔が近づき、梔子の香りが鼻腔を犯す。
そして、その冷たい手は、ついに晴臣の秘部を守る最後の一枚――白い下帯へと伸びた。躊躇いなくそこに指が掛けられ、ぐい、と容赦なく引き下げられる。
耳につく衣擦れの音と、下腹部に触れるありえない冷気に、晴臣の思考は恐怖で真っ白に染まった。
(嘘だろ、喰われるって、そっちの意味!? 嫌だ、助けてくれ……ッ!!)
晴臣が涙目で絶望的な心の悲鳴を上げた、まさにその瞬間だった。
「――無粋な真似をするが」
冷ややかな声と共に、青白い閃光が闇を切り裂いた。
バヂィッ――!
放たれた呪符が一瞬にして発火し、晴臣の上に乗りかかっていた女の身体が、悲鳴を上げる間もなく塵となって吹き飛んだ。
「かはっ、はぁ、はぁ……っ!」
束縛から解放され、晴臣は激しく咳き込みながら身を起こす。
見上げると、開け放たれた障子の向こうに、一人の男が立っていた。
銀色の長い髪に、紅色の瞳。闇夜に浮かび上がるその容貌は、人ならざる怪異すら恐れをなすほどに冷徹で、圧倒的に美しい。
若き陰陽師、綺良である。
彼は忌々しげに扇子で室内の淀んだ空気を払うと、はだけた着物とずり落ちた下帯のまま、涙目でへたり込んでいる晴臣を冷めた目で見下ろした。
「……お前、一体何をされているんだ」
「き、綺良さん……っ! もう少し遅かったら、俺、俺……!」
「馬鹿か。隙だらけだからそんな下等な淫霊に魅入られる。……さっさと着物を直せ、見苦しい」
冷たく吐き捨てながらも、綺良の赤い瞳には呆れと、弟分への僅かな甘さが滲んでいる。
「だって金縛りが……て、なんで、入って来られたんだ……?」
「結界が解けていたぞ。艶なことだ……怪異に魅入られるのも才能のうちかもしれんが、あまり俺の手を焼かせるなよ」
「う……善処します」
「ああ。だが、晴――」
綺良は不意に晴臣との距離を詰め、無防備なその首元に指を這わせる。
白い滑らかな綺良の指先が、晴臣の喉仏を愛でるようになぞった。
「っ、綺良さん!?」
「お前のここ、まだ残り香がついているぞ」
「えっ」
晴臣が慌てて自分の着物に鼻を寄せると、甘ったるい梔子の香りが、女の痕跡のように染みついていた。
顔を引きつらせる晴臣をよそに、綺良はふっと艶やかに微笑み、その首筋からゆっくりと指を離した。
雨の夜は、まだ長い。
この町の深い闇の底では、まだ見ぬ怪異たちが息を潜め、這い出す刻を静かに待ちわびていた。
帝都郊外の町、神在坂。
昼から降り始めた雨は、夜の闇が深まってもやむ気配がなく、境内の木々を重たく濡らしている。
今夜の灯守神社は、雨音以外の一切の物音が絶え、ひっそりと静まり返っていた。
奥の古い屋敷で、ただ一人留守を預かる晴臣は、すでに灯りを落として布団に入っていた。
しとしとと屋根を打つ雨音だけが、暗い座敷に満ちている。
――ふいに。
すっ……と、枕元の障子が、音もなく開いた。
(……え?)
起き上がろうとして、身体が指一本動かぬことに気づく。
金縛りだ。
喉も凍りつき、声が出ない。
同時に、むせ返るような甘く重たい梔子の香りが、部屋の中に立ち込めた。
――ずしり。
晴臣の腹の上に、生気のない重みがのしかかってきた。
(え、嘘、乗ってき――!?)
金縛りで強張る晴臣を見下ろしていたのは、乱れた黒髪の隙間から覗く、恐ろしくも美しい女の顔だった。虚ろな瞳が、真下の獲物を真っ直ぐに捉えている。
(いやあぁぁぁぁ――!)
女の凍えた指先が、晴臣の寝巻きの衿元に掛けられた。抵抗できないのをいいことに、帯が乱暴に解かれ、着物の合わせが左右に大きくはだけさせられる。
(ひっ……! 殺される)
声にならない悲鳴が漏れた。露わになった熱い胸元に、女の掌がぴたりと吸い付く。胸板から腹へと、這いずるように撫で下ろされていく感触は、生々しく、悍ましかった。
『あ、な、た……やっと、ひとつに……』
女の顔が近づき、梔子の香りが鼻腔を犯す。
そして、その冷たい手は、ついに晴臣の秘部を守る最後の一枚――白い下帯へと伸びた。躊躇いなくそこに指が掛けられ、ぐい、と容赦なく引き下げられる。
耳につく衣擦れの音と、下腹部に触れるありえない冷気に、晴臣の思考は恐怖で真っ白に染まった。
(嘘だろ、喰われるって、そっちの意味!? 嫌だ、助けてくれ……ッ!!)
晴臣が涙目で絶望的な心の悲鳴を上げた、まさにその瞬間だった。
「――無粋な真似をするが」
冷ややかな声と共に、青白い閃光が闇を切り裂いた。
バヂィッ――!
放たれた呪符が一瞬にして発火し、晴臣の上に乗りかかっていた女の身体が、悲鳴を上げる間もなく塵となって吹き飛んだ。
「かはっ、はぁ、はぁ……っ!」
束縛から解放され、晴臣は激しく咳き込みながら身を起こす。
見上げると、開け放たれた障子の向こうに、一人の男が立っていた。
銀色の長い髪に、紅色の瞳。闇夜に浮かび上がるその容貌は、人ならざる怪異すら恐れをなすほどに冷徹で、圧倒的に美しい。
若き陰陽師、綺良である。
彼は忌々しげに扇子で室内の淀んだ空気を払うと、はだけた着物とずり落ちた下帯のまま、涙目でへたり込んでいる晴臣を冷めた目で見下ろした。
「……お前、一体何をされているんだ」
「き、綺良さん……っ! もう少し遅かったら、俺、俺……!」
「馬鹿か。隙だらけだからそんな下等な淫霊に魅入られる。……さっさと着物を直せ、見苦しい」
冷たく吐き捨てながらも、綺良の赤い瞳には呆れと、弟分への僅かな甘さが滲んでいる。
「だって金縛りが……て、なんで、入って来られたんだ……?」
「結界が解けていたぞ。艶なことだ……怪異に魅入られるのも才能のうちかもしれんが、あまり俺の手を焼かせるなよ」
「う……善処します」
「ああ。だが、晴――」
綺良は不意に晴臣との距離を詰め、無防備なその首元に指を這わせる。
白い滑らかな綺良の指先が、晴臣の喉仏を愛でるようになぞった。
「っ、綺良さん!?」
「お前のここ、まだ残り香がついているぞ」
「えっ」
晴臣が慌てて自分の着物に鼻を寄せると、甘ったるい梔子の香りが、女の痕跡のように染みついていた。
顔を引きつらせる晴臣をよそに、綺良はふっと艶やかに微笑み、その首筋からゆっくりと指を離した。
雨の夜は、まだ長い。
この町の深い闇の底では、まだ見ぬ怪異たちが息を潜め、這い出す刻を静かに待ちわびていた。
2
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
清掃員と僕の密やかな情状
MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。
青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。
肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。
44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる