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1話・はじまり
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しおりを挟むお父様はあらゆる手を尽くされた。数少ない外交筋を頼って何度もドローシアに交渉を持ち掛け、貴族会を説得するため各地を自らの足で回った。しかし、ドローシアは頑としてこちらが用意した条件を飲むことはなく、グレスデンの貴族たちも例え反戦派であろうと民の怒りの前に己の拳を真っ先に下ろすことができなくなっていた。
時間が経てば少しは落ち着くかと思いきや、日に日に城の前へ民が押し寄せて国旗を振りかざし大声でドローシアと戦うべきだと叫んでいる。もちろん彼らもドローシアに勝てないことは分かった上で、どれだけ犠牲を払おうとも女子供から老人まで農具を振り回す気満々だ。
わーわーと喧噪で耳がどうにかなりそうなほどやかましい中、ボーッと笛の音が響き渡ると城の門が開いて騎馬隊が入城してきた。途端に人々は割れるように道を開けて、馬上でピシッと背筋を正す騎馬隊の男たちはゆっくりとした歩調で進む。
「シンシア王女殿下、ロット騎馬隊ただ今帰還致しました」
「おかえりなさい」
騎馬隊の男たちを見回すと、変わらない顔ぶれにホッと安堵の息を吐いた。良かった、みんな無事で。隊長のロットは馬から降りると礼をとる。
「この度は母君のこと、残念でございました。シンシア王女殿下におかれましては大変お心を痛めていらっしゃることと存じます」
「ええ。お気遣いありがとう。でも私は大丈夫よ。
西の方の作物の出来はどうだった?」
「良くはありませんね。去年と同程度です」
そう、と呟いた。去年と同程度ならばまだ備蓄するほどの余裕はない。なんとかギリギリ飢えを凌げるだろうけれど、これ以上悪化すると大変なことになる。
「あ、ミランダ様・・・わざわざお出でくださったのですね」
ロット隊長が私の後ろを見ながら言うので振り返れば、側妃であるミランダ様が外階段を降りながらこちらへやって来ていた。王太子のアディや妹たちの母君である彼女はグレスデンでは珍しい銀の髪を揺らしながら微笑む。
「おかえりなさいませ、ロット隊長殿。ご無事の帰還なによりです」
「ミランダ様もお変りないようでなによりです」
「ごめんなさい、私ったら大笛の音が聞こえたから何も考えず出てきてしまったけれどお話の邪魔をしたかしら」
「まさか。大した話はしてませんよ」
私を見て少し申し訳なさそうにモジモジするミランダ様にそう言うと彼女はまた微笑んでロット隊長の方へ向き直った。
「皆さん、大きな怪我は無さそうで良かったわ」
「はい。不作続きの影響か賊は更に西の方へ移動したようで」
賊がいなくなるのは喜ばしいが、ただ単に盗るものが少ないからという理由なので切なくもある。ミランダ様も眉尻を下げて困ったような顔をした。
「そうなのね。とにかく疲れたでしょうから、皆さんゆっくり休んでくださいね」
「そうね。休んだ方がいいわ。詳しい報告は明日聞くから」
「承知いたしました」
ロット隊長が礼をすると隊員たちも倣って礼を行い、彼らは馬を引き連れて馬小屋の方へと向かって行った。
去り行く皆の背中を見送ったところで、その場に残ったミランダ様と私は顔を見合わせる。彼女は言い辛そうに俯いて視線をさ迷わせながら口を開いた。
「あの、シンシア様も大変でしょう。その・・・クラー様の件で・・・」
「大丈夫ですよ、ありがとうございます」
「でも、その・・・母君があのようなことになられて、ご心痛お察しいたします。あまりご無理なさらないで休んでも構わないと思いますよ?」
アディは完全にミランダ様に似たのね、と遠慮がちにこちらの顔をチラチラと見るミランダ様に笑みが漏れた。とっても気遣い屋さんだ。
「ありがとうございます。でも今はできることをやらなければ。
ミランダ様も大変だとは思いますがお父様を支えて差し上げてください。今回のことで一番ショックを受けてるのはお父様でしょうから」
なにせ妻が男と夜逃げしたのだから、気丈に振る舞っていても内心は相当お辛いはずだ。私も支えて差し上げたいのは山々だけど仕事で忙しいからミランダ様がお父様の傍にいてくださると安心だった。
ミランダ様は私と違って癒し系だしね。ふわふわっとした銀髪と深層のご令嬢のように慎ましやかな彼女は小さく微笑んだ。
「はい」
きっと今、グレスデンは岐路にある。滅ぶのか、存続するのか、また別の形で国が出来るのか。
先が見えなくても私たちはただ走り続けるしかなかった。
カチャカチャと食器の音が響くばかりで誰も口を開こうとしなかった。
一つの長テーブルを囲んで食事をする王家一族の面々。そして侍女もコックも城の使用人は総出で扉の側に並んで控えている。
カチャッと音を立ててお父様がカトラリーを置くと、皆も倣って食事をいったん中止した。
「我々は何の成果も得られなかった」
その一言は暗くて重い。
「クラー王妃の件はさておき、ドローシアと衝突するのは避けて通れなかった道だ。それがグレスデンの運命であり我々はそれを受け入れねばならぬ」
これ以上は限界だとお父様が判断したのは初秋のある朝のことだった。民の怒りは国の怒りとなり全てを焼き尽くすまで消えない炎と化してしまった。もうこの流れは誰にも止められない。
沈静化させられなかったのは私たちの力不足。ドローシアとの敵対を避けられないという現実を受け入れるしかない。
お父様は一呼吸置いてから続ける。
「我が一族が王位についてから700年余り、様々な苦難があったことは言うまでもない。そして今回は我が国の、そして我が一族の存続にとって一番の大きな困難であることは間違いないだろう」
侍女の一人が唇を噛みながら涙を流していた。そう、私とお父様は明日の早朝にこの国を出る。
―――今晩が家族揃って食事をする最後になるかもしれなかった。
「言うまでもなくドローシアとは神に愛された国。力が衰えたことは一度もなく、敗北を経験したことは一度たりともない。武力の衝突が起こればグレスデンは一瞬で沈む。
これから我々のやらねばならないことは武力での衝突をできるだけ避け、国民を納得させる形での決着を目指すこと。最期までドローシアとの交渉を続け、犠牲を最小限に留めること。
そのためには私は自らドローシアへ赴かねばならない。例え二度と帰ってくることが叶わなくなってしまうとしても」
最悪の事態を想像したのかアディがシクシク泣き出したのでお父様はアディの方を向いてキッと眉尻を跳ね上げた。
「泣くな。残された方が楽とは限らぬ。困難に直面しているのは王家の者ならば皆同じだ」
「・・・すみません」
「ミランダ、幼い子どもたちを残してすまない」
ミランダ様はお父様の言葉に俯いたまま首を横に振った。お父様の言う通り残された方が大変かもしれないのだ。国王が不在の中で国と幼い子どもたちを任されることになるミランダ様は特に。
「本来なら私が陛下と共に行かねばならないのです・・・。なのに・・・」
「アダルドは次の国王だ。その苦労と重責を思えば幼いアダルドを置いて母親であるお前が行くのは酷だろう。
よってミランダは国に残していく代わりにシンシアを連れて行く。シンシアはまだ若い未婚の女性、交渉の材料としても価値はある」
私はテーブルの下で拳を握った。今更はっきりと言葉にして言われなくても自分の立ち位置なんて初めからわかってる。誰にもわからないように深呼吸をして自分を落ち着かせた。
憐みなんていらない。私たちは今からあの巨大な国と勝ち目のない戦をするのだ。
お父様はグラスを持って前へ大きく掲げる。
「“いばらの上でも背筋を正せ”」
「「「“いばらの上でも背筋を正せ”」」」
倣ってグラスを掲げた私たちの中に、手が震えている者は一人もいなかった。
空を覆った雲を散らすかの如く、遥か彼方まで響くのは幾多もの大笛の音。何重にも重なったそれは耳元でバリバリ割れるほど激しく鳴り、続いて旗を振って私たちを見送る民たちの力強い歓声が聞こえて来た。
彼らは騎乗しているお父様と私を笑顔で送り出す。敵地へ向かう私たちへ、ありったけの声でその背中を押してくる。
「シンシア、すまない」
お父様がぽつりと漏らしたのは、国王としてではなく父親としての言葉だった。
「お前に一番、酷な役回りをさせねばならないかもしれない」
「わかっています」
「ドローシアの国王は常識的で情け深い方ではあるが敵には容赦ないと聞く。私も覚悟を決めよう。せめて最期は悔いのないようにしたいものだ」
そんなこと言わないでくださいって、言いたくても言うことは許されない。王家の人間としてみっともない弱音は吐けない。
門を潜れば広がる静かな大地。後ろを振り返れば大歓声の民たち。
「いくぞ」
「はい」
もう振り返らない。手綱をしっかりと握りしめ、私たちは勢いよく駆け出した。
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