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魔術の章
お兄ちゃん1
しおりを挟む五日振りに帰宅した主を出迎えた人狼たちの熱狂は、戸惑いと共に急速に冷めていった。昢覧が酷く落ち込んでいる。
「昢覧」
「昢覧兄ちゃん」
「うるさい」
いつもならちゅーの応酬になるところを、昢覧は冷たい一言で黙らせてベッドに直行した。深い溜息を吐き出しながらマットレスに身体を投げ出す。いつも陽気でのほほんとした昢覧がこのように悩み、狼を冷淡にあしらうのは初めてだった。狼たちは心配で不安で、寝室の扉の前をうろうろと歩き回った。
「来い」
おずおずと部屋に入る狼たち。昢覧は自分の横をぽんぽんと叩いて隣に来させた。
「ごめんな。でもちょっと静かにしててくれ」
狼たちは溜息を吐く昢覧にぴたりと寄り添い、顔や手にそっと舌を這わせて慰めた。憂うる最愛の人に、こんなことしかできない自分がもどかしい。瞼を閉じた昢覧は何か思い悩んだまま眠りに落ちた。あまり見る機会のない主の寝顔は険しかった。うなされているのを放っておけなくて鼻先で軽くつつく。
「くーん」
「はっ、はあっ、はあ、くっそ……」
時刻を確認した昢覧はまた横になった。日が傾くにはまだ早い。
「夜になったら出て行く。おまえたちも好きにしろ」
「くぅん」
「うん?」
甘えられたと思って、鼻を鳴らす絢次になでなでちゅーをした。
「ほ、昢覧兄ちゃん……」
「ん」
そういうつもりではなかったが、断る理由もないので知悠もなでなでちゅーをしてもらった。もう喋ってもいいようだ。
「出て行くって……」
「はあー、ちょっとの間だけな」
爾覦島には行く。壱重との約束も守る。それまではどこか遠くへ行くことにした。しばらく明日紀の顔は見たくない。会えば問い詰めずにはいられないだろう。さっきは聞けなかった妹のことを。
留美は美少女だった。身内贔屓ではない。連れ立って歩くと男の目を集めているのがわかった。同級生や、同じ学校というだけで知り合いでもない男から紹介してくれと頼まれることが幾度もあった。芸能界からのスカウトもあった。明日紀が手を出さない理由が何もない。自分と違って真人間の妹が慰み者にされていたのかも知れないと思うと胸が痛む。セックスだけならまだいい方だろう。服で隠れて見えない部分に傷を負わされていたのではないか。人知れず悩んでいたのではないか。あの頃は何も気づかなかった。たぶん気付かせてもらえなかった。
自分と明日紀のことは憶えていないせいか、ショックではあるが怒りのレベルは低い。アナル処女は守られているらしいし、まあ許せそうな気がする。だが妹のことは別だ。あの調子で妹の話をされたら、ちょっと平常心でいられる自信がない。
「どこに行くの? 俺も一緒に行く」
「俺も」
「いいけど明日紀には秘密だぞ。家出みたいなもんだから」
「喧嘩したの?」
「まだ。そうならないように離れるんだ」
狼たちは一瞬たじろいだ。恐ろしい吸血鬼、明日紀。あれと昢覧が対立している。そういう事情なら尚のこと離れられない。いつ何があってもいいように側にいなければ。
数時間後、夜と呼ぶにはまだ明るいが昢覧は出発することにした。そしてエントランスで今一番会いたくない人物と遭遇してしまう。
「出掛けるのか?」
「まあな。てゆーか明日紀、俺はまだ怒ってるんだからな」
「ごめんね?」
上目遣いで謝られてうっかり許してしまいそうになった。かわいいは正義とはよく言ったものだ。明日紀から、ふわりと微かに血の匂いが漂ってきた。
「食事をしてきたのか?」
「そうだよ。今帰り。じゃあまたね」
エレベーターが明日紀を最上階へと運んで行った。今日のような冬場の曇天なら、多少日光を浴びてもダメージを受けることはない。肌を覆い尽くせば自由に歩き回れる。ただし闇のない世界では安全が保障されない。衣類が破れたら大変なことになる。悪意ある相手からの攻撃には気付けても、偶発的事故まで完璧に対応できるかどうかわからない。あの用心深い明日紀が、ただの食事のため昼日中に外に出たというのか。いつもの気紛れでは済まされない、得体の知れない薄気味悪さを昢覧は感じた。
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