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第一章 家庭教師と怪力貴公子
いつか来る日
しおりを挟む夕食を終えてから、僕は離宮の厨房を訪ねた。
「──料理長。少しお話できますか?」
「おお、ラヴーシュ先生じゃないですか? どうしたんでさ?」
人のいい料理長は、僕に気づくと顔を上げて破顔した。優しげに垂れた目尻がさらに下がる。
この人は、公爵家の伝手を使って呼び寄せた人材だった。
僕が来たころの離宮の調理人は、お世辞にも仕事熱心とは言えず、その手の抜きようは目に余った。
お育ち盛りのフォルテさまに朝昼夜、パンとミルクしか運ばない。体調でも悪いのかと心配して使用人棟まで赴けば、カードで賭けをしている始末。かたわらには酒瓶と燻製ハム、具入りのパンまであった。
フォルテさまの日々のお食事より優雅な使用人棟の光景に、僕の心は凍りついた。
「……紹介状は必要なさそうですね?」と、冷たい声で問えば、彼は真っ青になって詫びた。
屋敷勤めの人間が紹介状もなしに職を失った場合、信用を失い、路頭に迷う。後腐れなく辞めてもらうのは簡単だった。
ただし紹介状には「この者はのんびりした性格ですので、厳しい指導を」と書き添えさせてもらったが。
水仕事の手を止めて、笑顔で出迎えてくれた料理長に「少々気になったもので」と前置きし、僕は夕食の感想を伝える。
「……今夜のスープ、いささか香辛料が過ぎていたように思いまして」
「こりゃいけねえ! おとつい、久々に王都の晩餐会に出張したもんで……フォルテさまにゃ辛口でしたか。すみません!」
「あ、いえ。フォルテさまはなにもおっしゃいませんでしたが、僕がそう感じただけですから」
禿頭の料理長は申し訳なさそうに頭をかく。
フォルテさまは育ち盛り。健やかな成長に、優秀な料理人の協力は欠かせない。
「ところで、明日はフォルテさまとハーブ摘みに行くんです。良い香草が見つかったら、料理長にも差し入れますね」
「そりゃあいい。明日はミッドサマー・イブですからねえ、太陽が元気な時期に刈り取った植物は乾燥させても香りが違うんですよ」
料理長は思いついたように叫んだ。
「そうだ。昼飯用に揚げパンでも作りましょうか? 腹持ちのいい食べ物がいいでしょ?」
「ぜひ、お願いします」
「美味しいパテも用意しますよ。フォルテさまの腹を空かせちゃ、末代までの恥っ晒しだ!」
料理長が嬉しそうに張り切ってくれる。
そう。明日はフォルテさまと遠出をする。
離宮に来て一年。馬車を使ってのお出かけは初めてで、僕も胸が弾んでいた。
翌日は、朝からまぶしい青空が広がった。
「いいお天気でよかったですね。フォルテさまが勉学を頑張った証拠ですよ」
「……おれ、サフィと出かけるのが楽しみすぎて、あんま眠れなかった」
「おや……睡眠不足だと馬車に酔うかもしれませんね。ご気分はいかがですか?」
言われてみれば、フォルテさまの目の下にはうっすらと隈が出ていた。お顔を覗き込むようにして訊ねると、ふいっとそっぽを向いてしまう。
「……へーき」
答える声は小さかったが、体調は悪くないようで安心した。
「さあ、降りましょう」
一足先に馬車から降り、フォルテさまの小さな手をとった。
クラリセージとマートルの花が、初夏のそよ風に揺れている。
到着したのは僕の実家、ラヴーシュ公爵家が持つ薬草園だ。
広大な草原を美しく保持・管理し、たまに領民にも開放している。秋には周辺の土地でとれた農作物を集めた収穫祭が開催される。病がちで参加できない年もあったけど、僕にとっては毎年の楽しみだった。
ここには二百種以上のハーブや薬草類が栽培されている。マグワート、ヤロー、レモンバーベナ……。
フォルテさまと頭を突き合わせるようにして、収穫予定のハーブを植物図鑑で確認した。
「いいですか、フォルテさま。ミッドサマーの前日に摘む草は、その薬効がもっとも高くなるといいます。本日は我がラヴーシュ公爵家の薬草園で、サフィと一緒に学ぶのですよ!」
ぐっと握り拳をつくって胸元で握りしめた。
薬草園に来ると血が騒ぐ。
そんな僕を、フォルテさまは興味深そうに見つめる。
「なあ、サフィ」
「なんです?」
「おれがいっぱい草摘んだら……サフィはおれのこと、好きになるか?」
「え?」
草原をわたる風が、ざざあ、と強く吹き寄せる。周辺の草が海のようにうねうねと揺れた。
くすぐったい気持ちが胸から迫り上がって、気づけば口に手を当てて笑っていた。
「……ふふっ、あははっ」
「笑うなよ!」
「だって……そんなことしなくても、サフィはフォルテさまが大好きですよ?」
自分で目尻に滲んだ涙を拭いながら言った。
途端、フォルテさまの顔がぱっと赤く染まる。みずみずしいご尊顔に薔薇の花びらを散らしたようだ。
「さて、ここでクイズです。この背が高い草。名前はオーピン。俗名ではリブロングとも呼ばれています。どんな意味かお分かりですか?」
「リブロング……? 長寿の草、か?」
「そのとおり。リブロングには面白いお話があります。ミッドサマー・イブにこの草を二枝摘んで窓辺に飾っておく。そして次の朝、もし二つの枝が仲良く寄り添っていたら──」
「……寄り添っていたら? どうなるんだ? 早く話せ!」
「花を摘んだ二人は、将来結婚するんだそうです」
どこの国の、どこの村にでもあるような、つまらない恋占いのひとつだ。
ところがそれを聞いたフォルテさまは、くるりと背を向けて、猛スピードで走り出した。つま先で地面を蹴って進むたび、土と草が跳ね上がる。
「ちょっと! フォルテさま、どこ行くんですか!」
摘んだばかりの草を放り投げ、慌ててあとを追いかける。
「おしっこだ! サフィはついてくるなっ!」
「そんなになるまで我慢しちゃダメですよー! あまり遠くまで行かないでくださいね~!!」
ゆうべは思うように寝付けなかったみたいだし、本調子ではないのかもしれない。様子を見るしかないけれど、場合によっては実家に連絡を遣って医師を呼び寄せてもらおう、と思った。
戻ってきたフォルテさまは、なぜか微妙に不機嫌な面持ちで、草地に寝そべって過ごされた。ハーブや薬草は僕がほとんど一人で収穫した。
せっせと作業する合間、草むらから顔を出して、「お昼寝してないで、手伝ってくださ~い!」とか、「サフィは腰が曲がってしまいますう~!」と、ぶうぶう文句を垂れても無言のまま。
帰りの馬車でも頬杖をつきながら、なにか物思いに沈んでおられるようだった。
──フォルテさまがおとなしいなんて、おかしい!
僕は片手で前髪を上げて、隣に座っているフォルテさまにぐいぐい迫った。
「フォルテさま! サフィとごっつんこしましょう!」
「しない。うるさい。近づくな」
お返事は、けんもほろろ。取り付く島もない。
「あー、その態度! ぜったい熱がありますよ? サフィに測らせてください!」
「熱なんてない。いーから、ほっといて」
「んん~……ますます怪しい!」
そのとき、出し抜けに馬車がガタガタと揺れた。
横を向いていた僕は「うわわ」とよろめき、座席から転げ落ちそうになる。
けれどその瞬間、フォルテさまが僕の腕をぐいと引っ張ってくれた。
「おおっとっと……」
反動でフォルテさまに抱きつく形になってしまった。
「いやぁ、びっくりしましたね~!」
「……離れてくれないか」
「あ、すみません。フォルテさまが押し潰されてしまいますね!」
御者がとんとんと馬車の戸を叩く。
「たいへん失礼しました! 山から下りてきた鹿と、ぶつかりそうだったんで!」と謝ってから、また走り出した。
フォルテさまは、ぷい、と窓のほうを向いたきり、離宮に着くまで黙りこくったままだった。
その翌朝、フォルテさまは精通を迎えられた。
僕はそれを淡々と報告書にしたためた。
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