9 / 31
四話・失って気付くこと
(1)
しおりを挟むタラーと流れ出てきた赤い血に私はすかさず用意しておいたハンカチをシージーの鼻元に押し当てた。
「ぐっ、マジか。たまらん」
「シージーこそ本気で鼻血出すとはね・・・」
マジかってこっちの台詞だわ。「鼻血出そう~」の台詞は前に聞いたけど、本当に鼻血を出そうとは。
シージーは何度も反芻するかのように目を閉じてウットリする。まあ彼女の願望通りの展開になったわけだし気持ちはわからなくもないけど。
「はあ、これは夢か」
「驚かないの?」
私はひっくり返るくらい驚いたのに。実際に物理的にもひっくり返ってしまったわけで。
とにかくそれくらいに驚いた。ゼンの気持ちはともかく、あのお手本のように素行の良いゼンが私を裏切って結婚の妨害行為までやってたんだから。
「驚くよー、驚くよそりゃあね。レイラの婚約破棄に関しては色々とタイミングが悪いなあと思ってたけど、まさかゼン様が裏で糸引いてたなんてね」
「・・・うん」
「レイラのことが好きだってのはなーんとなくわかってたけど」
「知ってたの?」
「なんとなくよ、なんとなく。勘よ。
男が好きって噂も一人歩きして疑わしかったし、いい歳した男がなんの音沙汰もないって不自然じゃないの」
そう、フィズも納得してたみたいだし、ゼンは意外とわかりやすかったのかもしれない。ずっと一緒に居た私は全く気付かなかった。
・・・もっと早く気付くべきだったわ。こんなに事がこじれてしまう前に。
シージーは私から受け取ったハンカチで何度も鼻を拭きながら喋る。
「にしてはあんまり嬉しくなさそうね」
「嬉しくないわけでは・・・。ただ、ゼン、城から出て行っちゃったの。今どこにいるかもわからなくって」
フィズに探させているけれど数日経っても居場所を突き止められていない。ちゃんと話がしたかった、ゼンの口から話をしてほしかったのに、私が彼の部屋を訪ねた時には既にもぬけの殻だった。
「だからそんなにゲッソリしてんのね」
「なんで何も言わずに出て行っちゃったんだろう」
「そりゃあ、合わせる顔がないからでしょ。あんたの夢をことごとく潰してきたんだから。それも自分勝手な感情でね。騎士が主人を裏切るなんて処刑になってもおかしくない重罪だわ」
「処刑ってそんな・・・」
ゼンがやってきたことに驚きこそすれ、別に恨みなどない。そもそも婚約破棄に至った直接的な原因は相手にあったわけで、ゼンはあくまでその切っ掛けを提供したに過ぎないのだから。
「ダメよ、そんな、処刑なんて許すわけないわ」
「怒ってないの?」
「なんで怒るのよ」
「え、だってゼン様が妨害行為してなければ今頃あんた結婚してたよ?夢叶ってたよ?」
「別に結婚相手なんて探せばいくらでもいるじゃない。3つ破談になったところで特に何も・・・」
シージーは目を見開いて口をパクパクさせた。
「それは・・・何か色々間違ってる気がするんだけど・・・」
首を傾げると、シージーはため息を吐いて「まあいいわ」と言った。
「んで、ゼン様はどうすんの?このまま放っとくの?」
「まさか。探して意地でも連れ戻すわ」
「連れ戻してどうすんのさ。騎士は罷免になったんでしょ?」
「父様を説得するから大丈夫よ」
「さすがにそれは難しいんじゃないかなあ」
「いざとなったらゼンを騎士に戻してくれないと死んでやるって脅すわ。父様はそれで折れるでしょ」
「あんた、恋人に別れを告げられたヒス女みたいなことやんのね。意外」
マジか、とシージーは片眉をしかめてまじまじと私を見た。そんなに見つめられると身体が強張ってしまう。
「え、何」
「騎士に戻して、で、どうすんの?それからまた婚活でもする気?」
「あ、そうよね。私が結婚したらゼン嫌なのよね・・・。どうしよう。また出て行かれたら困るし、結婚は無理なのかしら」
「え?結婚諦めんの?」
「だって戻ってきてもらったのにゼンの目の前で恋愛なんてできない」
「んんん!?」
目を白黒させる彼女は身を乗り出して私の頬を摘まんだ。痛い。
「率直に聞くからしょーーーーじきに答えなさい。レイラ、ゼン様のこと好き?どれくらい好き?異性として好き?キスしたいと思う?」
「へ・・・」
何を突然言い出すの、と言おうと思ったのにシージーの顔は思いの外真剣で言葉を飲み込んだ。そんなこと急に言われてもわからないのに。だってゼンはゼンで、私にとってはゼン以外の何者でもない。
答えあぐねて困っていると、シージーは突然口をへの字にして悲しそうな顔した。
「ど、どうしたのよ」
「あんた、真っ赤な顔して泣きそうな顔してんじゃないの。馬鹿じゃないの」
「だって、ゼン、出て行っちゃったし・・・とにかく早く探さないと・・・」
早く探さなければ。私の力の及ばない遠くの国まで逃げられては手の施しようがなくなってしまう。
「前に、オリヴァーが出で行った時にゼンが言ってたの。住んでいた家を出て知り合いにも音沙汰なく消えたというのは、もう二度と帰らない覚悟を決めたこということなんだって」
ゼンはもう私と二度と会わないつもりだ。彼の部屋にはいつも扉に掛けられていた上着も、壁に飾っていた剣も、テーブルに何冊か積みあがっているはずの本もなかった。住んでいたという痕跡が全て消え去っていた。
ゼンはもう帰って来ない。
「私、きっと捨てられたのね」
なんて自分勝手なの。私に内緒で結婚を破談にまでしておいて、挙げ句に何一つ語らず私の前から去って行ってしまうなんて。
だけどきっと悪いのは私の方なんでしょうね。ゼンは私の意志を尊重していたけど、ちゃんと苦言も呈していた。フランシスは女の影が絶えない、オリヴァーは身分が釣り合わない、パトリックは私を大切にしていないって。
私はゼンの言葉に耳を傾けて彼の言葉の意味を理解するべきだった。それはゼンのためにではなく自分自身の将来のために、自分でちゃんと考えるべきだったのに私はそれをしなかった。
その結果、ゼンに罪を犯させ、私は彼を失った。
「わっー!泣かないで、ね?ね?」
シージーの手に握りしめられていたぐちゃぐちゃのハンカチで目元を拭われる。ってそれ、さっき鼻血拭いてたやつなんだけど・・・。
「そう、うん、なんとなくわかったよ。レイラにとってゼン様は恋愛の情を超えた特別なのよね」
「特別?」
「婚約者よりゼン様の方が大切なんでしょ?」
「当たり前じゃない。結婚相手は代わりがいるけど、ゼンに代わりはいないもの」
「それはね、愛って言うんだよ、お馬鹿さん」
シージーは困ったように笑ってヨシヨシと私との頭を撫でた。
ゼンと最後に会った時から一か月が経った。ゼンは政治的軍事的な事情に内通しているからか、なかなか居場所がわからない。それだけ彼は本気で身を隠しているんだろう。
ゼンの意志を無視して申し訳ないけど絶対に連れ戻させてもらう。どうにか説得して帰る気にさせなきゃ。
だってゼンのいない人生なんて考えられないもの。恋人になるとか今まで想像したこともなかったから、改めて考えると恥ずかしくて身体中のいろんなところが爆発しそう。シージーにそう相談たら「それが恋だ大馬鹿野郎」と言われた。
どうやら、私はゼンに恋をしていたらしい。
もしシージーの言うことが正しいのだとしたらゼンへの恋は今まで経験した恋とはまったく異なる種類のものだ。恋人と一緒に居るのは楽しかったけど緊張したことなんてない。恥ずかしいと思ったこともない。不安とか感じたこともない。ゼンと一緒にいるときに感じる、身体の奥底から何かがせり上がってくるようなものはなかったのだから。
「レイラ王女、お食事中に失礼します」
開いた扉から入って来たフィズに顔を上げる。
「どうしたの?」
「ゼンが見つかりました」
「本当!?」
ガタッと椅子の音を立てて立ち上がる。勢いが過ぎて落ちたフォークやナイフは侍女たちが急いで拾い集めてくれた。
「午後出られる?」
「既に準備は整えてございます」
「そう、じゃあすぐに行くわ」
「お食事を召し上がられてからにしては?」
「もう結構よ」
やっとゼンに会える。ちゃんと言葉で気持ちを伝えなくては。そしてなんとしてでも戻ってきてもらわないと。
もし拒絶されたらと思うと胃が痛みを訴えるほど怖いけど、フィズの言う通りゼンが私を愛しているのならやり様はある。手段は選ばない。
「あ・・・、身体、綺麗にしていこうかな・・・」
「お湯の準備をいたします」
ゼンって何色の服が好きなんだろう。ゼンの恋愛遍歴は知らないから好みも全くわからない。男が好きって噂が流れるくらいだからボーイッシュな格好の方がいいんだろうけど、私パンツスタイル似合わないのよね。
「ねえ、フィズ。ゼンの好み知らない?」
クローゼットを漁りながら視界の端に捉えたフィズに向かって訊ねる。返答がなかったのでどうしたのかと彼の方を見れば、フィズはこれ以上ないくらいに顔を歪ませていた。
「どうしたのよ」
「まさかとは思いますけど、色仕掛けでもお考えですか?」
「だって母様が言ってたの。『心と股を大きく開け!』って」
まさか実践する時が来ようとは。人生ってわからないものだ。
フィズは歪んだ顔のままドン引きした様子で口を開く。
「それ真に受けちゃダメなやつです!ったくあの人も自分の娘になんてことを・・・」
ぶちぶちと恨みがましく呟くフィズ。私だって真に受けてなんかいなかったし、まさかその教えをゼン相手に切り出さなければならないかもしれないなんて思わなかった。
「けどね、フィズ。交渉には切り出せるカードは多ければ多いほどいいわ」
「完全に政治家脳ですね」
「念のためよ、一応。私、大抵ものはなんでも持ってるもの。だから私が本気だって証明できるものはそんなに残されてないの」
例えば私が頭を下げてお願いしたら、私の知ってるゼンなら絶対に言うことを聞いてくれる。けど私の知らないゼンはどうなんだろう。わからないから怖いし、用意は周到にしないと。
「捨て身過ぎませんか」
「だから最後の手段よ。男に責任を取らせるならそういう形が一番手っ取り早いもの・・・って前に母様が言ってた」
「男性を誘惑する知識はお持ちですか」
「・・・ないけど」
だって今まで向こうから勝手に寄って来てたんだから好きになってもらう努力をしたことはない。だけど今回は違う。形振り構ってたら私は永遠にゼンを失うかもしれない。私はなによりそれが一番怖い。
「いざ本人を目の前にしたら硬直して何もできない姿が目に浮かびます・・・」
確かに。クローゼットの服に手を伸ばしたまま固まる私に、フィズは大きなため息を吐いた後再び口を開いた。
「まあ仕方ありませんね。レイラ王女のおっしゃる通りやれることをやるしかないでしょう」
「・・・うん」
頑張る他ない。ゼンに帰ってきてもらうには、自分にできることをするしかないのだから。
0
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】
僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。
※他サイトでも投稿中
結婚したけど夫の不倫が発覚して兄に相談した。相手は親友で2児の母に慰謝料を請求した。
佐藤 美奈
恋愛
伯爵令嬢のアメリアは幼馴染のジェームズと結婚して公爵夫人になった。
結婚して半年が経過したよく晴れたある日、アメリアはジェームズとのすれ違いの生活に悩んでいた。そんな時、机の脇に置き忘れたような手紙を発見して中身を確かめた。
アメリアは手紙を読んで衝撃を受けた。夫のジェームズは不倫をしていた。しかも相手はアメリアの親しい友人のエリー。彼女は既婚者で2児の母でもある。ジェームズの不倫相手は他にもいました。
アメリアは信頼する兄のニコラスの元を訪ね相談して意見を求めた。
私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~
marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」
「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」
私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。
暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。
彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。
それなのに……。
やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。
※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。
※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる