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第4章
第68話
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ライネルやリリ達と遅くまで騒いだ翌朝、エルは何時も通り朝早くに目を覚ますとまだ人の少ない食堂で大量の朝食を貪る様に食べた。やがて満足するとシェーバ特製のお弁当を受け取り、看板娘のリリに見送られて元気に宿から出発する。
エルの行き先は街の北部にある、神々の迷宮の前にそびえ立つ巨大な建造物、冒険者相互補助協会、通称協会である。目的はもちろん昨日のセレーナの約束を果たすためだ。上位冒険者の心得や注意事項を聞かされるという話だが、どんな事だろうと想像しながら歩く事しばし、考えあぐねているうちにいつの間にか協会に到着していた。
受付(カウンター)に行くと、早朝という事もあって人数は少ないがきちんと受付嬢が立っている。ここ協会は1日中閉まる事無く昼も夜も開き続けている。煌々といつまでも灯が点り続けている姿は、まさに不夜城さながらである。
協会が常に開いている理由としては、冒険者の利便性のためというのがまず挙げられる。複雑怪奇な迷宮の探索や魔物達との熾烈な戦闘によって、必然的に都市への帰還時刻は不規則になる。また冒険者が得た戦果は、基本的にその日のうちに協会に売るのが規則である。これは持ち逃げや転売の防止のためである。協会が冒険者から迷宮の戦利品を買い取るとオークションに流すか、個人でクエストを依頼した者に渡す仕組みになっていて、その売上から手数料等の諸経費をもらい協会の運営費としているのだ。冒険者が自分で売った方が儲かるからと銘々に好き勝手されたら、協会の収入が激減する事になる。そこで厳しく取り締まっているというわけだ。まあそれだけだと不満が出るので、買い取り時にきちんと申告すれば冒険者のランクによって戦利品の何割かは自由に持ち帰っても良いと定めており、適度なガス抜きもきちんと考慮されていたりもしているのである。
その他にも、例えば迷宮の警備が挙げられる。神々の迷宮の入り口には門があり、衛兵が常に出入を監視している。また、その直ぐ傍らには詰所があり多くの兵士達が待機しているのだ。
これは迷宮を協会が独占している事を示すのに他ならず、ひいては協会を運営している近隣諸国が迷宮の富を確保するために行っている措置なのだ。迷宮は協会に登録した冒険者か、各国が事前に申請した騎士枠のみ侵入が許されており、それ以外の者は許されていない。加えて、迷宮に出入りする時は必ず門の所にいる兵士に冒険者カード等身分証明ができる物を提示し記録する事になっている。
これによっていつ何時誰が迷宮に入り帰還したか明らかにし、戦利品の受付(カウンター)への申告漏れや持ち逃げ等を防いでいるのである。
更には許可されていない者の侵入の防止や、迷宮を独占しようと企む者達への抑止力、ないしは実際の戦闘要員として詰所に兵が居るのである。
このため協会は交代制を取るものの、1年中昼夜を問わず多くの人々が従事する不夜城と化しいているのだ。
まあ、エルにしたら迷宮から遅く帰ってきてもいつでも開いているので便利だなぐらいの認識で、細かい理由などは考えもしていなかったが……。
早朝という事で、もしかしたら受付嬢のセレーナはいないかもしれないと、間抜けな事に協会に来てから思い至ったが、幸いにして運良く出会う事ができた。冒険者が数人しかおらず受付に列もできていないので、セレーナの所に真っ直ぐ向かうと元気良く挨拶した。
「セレーナさん、おはようございます」
「あらっ。エルくん早かったわね。私もついさっき来た所よ」
「お恥ずかしながら、協会についてから早く来過ぎたって気付きました。セレーナさんが居なかったら、もう少しで二度手間になる所でしたね」
「うふふぅ、おっちょこちょいなエルくんらしいわね。まあ、でも会えてよかったわ。それに昨日の今日で、約束を守ろうと早めに来てくれたのはうれしいわ。今そっちに行くからちょっと待ってて」
セレーナの行動の意味が分からず首をかしげていると、彼女は同僚と軽く会話を交わすとカウンターから出てエルの傍まで歩いて来た。
「それじゃあ私に着いて来て。案内するわ」
「? どういう事ですか?」
「エルくんと会って話がしたい人がいるのよ」
「えっ、誰ですか?」
「私の上司なんだけど、その人が直接エルに注意事項を説明するんですって」
「そうなんですか……」
どうしてそうなったのかエルには全く理解できなかった。どうにも要領を得ず疑問符を顔中一杯に浮かべたが、セレーナは笑って取り合ってくれない。混乱したままであったが答えてくれそうにないので、黙って彼女の後を着いて行った。
ある木造のドアの前で立ち止まると、彼女がエルに目配せした後軽くノックする。すると、直ちに野太い大きな声で返事が返ってきた。
「誰だ?」
「セレーナです。件の上位冒険者に昇格した者を連れて来ました」
「わかった。入ってもらってくれ」
「はい、わかりました。さっ、エルくん入ってちょうだい」
セレーナがドアを開けるとエルを中に入るように促した。未だに戸惑ったままのエルに対し、彼女が舌を出し茶目っ気たっぷりの笑顔で、先ほどの真意を語り出した。
「私の上司はちょっと顔のせいで誤解を受け易いけど、本当はとても良い人なの。今回の事もエルくんの事を思っての行動だから、安心してね」
「はあ……」
「あまり説明しなかったのは先入観を持って欲しくなかったのと、ちょっとした悪戯心のせいなんだけど、悪い人じゃないし見掛けと真逆で本当に親切な人なの。今回彼が話す内容は、きっとエルくんに必要な事だと思うわ。だからちゃんと話を聞いて来てね?」
「なんだかよく分かりませんが、とりあえず良い人なんですね。えっと、とりあえず会って話をしてみます」
「はい、いってらっしゃい」
セレーナの謎の笑顔に送り出されながら、エルはドアを潜り中に入っていた。
そこは小さな執務室といった風で、手前に黒塗りのソファーとテーブルが置いてあり、奥には書類を山積みにした机があった。書類に隠れて見えないが、おそらくその後ろにセレーナの上司が座っているのだろう。
部屋に入ったもののどうしていいか分からず入り口付近で突っ立っていると、先程と同じ野太い大きな声が書類の山の陰から発せられた。
「お呼び立てして申し訳ありませんでした。どうぞ、ソファーに座ってください」
「はっ、はい」
「飲み物は何がいいですか?」
「えっ? えーと、お任せします」
「わかりました。それでは私のお奨めを用意させてもらいますね」
質問に答え促されたままソファーに座ると、やおら執務机から大柄な人物が立ち上がった。大分背が高いようで、ライネル並みの高身長である。がたいもよく冒険者と言っても通りそうな程の筋肉が付いており、腕も太く胸板等もエルよりはるかに厚い。
しかし、エルを真に驚愕させたのは別の事であった。
友好的な態度を示している積りなのか顔中笑みで一杯にしているが、その顔自体が大問題であった。冷たい刃物を連想させる険のある顔というか、一般人なら見るだけで逃げ出す様な強烈な威圧感のある顔だ。エル自身は会った事は無いが、その道の幹部や首領ならこんな顔をしているのではないかという、悪の親玉が実に似合いそうな顔であったのだ。見た目のせいで誤解を受け易いと、セレーナが先ほど言っていた事になるほどと直ぐに合点がいった。この男性も強面の顔のせいでさぞ不自由したに違いない。
エルはどう対応すべきか判断が付かないでいると、そんな様子も見慣れているのか、大男は笑みを湛えたまま丁寧に挨拶をした。
「はじめまして、私がセレーナ達の上司をしているスレイルと申します」
「はっ、はじめまして。僕はエルと言います」
「どうぞ座ってください。今すぐに飲み物を用意しますから」
慌てて立ち上がり頭を下げるエルに対し、再度座る様に促すと戸棚に向かい何やら準備を始めたようだ。
言われるままソファーに腰掛けると、ほとんど時間を掛ける事なくスレイルが両手に何かの飲み物を携えてやって来た。そしてテーブルを挟んでエルの反対に立つと、湯気の立つ飲み物を置きソファーに腰掛けた。
「マグニ茶です。どうぞ召し上がってください。熱いから気を付けて飲んで下さい」
「ありがとうございます。頂かせてもらいます」
こげ茶色のマグニ茶と言われる初めての飲み物に、おそるおそる口を付けた。言われた通り大分熱く、未体験の苦味と渋みがエルを驚かせた。ただ、吐き出したくなる様な不味さはない。それ所かなんというか癖になる味で、何度か少しずつ口に入れると安心し心が落ち着く様な感がある。
「なんというか、ほっと落ち着くような飲み物ですね」
「このマグニ茶は疲れた時に飲むと癒されるので、私のお気に入りなんですよ。それに体に良い成分が沢山入っていますから、健康にもいいんですよ」
「へえー、そうなんですね」
「さて、それでは本題に移るとしましょう。まず、上位冒険者に昇格した事で、エルさんが受けられる権利と義務について説明させて頂きます」
「はっ、はい。よろしくお願いします」
エルは背筋を伸ばし、真剣に聞く態勢に入った。そんな少年の態度に気分を良くしたのか、笑みを深めるとスレイルは説明に入った。もっとも、その笑みは他者から見れば野獣が威嚇するかのような凄味を伴っていたが……。
「まず、協会内の店や街の商店街や武器防具屋等、協会が出資している店で冒険者カードを提示して頂ければ、下位冒険者以上の割引きが受けられるようになります。ただし、個人経営や協会と関わりのない店では割引きは受けられないので、ご注意ください」
「はい、わかりました」
「それとオークション会場ですが、今までは一般市民にも開放されている商の会場と、下位冒険者や一部の商人が入れる地の会場しか入れませんでしたが、今回からは天の会場の入室もできるようになりました」
「たしか、上位の素材を取引している会場でしたか?」
「その通りです。オークションに参加する場合は、出品された品のランクには注意してください。入札に参加できるのは、あくまで冒険者のランクと同等の品までとなっております」
「つまり、5つ星の品までということですね?」
「はいそうです。それと、カウンターで迷宮からの戦利品の精算時に、申告して頂ければ3割まで持って帰って頂いても構いません。これは自分の食事や武器防具に使うために控除される物とは別に、3割まで持ち帰って自由にしても良いという意味です」
「えっと、どういう事ですか?」
「つまり、持ち帰った3割の品を好きなお店に売ってもいいですし、オークションに出品して頂いても構いませんという意味です。はっきり言えば、持ち帰った戦利品で好きにお金儲けしていいですよという事です」
「ああ、そういう事なんですね」
どうやらスレイルは見た目とは真逆で説明は懇切丁寧で、相手に理解させるのも上手いようだ。伊達にセレーナ達の上司をやっていないというわけだ。難しい事でも分かり易く噛み砕いて説明してくれるので、あまり物事を深く考えないエルでも十分理解できた。
「では上位冒険者に発生する義務についてですが、主に税金です。金額も下位冒険者とは比べ物にならない程高くなります。5つ星ですと1年間に金貨10枚の納税が義務付けられています。これが払えないと冒険者の資格を停止、またはあまりにもひどい場合は除籍される事もありますので、十分注意してください」
「はい、気を付けるようにします」
「納税額が高額に思えるかもしれませんが、それだけ上位冒険者は優遇されているのだと思って納得して頂けると有難いです。それに、自由に持ち帰えれる3割の戦利品を売買すればすぐにでも支払える金額ですので、きちんと迷宮探索を行えば払えない等といった事態にはならないかと思います」
「なるほど、そうなんですね」
「それに、エルさん程優秀で強い冒険者なら1日迷宮に潜れば稼げる金額ですので、まったく負担にはならないでしょう」
「!? そんな事まで分かっているんですか?」
びっくりしてエルは思わずソファーから腰を浮かし掛けた。彼の言はすなわち、自分の1日の戦果や収入を把握しているという事なのだ。冒険者1人1人そこまで調べ上げているのかとエルが驚愕していると、こちらの考えが予想できたのかスレイルは微苦笑して首を横に振った。
「もちろん、全ての冒険者の稼ぎを把握しているわけではありません。特に気になる人だけです。エルさんはソロでありながらほぼ毎日迷宮に潜り、大量の魔物を倒して来てくれるので、協会側としても期待しているのですよ」
「そうなんですか?僕は採取や採掘などは全くやっていませんし、武神流の技の修行や自分が強くなるために魔物と闘っているだけなんですが」
「その魔物と闘い戦果を持ち帰ってきてくれるのが大切なんです。知っていますか?あなたが1日に倒す魔物の数は、同ランクの冒険者のだいたい3倍近いんですよ」
「いいえ。その、お恥ずかしながら僕は単独行動ばかりなので、あまり他の冒険者のみなさんと交流していなくて……」
「いえいえ。冒険者の事情は人それぞれですし、恥ずかしがる事はありませんよ。とりあえず、エルさんは他の人より魔物を多く倒す稼ぎ頭だから、協会も注目していると思っておいてください」
「はっ、はあ、分かりました」
よく分かっておらず生返事を返した。スレイルはそんなエルに対しても気を悪くした風もなく、相変わらずの険のある顔に笑みを湛えながら淀みない説明を続ける。
「それから義務についてですが、有事の際は街の防衛に参加して頂く事になります」
「えっと、それは戦争に参加しろと言う事ですか?」
「いいえ、敵は人とは限りません。迷宮から魔物が溢れた事例はありませんが、外部の凶悪な魔物がこの都市に侵攻してきた場合や、この都市を占領してようと企てる悪意ある者がいた場合には、闘って頂く事になります」
スレイルの伝えた内容に、エルは知らず唾を飲み込んだ。
人と闘った事など今まで経験した事はないし、自分の拳ははっきりいって凶器なのだ。人間を容易く殺す事のできる武器と変わらないのだ。
僕が人間と闘う?
そんな事を行き成りやれと言われても心の準備はできていないし、戸惑いの方が大きかった。そんなエルの不安気な顔を安心させるように、スレイルが言葉を掛けた。
「ご安心ください。先ほど言ったのは、あくまで有事の際はそういった義務が発生しますよ、と言う意味です。この都市は近隣諸国による共同統治のおかげで今は安定していますし、記録によれば人間同士の戦争が起きたのは70年ほど昔の話です」
「なんだ、それじゃあ戦争に参加する事はまずないという事ですよね?」
「近隣諸国やこの都市の軍事力もかなりのものですし、どこかの大国がこの都市を独占したいという野望を実行に移さない限りは、まず安心してもらっていいでしょう。エルさんには防衛というよりは年に数回見回りを行って頂き、治安の悪化を防いでもらうのが主な任務になるかと思います」
「見回りですか?」
「ええ、こちらとしても不本意なんですが協会の兵士は不足しがちでして、上位冒険者の方には協力してもらっているんですよ。といっても簡単な内容です。見回りの際には必ずこちらの兵士が付きますし、その兵士に従ってもらえばいいだけです」
「そうなんですね。それなら僕でもできるかな?」
戦争に参加する事はほぼ無いという安堵感からか、街の見回りについてあっさりと受け入れてしまう。一緒に回るであろう兵士の指示に従っていればいいと、安請け合いしたわけだ。
「ただし今後犯罪を犯した場合、罰則は非常に重くなりますので重々お気を付けください。軽微な犯罪でも罰金だけでなく、都市外退去や冒険者カードの取り上げ等の重い罰を課させる場合が出てきます」
「ずいぶん厳しいですね」
「ええ、申し訳ないのですが、上位冒険者の皆様には街の警邏に参加してもらう事になりますので、その分他の模範になって頂けねばならないのです」
「えっと、取り締まる側の人間が犯罪をしたら駄目だという事ですか?」
「その通りです。治安を維持し街を守る側の私達が罪を犯せば悪感情も出てくるでしょうし、即モラルの低下に繋がります。だからこそきちんと法を守り、健全に都市が運営されている事を示さねばならないのです」
「なるほど、確かにその通りですね」
スレイルの意見が一々もっともだと肯定しながらも、エルは小さく身震いをした。自分の様な頼りない存在が、本当に他人の模範になるのかと不安になったのだ。ただ憧れた英雄のようになりたいと、ひたすら自己の研鑽に励んで来ただけの自分が、他者の見本になれるなど到底思えなかったのである。
「なあに、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。用は今まで通り犯罪を犯さず、普通に生活してもらえればいいだけです」
「あっ、そうなんですか。それなら僕でもできそうですね。それに、師からも冒険者は超人的な力を持つようになるので、己の力を振るう場所を間違うなと常々言われていますので、気を付けるようにしています」
「エルさんは素晴らしい師匠をお持ちのようですね。その心掛けを忘れなければ、何も問題ないと思いますよ」
「ふぅ、安心しました。でも、いきなり模範になれと言われたので、かなり焦りましたよ」
「それは申し訳ありませんでした。ただ、そのまま伝えて軽く受け止められると困りますので、いつも初めはきつめにお話しさせてもらっているんですよ」
「ああそういう事ですか。すいません、考えが足りませんでした」
「いえいえ、分かって頂ければ何も問題ありませんので、謝って頂かなくとも結構ですよ」
エルに向けて白い歯を光らせ、本人としては良い笑顔の積りの顔で笑い掛けた。どうみても獣が牙を剥き出しにして威嚇しているにしか見えなかったが、この頃にはエルも大分慣れてきたおり、笑顔を返せるようになっていた。
スレイルの方もエルのそんな姿を見て一瞬驚いたようだが、何か得心がいったのか目を細め笑みを深めた。
「とりあえず注意事項は以上になります。上位冒険者に成る事で権利だけでなく義務も増えるのが面倒だとは思いますが、どうかよろしくお願いいたします」
「僕がどこまでお役に立てるか分かりませんが、頑張りたいと思います。治安を守る事は大切ですし、それに冒険者だけでなく市民のみなさんが安心して生活できる都市の方がいいですからね」
「素晴らしいお考えですね。失礼ですがまだお若いというのに、実に卓越した見識をお持ちのようですね」
「いえ、そんなに深い意味はないんですよ。この都市は本当に優しい人ばっかりで、田舎から出てきたばかりの僕に沢山親切してくれました。あの時の恩返しが少しでもできればと、皆さんが笑って暮らせる手助けができればと思っています」
「エルさんの様な善良な方だけが冒険者だったら、どんなによかったか。自分の利益のために裏では悪事に手を染める者も少なからずいるんですよ。それに、最近はクラン等も形骸化して、存在するだけで有害なものになってきましたからね……」
「クランですか?」
「!? これは失礼。余計な話をしてしまいましたね」
スレイルの愚痴から聞きなれない単語が出てきたので質問してみた。クランとは今まで聞いた事がなかったが、何だろうと興味を持ったのだ。まあ、エルは情報収集もあまりせず他の冒険者との交流もほとんどないので、はっきりいって冒険者の事情に疎かったのである。
クランの事について何も知らないといったエルの態度にここは説明すべきだと判断すると、スレイルは居を正し咳払い一つすると滔々と語り出した。
「クランとは冒険者が独自に協会の様な組織を作り、協力し合う集団の事です。クランは夫々が独自の目的を掲げており、それに共感した者が入り相互に助け合って目的を達成しようとする集まりです」
「いいじゃないですか。それのどこが問題なんですか?」
「もちろん健全に運営されていれば、こちらとしても文句は言いません。何十年も昔にクランが提唱され、正しく運営されていた間は、事実何の問題も起きませんでした」
「というと、何か悪い事が起きたんですね?」
「はい。いくつものクランが内部の権力闘争で揉め事を起こしたり、新人や団員に無茶な上納金や奉仕の義務を課したりして度々問題になっています。それに、最近では犯罪まがいの悪質な勧誘を行う所もあって、協会としても頭を悩ませているんですよ」
溜め息混じりに説明するスレイルの鎮痛な顔が、クランが今では設立当初の理念を忘れ悪質なものに変わってしまった事を如実に物語っていた。
どんな組織でも時間が経てば腐敗するというが、このクランという集団も例外ではなかったという事だろう。
「それと、クランの団長等運営側は上位冒険者がほとんどで、最上位冒険者はまずいません。最上位まで上がれる方は、魔物との闘いや自己の研鑽に余念が無く、他の事をする暇がないですからね。それで先程の上位冒険者の方々は、最上位まで上り詰める才能が無いか、下層に降りるにつれ格段に上昇する死の危険性や必要になる努力等に諦めてしまった者達です。そういった人達がクランの運営に手を出しているのです。ある程度力を持つと権力を欲しがるという典型例ですね」
「はあ……」
スレイルは顔を歪め悪し様に言い切った。本当に協会としてもクランに頭を悩ませているのだろう。挫折した者や諦めた者が上に立てば、組織も歪み腐り易いという事だろう。
エルにはあまり理解できない話であったが、今のクランは善くないものであり近付かない方がいいだろうという事は何とか頭に入れた。
「中には健全に運営している所もあるにはありますが、極わずかしかありません。ですからクランの情報を事前に知っていればまず入りませんし、加入している冒険者は全体の2割にも満たないでしょう。エルさんも勧誘された際は十分気を付けてくださいね」
「はい、わかりました」
「エルさんは数少ない最上位冒険者に成れる人物だと、協会としても期待を寄せています。できればクラン等には関わって欲しくありませんが、エルさんは今注目されていますしあちらから近寄って来る事もあるかと思います。もし困った事になったら何時でも結構ですので、私か協会の職員に相談してください」
「ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」
親身にこちらの事を考えてくれるスレイルの態度に心打たれ、エルは深々と頭を下げ感謝の気持ちを表した。スレイルはどうやら信頼するに足る人物のようだ。
「セレーナさんが言っていた通り、スレイルさんは本当に親切で良い人ですね」
「ははっ、面と向かって言われると照れますね。私は 迷宮都市生まれで、この街が本当に大好きなんです。冒険者や市民が希望を持って暮らせる街にしたいと、共感してくれる人達の力を借りて日々邁進しています。だから、善良な人々の生活を脅かす者は絶対に許してはおけないんですよ」
確固たる決意。発した言葉の端々や、真剣な彼の態度から熱い思いが伝わってくる。市民の未来を守るためなら躊躇なく悪を斬り、汚れ仕事だろうと人々のためになるなら断固として決行する、そんな強い意志を抱いた人物だ。迷宮都市を生一本に愛する、スレイルの様な誠実な人達の手によって都市の平和が保たれてきたに違いない。
この人と話ができて良かったと、エルは彼を引き合わせてセレーナに心から感謝した。
「僕は頼りない所がいくつもある未熟者ですが、それでも平和を愛する気持ちはありますし、大好きな友達や仲間達には笑って暮らして欲しいと思っています。もし僕にできる事があったなら、遠慮なく声を掛けてください」
「ありがとうございます。エルさんの様な有望な冒険者が、真っ直ぐで清らかな心の持ち主で本当に良かった。たまに見回りをお願いする事もあるかとは思いますが、その時は是非ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「長々と時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。話は以上ですので、お気を付けてお帰りください。あっ、それとこれからは受付は上位冒険者用をご利用ください」
「カウンターの場所が変わるんですか?」
「いつもエルさんが利用していた場所の隣ですから、すぐにわかると思いますよ」
「ああ、それなら安心ですね」
微に入り細に入りというか、つくづく説明が丁寧で分かり易い。エルの様なはるかに目下の人物に対しても、礼節を持って接しこちらの事を親身になって考えてくれる姿は非常に好感が持てた。見た目が怖いなど、もはや些末な事でしかない。エルはソファーから立ち上がると、もう一度深々と頭を下げた。
「今日は本当にありがとうございました。」
「いえいえ、こちらこそ有意義な時間をありがとうございました。それと、何かありましたらいつでも相談に来てくださいね」
「はい、遠慮なく寄らせてもらいますね。それじゃあ、失礼します」
「お気を付けてお帰りください」
ゆっくりとドアを閉めるエルに対し、スレイルは最後まで紳士的な態度のまま綺麗で見惚れるような一礼で見送った。
こんな人物もいたのかと、いや彼ほどの傑物が協会にいるからこそ健全な運営ができているのだと、エルは気付かされた。
彼の真摯で熱い思いは、エルの心に大きな衝撃を与えると共に自然とやる気を起こさせた。何だか体を動かしたくて仕方ない。
時刻はある程度過ぎてはいるが、まだ朝といっていい時間帯だ。
そうだ、迷宮に行こう。
やる気を漲らせ目を輝かせた少年は、迷宮に向かって走り出すのだった。
エルの行き先は街の北部にある、神々の迷宮の前にそびえ立つ巨大な建造物、冒険者相互補助協会、通称協会である。目的はもちろん昨日のセレーナの約束を果たすためだ。上位冒険者の心得や注意事項を聞かされるという話だが、どんな事だろうと想像しながら歩く事しばし、考えあぐねているうちにいつの間にか協会に到着していた。
受付(カウンター)に行くと、早朝という事もあって人数は少ないがきちんと受付嬢が立っている。ここ協会は1日中閉まる事無く昼も夜も開き続けている。煌々といつまでも灯が点り続けている姿は、まさに不夜城さながらである。
協会が常に開いている理由としては、冒険者の利便性のためというのがまず挙げられる。複雑怪奇な迷宮の探索や魔物達との熾烈な戦闘によって、必然的に都市への帰還時刻は不規則になる。また冒険者が得た戦果は、基本的にその日のうちに協会に売るのが規則である。これは持ち逃げや転売の防止のためである。協会が冒険者から迷宮の戦利品を買い取るとオークションに流すか、個人でクエストを依頼した者に渡す仕組みになっていて、その売上から手数料等の諸経費をもらい協会の運営費としているのだ。冒険者が自分で売った方が儲かるからと銘々に好き勝手されたら、協会の収入が激減する事になる。そこで厳しく取り締まっているというわけだ。まあそれだけだと不満が出るので、買い取り時にきちんと申告すれば冒険者のランクによって戦利品の何割かは自由に持ち帰っても良いと定めており、適度なガス抜きもきちんと考慮されていたりもしているのである。
その他にも、例えば迷宮の警備が挙げられる。神々の迷宮の入り口には門があり、衛兵が常に出入を監視している。また、その直ぐ傍らには詰所があり多くの兵士達が待機しているのだ。
これは迷宮を協会が独占している事を示すのに他ならず、ひいては協会を運営している近隣諸国が迷宮の富を確保するために行っている措置なのだ。迷宮は協会に登録した冒険者か、各国が事前に申請した騎士枠のみ侵入が許されており、それ以外の者は許されていない。加えて、迷宮に出入りする時は必ず門の所にいる兵士に冒険者カード等身分証明ができる物を提示し記録する事になっている。
これによっていつ何時誰が迷宮に入り帰還したか明らかにし、戦利品の受付(カウンター)への申告漏れや持ち逃げ等を防いでいるのである。
更には許可されていない者の侵入の防止や、迷宮を独占しようと企む者達への抑止力、ないしは実際の戦闘要員として詰所に兵が居るのである。
このため協会は交代制を取るものの、1年中昼夜を問わず多くの人々が従事する不夜城と化しいているのだ。
まあ、エルにしたら迷宮から遅く帰ってきてもいつでも開いているので便利だなぐらいの認識で、細かい理由などは考えもしていなかったが……。
早朝という事で、もしかしたら受付嬢のセレーナはいないかもしれないと、間抜けな事に協会に来てから思い至ったが、幸いにして運良く出会う事ができた。冒険者が数人しかおらず受付に列もできていないので、セレーナの所に真っ直ぐ向かうと元気良く挨拶した。
「セレーナさん、おはようございます」
「あらっ。エルくん早かったわね。私もついさっき来た所よ」
「お恥ずかしながら、協会についてから早く来過ぎたって気付きました。セレーナさんが居なかったら、もう少しで二度手間になる所でしたね」
「うふふぅ、おっちょこちょいなエルくんらしいわね。まあ、でも会えてよかったわ。それに昨日の今日で、約束を守ろうと早めに来てくれたのはうれしいわ。今そっちに行くからちょっと待ってて」
セレーナの行動の意味が分からず首をかしげていると、彼女は同僚と軽く会話を交わすとカウンターから出てエルの傍まで歩いて来た。
「それじゃあ私に着いて来て。案内するわ」
「? どういう事ですか?」
「エルくんと会って話がしたい人がいるのよ」
「えっ、誰ですか?」
「私の上司なんだけど、その人が直接エルに注意事項を説明するんですって」
「そうなんですか……」
どうしてそうなったのかエルには全く理解できなかった。どうにも要領を得ず疑問符を顔中一杯に浮かべたが、セレーナは笑って取り合ってくれない。混乱したままであったが答えてくれそうにないので、黙って彼女の後を着いて行った。
ある木造のドアの前で立ち止まると、彼女がエルに目配せした後軽くノックする。すると、直ちに野太い大きな声で返事が返ってきた。
「誰だ?」
「セレーナです。件の上位冒険者に昇格した者を連れて来ました」
「わかった。入ってもらってくれ」
「はい、わかりました。さっ、エルくん入ってちょうだい」
セレーナがドアを開けるとエルを中に入るように促した。未だに戸惑ったままのエルに対し、彼女が舌を出し茶目っ気たっぷりの笑顔で、先ほどの真意を語り出した。
「私の上司はちょっと顔のせいで誤解を受け易いけど、本当はとても良い人なの。今回の事もエルくんの事を思っての行動だから、安心してね」
「はあ……」
「あまり説明しなかったのは先入観を持って欲しくなかったのと、ちょっとした悪戯心のせいなんだけど、悪い人じゃないし見掛けと真逆で本当に親切な人なの。今回彼が話す内容は、きっとエルくんに必要な事だと思うわ。だからちゃんと話を聞いて来てね?」
「なんだかよく分かりませんが、とりあえず良い人なんですね。えっと、とりあえず会って話をしてみます」
「はい、いってらっしゃい」
セレーナの謎の笑顔に送り出されながら、エルはドアを潜り中に入っていた。
そこは小さな執務室といった風で、手前に黒塗りのソファーとテーブルが置いてあり、奥には書類を山積みにした机があった。書類に隠れて見えないが、おそらくその後ろにセレーナの上司が座っているのだろう。
部屋に入ったもののどうしていいか分からず入り口付近で突っ立っていると、先程と同じ野太い大きな声が書類の山の陰から発せられた。
「お呼び立てして申し訳ありませんでした。どうぞ、ソファーに座ってください」
「はっ、はい」
「飲み物は何がいいですか?」
「えっ? えーと、お任せします」
「わかりました。それでは私のお奨めを用意させてもらいますね」
質問に答え促されたままソファーに座ると、やおら執務机から大柄な人物が立ち上がった。大分背が高いようで、ライネル並みの高身長である。がたいもよく冒険者と言っても通りそうな程の筋肉が付いており、腕も太く胸板等もエルよりはるかに厚い。
しかし、エルを真に驚愕させたのは別の事であった。
友好的な態度を示している積りなのか顔中笑みで一杯にしているが、その顔自体が大問題であった。冷たい刃物を連想させる険のある顔というか、一般人なら見るだけで逃げ出す様な強烈な威圧感のある顔だ。エル自身は会った事は無いが、その道の幹部や首領ならこんな顔をしているのではないかという、悪の親玉が実に似合いそうな顔であったのだ。見た目のせいで誤解を受け易いと、セレーナが先ほど言っていた事になるほどと直ぐに合点がいった。この男性も強面の顔のせいでさぞ不自由したに違いない。
エルはどう対応すべきか判断が付かないでいると、そんな様子も見慣れているのか、大男は笑みを湛えたまま丁寧に挨拶をした。
「はじめまして、私がセレーナ達の上司をしているスレイルと申します」
「はっ、はじめまして。僕はエルと言います」
「どうぞ座ってください。今すぐに飲み物を用意しますから」
慌てて立ち上がり頭を下げるエルに対し、再度座る様に促すと戸棚に向かい何やら準備を始めたようだ。
言われるままソファーに腰掛けると、ほとんど時間を掛ける事なくスレイルが両手に何かの飲み物を携えてやって来た。そしてテーブルを挟んでエルの反対に立つと、湯気の立つ飲み物を置きソファーに腰掛けた。
「マグニ茶です。どうぞ召し上がってください。熱いから気を付けて飲んで下さい」
「ありがとうございます。頂かせてもらいます」
こげ茶色のマグニ茶と言われる初めての飲み物に、おそるおそる口を付けた。言われた通り大分熱く、未体験の苦味と渋みがエルを驚かせた。ただ、吐き出したくなる様な不味さはない。それ所かなんというか癖になる味で、何度か少しずつ口に入れると安心し心が落ち着く様な感がある。
「なんというか、ほっと落ち着くような飲み物ですね」
「このマグニ茶は疲れた時に飲むと癒されるので、私のお気に入りなんですよ。それに体に良い成分が沢山入っていますから、健康にもいいんですよ」
「へえー、そうなんですね」
「さて、それでは本題に移るとしましょう。まず、上位冒険者に昇格した事で、エルさんが受けられる権利と義務について説明させて頂きます」
「はっ、はい。よろしくお願いします」
エルは背筋を伸ばし、真剣に聞く態勢に入った。そんな少年の態度に気分を良くしたのか、笑みを深めるとスレイルは説明に入った。もっとも、その笑みは他者から見れば野獣が威嚇するかのような凄味を伴っていたが……。
「まず、協会内の店や街の商店街や武器防具屋等、協会が出資している店で冒険者カードを提示して頂ければ、下位冒険者以上の割引きが受けられるようになります。ただし、個人経営や協会と関わりのない店では割引きは受けられないので、ご注意ください」
「はい、わかりました」
「それとオークション会場ですが、今までは一般市民にも開放されている商の会場と、下位冒険者や一部の商人が入れる地の会場しか入れませんでしたが、今回からは天の会場の入室もできるようになりました」
「たしか、上位の素材を取引している会場でしたか?」
「その通りです。オークションに参加する場合は、出品された品のランクには注意してください。入札に参加できるのは、あくまで冒険者のランクと同等の品までとなっております」
「つまり、5つ星の品までということですね?」
「はいそうです。それと、カウンターで迷宮からの戦利品の精算時に、申告して頂ければ3割まで持って帰って頂いても構いません。これは自分の食事や武器防具に使うために控除される物とは別に、3割まで持ち帰って自由にしても良いという意味です」
「えっと、どういう事ですか?」
「つまり、持ち帰った3割の品を好きなお店に売ってもいいですし、オークションに出品して頂いても構いませんという意味です。はっきり言えば、持ち帰った戦利品で好きにお金儲けしていいですよという事です」
「ああ、そういう事なんですね」
どうやらスレイルは見た目とは真逆で説明は懇切丁寧で、相手に理解させるのも上手いようだ。伊達にセレーナ達の上司をやっていないというわけだ。難しい事でも分かり易く噛み砕いて説明してくれるので、あまり物事を深く考えないエルでも十分理解できた。
「では上位冒険者に発生する義務についてですが、主に税金です。金額も下位冒険者とは比べ物にならない程高くなります。5つ星ですと1年間に金貨10枚の納税が義務付けられています。これが払えないと冒険者の資格を停止、またはあまりにもひどい場合は除籍される事もありますので、十分注意してください」
「はい、気を付けるようにします」
「納税額が高額に思えるかもしれませんが、それだけ上位冒険者は優遇されているのだと思って納得して頂けると有難いです。それに、自由に持ち帰えれる3割の戦利品を売買すればすぐにでも支払える金額ですので、きちんと迷宮探索を行えば払えない等といった事態にはならないかと思います」
「なるほど、そうなんですね」
「それに、エルさん程優秀で強い冒険者なら1日迷宮に潜れば稼げる金額ですので、まったく負担にはならないでしょう」
「!? そんな事まで分かっているんですか?」
びっくりしてエルは思わずソファーから腰を浮かし掛けた。彼の言はすなわち、自分の1日の戦果や収入を把握しているという事なのだ。冒険者1人1人そこまで調べ上げているのかとエルが驚愕していると、こちらの考えが予想できたのかスレイルは微苦笑して首を横に振った。
「もちろん、全ての冒険者の稼ぎを把握しているわけではありません。特に気になる人だけです。エルさんはソロでありながらほぼ毎日迷宮に潜り、大量の魔物を倒して来てくれるので、協会側としても期待しているのですよ」
「そうなんですか?僕は採取や採掘などは全くやっていませんし、武神流の技の修行や自分が強くなるために魔物と闘っているだけなんですが」
「その魔物と闘い戦果を持ち帰ってきてくれるのが大切なんです。知っていますか?あなたが1日に倒す魔物の数は、同ランクの冒険者のだいたい3倍近いんですよ」
「いいえ。その、お恥ずかしながら僕は単独行動ばかりなので、あまり他の冒険者のみなさんと交流していなくて……」
「いえいえ。冒険者の事情は人それぞれですし、恥ずかしがる事はありませんよ。とりあえず、エルさんは他の人より魔物を多く倒す稼ぎ頭だから、協会も注目していると思っておいてください」
「はっ、はあ、分かりました」
よく分かっておらず生返事を返した。スレイルはそんなエルに対しても気を悪くした風もなく、相変わらずの険のある顔に笑みを湛えながら淀みない説明を続ける。
「それから義務についてですが、有事の際は街の防衛に参加して頂く事になります」
「えっと、それは戦争に参加しろと言う事ですか?」
「いいえ、敵は人とは限りません。迷宮から魔物が溢れた事例はありませんが、外部の凶悪な魔物がこの都市に侵攻してきた場合や、この都市を占領してようと企てる悪意ある者がいた場合には、闘って頂く事になります」
スレイルの伝えた内容に、エルは知らず唾を飲み込んだ。
人と闘った事など今まで経験した事はないし、自分の拳ははっきりいって凶器なのだ。人間を容易く殺す事のできる武器と変わらないのだ。
僕が人間と闘う?
そんな事を行き成りやれと言われても心の準備はできていないし、戸惑いの方が大きかった。そんなエルの不安気な顔を安心させるように、スレイルが言葉を掛けた。
「ご安心ください。先ほど言ったのは、あくまで有事の際はそういった義務が発生しますよ、と言う意味です。この都市は近隣諸国による共同統治のおかげで今は安定していますし、記録によれば人間同士の戦争が起きたのは70年ほど昔の話です」
「なんだ、それじゃあ戦争に参加する事はまずないという事ですよね?」
「近隣諸国やこの都市の軍事力もかなりのものですし、どこかの大国がこの都市を独占したいという野望を実行に移さない限りは、まず安心してもらっていいでしょう。エルさんには防衛というよりは年に数回見回りを行って頂き、治安の悪化を防いでもらうのが主な任務になるかと思います」
「見回りですか?」
「ええ、こちらとしても不本意なんですが協会の兵士は不足しがちでして、上位冒険者の方には協力してもらっているんですよ。といっても簡単な内容です。見回りの際には必ずこちらの兵士が付きますし、その兵士に従ってもらえばいいだけです」
「そうなんですね。それなら僕でもできるかな?」
戦争に参加する事はほぼ無いという安堵感からか、街の見回りについてあっさりと受け入れてしまう。一緒に回るであろう兵士の指示に従っていればいいと、安請け合いしたわけだ。
「ただし今後犯罪を犯した場合、罰則は非常に重くなりますので重々お気を付けください。軽微な犯罪でも罰金だけでなく、都市外退去や冒険者カードの取り上げ等の重い罰を課させる場合が出てきます」
「ずいぶん厳しいですね」
「ええ、申し訳ないのですが、上位冒険者の皆様には街の警邏に参加してもらう事になりますので、その分他の模範になって頂けねばならないのです」
「えっと、取り締まる側の人間が犯罪をしたら駄目だという事ですか?」
「その通りです。治安を維持し街を守る側の私達が罪を犯せば悪感情も出てくるでしょうし、即モラルの低下に繋がります。だからこそきちんと法を守り、健全に都市が運営されている事を示さねばならないのです」
「なるほど、確かにその通りですね」
スレイルの意見が一々もっともだと肯定しながらも、エルは小さく身震いをした。自分の様な頼りない存在が、本当に他人の模範になるのかと不安になったのだ。ただ憧れた英雄のようになりたいと、ひたすら自己の研鑽に励んで来ただけの自分が、他者の見本になれるなど到底思えなかったのである。
「なあに、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。用は今まで通り犯罪を犯さず、普通に生活してもらえればいいだけです」
「あっ、そうなんですか。それなら僕でもできそうですね。それに、師からも冒険者は超人的な力を持つようになるので、己の力を振るう場所を間違うなと常々言われていますので、気を付けるようにしています」
「エルさんは素晴らしい師匠をお持ちのようですね。その心掛けを忘れなければ、何も問題ないと思いますよ」
「ふぅ、安心しました。でも、いきなり模範になれと言われたので、かなり焦りましたよ」
「それは申し訳ありませんでした。ただ、そのまま伝えて軽く受け止められると困りますので、いつも初めはきつめにお話しさせてもらっているんですよ」
「ああそういう事ですか。すいません、考えが足りませんでした」
「いえいえ、分かって頂ければ何も問題ありませんので、謝って頂かなくとも結構ですよ」
エルに向けて白い歯を光らせ、本人としては良い笑顔の積りの顔で笑い掛けた。どうみても獣が牙を剥き出しにして威嚇しているにしか見えなかったが、この頃にはエルも大分慣れてきたおり、笑顔を返せるようになっていた。
スレイルの方もエルのそんな姿を見て一瞬驚いたようだが、何か得心がいったのか目を細め笑みを深めた。
「とりあえず注意事項は以上になります。上位冒険者に成る事で権利だけでなく義務も増えるのが面倒だとは思いますが、どうかよろしくお願いいたします」
「僕がどこまでお役に立てるか分かりませんが、頑張りたいと思います。治安を守る事は大切ですし、それに冒険者だけでなく市民のみなさんが安心して生活できる都市の方がいいですからね」
「素晴らしいお考えですね。失礼ですがまだお若いというのに、実に卓越した見識をお持ちのようですね」
「いえ、そんなに深い意味はないんですよ。この都市は本当に優しい人ばっかりで、田舎から出てきたばかりの僕に沢山親切してくれました。あの時の恩返しが少しでもできればと、皆さんが笑って暮らせる手助けができればと思っています」
「エルさんの様な善良な方だけが冒険者だったら、どんなによかったか。自分の利益のために裏では悪事に手を染める者も少なからずいるんですよ。それに、最近はクラン等も形骸化して、存在するだけで有害なものになってきましたからね……」
「クランですか?」
「!? これは失礼。余計な話をしてしまいましたね」
スレイルの愚痴から聞きなれない単語が出てきたので質問してみた。クランとは今まで聞いた事がなかったが、何だろうと興味を持ったのだ。まあ、エルは情報収集もあまりせず他の冒険者との交流もほとんどないので、はっきりいって冒険者の事情に疎かったのである。
クランの事について何も知らないといったエルの態度にここは説明すべきだと判断すると、スレイルは居を正し咳払い一つすると滔々と語り出した。
「クランとは冒険者が独自に協会の様な組織を作り、協力し合う集団の事です。クランは夫々が独自の目的を掲げており、それに共感した者が入り相互に助け合って目的を達成しようとする集まりです」
「いいじゃないですか。それのどこが問題なんですか?」
「もちろん健全に運営されていれば、こちらとしても文句は言いません。何十年も昔にクランが提唱され、正しく運営されていた間は、事実何の問題も起きませんでした」
「というと、何か悪い事が起きたんですね?」
「はい。いくつものクランが内部の権力闘争で揉め事を起こしたり、新人や団員に無茶な上納金や奉仕の義務を課したりして度々問題になっています。それに、最近では犯罪まがいの悪質な勧誘を行う所もあって、協会としても頭を悩ませているんですよ」
溜め息混じりに説明するスレイルの鎮痛な顔が、クランが今では設立当初の理念を忘れ悪質なものに変わってしまった事を如実に物語っていた。
どんな組織でも時間が経てば腐敗するというが、このクランという集団も例外ではなかったという事だろう。
「それと、クランの団長等運営側は上位冒険者がほとんどで、最上位冒険者はまずいません。最上位まで上がれる方は、魔物との闘いや自己の研鑽に余念が無く、他の事をする暇がないですからね。それで先程の上位冒険者の方々は、最上位まで上り詰める才能が無いか、下層に降りるにつれ格段に上昇する死の危険性や必要になる努力等に諦めてしまった者達です。そういった人達がクランの運営に手を出しているのです。ある程度力を持つと権力を欲しがるという典型例ですね」
「はあ……」
スレイルは顔を歪め悪し様に言い切った。本当に協会としてもクランに頭を悩ませているのだろう。挫折した者や諦めた者が上に立てば、組織も歪み腐り易いという事だろう。
エルにはあまり理解できない話であったが、今のクランは善くないものであり近付かない方がいいだろうという事は何とか頭に入れた。
「中には健全に運営している所もあるにはありますが、極わずかしかありません。ですからクランの情報を事前に知っていればまず入りませんし、加入している冒険者は全体の2割にも満たないでしょう。エルさんも勧誘された際は十分気を付けてくださいね」
「はい、わかりました」
「エルさんは数少ない最上位冒険者に成れる人物だと、協会としても期待を寄せています。できればクラン等には関わって欲しくありませんが、エルさんは今注目されていますしあちらから近寄って来る事もあるかと思います。もし困った事になったら何時でも結構ですので、私か協会の職員に相談してください」
「ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」
親身にこちらの事を考えてくれるスレイルの態度に心打たれ、エルは深々と頭を下げ感謝の気持ちを表した。スレイルはどうやら信頼するに足る人物のようだ。
「セレーナさんが言っていた通り、スレイルさんは本当に親切で良い人ですね」
「ははっ、面と向かって言われると照れますね。私は 迷宮都市生まれで、この街が本当に大好きなんです。冒険者や市民が希望を持って暮らせる街にしたいと、共感してくれる人達の力を借りて日々邁進しています。だから、善良な人々の生活を脅かす者は絶対に許してはおけないんですよ」
確固たる決意。発した言葉の端々や、真剣な彼の態度から熱い思いが伝わってくる。市民の未来を守るためなら躊躇なく悪を斬り、汚れ仕事だろうと人々のためになるなら断固として決行する、そんな強い意志を抱いた人物だ。迷宮都市を生一本に愛する、スレイルの様な誠実な人達の手によって都市の平和が保たれてきたに違いない。
この人と話ができて良かったと、エルは彼を引き合わせてセレーナに心から感謝した。
「僕は頼りない所がいくつもある未熟者ですが、それでも平和を愛する気持ちはありますし、大好きな友達や仲間達には笑って暮らして欲しいと思っています。もし僕にできる事があったなら、遠慮なく声を掛けてください」
「ありがとうございます。エルさんの様な有望な冒険者が、真っ直ぐで清らかな心の持ち主で本当に良かった。たまに見回りをお願いする事もあるかとは思いますが、その時は是非ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「長々と時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。話は以上ですので、お気を付けてお帰りください。あっ、それとこれからは受付は上位冒険者用をご利用ください」
「カウンターの場所が変わるんですか?」
「いつもエルさんが利用していた場所の隣ですから、すぐにわかると思いますよ」
「ああ、それなら安心ですね」
微に入り細に入りというか、つくづく説明が丁寧で分かり易い。エルの様なはるかに目下の人物に対しても、礼節を持って接しこちらの事を親身になって考えてくれる姿は非常に好感が持てた。見た目が怖いなど、もはや些末な事でしかない。エルはソファーから立ち上がると、もう一度深々と頭を下げた。
「今日は本当にありがとうございました。」
「いえいえ、こちらこそ有意義な時間をありがとうございました。それと、何かありましたらいつでも相談に来てくださいね」
「はい、遠慮なく寄らせてもらいますね。それじゃあ、失礼します」
「お気を付けてお帰りください」
ゆっくりとドアを閉めるエルに対し、スレイルは最後まで紳士的な態度のまま綺麗で見惚れるような一礼で見送った。
こんな人物もいたのかと、いや彼ほどの傑物が協会にいるからこそ健全な運営ができているのだと、エルは気付かされた。
彼の真摯で熱い思いは、エルの心に大きな衝撃を与えると共に自然とやる気を起こさせた。何だか体を動かしたくて仕方ない。
時刻はある程度過ぎてはいるが、まだ朝といっていい時間帯だ。
そうだ、迷宮に行こう。
やる気を漲らせ目を輝かせた少年は、迷宮に向かって走り出すのだった。
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