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第3章
第52話
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翌日、エルはアルドと連れ立ってとある豪奢な商館の前に来ていた。
昨夜苦しむマリナの姿を見て居ても立っても居られなくなったエルは、9つ星の上位冒険者であり自分の武術の師でもあるアルドの元に駆け込むと、何とかできないかと頭を下げ頼み込んだのだ。日頃から目を掛け愛弟子といっても過言ではないエルの懇願にアルドは快く応じ、武神流の神殿に商品を卸しており、かつ自分も懇意にしている商人に問い合わせてくれる仕儀と相成ったのである。
エルの相談を受けた時点で夜半過ぎており、商館も閉まっているので翌日訪問する事になり、エルもアルドに同行させてもらったというわけだ。
訪れた商館はこの都市を6つに分ける大通りに面し、商業区画の中心部にその存在を誇示するかの様な大きく美麗な建物であった。美観を考慮しているのか、木造の造りであるがわざと木目の美しさが残るように塗装が施されている。自然との調和をコンセプトにした実に優美な建築物である。
エルはアルドの後ろについて商館に入ると、既に多くの人が忙しなく行き来をしている。中には商談用と思しきテーブルに付き店の者と会談している商人の姿もいくつか見受けられた。大神である武神シルバの神殿に商品を卸す商人の館だけあって、朝から実に活気が溢れていた。
アルドが店員に話をすると、ほとんど待つ事無く奥に通される。
案内された部屋に入ると初老に差し掛かったであろう、青髪に白髪の混じり始めた痩身の紳士然とした館主と思しき男が、友好的な笑顔で歓迎してくれた。突然の訪問であるが館主自らが出迎えてくれたという事は、日頃から武神流との商いが盛んであり、アルド神官を含めた司祭や神官達との付き合いが重要だと判断している証左であろう。
アルドもにこやかな顔で応じ、男に礼を述べた。
「エピタフ殿、急な訪問でわざわざ時間を取って頂いて申し訳ない」
「いえいえ。アルド様にはいつもお世話になっておりますし、私の予定を空けるなど操造作もないことですよ。さて、立話もなんでしょう。どうぞソファーにお掛けください」
アルドを立てた謙った態度でエル共々ソファーに案内する。嫌味を感じさせず、その所作一つとっても実に洗練されている。流石はこの商会を切り盛りするやり手の男という所だろう。進められるままエルは大きな黒い革製のソファーに座ると、綿を大量に詰めてあるのか非常に柔らかく体が沈み込んだ。壁に飾られている絵画やインテリアは金銀財宝を散りばめた過度に豪華なものではなく、部屋との調和は壊さないが控え目ながらも品の良さを主張している。これなら長時間居ても疲労も少ないだろう。実務的に設えられた素晴らしい一室である。
「それで今回はどういったご用件でございましょうか?」
「うむ、実は手に入れて欲しい物があるのだ。67階層のレアモンスターといえば、エピタフ殿なら分かるだろう?」
「なるほど、薬の原料となるあれのことですな。ですが、それは困りましたな……」
これまで笑顔を崩さなかったエピタフの顔が初めて曇り、言葉を詰まらせた。
シェーバから品薄でほとんど手に入らないと聞いていたが、大商人のエピタフでも入手な困難な事情でもあるんのだろうか。
エルはエピタフに事情を聞いてみる事にした。
「何か問題があるんですか?」
「あのモンスターは出現する事も稀で、それこそ1月に1度も目撃情報が出ない事もあるのはご承知の通りかと思います。それに加えて薬の原料になる事が諸国にも知れ渡ってしまい、稀にオークションで出品されたとしても、諸国の王族御用達の商人が何倍にも吊り上げて買い取っていってしまうのですよ。今は完全に需要に対して供給が追い付いていないのです。私共としても、これほどの品薄となるとは思ってもみなかったのですよ」
「エピタフ殿ほどの商人でも入手できないのか?」
「残念ながらすぐに手に入れられるとは確約はできませんな」
重苦しい沈黙が辺りを支配した。薬の材料として各国に認知されるようになり、近隣諸国がこぞって買い求めるので、唯でさえ品薄なのにさらに手に入り辛くなったということだ。
エピタフが言い難そうにしながらも、商人らしくシビアに現状出来得る事を告げた。
「他ならぬアルド様からのご依頼ですから、当方としても全力を尽くさせて頂きます。ただし、いつ手に入るかはこちらとしても予測が立ちません。少なくとも数ヶ月は覚悟して頂きたいと存じます」
「そんなっ!! こうしている間にも、マリナさんの容態が悪化するかもしれないのに」
「なるほど、お知り合いの方が病に侵されているのですね。ですが、我々は神ならぬ人の身でございます。できる事には何事にも限度があるのです」
思わず声を荒げてしまったが、エピタフの言い分が正しい事はエルも分かっていた。ただ、何もできないもどかしさがエルの心を掻き乱し興奮させ、つい言わなくてもいい事を発しさせたのだ。見兼ねたアルドが横からエルを窘める。
「エル。エピタフ殿に無理を言ってもどうにもならない事はわかっているだろう? 心配なのはわかるが、少し冷静になれ」
「アルド神官……。そうですね。エピタフさん、無茶を言ってすいませんでした」
「いえいえ、よろしいのですよ。近しい人が苦しんでいるのであれば、誰だって平静ではいられません。私共もこんな状態でさえなければ、1月以内に手に入れてみせますと言えたのですが……」
「いえ、それはエピタフさんのせいではありません。手に入れようと尽力してもらえるだけでもありがたいです」
「そう言って頂けると助かります。それと……、購入費用についてですが、通常なら大金貨5枚が相場でしたが、こちらの手数料を無しにしたとしても20~25枚程度を覚悟して頂きたい」
エピタフから告げられた金額は途方もない額であった。
元々の相場の大金貨5枚、金貨500枚でも非常に高額である。大金貨20枚ともなれば、一般的な家族6人の年間の生活費が銀貨50枚であることを勘案すると、のべ2万人以上の人々を1年間裕に養う事のできる額なのだ。
エルの愛用している猛虎の武道着や籠手にしても、全部で金貨30枚程度である。
そこから考えても、到底薬の材料一つに掛かる金額とは思えない、馬鹿げた非常識な値である事がわかるだろう。
エルはもうじき4つ星になろうとしている冒険者であり、ソロでありながら近層の魔物を簡単に屠殺できる力を持っている。加えて武器は必要とせず、高速戦闘を得手としており回避主体なので防具のメンテナンスもあまり必要としない。さらに戦闘狂の性格のおかげで迷宮に潜っても疲れ辛いという稀有な性格の持ち主なのでほぼ毎日迷宮探索を行え、同ランクの冒険者に比べて圧倒的に金銭に余裕があった。
そのエルをもってしても、全財産は大金貨10枚と少々といった所だ。エルでは金銭不足で購入する事も叶わないという事だ。おそらく、宿を経営しているとはいえ、新人や下位冒険者向けに金額をできるだけ抑えているシェーバにしても、払える金額ではないだろう。エルは自分が偶然手に入れた事にして渡すか、シェーバ達が難色を示した場合を考え、最悪相場で売り高騰分は黙っておく心算であったが、現状では買う事すらできない。計画は砂上の楼閣の如く脆くも崩れたのである。
悔しさで我知らず盛大な歯ぎしりの音を発ててしまった。
「エル。もしお金が足りないのなら、私が立替えてやってもいいのだぞ。これでも9つ星の冒険者だ。最近は教導の仕事のお蔭であまり迷宮に潜れていないが、蓄えは十分にある」
「アルド神官……」
「遠慮することはない。私はエルの事を信頼している。エルなら必ず返せる額だろう」
アルドの有り難い申し出と信頼がエルの胸を付いた。これほど自分の事を思ってくれていたとはついぞ考えもしなかった。自分を信頼し大金を惜しげもなく貸してくれるというアルドの思いが嬉しかった。エルは素早く頭を巡らし熱い思いに涙が零れになるのを必死に堪えると、居住まいを正し深々とアルドに頭を垂れた。
「アルド神官。本当にありがとうございます。1ヶ月。もし1ヶ月以内にお金が必要になったら、その申し出を有り難く受けさせて頂きたいと思います」
「ほぅ、1ヶ月後にはその金額を貯めてみせるということか。大きくでたな」
「今手元にあるのは大金貨10枚程度ですが、この1ヶ月で必ず25枚まで貯めてみせます」
エルの宣言にアルドは一瞬虚を付かれ、その後場を気にせず朗らかな笑い声を上げ始めた。
優秀だ優秀だと愛弟子の事を評価していたが、それでもまだ過小評価していた事に気付かされたからである。
まず、大金貨10枚もの所持金を持っている事に驚いた。ソロで戦利品を配分しなくていい分儲かるとはいえ、エルは鉱物や動植物の採取の依頼をほとんど受けず、魔物の討伐から得た戦利品のみでその金額を稼ぎ出したのだ。武器や防具を落とす様な特殊な魔物を除けば、一体倒したとしても銀貨20枚いくかどうかである。回復薬や毒消し薬などの消耗品の補充も必要であるから、それこそ幾千もの魔物の屍を築かねば稼げない金額だろう。
元々アルドにしても、すぐに返して貰おうとは微塵も思っていなかった。エルの攻略速度を考慮して、数ヶ月からおそくとも1年の間で返してもらえれば十分だと判断していたのだ。だが、エルはこの大金をもし借りたなら、たった1ヶ月で返してみせると豪語したのだ。3つ星、いや4つ星の冒険者でも不可能な事をエルはやると断言してのけたのである。達成するためには、それこそ何千何百もの魔物達の骸で屍山血河を築かねばならないが、少年の瞳には絶対に遂行してみせるという不退転の決意が宿っていた。普通なら一笑に付す所だが、エルならばもしかしたらできるかもしれないと思わせる、不思議な説得力があった。
愛弟子の好ましい態度にアルドは目を細めると、もう一度愉快そうに笑った。
「エル、その金額を1ヶ月で稼げるようになるのは上位冒険者の領域だぞ。もうすぐ4つ星とはいえ、3つ星のお前がそんな短期間に稼ぐというのか?」
「アルド神官に教わった武神流の技に誓って、必ず成し遂げてみせます!!」
意気軒昂、溢れんばかりの闘志を剥き出しにしてエルは断言した。
そんなエルの姿を師として嬉しく思わないはずはない。アルドは破顔すると、軽く頷いた。
「その意気や良し!! お前の思うようにしてみろ」
「はい、やってみます!」
「素晴らしい、アルド様がここまで親身になるとは。余程エル様の事をかっておられるのですね」
「私の愛弟子だからな。エピタフ殿。エルは今は名も知れぬ下位冒険者だが、やがて武神流の次代を担う1人として活躍してくれると、私は信じているのだ」
「なんと!!そこまでですか……」
エルと過ごした日々、それは一年にも満たない月日であったが、アルドはエルの事を心底信頼し可愛がっていたのだ。早朝から夜遅くまで鍛錬を積み、アルドの指導を嬉々として取り入れ、武神流の技を己がものにせんとエルは努力を欠かさなかった。迷宮に潜る場合があっても短時間でも修練場に訪れ、3日以上顔を出さない事など皆無であった。
それほど熱心で勤勉な弟子を、逆に信頼しないという程が難しい。アルドの教えを何度も試行錯誤を繰り返しながら着実にものにしていくエルの姿は、指導冥利に尽きるというものである。アルドは心底エルの様な弟子を得られた事を喜んでいたのである。
一方のエルはというと、そこまで自分を評価してくれるアルドに感激し、嬉しいやら恥ずかしいやらと顔の火照りを抑えるのに必死であった。
エピタフもアルドが弟子をそこまで評するのを聞いたのは初めての事である。目の前のあどけない少年の姿からは想像も付かなかったが、アルドが虚言を繰る趣味がない事を重々承知していたので、真に愛弟子として期待しているのだと判断した。
今後の事を考慮して、この依頼は当商会としても全力を尽くさねばならないと判ずると、現行で取れる最善手を提案することにした。
「それならば、私の方から協会にクエストとしてこの材料の入手を依頼しておきましょう。高額の報酬を提示しておけば、オークションを通さずに入手できる可能性もあります。それと部下には情報収集を徹底させておきますので、例の品のオークション開催の際には万全の状態で挑めるようにしておきます。無論、何か手掛かりがあり次第、アルド様には御知らせするように致します」
「何から何まですまないな。エピタフ殿にはいつも世話を掛けて申し訳ない」
「いえいえ。当方としても、他国の商人に競り落とされてばかりでは迷宮都市の商人の沽券に関わりますので、この機会に鼻を明かして御覧に入れましょう」
恩着せがましい科白は一切口にしていない。武神流の門徒達は武人の名に恥じず受けた恩は絶対に返す、真に義理堅い者達が揃っている事をエピタフはよく理解していた。ここで自分が労苦を厭わず奮励すれば、必ずそれに報いてくれるのは武神流なのである。増してやアルド程の人物がこれほど見込んでいる人物である。恩を売っておくに越した事はない。必ず自分に見返りがあるだろうと、商人らしい冷徹な計算を表情には億尾にも出さずに心中でなしたのである。百戦錬磨の大商人らしき先々を見通した対応であった。
その後は軽い世間話をすると、アルドはエルを連れ立って商館を辞去するのだった。爽やかな笑顔でアルド達を身をくったエピタフは口早に部下に呼び出しいくつかの指示を出し、アルドが紹介した少年、エルについても未来を見据えて情報収取するように命ずるのであった。
昨夜苦しむマリナの姿を見て居ても立っても居られなくなったエルは、9つ星の上位冒険者であり自分の武術の師でもあるアルドの元に駆け込むと、何とかできないかと頭を下げ頼み込んだのだ。日頃から目を掛け愛弟子といっても過言ではないエルの懇願にアルドは快く応じ、武神流の神殿に商品を卸しており、かつ自分も懇意にしている商人に問い合わせてくれる仕儀と相成ったのである。
エルの相談を受けた時点で夜半過ぎており、商館も閉まっているので翌日訪問する事になり、エルもアルドに同行させてもらったというわけだ。
訪れた商館はこの都市を6つに分ける大通りに面し、商業区画の中心部にその存在を誇示するかの様な大きく美麗な建物であった。美観を考慮しているのか、木造の造りであるがわざと木目の美しさが残るように塗装が施されている。自然との調和をコンセプトにした実に優美な建築物である。
エルはアルドの後ろについて商館に入ると、既に多くの人が忙しなく行き来をしている。中には商談用と思しきテーブルに付き店の者と会談している商人の姿もいくつか見受けられた。大神である武神シルバの神殿に商品を卸す商人の館だけあって、朝から実に活気が溢れていた。
アルドが店員に話をすると、ほとんど待つ事無く奥に通される。
案内された部屋に入ると初老に差し掛かったであろう、青髪に白髪の混じり始めた痩身の紳士然とした館主と思しき男が、友好的な笑顔で歓迎してくれた。突然の訪問であるが館主自らが出迎えてくれたという事は、日頃から武神流との商いが盛んであり、アルド神官を含めた司祭や神官達との付き合いが重要だと判断している証左であろう。
アルドもにこやかな顔で応じ、男に礼を述べた。
「エピタフ殿、急な訪問でわざわざ時間を取って頂いて申し訳ない」
「いえいえ。アルド様にはいつもお世話になっておりますし、私の予定を空けるなど操造作もないことですよ。さて、立話もなんでしょう。どうぞソファーにお掛けください」
アルドを立てた謙った態度でエル共々ソファーに案内する。嫌味を感じさせず、その所作一つとっても実に洗練されている。流石はこの商会を切り盛りするやり手の男という所だろう。進められるままエルは大きな黒い革製のソファーに座ると、綿を大量に詰めてあるのか非常に柔らかく体が沈み込んだ。壁に飾られている絵画やインテリアは金銀財宝を散りばめた過度に豪華なものではなく、部屋との調和は壊さないが控え目ながらも品の良さを主張している。これなら長時間居ても疲労も少ないだろう。実務的に設えられた素晴らしい一室である。
「それで今回はどういったご用件でございましょうか?」
「うむ、実は手に入れて欲しい物があるのだ。67階層のレアモンスターといえば、エピタフ殿なら分かるだろう?」
「なるほど、薬の原料となるあれのことですな。ですが、それは困りましたな……」
これまで笑顔を崩さなかったエピタフの顔が初めて曇り、言葉を詰まらせた。
シェーバから品薄でほとんど手に入らないと聞いていたが、大商人のエピタフでも入手な困難な事情でもあるんのだろうか。
エルはエピタフに事情を聞いてみる事にした。
「何か問題があるんですか?」
「あのモンスターは出現する事も稀で、それこそ1月に1度も目撃情報が出ない事もあるのはご承知の通りかと思います。それに加えて薬の原料になる事が諸国にも知れ渡ってしまい、稀にオークションで出品されたとしても、諸国の王族御用達の商人が何倍にも吊り上げて買い取っていってしまうのですよ。今は完全に需要に対して供給が追い付いていないのです。私共としても、これほどの品薄となるとは思ってもみなかったのですよ」
「エピタフ殿ほどの商人でも入手できないのか?」
「残念ながらすぐに手に入れられるとは確約はできませんな」
重苦しい沈黙が辺りを支配した。薬の材料として各国に認知されるようになり、近隣諸国がこぞって買い求めるので、唯でさえ品薄なのにさらに手に入り辛くなったということだ。
エピタフが言い難そうにしながらも、商人らしくシビアに現状出来得る事を告げた。
「他ならぬアルド様からのご依頼ですから、当方としても全力を尽くさせて頂きます。ただし、いつ手に入るかはこちらとしても予測が立ちません。少なくとも数ヶ月は覚悟して頂きたいと存じます」
「そんなっ!! こうしている間にも、マリナさんの容態が悪化するかもしれないのに」
「なるほど、お知り合いの方が病に侵されているのですね。ですが、我々は神ならぬ人の身でございます。できる事には何事にも限度があるのです」
思わず声を荒げてしまったが、エピタフの言い分が正しい事はエルも分かっていた。ただ、何もできないもどかしさがエルの心を掻き乱し興奮させ、つい言わなくてもいい事を発しさせたのだ。見兼ねたアルドが横からエルを窘める。
「エル。エピタフ殿に無理を言ってもどうにもならない事はわかっているだろう? 心配なのはわかるが、少し冷静になれ」
「アルド神官……。そうですね。エピタフさん、無茶を言ってすいませんでした」
「いえいえ、よろしいのですよ。近しい人が苦しんでいるのであれば、誰だって平静ではいられません。私共もこんな状態でさえなければ、1月以内に手に入れてみせますと言えたのですが……」
「いえ、それはエピタフさんのせいではありません。手に入れようと尽力してもらえるだけでもありがたいです」
「そう言って頂けると助かります。それと……、購入費用についてですが、通常なら大金貨5枚が相場でしたが、こちらの手数料を無しにしたとしても20~25枚程度を覚悟して頂きたい」
エピタフから告げられた金額は途方もない額であった。
元々の相場の大金貨5枚、金貨500枚でも非常に高額である。大金貨20枚ともなれば、一般的な家族6人の年間の生活費が銀貨50枚であることを勘案すると、のべ2万人以上の人々を1年間裕に養う事のできる額なのだ。
エルの愛用している猛虎の武道着や籠手にしても、全部で金貨30枚程度である。
そこから考えても、到底薬の材料一つに掛かる金額とは思えない、馬鹿げた非常識な値である事がわかるだろう。
エルはもうじき4つ星になろうとしている冒険者であり、ソロでありながら近層の魔物を簡単に屠殺できる力を持っている。加えて武器は必要とせず、高速戦闘を得手としており回避主体なので防具のメンテナンスもあまり必要としない。さらに戦闘狂の性格のおかげで迷宮に潜っても疲れ辛いという稀有な性格の持ち主なのでほぼ毎日迷宮探索を行え、同ランクの冒険者に比べて圧倒的に金銭に余裕があった。
そのエルをもってしても、全財産は大金貨10枚と少々といった所だ。エルでは金銭不足で購入する事も叶わないという事だ。おそらく、宿を経営しているとはいえ、新人や下位冒険者向けに金額をできるだけ抑えているシェーバにしても、払える金額ではないだろう。エルは自分が偶然手に入れた事にして渡すか、シェーバ達が難色を示した場合を考え、最悪相場で売り高騰分は黙っておく心算であったが、現状では買う事すらできない。計画は砂上の楼閣の如く脆くも崩れたのである。
悔しさで我知らず盛大な歯ぎしりの音を発ててしまった。
「エル。もしお金が足りないのなら、私が立替えてやってもいいのだぞ。これでも9つ星の冒険者だ。最近は教導の仕事のお蔭であまり迷宮に潜れていないが、蓄えは十分にある」
「アルド神官……」
「遠慮することはない。私はエルの事を信頼している。エルなら必ず返せる額だろう」
アルドの有り難い申し出と信頼がエルの胸を付いた。これほど自分の事を思ってくれていたとはついぞ考えもしなかった。自分を信頼し大金を惜しげもなく貸してくれるというアルドの思いが嬉しかった。エルは素早く頭を巡らし熱い思いに涙が零れになるのを必死に堪えると、居住まいを正し深々とアルドに頭を垂れた。
「アルド神官。本当にありがとうございます。1ヶ月。もし1ヶ月以内にお金が必要になったら、その申し出を有り難く受けさせて頂きたいと思います」
「ほぅ、1ヶ月後にはその金額を貯めてみせるということか。大きくでたな」
「今手元にあるのは大金貨10枚程度ですが、この1ヶ月で必ず25枚まで貯めてみせます」
エルの宣言にアルドは一瞬虚を付かれ、その後場を気にせず朗らかな笑い声を上げ始めた。
優秀だ優秀だと愛弟子の事を評価していたが、それでもまだ過小評価していた事に気付かされたからである。
まず、大金貨10枚もの所持金を持っている事に驚いた。ソロで戦利品を配分しなくていい分儲かるとはいえ、エルは鉱物や動植物の採取の依頼をほとんど受けず、魔物の討伐から得た戦利品のみでその金額を稼ぎ出したのだ。武器や防具を落とす様な特殊な魔物を除けば、一体倒したとしても銀貨20枚いくかどうかである。回復薬や毒消し薬などの消耗品の補充も必要であるから、それこそ幾千もの魔物の屍を築かねば稼げない金額だろう。
元々アルドにしても、すぐに返して貰おうとは微塵も思っていなかった。エルの攻略速度を考慮して、数ヶ月からおそくとも1年の間で返してもらえれば十分だと判断していたのだ。だが、エルはこの大金をもし借りたなら、たった1ヶ月で返してみせると豪語したのだ。3つ星、いや4つ星の冒険者でも不可能な事をエルはやると断言してのけたのである。達成するためには、それこそ何千何百もの魔物達の骸で屍山血河を築かねばならないが、少年の瞳には絶対に遂行してみせるという不退転の決意が宿っていた。普通なら一笑に付す所だが、エルならばもしかしたらできるかもしれないと思わせる、不思議な説得力があった。
愛弟子の好ましい態度にアルドは目を細めると、もう一度愉快そうに笑った。
「エル、その金額を1ヶ月で稼げるようになるのは上位冒険者の領域だぞ。もうすぐ4つ星とはいえ、3つ星のお前がそんな短期間に稼ぐというのか?」
「アルド神官に教わった武神流の技に誓って、必ず成し遂げてみせます!!」
意気軒昂、溢れんばかりの闘志を剥き出しにしてエルは断言した。
そんなエルの姿を師として嬉しく思わないはずはない。アルドは破顔すると、軽く頷いた。
「その意気や良し!! お前の思うようにしてみろ」
「はい、やってみます!」
「素晴らしい、アルド様がここまで親身になるとは。余程エル様の事をかっておられるのですね」
「私の愛弟子だからな。エピタフ殿。エルは今は名も知れぬ下位冒険者だが、やがて武神流の次代を担う1人として活躍してくれると、私は信じているのだ」
「なんと!!そこまでですか……」
エルと過ごした日々、それは一年にも満たない月日であったが、アルドはエルの事を心底信頼し可愛がっていたのだ。早朝から夜遅くまで鍛錬を積み、アルドの指導を嬉々として取り入れ、武神流の技を己がものにせんとエルは努力を欠かさなかった。迷宮に潜る場合があっても短時間でも修練場に訪れ、3日以上顔を出さない事など皆無であった。
それほど熱心で勤勉な弟子を、逆に信頼しないという程が難しい。アルドの教えを何度も試行錯誤を繰り返しながら着実にものにしていくエルの姿は、指導冥利に尽きるというものである。アルドは心底エルの様な弟子を得られた事を喜んでいたのである。
一方のエルはというと、そこまで自分を評価してくれるアルドに感激し、嬉しいやら恥ずかしいやらと顔の火照りを抑えるのに必死であった。
エピタフもアルドが弟子をそこまで評するのを聞いたのは初めての事である。目の前のあどけない少年の姿からは想像も付かなかったが、アルドが虚言を繰る趣味がない事を重々承知していたので、真に愛弟子として期待しているのだと判断した。
今後の事を考慮して、この依頼は当商会としても全力を尽くさねばならないと判ずると、現行で取れる最善手を提案することにした。
「それならば、私の方から協会にクエストとしてこの材料の入手を依頼しておきましょう。高額の報酬を提示しておけば、オークションを通さずに入手できる可能性もあります。それと部下には情報収集を徹底させておきますので、例の品のオークション開催の際には万全の状態で挑めるようにしておきます。無論、何か手掛かりがあり次第、アルド様には御知らせするように致します」
「何から何まですまないな。エピタフ殿にはいつも世話を掛けて申し訳ない」
「いえいえ。当方としても、他国の商人に競り落とされてばかりでは迷宮都市の商人の沽券に関わりますので、この機会に鼻を明かして御覧に入れましょう」
恩着せがましい科白は一切口にしていない。武神流の門徒達は武人の名に恥じず受けた恩は絶対に返す、真に義理堅い者達が揃っている事をエピタフはよく理解していた。ここで自分が労苦を厭わず奮励すれば、必ずそれに報いてくれるのは武神流なのである。増してやアルド程の人物がこれほど見込んでいる人物である。恩を売っておくに越した事はない。必ず自分に見返りがあるだろうと、商人らしい冷徹な計算を表情には億尾にも出さずに心中でなしたのである。百戦錬磨の大商人らしき先々を見通した対応であった。
その後は軽い世間話をすると、アルドはエルを連れ立って商館を辞去するのだった。爽やかな笑顔でアルド達を身をくったエピタフは口早に部下に呼び出しいくつかの指示を出し、アルドが紹介した少年、エルについても未来を見据えて情報収取するように命ずるのであった。
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三十三歳のビルメン、白石恭真(しらいし きょうま)。
異世界に召喚されたが、与えられたスキルは「清掃」。
「役立たず」と蔑まれ、牢獄に放り込まれる。
だがモップひと振りで汚れも瘴気も消す“浄化スキル”は規格外。
牢獄を光で満たした結果、強制釈放されることに。
やがて彼は知らされる。
その力は偶然ではなく、光の女神に選ばれし“使徒”の証だと――。
金髪エルフやクセ者たちと繰り広げる、
戦闘より掃除が多い異世界ライフ。
──これは、汚れと戦いながら世界を救う、
笑えて、ときにシリアスなおじさん清掃員の奮闘記である。
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