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第3章
第43話
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季節は夏真っ盛りである。
早朝だというのに既に熱気を感じ、窓から差し込む陽光を受けてエルは目を覚ました。大きく欠伸をしながら伸びをすると、勢い良くベッドから立ち上がり服を着替える。夏のせいか薄着で寝ていても茹でる様な暑さである。
エルは夜食事を取った後は特段する事がないので、すぐ寝てしまい早起きする、早寝早起きの生活をしている。睡眠をしっかり取っているので、早朝でも快適な状態で起きられる、実に健康的な生活を送っているのだ。
まあ、日中はひたすら修行か魔物との闘いしかしていないので、殺伐とした生活を送っているとも言えなくもないのだが……。
エル本人としては今の生活に一切不満はなく、充実した毎日を送れる事を喜んでいた。気を用いて手を槍化させる修行を始めて、およそ10日。武器店“竜を屠る槌”に訪れ屠竜槍トラログを見学させてもらって槍のイメージを固め、武神流の修練場で研鑽を積み、その後迷宮で魔物相手に実践の日々を繰り返したのだ。何度も指を折りながら練磨した結果、ついに鋼鉄の皮膚と強健な筋肉を持つ蛮巨人(ワイルドジャイアント)の腹を一撃で貫ける段階にまで至っていた。ようやく実戦でも使用できるレベルになったといった所だ。
だが、屠竜槍トラログの、あの真なる竜の鱗さえ貫く刃に比べたら、まだまだ未熟と言わざるを得ない。
先はまだまだ長いが、一様の成功を得ているエルには悲壮感は全くなかった。むしろ、毎日の努力のおかげで己の成長を実感できているので、モチベーションは高かい。さあ今日もがんばろうと発奮すると、自己主張し始めたお腹の要求に応えるために一階の食堂に降りるのだった。
一階ではリリと一緒に亜麻色の長い髪をした、どことなく儚そうな感のある妙齢の女性がテーブル拭きをしていた。おそらくリリの母のマリナであろう。
マリナは病気がちで臥せっていることが多いらしく、早朝に食事を済まして出掛けてしまい、夜にならないと帰ってこないエルとはまだ面識がなかったのである。
「リリ、おはよう」
「エル、おはよう。こっちは私のお母さんよ」
「おはようございます! 僕はエルです」
「あら、おはよう。エルくんの事はいつもリリから聞いているわ」
「ちょっと! お母さん、変なこと言わないでよ」
エルはマリナと笑顔で挨拶を交わしたが、やはり線の細い印象を受けるのは否めない。どこが悪いか詳しく聞いていないが、体が良くないのは間違いはないようだ。
リリはというと、エルの事をマリナにどう話したのかのかはわからないが、口止めしようと必死のようだ。焦りながら手をパタパタ振って、マリナの口を塞ごうとしている。実に微笑ましい。
「ふふふっ、リリったら最近はエルくんの話ばっかりなのよ。新しくできた友達のことが嬉しくて仕方ないみたいなの」
「お母さん、止めてよ!」
恥ずかしそうにマリナの話を止めようとするリリの姿が可愛らしい。普段はお姉さん振るリリにも、隠しているが年相応の幼い所があるようだ。
エルは何だかほっこりと心が温かくなり、柔らかな笑みを浮かべた。
「そう言ってもらえるとうれしいです。リリはとても大切な友達です」
「ちょっ、ちょっと、エル! 止めてよ、恥ずかしいじゃない」
リリの顔はそれはもう真っ赤である。エルの飾らない率直な言葉はうれしいようだが、母の前で言われた羞恥で更に顔を赤く染め上げている。娘のそんな様子が大層嬉しいらしく、マリナは柔和な笑顔を浮かべている。
しかし、突然顔を歪めると咳き込んでしまう。リリは忽ち真っ赤な顔を引っ込めると、心配そうに母の背中を摩った。
「お母さん!? 大丈夫? やっぱり、こんな早朝から起きて仕事したら体に悪いよ。苦しいなら無理せず休んで!」
「大丈夫、少し咳き込んだだけよ。今日はいつもより調子がいいの」
気遣う娘を安心させるように、マリナは笑みを浮かべ気丈に振舞った。
だが、その笑みは若干強張っており、無理している様子が感じられる。
「マリナさん、本当に大丈夫ですか? 無理するとよくないですよ」
「エルくん、心配してくれてありがとう。自分の体のことですもの、自分が一番良くわかっているわ。きついとと思ったらちゃっと休むわ」
何度か呼吸を繰り返すうちに、マリナの体の振るえも治まったようだ。咳も止んだようだし、外見的には問題ないように思える。
リリも母の意志は固いとみて、苦言を呈するだけに留めた。
「お母さん、無理だけはしないでね」
「リリ、いつも心配掛けてごめんね。体調が悪くなったら、ちゃんと部屋に戻って休むから。さっ、この話はお仕舞い。エルくんは朝食かしら?」
「あっ、はい。もうお腹が空いてペコペコです」
「あらあら、それじゃいっぱい食べなくちゃね」
エルの子供染みた答えに、幾分顔を青褪めながらもマリナは楽しそうに笑った。自分に息子がいたらこんな感じだろうかと空想して、言葉も柔らかくなる。
そこにリリが言葉を挟んだ。
「エルが起きて来る時間はだいたい同じだから、もう父さんがエルの朝食を作っているわ。適当に腰掛けて待っててくれれば、すぐ持ってくるわ。エルはいーぱっい食べるから、お母さん驚かないでね」
「ふふっ、男の子はそうじゃなくちゃね」
マリナの視線はまるで我が子を見る様に優しい。エルはむず痒くなって頭を描いた。気恥ずかしいので、リリに朝食をお願いしてさっさと退散することにする。
「そっ、それじゃあ、リリお願い。僕は席に座って待ってるから」
「はいはい、すぐ持ってくるから待ってなさい」
リリはエルが腹ペコで辛抱堪らないとのだと勘違いして、しょうがないんだからとばかりに少しお姉さん振って見せる。
マリナはエルとリリのやり取りが気に入ったのか、くすくすと笑っている。
エルはどうにも恥ずかしいので、適当な椅子に腰掛けてそっぽを向くのだった。
エルが席に座ると間を置かず、リリとマリナが朝食を運んできてくれる。シェーバがエルの起きる時間を見越して準備をしてくれていたようだ。その心遣いがうれしい。後でシェーバにお礼しておこうと心に決める。
リリ達が運んできてくれたのは、焼きたてのパンにククの実のジュース、新鮮なサラダに大きな魚、メイパーチをメインにした煮物である。どれもエル用に合わせてくれたのか大盛りである。他の冒険者の2倍近い量だ。
これは食べ応えがありそうだと、エルはにんまりと笑った。
「エルくん、本当に食べれる? すごい量だけど……」
マリナが心配そうに見つめてくる。夫のシェーバが用意したので間違いはないと思いたいが、朝から本当にこんなに大量の食事を食べれるのかと不安なようだ。
そんなマリナの様子をリリが笑い飛ばす。
「いいのいいの、エルにはこれでも少し足りないぐらいなんだから」
「ええ、腹8分くらいの量ですよ」
「まあっ、いっぱい食べるのね!!
若い子は食欲旺盛なのね」
「エルが特別食べるのよ。一日中ほとんど休みなしで体を動かすから、お腹がすくんだって」
エルは照れて頭を掻いた。故郷に居た頃は、確かにこれほど食事を必要としなかった。激しい修行と血で血を洗う闘争が、多くの食物を必要としているのだろう。
マリナもエルの様子を見て問題なく食べ切れる事が分かったので、ほっと安堵した。
「そうなの。それじゃあ、いっぱい食べて精力つけなくっちゃね。どうぞ召し上がれ」
「はいっ、いただきます!!」
エルは元気に返事をすると、ククの実のジュースを飲みパンをちぎって、勢いよく食べ始めた。その様は、傍で見ているマリナが吃驚する程の健啖ぶりである。そして、実においしそうに食べている姿は見ていて気持ちが良い。
マリナとリリ、母娘揃ってにこやかに笑った。
「さて、掃除の続きをするわ。終わったらまた来るわね」
「わかったよ」
「それじゃあエルくん、またね」
エルが頭を下げると、リリとマリナが手を振って去って行く。リリもマリナがいるせいか、どことなく嬉しそうだ。やはり一緒に仕事できるのでご機嫌なのだろう。
そんな二人の姿を背に、エルは食事に専念することにした。
サラダは、数種類の新鮮な葉野菜に砂礫竜の燻製肉の薄切りが添えられ、シェーバ特性のすっきりとして後味の良いドレッシングが掛かっている。
サラダ単体でも美味しいが、ちぎったパンに乗せて食べると更に旨い。エルの顔は満足そうに緩んだ。
そして、主采のメイパーチの煮物に手を付ける。このメイパーチは迷宮の18階層の清流で取れる魚で、全長がエルの腕ほどある銀色の体表を持つ美しい魚である。18階層で取れる魚の中ではポピュラーなものだが、この魚を買おうとしたら銀貨1枚、一般市民の半月分近い食事代がかかる高額な魚だ。裕福な者か冒険者でなければおいそれと口にできないご馳走である。そのメイパーチに同じく18階層で採れるマール貝、黄土色の円筒形の貝にテム貝、藍色の扇形の2枚貝を加え、さらに数種の野菜と共に煮込み調味料で味付けしたのが、本日のメインである。
まず、スプーンで煮物の汁を吸ってみる。口内に広がる芳醇な味に、頬の肉が下がりそうだ。魚貝や野菜の味が染み出していて混ざり合い、複雑で豊かな味になっている。今度は、フォークとナイフでメイパーチを切り分け、その身を口に入れる。メイパーチ自体は癖のないあっさりとした白身の魚だが、貝の旨みや投入した野菜、そして調味料の味がしっかり染込んで玄妙な味になっている。奥深く何度でも味わいたい極上な味に、快哉を叫びたくなる気分だ。次から次へと口に放り込み咀嚼していくと、けして小振りではないメイパーチが、見る間にエルの中に消えていった。マール貝やテム貝も味もさることながら、噛んだ時のコリコリとした食感がいい。歯ごたえのない煮魚に対するアクセントになって楽しませてくれる。
気持ち良く豪快に食べていると、いつの間にか一仕事終えたリリとマリナが座っている事に気付く。おそらく食事の邪魔をしないように気を使ってくれたのだろう。その心遣いに感謝しさっさと食べ終えると、二人との食後の語らいを楽しんだ。母娘仲の良いリリとマリナとの語らいは、エルの心をほぐしてくれた。それは一服の清涼剤のようにエルの心に爽やかな風を届け、気持ち和らぐ穏やかな時間であった。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「ええ、気を付けてね。いつも言ってるけど、無謀な事だけはしないでね」
「エルくん、頑張ってね」
「はい、頑張ってきます」
リリからシェーバ特製の弁当を受け取ると、二人に見送られながらエルは宿を後にした。二人と少々長く楽しい時間を過したが、まだ日が昇ってからそんなに経っていない。通りを歩く人も疎らである。
リリとマリナのお陰で気分爽快、やる気も十分である。
二人に感謝しつつ今日も頑張ろうと両頬を叩き気合を入れると、迷宮に向けて颯爽と走り出すだった。
早朝だというのに既に熱気を感じ、窓から差し込む陽光を受けてエルは目を覚ました。大きく欠伸をしながら伸びをすると、勢い良くベッドから立ち上がり服を着替える。夏のせいか薄着で寝ていても茹でる様な暑さである。
エルは夜食事を取った後は特段する事がないので、すぐ寝てしまい早起きする、早寝早起きの生活をしている。睡眠をしっかり取っているので、早朝でも快適な状態で起きられる、実に健康的な生活を送っているのだ。
まあ、日中はひたすら修行か魔物との闘いしかしていないので、殺伐とした生活を送っているとも言えなくもないのだが……。
エル本人としては今の生活に一切不満はなく、充実した毎日を送れる事を喜んでいた。気を用いて手を槍化させる修行を始めて、およそ10日。武器店“竜を屠る槌”に訪れ屠竜槍トラログを見学させてもらって槍のイメージを固め、武神流の修練場で研鑽を積み、その後迷宮で魔物相手に実践の日々を繰り返したのだ。何度も指を折りながら練磨した結果、ついに鋼鉄の皮膚と強健な筋肉を持つ蛮巨人(ワイルドジャイアント)の腹を一撃で貫ける段階にまで至っていた。ようやく実戦でも使用できるレベルになったといった所だ。
だが、屠竜槍トラログの、あの真なる竜の鱗さえ貫く刃に比べたら、まだまだ未熟と言わざるを得ない。
先はまだまだ長いが、一様の成功を得ているエルには悲壮感は全くなかった。むしろ、毎日の努力のおかげで己の成長を実感できているので、モチベーションは高かい。さあ今日もがんばろうと発奮すると、自己主張し始めたお腹の要求に応えるために一階の食堂に降りるのだった。
一階ではリリと一緒に亜麻色の長い髪をした、どことなく儚そうな感のある妙齢の女性がテーブル拭きをしていた。おそらくリリの母のマリナであろう。
マリナは病気がちで臥せっていることが多いらしく、早朝に食事を済まして出掛けてしまい、夜にならないと帰ってこないエルとはまだ面識がなかったのである。
「リリ、おはよう」
「エル、おはよう。こっちは私のお母さんよ」
「おはようございます! 僕はエルです」
「あら、おはよう。エルくんの事はいつもリリから聞いているわ」
「ちょっと! お母さん、変なこと言わないでよ」
エルはマリナと笑顔で挨拶を交わしたが、やはり線の細い印象を受けるのは否めない。どこが悪いか詳しく聞いていないが、体が良くないのは間違いはないようだ。
リリはというと、エルの事をマリナにどう話したのかのかはわからないが、口止めしようと必死のようだ。焦りながら手をパタパタ振って、マリナの口を塞ごうとしている。実に微笑ましい。
「ふふふっ、リリったら最近はエルくんの話ばっかりなのよ。新しくできた友達のことが嬉しくて仕方ないみたいなの」
「お母さん、止めてよ!」
恥ずかしそうにマリナの話を止めようとするリリの姿が可愛らしい。普段はお姉さん振るリリにも、隠しているが年相応の幼い所があるようだ。
エルは何だかほっこりと心が温かくなり、柔らかな笑みを浮かべた。
「そう言ってもらえるとうれしいです。リリはとても大切な友達です」
「ちょっ、ちょっと、エル! 止めてよ、恥ずかしいじゃない」
リリの顔はそれはもう真っ赤である。エルの飾らない率直な言葉はうれしいようだが、母の前で言われた羞恥で更に顔を赤く染め上げている。娘のそんな様子が大層嬉しいらしく、マリナは柔和な笑顔を浮かべている。
しかし、突然顔を歪めると咳き込んでしまう。リリは忽ち真っ赤な顔を引っ込めると、心配そうに母の背中を摩った。
「お母さん!? 大丈夫? やっぱり、こんな早朝から起きて仕事したら体に悪いよ。苦しいなら無理せず休んで!」
「大丈夫、少し咳き込んだだけよ。今日はいつもより調子がいいの」
気遣う娘を安心させるように、マリナは笑みを浮かべ気丈に振舞った。
だが、その笑みは若干強張っており、無理している様子が感じられる。
「マリナさん、本当に大丈夫ですか? 無理するとよくないですよ」
「エルくん、心配してくれてありがとう。自分の体のことですもの、自分が一番良くわかっているわ。きついとと思ったらちゃっと休むわ」
何度か呼吸を繰り返すうちに、マリナの体の振るえも治まったようだ。咳も止んだようだし、外見的には問題ないように思える。
リリも母の意志は固いとみて、苦言を呈するだけに留めた。
「お母さん、無理だけはしないでね」
「リリ、いつも心配掛けてごめんね。体調が悪くなったら、ちゃんと部屋に戻って休むから。さっ、この話はお仕舞い。エルくんは朝食かしら?」
「あっ、はい。もうお腹が空いてペコペコです」
「あらあら、それじゃいっぱい食べなくちゃね」
エルの子供染みた答えに、幾分顔を青褪めながらもマリナは楽しそうに笑った。自分に息子がいたらこんな感じだろうかと空想して、言葉も柔らかくなる。
そこにリリが言葉を挟んだ。
「エルが起きて来る時間はだいたい同じだから、もう父さんがエルの朝食を作っているわ。適当に腰掛けて待っててくれれば、すぐ持ってくるわ。エルはいーぱっい食べるから、お母さん驚かないでね」
「ふふっ、男の子はそうじゃなくちゃね」
マリナの視線はまるで我が子を見る様に優しい。エルはむず痒くなって頭を描いた。気恥ずかしいので、リリに朝食をお願いしてさっさと退散することにする。
「そっ、それじゃあ、リリお願い。僕は席に座って待ってるから」
「はいはい、すぐ持ってくるから待ってなさい」
リリはエルが腹ペコで辛抱堪らないとのだと勘違いして、しょうがないんだからとばかりに少しお姉さん振って見せる。
マリナはエルとリリのやり取りが気に入ったのか、くすくすと笑っている。
エルはどうにも恥ずかしいので、適当な椅子に腰掛けてそっぽを向くのだった。
エルが席に座ると間を置かず、リリとマリナが朝食を運んできてくれる。シェーバがエルの起きる時間を見越して準備をしてくれていたようだ。その心遣いがうれしい。後でシェーバにお礼しておこうと心に決める。
リリ達が運んできてくれたのは、焼きたてのパンにククの実のジュース、新鮮なサラダに大きな魚、メイパーチをメインにした煮物である。どれもエル用に合わせてくれたのか大盛りである。他の冒険者の2倍近い量だ。
これは食べ応えがありそうだと、エルはにんまりと笑った。
「エルくん、本当に食べれる? すごい量だけど……」
マリナが心配そうに見つめてくる。夫のシェーバが用意したので間違いはないと思いたいが、朝から本当にこんなに大量の食事を食べれるのかと不安なようだ。
そんなマリナの様子をリリが笑い飛ばす。
「いいのいいの、エルにはこれでも少し足りないぐらいなんだから」
「ええ、腹8分くらいの量ですよ」
「まあっ、いっぱい食べるのね!!
若い子は食欲旺盛なのね」
「エルが特別食べるのよ。一日中ほとんど休みなしで体を動かすから、お腹がすくんだって」
エルは照れて頭を掻いた。故郷に居た頃は、確かにこれほど食事を必要としなかった。激しい修行と血で血を洗う闘争が、多くの食物を必要としているのだろう。
マリナもエルの様子を見て問題なく食べ切れる事が分かったので、ほっと安堵した。
「そうなの。それじゃあ、いっぱい食べて精力つけなくっちゃね。どうぞ召し上がれ」
「はいっ、いただきます!!」
エルは元気に返事をすると、ククの実のジュースを飲みパンをちぎって、勢いよく食べ始めた。その様は、傍で見ているマリナが吃驚する程の健啖ぶりである。そして、実においしそうに食べている姿は見ていて気持ちが良い。
マリナとリリ、母娘揃ってにこやかに笑った。
「さて、掃除の続きをするわ。終わったらまた来るわね」
「わかったよ」
「それじゃあエルくん、またね」
エルが頭を下げると、リリとマリナが手を振って去って行く。リリもマリナがいるせいか、どことなく嬉しそうだ。やはり一緒に仕事できるのでご機嫌なのだろう。
そんな二人の姿を背に、エルは食事に専念することにした。
サラダは、数種類の新鮮な葉野菜に砂礫竜の燻製肉の薄切りが添えられ、シェーバ特性のすっきりとして後味の良いドレッシングが掛かっている。
サラダ単体でも美味しいが、ちぎったパンに乗せて食べると更に旨い。エルの顔は満足そうに緩んだ。
そして、主采のメイパーチの煮物に手を付ける。このメイパーチは迷宮の18階層の清流で取れる魚で、全長がエルの腕ほどある銀色の体表を持つ美しい魚である。18階層で取れる魚の中ではポピュラーなものだが、この魚を買おうとしたら銀貨1枚、一般市民の半月分近い食事代がかかる高額な魚だ。裕福な者か冒険者でなければおいそれと口にできないご馳走である。そのメイパーチに同じく18階層で採れるマール貝、黄土色の円筒形の貝にテム貝、藍色の扇形の2枚貝を加え、さらに数種の野菜と共に煮込み調味料で味付けしたのが、本日のメインである。
まず、スプーンで煮物の汁を吸ってみる。口内に広がる芳醇な味に、頬の肉が下がりそうだ。魚貝や野菜の味が染み出していて混ざり合い、複雑で豊かな味になっている。今度は、フォークとナイフでメイパーチを切り分け、その身を口に入れる。メイパーチ自体は癖のないあっさりとした白身の魚だが、貝の旨みや投入した野菜、そして調味料の味がしっかり染込んで玄妙な味になっている。奥深く何度でも味わいたい極上な味に、快哉を叫びたくなる気分だ。次から次へと口に放り込み咀嚼していくと、けして小振りではないメイパーチが、見る間にエルの中に消えていった。マール貝やテム貝も味もさることながら、噛んだ時のコリコリとした食感がいい。歯ごたえのない煮魚に対するアクセントになって楽しませてくれる。
気持ち良く豪快に食べていると、いつの間にか一仕事終えたリリとマリナが座っている事に気付く。おそらく食事の邪魔をしないように気を使ってくれたのだろう。その心遣いに感謝しさっさと食べ終えると、二人との食後の語らいを楽しんだ。母娘仲の良いリリとマリナとの語らいは、エルの心をほぐしてくれた。それは一服の清涼剤のようにエルの心に爽やかな風を届け、気持ち和らぐ穏やかな時間であった。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「ええ、気を付けてね。いつも言ってるけど、無謀な事だけはしないでね」
「エルくん、頑張ってね」
「はい、頑張ってきます」
リリからシェーバ特製の弁当を受け取ると、二人に見送られながらエルは宿を後にした。二人と少々長く楽しい時間を過したが、まだ日が昇ってからそんなに経っていない。通りを歩く人も疎らである。
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