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五話・たったひとつの願い
(1)
しおりを挟むカチャカチャと食器の無機質な音だけが部屋に響く。俺の父は何も言葉を発する気配なく食べ進めていた。少しやつれたかもしれない。こんな状況じゃ無理もないけれど。
何から訊ねていいのかわからない。ただ誰も座らなくなった隣の椅子の空虚さに、いつもそこに居た人を思い出して手を止める。当たり前の日常ってこんなにもあっけなく終わるものなのか。
言葉は選ばなくてはならないのは、子どもにもわかる。
「ねえ、母さんは?」
「もう帰ってこないよ」
その答えは何度も聞いたし、もう一週間以上音沙汰がないから知っている。知りたいのはそこじゃない。
「なんで帰ってこないの?」
「いろいろあるんだよ、大人の事情が。ゼンが理解するにはまだまだ早いと思うぞ」
「でも知りたいから」
いつも隣に座って笑っていた母の姿はまだ強烈に脳裏に焼き付いていて、風化させるにはあまりにも辛い。母の声が今にも聞こえてきそうなのに、隣を見るとその人はいないのだから。
「そうだなあ。母さんは他に大切なものができたんだ。だから出て行くことにした」
「家よりも?」
「そう」
「父さんよりも?」
「・・・うん」
おかしな話だ。結婚とは一生一緒にいることを誓うものだと思っていたのに。こんなにあっさり別れてしまうなら何のための結婚なんだろう。
「ごめんな。父さん、ゼンが寂しくないように頑張るから」
「うん」
気を遣って頷いたけど期待はしていなかった。父は陛下付きの騎士で多忙なためほとんど家には帰って来ない。使用人がいるから生活には困らないし忙しいのは仕方ないと思う。王族付きの騎士というのはとても名誉なことだから、仕事を変えてほしいとも思わない。
全く喜ぶ素振りを見せない息子に、このままでは駄目だと思ったのか父は考え込む。
「そうだなあ、いっそ一緒に城に住むか。城には父さんの部屋があるし、普段はそっちにいるから」
「えー・・・」
城といえば父の職場というイメージしかない。遊び場も無ければ遊ぶ友人もおらずなんだか楽しくなさそう。
「この家はあくまで母さんと結婚してゼンが産まれたから用意したものだから。騎士としちゃあまり城を離れるわけには行かないし、毎日親子の時間を取るにはそうするしかない。
城は良いところだぞ。庭園は広くて綺麗だし、歳の近いお姫様もいるからきっと仲良くなれる」
「・・・わかった」
父の話に興味が沸いたわけじゃなかったけど、どこに住むかの選択権なんて子どもにはない。
「ありがとう、ゼン」
「うん」
母がいないという日常を俺もそろそろ受け入れなくてはならない。そして妻を失った父を近くで支えようと、子どもながらそう決意した。
「一人なの?」
物陰からひょっこり現れた生き物に驚いて尻もちを着いた。一目見てすぐにこの子がレイラ王女だと気づく。
ああ、王妃様にそっくり。
「はい」
「お付きの人は?」
「いませんよ」
お守りが必要な歳でもないし。
彼女はふーんと言いながら何故か目の前にやって来てジロジロと俺の顔を見てきた。
それにしても、王族の人達ってなんでこんなに顔が整ってるんだろう。レイラ王女の容姿はまるで御伽噺に聞く天使のように愛らしい。こんな可愛い子見たこともなければ想像したこともなかった。
「あなた、ゼンね?」
「・・・ご存知でしたか」
「うん。アルにそっくりだから」
「はい、父に似てるってよく言われます」
レイラ王女はにっこりと花のように笑う。
「暇なの?一緒に遊ぼ」
「・・・いいですよ」
遊ぶと言っても彼女はまだ幼いから俺はお守り役になるだろうけど、どうせ暇だったし構わない。仮にも王族の方からのお誘いだから理由もなく断るのは失礼にもなるし、父の顔を立てるためにもレイラ王女とはうまく付き合った方がいい。
そんな打算半分の付き合いだったが、レイラ王女のお相手は一度や二度じゃすまなかった。まさか毎日毎日何時間も相手をさせられることになるなんて。
「おかえりなさい、あなた」
「た、ただいま」
しかも毎回"ごっこ遊び"。この苦痛たるや。周りに人の目がないのが唯一の救いだ。
「あのね、新婚旅行はどこに行きましょうか」
「俺は日帰りでいいと思います」
「もっと愛を込めて嬉しそうに言って!それになんで夫婦なのに敬語なの!?おかしいでしょ!あと日帰りなんて論外よ!そういう時は『君となら地獄でも』って言わなきゃいけないのよ!」
注文が多い。っていうか新婚旅行で地獄なんか行くわけないだろ死ぬのかよ。
「・・・君となら地獄でも」
「きゃあ、嬉しいっ。私もあなたとなら地獄でも何処でも幸せ。愛してるわ」
「・・・―――えっ」
固まっていると、ほらお前も言えよ、とレイラ王女にガン飛ばされた。
え、ほんとにそんなこっ恥ずかしい言葉を俺が言わなきゃいけないのか?
「あ、あい、して・・・」
「だめだめ。もっと心を込めて!ゼンならやればできるわ!ほら早く!」
「あいして、る」
「なんでそんな苦渋に満ちた言い方なの!やり直し!」
「・・・愛してる」
また気に入らなかったのか不満そうな顔で腕を組んだが、しぶしぶながらそれで納得してくれたようだ。
「とりあえずはそれで許してあげる。じゃあお話を進めましょうか」
レイラ王女はにこにこしながら俺に密着して頬を寄せてきた。なんだろう?と不思議に思っていると彼女は拳を握って声高に言う。
「次はキスシーンからのベッドインよ!」
誰だよ子どもにそんな際どい言葉を教えた奴!
レイラ王女のごっこ遊びの相手は兎に角大変だった。そのほとんどが結婚に関するものでプロポーズから結婚式、そして新婚生活までがワンセット。最初から最後まで「愛してる」は常套句でところ構わずキスシーンが多くイチャイチャベタベタしっぱなし。さすがに口に直接口付けすることはなかったけど、しっかりベッドの添い寝までさせられた。
どうやらレイラ王女は結婚に強い憧れがあるらしい。聞けば両親がとても仲が良いから、自分もそのようになりたいのだと言う。
そこまで結婚に夢を見れるというのは幸せな事だ。俺は完全に興味がないから。
「ゼン、あのね、ゼンはお母様がいないってほんと?」
ある日突然、彼女が申し訳なさそうに訊ねてきた。どこからか小耳に挟んできたな。
「いるけど、もういないよ」
生きているだろうから存在しないわけじゃない。けどどこにいるかも知らないし会えない。
レイラ王女は初めて見るしょんぼりとした姿でそれがとても可愛らしかった。ちゃんと気を遣ってくれてるんだな。普段はごっこ遊びに有無を言わさず付き合わされて遠慮の欠片もないけど。
「気にしなくていい。もう慣れたし」
「駄目よ!そういうことには慣れたら駄目!寂しいってちゃんと言わなきゃ!」
俺はビックリして言葉を失った。寂しいって言えって、そんなこと言われたのは初めてだったから。
「・・・さみしい」
たったひと言口にすれば、堰を切ったかのように母との思い出が溢れ出す。そうか、自分は寂しかったのかとその時に初めて気がついた。
突進するように胸の中へ飛び込んできたレイラ王女は、その小さな身体でしっかりと俺を抱き締める。ごっこ遊びで何度も抱きつかれたことはあったけど初めて気がついた。彼女の身体はこんなに温かかったんだな。
「ゼンのお母様にはなれないけど、一生私が一緒にいるからね。ゼンはもう一人になんてならないからね」
小さな子どもの精一杯の言葉。それが例え真にならないのだとしても、純粋にただ彼女の気持ちが嬉しかった。
「うん」
「辛かったよね。ゼンはいっぱい頑張ったんだね」
「ううん」
レイラがいたから、寂しいと思う暇もなかったんだよ。
「おかえりなさい、ゼン。今日は二人の晴れ舞台よ」
部屋に入るとやたら本格的なセットが用意されていた。ウエディングドレスらしき白いドレスに聖書や燭台まで置いてある。
今日は結婚式ごっこをやるらしい。
「本日はお日柄もよく天候にも恵まれ~」
ちなみに外は大雨だ。
そろそろごっこ遊びを卒業してもいい歳なんだけどな。レイラはいくつになってもレイラのまんま。
「このドレスどうした?」
「自分で作ったの」
その多才さとごっこ遊びにかける熱意が相変わらずすごい。
「流行りで白にしたんだけど、母様は黒のドレスだったんですって。無難に白を選んだけど黒の方がよかったかしら」
「それよりまだダンスの講義の時間じゃなかった?」
「白と黒どっちが似合うと思う?」
「サボったな」
レイラは俺の小言など意に介さずご機嫌な様子でドレスに着替え始める。
参ったな・・・。
レイラは未だ俺を異性ということをあまり意識していない。遠慮なく男である俺をごっこ遊びに付き合わせたり、平気で俺の前で服を着替えたり。それは箱入り娘である以上仕方のないことかもしれないが、一般的な年頃の男として意識してしまう俺には少々悔しい。
「ごっこ遊びばっかりやってたら本当に結婚が出来なくなるぞ」
完全に意地悪な発言だ。王族であり容姿が可愛いレイラなら引く手数多だろう。けれどもごっこ遊びに興じて大事な勉強を疎かにするのはよくない。
着替え終わったレイラはこちらを向いて首を傾げる。
「なんで?」
「なんでってそりゃあ・・・。今頃同年代の令嬢は自分を磨いたり花嫁修行を頑張ってるってのに、レイラが遊んでばっかりじゃ出遅れるだろう?早い人はもう婚約者を見つけたりしてるよ」
「それなら大丈夫よ。私、ゼンと結婚するもの」
顎が外れるかと思った。
「えっ、え!?」
「嘘でしょゼン!忘れたの!?昔一生一緒にいようねって約束したじゃない!」
レイラは頬を膨らませてプリプリと怒り出す。
そうか、ちゃんと覚えていたのか。
忘れるわけがない。あの時の彼女の表情も声もなにもかも全てをリアルに覚えている。あの小さな約束は、いつも心の奥で大事に大事に守ってきたのだから。
「ゼンは私と結婚するのが嫌だって言うの!?」
「っまさか」
「よかった」
にこーっと頬を赤く染めて笑うレイラは少しだけ大人びて見えて、花嫁衣装の彼女は俺には眩しすぎるくらいだった。
「ゼンと結婚して毎日新婚ごっこで遊ぶのー」
そりゃとんでもない苦行だなあ。
結婚するなら"ごっこ"じゃないだろ、と心の中で苦笑した。やっぱりまだまだレイラは幼い。
「ね?約束ね」
「うん」
指切りをして笑い合う。
結婚には興味がなかったけれど、君が望むならいくらでも叶えるよ。
ウエディングドレスを来たレイラと結婚の約束を交わしたのは、彼女が9つになる年のことだった。
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