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魔術の章
朝の混乱2
しおりを挟む花桐のロビーにはやることがなくて早寝早起きしてしまった学生たちが集まっていた。従業員を相手に息巻いている。昨日から繋がらない通信についての説明を求められても花桐の従業員にとっては与り知らぬ話で、確認に走った同僚が戻るまで汗を搔き搔きとりあえずの謝罪で場を繋ぐのが精いっぱいであった。その間に騒ぎを聞いて寄ってきた他の宿泊客も事情を知り従業員に詰め寄る。そこに一人の少年が息せき切って駆け込んできた。
「助けてくれ、殺される!」
「だ、大丈夫ですか、お客様。いったい何が……」
従業員は新しく追加された問題に頭を抱えたくなった。客たちの反応はまちまちだった。少年を心配する者、不安で顔を見合わせる者、お構いなしに自分の事情を優先させようとする者。遅れてロビーに到着した小川は彼らに吸血鬼の危険を教えたかったが、まだ思い出したわけではない人間に対して話すことができなかった。
「うおおおおおっ!!」
もどかしさが咆哮に変わる。闘争心を剥き出しにして斧を振りかざす様はとても正気の沙汰に見えない。ロビーは一気に混乱に陥れられた。
「きゃあーー!!」
「ひっ……人殺し!!」
「逃げろ!」
「捕まえろ!」
血気溢れる正義漢たちが椅子やら置物やらを手に、明日紀に近付こうとする小川を取り囲む。多勢に無勢。人間に危害を加えるわけにもいかず、小川は敢え無く自由と武器を奪われた。
「放せ! 早く殺さないと……」
「大人しくしろ! あの子が何をしたっていうんだ」
「あ、うう……殺すんだ! 殺せ!!」
「こんな気違いと話すだけ無駄ですよ」
「ああ、まったくだ。てんで話にならない」
「ねえ君、あの男は知り合い? どうしてこんなことになったの?」
「あんな奴知らない。離れに居たら急に襲い掛かってきたんだ」
小川の後から明日紀を追った長谷川もロビーに到着した。彼は吸血鬼が離れから朝日の中に飛び出したのはやけっぱちの行動だと思っていた。向こうも差し違える覚悟なのだろうと。しかし吸血鬼は自然光溢れるロビーでフードを外して平然としている。自分を庇う人たちにさっき体験した恐ろしい出来事を話す姿は普通の少年にしか見えなかった。
長谷川は "知った人間" となってから長い間苦しんだ。性と暴力に満ちたあの経験は全て自分の妄想なのではないか。自分は狂っているのではないか。そういう苦悩を聞いてほしいのに何も話せない。そのせいで家族から疎まれ愛する人も彼のもとを去った。吸血鬼から受けた直接の被害より、その後の生活が辛かった。人々から侮蔑される小川の姿が過去の自分と重なり、長谷川の心の古傷がまた血を流し始めた。
離れでの戦闘が夢のように感じる。どうしてハンター仲間が正気だと思ってしまったのか。目に映る景色が本物だと証明できるか? 吸血鬼なんて妄想だ。薬を飲んで忘れないと。正気に戻らないと。また家族に迷惑をかけてしまう――
長谷川はふらつく足取りでロビーを出ていった。それ以来彼を見た者はいない。島から忽然と姿を消してしまった。後に自宅で発見された手記の内容は、同志が読めばハンターとしての覚悟、事情を知らぬ家族には死を仄めかすものだった。家族は真相を掘り下げようとはせず、おそらくもうこの世にいないであろう彼の幸福を祈ることにした。
小川は有志の男たちによって裏手のガレージに連行された。柱を背に縛り付けられて身動きが取れない。
「人殺しめ!」
「俺は人なんて殺してない」
「嘘を吐け!」
小川を連行してきた男の一人が、置いてあった工具で彼を殴った。ここに来るまでに逃げ出そうとしたせいで既に痛めつけられていた小川に、更に容赦ない暴力が加えられる。頭から流れ出た血と鼻血が口内に流れ込んで混ざり合った。
周りの誰も止めようとしない。これだけ種々雑多な人間が集まって、皆一様に興奮している。拷問のような暴力に嫌悪や恐怖を感じる様子もない。明らかに異常だ。全員吸血鬼に操られている。吸血鬼はここで彼らに自分を殺させるつもりなのかも知れない。意識が朦朧としてきて、小川の思考はそこで途切れてしまった。
地下から出た太田は小川と長谷川を捜しに花桐本館へ向かった。そこには存外平穏な空気が流れていた。早いグループは朝食を終えて館内や周辺を歩き回っている。昨日と同じ朝の風景だった。ある程度の惨状を予想していた太田は肩透かしを食らった。
――あの吸血鬼はここへ辿り着く前に燃え尽きたのかも知れない。だとしたら小川さんと長谷川君はどこに行った?
桜花の間を覗いたが誰も居ない。離れに戻った様子もなかった。向こうも島のどこかでこちらを捜しているのかも知れない。再び外へ出ようと廊下を歩く太田の前を仲居が遮った。
「おはようございます太田様。お部屋に朝御飯をご用意させていただきたいのですが、長谷川様と後藤様もお戻りですか?」
「いえ、まだです。小川は戻ってるんですか?」
「小川様でしたらもう朝食を済まされて出て行かれました」
「え? 一人で先に?」
残党がいると知りながら離れに戻らず、仲間の安否確認もせずに一人で朝食を食べる。小川らしからぬ不自然な行動に驚いた太田は、後ろから忍び寄る人影に全く気がつかなかった。頭からシーツを被せられ、次いで現れた大勢の手に押さえつけられてあっと言う間に身動きが取れなくなる。浴びせられる罵倒から、太田は自分が人殺しの一味だと思われていると知った。
「誤解だ! 落ち着いてくれ、話を聞いてくれ!」
「黙れ! 部屋に武器を隠しているのは知ってるぞ。お前が何を言っても誰も騙されない」
「あ、あれは違う! あれはっ」
太田もまた小川と同じように痛めつけられ、ガレージに連行された。
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