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第1章

第11話

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 鋭い気声と共に右掌で空色の鉱石アズールブルーの壁を打つ。
 昨日から何度も繰り返してきたが一向に傷つく様子が見られない。発剄を身に付けるのはまだまだ先のことだろう。
 早く身に付けたいとあせる気持ちを抑えつつゆっくり深呼吸して空を見上げると、太陽は南の空に差し掛かっている。
 朝から修行に没頭していたら、いつのまにかお昼近くになっているようだ。
 いつまでも修行していたい気持ちもあるが、ここで切り上げることにする。昼から迷宮に潜る心積もりだったのだ。ここ数日アルドから学んだ技はどれも実践的で、エルの戦闘能力が向上したことは疑いの余地はない。新たな力がどれほど役に立つかと、実践する機会が待ち遠しくて心が急く。
 このまま迷宮に向かいたいのも山々であったが、セレーナに次回迷宮に赴く前に下位冒険者について説明があるからカウンターに来るように言われているのでひとまず協会に向かった。

 協会の受付に着くと昼時ということもあってか冒険者の数も少なく、短い列に並ぶとほどなくしてセレーナと話すことができた。エルの顔を見るとセレーナはやや不機嫌そうな顔になった。普段印象的な笑顔しか見ないセレーナに嫌悪の感が浮かぶと、印象ががらりと変わり強く責められている気分になる。心当たりはないが何か怒らせる様なことをしたのだろうかと、焦りながらエルはセレーナに話し掛ける。

「あのっ……セレーナさん、こんにちは」
「エル君。
 来るのが遅いわよ。
 下位冒険者になってから何日経ってると思ってるの?」

 どうやら前回から大分時間があいたことを怒っているようだ。エルは理由を説明して素直に謝ることにした。

「遅れてしまってすいません。
 武の神の神殿で新しい技を習っていて、ずっと修行していました」
 
 そう言いながら深々と頭を下げる。
 エルの言葉に嘘がないと判断したのか、セレーナは軽く嘆息すると本題に入ることにした。

「エル君があんまり遅いから、約束忘れて迷宮探索に行ったかと思ったじゃない。
 次からは気を付けてね」
「はい、すいませんでした。
 気を付けるようにします」
「それじゃあ下位冒険者の説明をするけど、ちゃんと聞いてね?」
「はい、よろしくお願いします」

 エルの謙虚な姿勢にセレーナは満足すると、聞き取り易いようにゆっくりとした口調で説明を開始した。

「まず、下位冒険者になると納税の義務が発生するわ。
 星なしの下位冒険者は年銀貨10枚、それ以降星が一つ上がるにつれて銀貨10枚ずつ納税額が上がっていくわ。
 もちろん納税を行うかわりに冒険者の優遇措置もあるわ。
 冒険者カードを各施設に見せることで割引が受けられるようになるわよ。
 例えば宿屋で1割引きとかね。
 それと、一部のオークションに参加できるようになるわ」
「一部ってどういうことですか?」
「まず、オークション会場は全部で4つの会場からできているの。
 商の会場、地の会場、天の会場、そして竜の会場よ。
 商の会場は一般市民の生活に必要なものが出展されるわ。
 例えば、灯りの魔道具などの魔道具の動力源となる魔石や、鍋や包丁などの生活用品の材料になる魔鉱石、あとは白肉ホワイトミートやククの実などの安く手に入る迷宮産の食材などが出展されるわ。
 それから地の会場は迷宮の50層までに得られる物、天の会場は100層まで、そして竜の会場は100層以降に手に入る物が出展されるわ」
「そうすると地の会場のオークションに参加できるということですか?」
「エル君は商の会場と地の会場のオークションに参加できるようになったわ。
 ただし、地の会場のオークションについては自分の星のレベルで手に入るものまでしか参加できないから、買える物は少ないわ」

 自分で迷宮で取得できるものまでしか買えないという仕組みだ。不相応なものを手に入れて装備を強くしても、自身が弱ければいずれ破綻をきたす。装備を過信し身の丈に合わない階層を探索すれば、破滅しか待っていないという戒めだろうと、エルは深く頷いた。 

「その他の特権として、クエストを受けられるわ。
 受付の反対側の壁にランクごとに別けて掲示してあるから、後で確認してね」
「セレーナさん、クエストって何ですか?」
「クエストは、迷宮で手に入る品を市民がオークションを介さずに手に入れる手段なのよ。オークションではいつ出品されるかわからないし、競りになるから手に入るかも不確かなところがあるわ。
 そこで割高の報酬と協会に手数料を払うことで、欲しいものを依頼するのがクエストなの。
 冒険者としては協会の買取額より多額の報酬が貰えるからお得な制度よ」
「へえっ、それはいいですね」
「ただし、今のエル君のランクだと一度に受けられるクエストは3つまでよ。
 それとクエストには期限も決まっているし、失敗すると賠償金を支払わなければならないから注意してね」

 冒険者がクエストばかりこなして協会に迷宮の宝を卸さないのは本末転倒であるので、数を制限するのは協会として当然の措置だと納得する。クエストの賠償金についても失敗しても罰則なしであれば、無茶なクエストの受け方する冒険者が出てくる可能性がある。そうなれば協会の信用問題に発展することは目に見えている。罰則を設け、冒険者が適切なクエストを受けるようにしているのだろう。

「それから……、下位冒険者になるとパーティへ勧誘されることがあるわ。
 協会はルーキーでもパーティを組むことを推奨しているし、協会の酒場などで臨時パーティの募集もやっているから覗いてみるといいわ。
 エル君はいつもソロだから、お姉さんは少し心配なんだぞ」

 エルはこれまでの経験からあまり人付き合いは得意ではない。そのため、パーティを組まず独りで迷宮を踏破し下位冒険者になったのだ。それに今の所パーティの必要性を感じていないこともあったので、セレーナの忠言に苦笑いを浮かべるしかなかった。
 迷宮探索には命の危険があるから、ソロは珍しいだろし特異に映るのだろう。セレーナはエルのやり方を心配してくれているが、独力での踏破が難しくなってからパーティへの加入を考えても遅くないだろうとエルは判断した。

「セレーナさん、心配してくれてありがとうございます。
 パーティについては追い追い考えてみますね。
 それで説明はこれで終わりですか?」
「ええ、これで終わりよ。
 パーティについてもちゃんと考えるのよ。
 それと、何か他に聞きたいことは何かある?」

 エルはしばし考え込む。
 以前に訓練所の教官から迷宮の情報誌を売ってもらったことを思い出した。確か100層までは情報誌が出ていると言っていたので、買っておくに越したことはないだろう。

「セレーナさん、迷宮の情報誌はここで買えますか?」
「ええ、ここでも買えるし道具屋でも売ってるわ。
 5層から10層までが銀貨3枚、10層から20層までが銀貨5枚、20層から30層までが銀貨10枚だけど、どうする?」

 そう言われて、エルは所持金を確認する。5階層を踏破するまで連日4階層に篭っていたので十分余裕がある。全部買ってもいいが必要になってからでも問題ないと思い直し、余裕があるうちに税金を払っておくことにした。

「それじゃあ、20階層までの情報誌をください。
 それと今のうちに税金を払っておきますね。
 代金をどうぞ」
「お買い上げありがとうございます。
 税金と合わせて銀貨18枚ちょうど頂きますね。
 こちらが情報誌になります」

 セレーナから情報誌を受け取ると魔法の小袋マジックポーチにしまう。説明も聞いたので、久しぶりの迷宮探索に行こうとエルはやる気を漲らせた。

「セレーナさん、迷宮に行ってきますね」
「ええ、行ってらっしゃい。
 無理せずに危なくなった逃げるのよ」
「それじゃあ失礼します」

 セレーナに別れを告げると、エルは意気揚々と迷宮の転移陣に向かうのだった。

 迷宮の入り口の裏に隠された転移陣から6階層に降り立つと、途端に土と草の匂いが鼻腔をくすぐる。エルの体をまさぐるような柔らかな微風が匂いを運んできたようだ。太陽も存在を誇示するかのように中天に燦々と輝いている。本当に迷宮の中かと疑いたくなるような草原の真っただ中を、エルは探索を開始した。

 情報誌によると6階層から10階層まではこの草原の領域が続き、獣系の魔物が大量に出現するらしい。見晴らしいの良い地形がひたすら続くせいで魔物を倒すのに手間取っていると、新たな魔物に駆けつけられ多量の魔物と一度に闘う羽目になるので、迅速に倒す必要があると注意書きが書かれている。6階層の魔物はまだ闘ったことがないので相手の強さがわからない。やはり情報誌の注意書きに従い、なるべく早めに倒すことを心掛けようと、エルは気を引き締めるのだった。

 慎重に草原を歩いていると、草むらから魔物が現れた。火蜥蜴ファイアーリザードだ。全身が炎のような赤い鱗に覆われ、真っ赤な舌を出しながら地を這うようにゆっくりエルに向かってくる。尻尾を含めた全長はエルと同程度であろうが、四肢が短く体高はエルの膝ぐらいまでしかない。ただし、名前の由来通りに火を吐くので油断は禁物だ。エルは慣れ親しんだ左半身の構えを取り、いつでも反応できるように体勢を整えながらじりじりと魔物との距離を詰めていった。
 徐々にエルと火蜥蜴との距離が詰まっていく。お互いの距離がエルの歩幅で5足程度になると、突然火蜥蜴ファイアーリザードは大きく口を開けると火炎を吐き出した。
 エルの半身を覆うほどの紅蓮の炎が迫るが、反応する準備ができているので回避は容易い。横に跳躍することで危なげなく炎を躱す。そのまま様子を見ているが、火蜥蜴ファイアーリザードは動かない。どうやら連続で炎を吐けないようだ。
四肢は短いので攻撃に向かないだろう。予想できる攻撃としては咬み付きぐらいだが、動きが鈍いので脅威とは思えない。注意すべきは火の息のみと断じ、次の魔物の攻撃を搔い潜って勝負を決することにする。
 火蜥蜴ファイアーリザードは再び大口を開けて火炎を吐き出す。2度目ということで炎の大きさも分かっているので、数歩ほど動いて左横に躱すと一気に間合いをつめて右足で飛び蹴りを放つ。
 火蜥蜴ファイアーリザードの頭に狙い違わず命中するが、生命力が高いせいかもがき苦しむだけで倒れない。エルは直ぐさま左足を持ち上げ、硬い踵で踏み潰すように下段蹴りを行う。動きが鈍重な火蜥蜴ファイアーリザードに躱す術はなく,頭を砕かれどす黒い血を撒き散らしながら絶命した。
  
 エルが構えを解いて死体を見ていると、やはり地面に吸い込まれるように消え去った。地面を醜悪に染めていた黒血や脳漿も全て消えさり、先ほどの戦闘などまるでなかった状態に戻る。
 やはりここは迷宮の中なんだと再確認し安堵の息をつく。情報としてはこの草原は迷宮だとわかっていたが、実際に体験するまではどこか現実味が感じられなかったのだ。5階層までの洞窟のような外見と全く異なり、迷宮の外でならどこでも見かけられるようなありふれた草原である。迷宮の外と言われた方が納得がいくので、心の片隅に本当に迷宮の中なのかと疑念があったのだ。
 だが、このように倒した魔物が消え去り戦利品が得られるのは迷宮の中でしかあり得ない。疑念を払拭し、心のしこりも取れたエルは戦利品を回収すると新たな敵を求めて歩き出した。

 しばらく歩いていると、遠方から巨大な魔物が高速で迫り来るのが見て取れる。肩までの体高がエルとそう変わらないほどの巨躯の魔物、狂猪マッドボアだ。体重は自分の何倍あるか想像したくないほど巨体を誇り、太く長大な牙が2本、口内から伸び出ている。6階層から8階層まで出現する魔物で、高い生命力と攻撃力に苦戦する危険な敵だ。
 ただし、その攻撃方法は至って単純だ。突進のみである。
 硬い岩と見まごう様な鼻でエルを叩き潰そうと、猛烈な加速をつけて疾駆してくる。
 こちらが攻撃準備を整える前に一気に距離が狭まる。
 狂猪マッドボアの恐ろしい速度に驚嘆しつつ、慌てて飛び退くことで辛くも突進を回避する。巨大な質量を有する塊がエルの横を通り過ぎる。ぶつかった際の衝撃たるや想像を絶せるものになるに違いなく、予想するだけでエルの首筋に冷たい汗が流れ出る。
 狂猪マッドボアはエルから大きく離れた位置で停止した。その巨体のおかげですぐには止まれないのだろうが、距離が空くせいで攻撃を加え辛い。こちらが近づく前に振り向くと再び突進を開始する。
 エルは再び跳躍することで凶悪な突進を回避する。狂猪マッドボアは猛烈な勢いのままエルの横を通り過ぎていった。
 どうやら突進は見掛け以上にやっかいな技のようだ。狂猪(マッドボア)の有り余るほどの体重を高速でぶつけてくるのである。受け止めるのは至難の業であろうし、避けたとしてもその場で止まらず駆け抜けていくので魔物との距離が大きく離れてしまう。こちらから加撃するのが難しい攻防一体の優れた技である。
 では、この魔物を攻撃するとしたらどうすべきだろうか。受け止めることが難しいのであれば、突進を回避すると同時に追いかけ魔物が止まったところを攻撃するのが無難なところであろう。現にこの方法は下位冒険者が狂猪マッドボアを討伐するのに用いる常套手段である。
 だが、エルの選択は違った。一回毎の攻撃の間隔が長いことを踏まえ、通り過ぎた狂猪マッドボアに振り向くと、中腰になり腰だめに構えた右拳に純白の気を集めだした。
 武人拳で迎え撃つ心積もりのようだ。
 狂猪マッドボアの突進は圧倒的な質量に猛烈な加速を乗せた攻撃である。エルの拳が打ち負け、跳ね飛ばされるであろうことは火を見るより明らかだと思えた。
 だが、エルには奇妙な確信があった。普通なら打ち負ける状況であるが、エル自身は不思議と狂猪(マッドボア)の突進に勝てると感じていた。
 小鬼の王ゴブルや変異種のリンクスなどの数々の強敵との死闘によって鍛え上げた肉体を用いて、アルドから授かった気の技である武人拳を行うのだ。この拳が負けるはずがないという、狂おしいまでの肉体への信仰と武神流の技への信頼であった。
 ようやく狂猪マッドボアは突進が止まりエルの方を振り向く。エルの準備は万端だ。既に右拳は気に覆われいつでも武人拳を放つことができる状態だ。だが、魔物が突進してエルと激突するまで時間を要する。
 エルは更に気を集めることに専念した。狂猪マッドボアがエルに向かって疾駆する。右拳に集めている気が解放の瞬間を待ちわびるように暴れ出す。肉体も己が力を発揮したいと悲鳴を上げる。
 だが、まだ距離を空いている。逸る肉体と心をなだめながら拳を固く握り締め、ひたすら右拳に気を集め圧縮させる。
 段々とお互いの距離が近付いてくる。狂猪マッドボアの巨躯が迫るのを恋人が来るかのように心躍りながら待ち望む。エルは自信の全身全霊の力を右拳にかき集めた。
 距離がつまる。狂猪マッドボアの強烈な加速によって両者の距離が無くなっていく。解放の時が近い。待ちわびた瞬間だ。
 今だ。
 エルはそう断じると、極限まで貯めた力を左前足の踏み込みと同時に螺旋回転を加えた右拳の中段突きで解放した。 
 狂猪マッドボアの巌の様な鼻面と右拳が激突する。
 すると、解放された力は猛威を振るい、エルが衝撃を感じる間もなく狂猪マッドボアを爆散させた。辺り一面に魔物の臓物と血が散乱し惨たらしく凄惨な光景が広がるが、ほどなくして光と共に消え去り戦利品が現れた。

「えっ……」

 あまりの結果にエルは茫然と自分の拳を見つめる。打ち勝つであろう奇妙な確信はあったが、自分の揮った圧倒的な力に理解が追い付かなかった。
 これが武人拳。
 これが武神流の力だというこのなのだろう。
 エルは自分がいつの間にか一般人とは隔絶した力を有することに、否が応でも納得する体験であった。
 アルドが武人としての心得を説くわけである。
 そして、協会が冒険者の犯罪を厳罰をもって対処するはずである。
 こんな危険な力を冒険者でもない一般の人々に悪意を持って揮ったら、どれほどの犠牲が出るかわからない。 
 だが、冒険者は天災にも等しい被害を出す竜や魔神にも立ち向かえる存在である。強大な力を誇る人外の存在に立ち向かえるだけの力を有するということは、人類を超越した力を有するということである。
 エルが伝説や英雄譚に登場する冒険者を目指すならば、すなわち、人外の力を有する存在になるということである。
 無辜の人々を傷つけないように、そして己が力の揮い所を絶対に間違えないようにしなければならないと、エルは固く決意した。
 決意を新たにし大きく息を吐くと、エルは戦利品を拾うことにした。魔石の他に肉が落ちている。狂猪(マッドボア)は、通常の落し物ノーマルドロップ希少な落とし物レアドロップの両方に食材が出る有り難い存在だ。この肉も通常の落し物ノーマルドロップのロース肉か、希少な落とし物レアドロップのモモ肉のどちらかであろう。
 今日の夕飯を楽しみに思いながら迷宮の探索を再開するのであった。   
 
 新たな力を得たエルにとって、6階層の魔物は物足りなく感じるほどであった。
 火蜥蜴ファイアーリザードは鈍間な砲台であり、火炎の息を避けるか廻し受けで捌けば、後はどうとでもなる相手であった。ただ、アルドの言った通りに初めて廻し受けで炎を捌けた時は、感動の余り敵の前だというのに立ち尽くすという失態を犯してしまったが、動きの遅い相手だったのが幸いし問題なく対処できた。
 また、狂猪(マッドボア)についても、全力を込めた武人拳でなくとも問題なく倒すことが可能であった。さすがに爆散するということはなかったが、鼻を砕けばすぐに弱点となる頭に拳が行き付く。通常の武人拳で鼻を粉砕した勢いを衰えさせずに頭蓋を割り脳髄に拳を埋め込むと、1撃で落命するので大した苦労を感じなかったのだ。
 しかし、戦法を変えて闘ってみると狂猪マッドボアは難敵の名に恥じぬ強敵であった。あえて情報誌通りに突進を避けて追いかけ、後ろから背中や腹に気を用いない蹴りや突き、そして肘撃を放ったが、分厚い筋肉に阻まれ中々致命傷を与えられず苦戦を強いられた。気を使用しない攻撃では狂猪マッドボアの堅牢な肉体を崩すことができず、急所となる頭部に肘を垂直に打ち降ろし、脳を破壊することでようやく倒すことができた。
 さらに、好奇心のなせる技なのか、別の狂猪マッドボアの突進にただの中段突きで対抗してみたりもした。エルとしては武人拳との威力の違いを知りたかったのかもしれないが、突進を一瞬程度しか押し止めることしかできず、あえなく跳ね飛ばされてしまった。狂猪マッドボアの突進は凄まじい威力を誇り、1撃で右手が使い物にならなくなってしまうほどであった。傷む体を無理やり動かし、左拳で武人拳を放ち狂猪マッドボアを仕留め魔法の小袋マジックポーチから回復薬を取り出すと、右手を回復させるのに4本も飲む羽目になった。
 苦い経験ではあったが、気の力はエルの攻撃力を何倍にも増幅することは検証できた。狂猪マッドボアは8階層まで出現するので、9階層に降りるまでには気の力なしでも突進に対抗する力を身に付けようと、エルは秘かに復讐を誓うのであった。

 その後は対処の仕方は確立しているので、魔物を発見すると手当たり次第に叩き潰し、戦利品を回収していった。5階層までの魔物より魔素を多く持っているせいか、倒した後に魔素を吸収し肉体が活性するかのような感覚に陥る。自身の強化の糧になってくれる魔物達に感謝の念を抱きつつ、エルは魔物達との戦闘に没頭し遮二無二魔物を屠り続けた。
 日が傾いたころに7階への転移陣を発見すると、疲労も蓄積しているので直ちに7階に飛び、7階層で地上への帰還用の転移陣に自身の血を垂らして登録を行うと、さっさと地上に帰還した。

 本日の戦果は上々で、昼からの探索にもかかわらず食材を除いて銀貨20枚になった。現在の所持金は銀貨50枚以上になる。5階層では1日頑張って銀貨10枚程度であるから、6階層の魔物の報酬の高さにエルは驚嘆した。
 だが報酬が増える分には文句が出ようはずがない。
 エルは本日の戦闘とその戦果に満足すると、リリやシェーバが待つ宿屋に上機嫌で引き上げるのだった。
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