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四話・失って気付くこと
(2)
しおりを挟む城から少し離れたところにある、城下の裏町。華やかな街の影にひっそりと存在するような場所に、ゼンは今住んでいるらしい。
建物の合間を縫うように吹きすさぶ風は乾いて、建ち並ぶ家々は平らで簡素な物悲しい場所だ。きらびやかな城からやって来た私が一瞬足を踏み入れるのを躊躇しそうなほどその落差は激しい。オリヴァーと住んでいた家すらこんなに寂れてはいなかった。
ゼンをこんなところへ追いやってしまった事実を突きつけられて胸が痛む。本来なら剣豪として城で華やかな生活を送るべき人なのに。
「私が戻って来るまで絶対入ってきては駄目よ」
後ろに控えているフィズたちにしっかり宣言する。あ、どうしよう、ここに来てすごく緊張してきたかもしれない。足なんて油断したらすぐ震え出しそうだし、本音では今すぐ逃げ出したいくらい参ってしまってる。だってにべもなく追い返される可能性だってあるわけで、ゼンに冷たく拒絶される想像をすると心臓が凍りつきそうだ。
だけどやっとゼンに会えるという喜びも、偽りではなく本物。
真正面から訪ねても中に入れてもらえなかったら始まらない。扉を叩こうとした手を下ろして、半分ほど開けられている腰高の窓に視線をやる。
窓が開いてるってことはゼンは在宅してるのよね。
不安や緊張を押し殺すように窓の桟へ勢いよく手をかけ身を乗り出す。着地の体勢が決まらず転げ落ちるようにして床へ。
顔を上げると見慣れた赤い髪が―――。
目を丸くしてこちらを見ているゼンは歩行途中の姿勢のまま固まっている。
「ひ、ひさしぶりね」
声が震えて上手く話すことすらできない。だけどここは意地でも彼にすがり付かなければならない正念場だ。緊張だのなんだの言っている場合じゃない。
ゼンは私を見るなり大きな声を出した。
「一人で来たのか!?」
「護衛は外で待たせてるから」
「ここは中心街より治安は良くない。すぐに帰るんだ」
「嫌よ。私を城に帰したいならゼンが連れて行って」
立ち上がって、しっかりゼンと向き合う。琥珀色の瞳は記憶にあるよりも濃く強い光を放って、私の身体は小さく痺れるように震え上がった。
どうしよう私、こんな状況なのにすごく悦んでいる。身体がゼンを欲しいって叫んでる。ただ見つめられているだけなのに。
そうかこれが恋なんだな、とこの時初めて気がついた。ゼンにだけ感じる特別に今までどうして気づかなかったんだろう。他人に指摘されても実感が沸かずここまできてようやく理解するなんて、鈍感を通り越してもはや愚か。
「俺はもう二度と城には戻らない。レイラにも会わない。資格がないから」
「嫌よ、帰ってきて。資格なんて私がいくらでも与えるから」
「責めたいなら話はいくらでも聞く。だから・・・」
「連れ戻しに来たのよ。婚約破棄の件はもうどうでもいいわ」
ゼンの表情がピクリと一瞬だけ動いた。そして次第に歪み、険しくなる。
「どうでもいい?俺が何をしたのかわかって言ってるのか。レイラをどれだけ傷つけたのか。そして傷心のレイラに何も知らない顔で慰め続けてきたんだ」
おぞましい、と視線を逸して絞り出すように言うゼン。
「こんなのどうやっても取り返しがつかない。罪の償いようがない」
「でも私のためにしたことでしょ?結婚相手として良くない人達から守ってくれただけよ」
「違う」
ゼンは視線を私から外して背中を向けてしまった。
ねえお願い、こっちを見て。
「違う。そんな綺麗な理由じゃない。もっと身勝手でどうしようもない―――」
「それでもいい。私は帰ってきてほしい」
あなたが必要なの。わかってよ。
ゼンはもうこちらを向こうともしない。私は彼の背中に駆け寄って服を両手で掴んだ。
「何が必要なの。ねえ、私何が駄目だった?どうすれば側にいてくれるの?
私のこと少しでも想ってくれてるならお願い、帰ってきて」
「少しでも想ってる?あれがそう思えるのか」
ゼンは振り返った、けど彼の視界は私を捉えてはくれない。俯いて歯を食いしばって何かに耐えているかのように声を出す。
「違うの?」
結婚を邪魔したのは愛してくれてたから、私を想ってくれたから。そう思うのは今まで私を支えてきたゼンの言動の全てに愛情が満ちていたからだ。
訊ねるとゼンは眉をしかめて視線だけ上げて私を見た。・・・やっとこっちを見てくれた。
「そうだよ!好きだった!だからお前が恋人といるたび腹が立って仕方なかった!お前を奪う奴を許せなかったんだ!
挙句勝手な行動して恋愛がうまくいかず落ち込んでるお前を見て安心してたんだ!最低だろ!」
愛を伝えているとは思えないほど吐き捨てるような告白。私はその怒鳴り声に身を竦ませて息を詰める。
「だったら・・・なんで言ってくれなかったの」
「他の男に夢中だったやつがよく言う」
そう言われてしまうと何も言い返せなかった。ゼンは私の幼馴染で騎士だったから、私は彼に望んだものは愛ではなく友情と信頼。そうして部下として彼を使役してきた。間接的に私は彼に告白をさせなかったのだ。
「ごめんなさい・・・許して」
「レイラは何も悪いことはしていない。もう話すことはないから城に帰ってくれないか」
「嫌よ、ゼンが帰るって言うまで私も帰らないから」
「だったら俺が出て行く」
ゼンは身を翻すと玄関に向かって一直線に歩き出した。私はハッとしてその後を追いかけゼンの背中に飛び付くと、これ以上逃げられないようにしっかりと腰に抱き着いた。こうすればさすがにゼンも歩みを止めざるをえない。
彼はしばらく立ち尽くし、大きなため息を吐いた後にようやく口を開いた。
「離してくれ」
「嫌よ」
「相変わらず我儘だな」
「そんなのゼンが一番知ってるでしょ」
「・・・知ってるよ。ずっと一緒に居たんだから」
「わかった戻るよ」ってその一言を期待してしまう。ゼンの硬い背中にしがみ付いて、祈るようにきつく目を閉じた。
「ゼン、お願い、お願いだから」
「戻ってその後は?忠誠の誓いを破るということがどれくらい重い罪か知ってるだろ。本来なら首を刎ねられても仕方ないのに、騎士になんて戻れるわけがない」
「私がちゃんと上手い事やるわ。父様を説得するから」
「無理だよ、レイラ。そんなの無理だ」
ゼンの腰に抱き着いた腕に力を込める。
「無理じゃない。私はゼンが欲しいもの。絶対に諦めない。
もう馬鹿なことしないって約束するから、城に戻ったら私達きちんと交際を―――」
「へえ」
ゼンの声があまりにも冷たくて、私は続くはずだった言葉を見失った。
「城に戻る見返りにレイラが貰えるって?」
少しニュアンスに棘はあるけどゼンの言ったことに間違いはないので頷く。
「もし、ゼンが望むなら・・・」
「俺がやったことを水に流して俺のものになれるとでも?」
「言ったでしょ?過去の婚約破棄についてはもうなんとも思ってないって」
ずっと動かなかったゼンが動いたかと思えば、私の身体が抱え上げられて宙に浮かぶ。急降下したかと思えば腰を打ち付けたのは音を立てて軋むベッドだった。
目の前にあるゼンの顔に息を飲む。
「ほら、怖いだろ?今のうちに逃げた方がいい」
「・・・に、逃げるわけないでしょ」
「レイラに手を出したら今度こそ処刑かな」
「同意の上なら問題ないわよ」
「同意、ね」
顎に手をかけて顔を持ち上げられる。ゼンは息がかかりそうなほど近くて私は震える手でシーツをきつく握りしめた。
ゼンは愛しい女性をベッドに組み敷いているとは思えないほど苦しそうな表情。
「レイラが選ぶ男はいつもそうだ。フランシスは浮気性だから優しくて誠実なオリヴァーを選んだ。けどオリヴァーは庶民で身分差が激しいから王子であるパトリックを選んだ。けどパトリックには愛が無かったから今度はレイラを愛している俺を選んだ。
レイラが望んでいるのは俺じゃなくて、自分に相応しい理想の結婚相手なんだろう?きっと時間が経てば俺のこともどうでもよくなる」
「そんな、ちがっ」
違うって心から叫びたかった。けどゼンが言っていることも遠からず当たっていて唇を噛む。だって私はいつも幸せな結婚を夢見てそのために相手を選んできた。ゼンは違う、結婚したいから好きになったんじゃないって、わかっていたけどすぐには答えられない。
「恐ろしい女。俺の気持ちを知っておきながら、自分の理想の為に俺まで利用するのか」
「ゼン!私は本気で―――」
「幻滅だ」
幻滅。それはこれ以上にない拒絶の言葉。
―――ああ、もう無理だって思ってしまった。どうやってもゼンは私を見てはくれない。何を言っても彼の心には届かない。
「さっさと出て行ってくれ。俺はもう、レイラの顔は見たくない」
ベッドから降りたゼンは二度と振り返ることなく部屋から出て行ってしまった。
力の抜けた私は力を込めていた腕から崩れ落ちるようにベッドに沈み込む。
「―――っ」
手で顔を覆って奥歯を噛み締めた。悔しくて悔しくて、自分の情けなさに吐き気が止まらなかった。
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