一匹狼と、たったひとりのラナ

揺木しっぽ

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8話 月のものと、過保護な狼

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※生理について、及び経血を見られる描写があります。


その日の夜遅く。ラナは仕事を終えて帰って来てから、ロッキングチェアに座るリゲルに膝の上に乗せられていた。リゲルはすんすんと嬉しそうにラナの匂いを嗅ぐが、朝と匂いが違うことに気付く。

「ラナちゃんお風呂に入ったの?」
「うん」

ラナは昼間にミュカから指摘されたことを確かめるべく、口を開く。

「リゲル、私になにか匂い付けた?」
「んー? どうして?」
「今日、職場でミュカに言われた……。たぶん、リゲルの匂いがいっぱい付いてたみたいで……」
「あー、ラナちゃん、鼻そんなによくない?」

ラナが自分や周囲の匂いに鈍感なため、リゲルの予想が確信に変わる。
リゲルは深い意味はなく言葉通り確認のために聞いただけだったが、ラナには少し嫌味に聞こえた。
ただそこにあるのは種族が違うのだから当たり前の差でしかないが、立て続けにこうも二人に言われると、自分だけ皆がいる世界と違う世界に住んでいると言われているようで、心がささくれ立ってしまう。

「そうだよ……。私は皆みたいに鼻も良くないしフェロモンも感じ取れないし、耳だって小さくて皆からしたら全然聞こえてないのかもしれないし、足だって速くないし力もないし、空も飛べない……何にも出来ない……」

つい、泣きそうな声になってしまった。

「ごめん、そんなつもりで言ったんじゃないんだ」

リゲルがそんなラナを腕の中にしまうように抱き締める。

「ラナちゃんが大切だからオレの匂い付けたくて……。オレの匂いが付いてたら他の男が寄ってこないだろうと思ってさ……」
「うう……」

リゲルにそう言われたら、ラナはもう怒ることも出来ない。

「お風呂がある家に住みたい……。それか銭湯に通える距離に住もうよ……」
「そうだな。考えないとな。――ラナちゃん、どっか怪我してる? 血の匂いがする」

リゲルがしきりにラナの匂いを嗅ぐ。ラナには怪我の心当たりはなかったが――

「もうすぐ月のものが来るのかも」

そういえば今月ももうそんな時期だ。
まだ始まっていないが、リゲルは鼻が利くからわかってしまうのかもしれない。

「月のもの? やっぱりラナちゃん発情期なの?」
「人間に発情期はないのよ。毎月排卵して、妊娠しなかったら厚くなってた子宮の中の膜が血として剥がれて排出されるって本に書いてあった」
「じゃあ昨日の交尾では妊娠しなかったってこと?」
「そうなるね。……もう子供が欲しいの……?」
「そりゃ、まぁ……」

余りにも気が早いリゲルの発言に価値観の違いを感じる。
ラナは今度そのことについてもきちんと話すべきだと思いつつ、今は他に優先することがあった。

「そろそろ月のものが来そうなら私は終わるまで自分の家に帰るね」
「なんで!?」
「だって……血の匂いしてたら嫌でしょ? それに自宅の方が処理が楽だし……」
「じゃあオレがラナちゃんの家に行く。それならいいだろ?」
「リゲルがいいならいいけど……。ベッド小さくて狭いよ?」

リゲルはそれでも構わないと頷いた。
翌日――ラナは仕事の後自宅に戻り、この家を知らないリゲルのために酒場の営業が終わる頃に彼を迎えに行った。
酒場に着くと丁度リゲルが裏口から表通りに出てきたところだった。

「お仕事お疲れ様」
「ありがと。ランプ持つよ。……ラナちゃん、昨日より血の匂いが濃い」

リゲルはラナに顔を近付け、すんすんと嗅いだ。

「うん、職場に居る時来ちゃって。でもリゲルが教えてくれたお陰で準備できたし、助かっちゃった……ってうわ、どうしたの?」

急にリゲルに抱き上げられて驚く。ラナは落ちないように反射的にその首元に抱き着いた。

「怪我してるのに歩かせられねぇだろ」
「怪我じゃないってば~」

過保護なリゲルに苦笑する。下ろしてくれる気配がないため、ラナは素直にそのまま逞しい腕と胸板に身体を預けた。
暗い夜道は殆ど人影はなく、ラナの道案内で程なく彼女の住む集合住宅に着いた。

「ラナちゃんの家寒くない? 暖房器具ないの?」
「ないよ」

初めて訪れたラナの家は小さな部屋にベッドとテーブルと椅子、簡素なキッチンにがあり、湯浴みの設備とトイレは共同の質素な部屋だった。薪ストーブを買って置くことが出来れば冬でも温かいのだろうが、ラナにそんな金銭的余裕はない。

「明日は休みにしてもらったんだ」
「へぇ、どうして」

あれだけ仕事に行くことに拘っていたラナが珍しい。

「月のものって二日目が痛くて動けないことが多いから」
「痛いってどこが!?」
「お腹と腰かな」

そう言いながらラナは共同のトイレへ行った。ショーツの中に血を受け止めるための布を仕込み、部屋に戻る。

「このベッド、寒くない?」
「寒いよ」

珍しく狼姿のリゲルがラナのベッドに腰掛けていた。直接は言わないが、その貧相さに驚いているようだ。
彼が先に毛布を被り、ラナに自らの隣に入るように促す。ラナが隣に潜り込むと、毛がもふもふで温かい。
普段は行火を用意するが、リゲルがいるからその必要はなさそうで、そのために狼の姿になってくれたのだろう。リゲルの優しさにラナは顔がほころんだ。今日はこの家でも、寒さに震えずに熟睡出来そうだ。



翌朝。ラナはいつも通りの時間に目が覚めるが、休みを取っているからまだ眠れると思うと、月のものの二日目だが少し幸福な気持ちになる。目の前には温かいもふもふもいることだし。
豊かな胸の毛に顔を埋めると独特な獣臭さがあったが、特に不快とは感じない。むしろ落ち着く匂いで、また心地よく眠りに落ちていけそうだった。
微睡んでしまい、二度目に起きたときにはベッドにはもふもふはなかった。その代わり、何かをじゅうじゅうと焼く音と、香ばしいいい香りが台所から漂っていた。
気怠い身体を起こすと、人の姿になっているリゲルが台所に立って料理をしていた。

「あ、おはよラナちゃん。食材借りてるぜ」

寝ぼけ眼のラナが寒さに身を震わせてテーブルにのそのそと座ると、目の前に温められたパンと目玉焼き、簡単なサラダに紅茶が供された。この家になかった食材もあり、リゲルが朝から市場に買いに行ってくれたのだろう。どれもいい香りで美味しそうだ。

「リゲル料理出来たんだ」
「これでも店で結構作ってるからな」

てっきり料理なんてしないタイプだと思っていた。
ラナは紅茶を一口飲み、胃を温めると千切ったパンに目玉焼きを乗せて口に運んだ。

「うん、美味しいよ」
「威張れるようなメニューじゃないけどな」
「パンを温めてくれてるのがとても気遣いを感じる」
「そりゃ良かった」

リゲルはニッコリと笑って自らもパンに齧り付いた。
ラナは食べ終わった食器を台所で洗うために運ぼうとすると、股間に不快感を感じて立ち止まる。

「どうした? ラナちゃん」

不自然に立ち止まったラナにリゲルが声を掛けた。

「いや……ドロッと血が出ただけ……」

毎回この感触には嫌になる。リゲルがラナに近寄ると、「血の匂いが濃い!」と慌てた声を上げた。
二日目なのだからラナにとっては当たり前で、リゲルがそんなに驚いて動揺することの方が驚く。

「そりゃ血が出るのが月経だから……。ちょっとトイレで布替えて来るね」
「どれだけ出たの? 見ていい?」
「なっ……!? 見るもんじゃないよ!」
「確認しないと。ラナちゃんの辛さがわからないだろ」
「見せたくない~!」

こんなもの他人、ましてや異性が見るものではないとトイレの前で拒否したが、リゲルは引き下がらない。「見せて」「見せたくない」と暫く押し問答になったが、ついにラナは根負けしてしまう。
部屋の外のトイレに入り、新しい布と取り換える。本来水の入った蓋つきのバケツに漬けておいて後でまとめて洗うつもりだった、血の付いた布を持ってドアを開けた。その布はほぼ全面が赤く染まっている。

「こんなだよ……。見ても気持ちいい物じゃないでしょ」

リゲルは何も反応しない。自分が見せろと言ったくせに――と思いながらラナは彼の顔を見上げると、大きく目を見開いて耳の毛が逆立っていた。下を見ると尻尾はピンと立ってその毛がぶわりと広がっている。
ラナはやはり肉食の獣人に血なんて見せたらまずかったか、不快に思われたかと後悔が過るが、バケツに布を入れるとリゲルが肩を掴んできた。

「血、出過ぎでしょ! 病気じゃないの!?」

リゲルの口から出たのは心配だった。

「いつもこんなもんだよ……」

リゲルはかなり動揺しているようだった。ラナはそれを宥めつつ、部屋に戻ってベッドに向かう。その移動中もリゲルはラナの背後にぴったりとくっついて離れない。

「お腹痛いからベッドで横になってるね」
「オレになにか出来ることある?」

正直、特になかったが、そう言うとリゲルがしょんぼりしそうでラナはベッドの端に寄った。

「じゃあくっついて温かくして」

リゲルはすぐにベッドに潜り込んできて、ラナを抱き締めた。

「あんなに血が出て大変なんだな……」
「もう慣れてるし」
「いつ血が止まる?」
「五日後くらいかな」
「五日も!?」
「あ、いや血が多いのは三日目くらいまでで、それ以降はごく少ない量だから心配しないで」
「そうか、良かった……」
「ねえリゲル、この後また美味しいお昼ご飯作ってよ」
「何が食べたい?」
「リゲルの得意な物で……」
「じゃあ――……でもいい?」

リゲルが得意の料理の中から温かいものを選んで提案する。
だがラナからの返事はなく、見てみるとスヤスヤと寝息を立てて寝ていた。朝に戸を開けた窓から、まだ南中へ向かう途中の柔らかな陽が差し込む。無防備な寝顔がその淡い光に照らされる姿は、リゲルの心を温かくした。
ずっとこうして抱き締めて、寝顔を見つめていたい――。
リゲルは暫くそうしていたが、彼女の要望の昼食の買い出しのために名残惜しみながらベッドを出た。


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