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第一章 家庭教師と怪力貴公子

フォルテさま13歳。「なんでいっしょに寝てくんねえの?」

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 夕食も湯浴みも終え、あとは寝るだけ。夜更けといって差し支えない時間。
 枕を抱えたフォルテさまが、僕の部屋の前で座り込みをしていた。

「……またですか」
「サフィ!」
「ご一緒には寝ませんよ」
「なんでだよ……なんでいっしょに寝てくんねえの!?」
「──あなたは、もうお子さまではないからです」

 厳しめの顔をつくってそう告げると、フォルテさまは歯を食いしばるようにして、口を真一文字に引き結んだ。
 あっ、泣かせてしまうかも……と胸が痛んだが、涙をこぼされたりはしなかった。お強いですね、立派でございます、と褒め倒したくなる気持ちを密かに呑み込む。

 フォルテさまは僕の腕をぎゅっと掴んだ。
 掴まれた手首がぎしりと軋み、その馬鹿力に「ぐふっ」と呻く。フォルテさまは力をこめている自覚がないらしかった。

「うぬっ……ぐぐぐ……!」
「サフィ。どうしてもダメなのか?」
「ぬぐぐぐ……だ、ダメ、です!」

 腕を粉砕されそうな痛みを堪え、断言する。
 フォルテさまは潤んだ金の瞳を大きく見開いて僕を見上げていたが、やがて諦めたように、ふっと視線を外した。

「……わかった。だがそのうち、おまえから寝たいと言わせてやるからな」
「っえ? あの、フォルテさま、今なんと……?」
「なんでもねーよ」

 フォルテさまは白いお餅のような頬をぷくっと膨らませた。目の縁が赤くなっている。

「もうサフィなんか知らねえっ!」

 こんなやりとりを、僕たちは何度繰り返しただろうか。





 それから四年が過ぎて、十三歳を迎えられるころには、フォルテさまはすっかり気難しい方になっていた。

 お手入れのしすぎで少し薄くなった眉をむすっと寄せて、額に縦皺を刻んでいる。口はへの字。そういう拗ねた表情も可愛いのだが、ご本人は可愛いなどとは言われたくないだろう。これもまた成長だ。

 利発で愛らしい風貌は、少しずつ、少年から青年のものへと移り変わりつつある。
 もともと腕力の強いお子さまだったけれど、この数年はぐんぐん背が伸びて凛々しさを増した。声変わりもされた。
 武芸を習うことは未だに許されないが、離宮の外を駆け回ったり、木をのぼって鳥の巣を覗いたりする日々を送っておられる。


 今日は離宮から馬車を出し、ピクニックにやってきた。
 育ち盛りの少年が離宮にこもりきりでは、フォルテさまも窮屈される。王宮に陳情を出し、季節ごとにお伺いを立て、遠出の許可をいただくようになった。

 季節は初夏。王都から一時間あまり走らせて到着したのは、開けた草原。王家直轄の森林地帯だ。

 この日はフォルテさまが訪問するため、王命によって徹底した人払いがなされていた。周辺の村さえも固く戸を閉ざしている。
 よからぬことを企んだり、他の者と結託することのないよう、あやうげな芽は摘んでおく。そんな考えが、子供の遊びにさえ付いて回るらしい。

 バスケットには焼きたてのパンやピクルス、料理長自慢のパテ。デザートは摘みたてのベリーをふんだんに使ったケーキを詰め込んできた。
 僕は張り切って、草地にせっせと敷物を敷いた。

「おやつのあとは、花飾りガーランドをつくりませんか? 夏の草花を摘んで、離宮に飾るんです」

 フォルテさまに手伝いを頼む。うんともすんとも言わない。
 この数ヶ月は、僕と目も合わせてくれなくなった。

 バスケットを開いて、お昼にする。

「料理長のケーキ、美味しいですね」
「……ああ」

 フォルテさまはパンもケーキも一口、二口ほどで食べ切った。

「よく噛んで食べないと、大きくなれないですよ?」
「…………」

 フォルテさまは「ふん」と鼻を鳴らした。
 ピクルスをほいほいと口に放り込み、しかたねえ、という顔で、もぎゅもぎゅと咀嚼をはじめる。最後に魔法瓶の紅茶をぐびーっと喉を鳴らして飲んだ。
 見ている者がスカッとするような、良い食べっぷり、飲みっぷりだ。



「……あっ、その草は違いますよ。フォルテさま、聞いてますか。ねえ、ちょっと。フォルテ坊っちゃまっ!」
「うっせーなぁ。坊っちゃまって呼ぶんじゃねえよ」

 相変わらず「坊っちゃま」と呼ぶと怒る。なので僕は「ここぞ」という場面で使うことにしていた。

 それにしても、お年ごろというやつなのか、フォルテさまは言葉遣いがお悪い。膝をぱかっと開ける──いわゆる「うんこ座り」も、態度の悪さを助長しているように見えた。

 僕はむすっとして眉根を寄せた。

「うっせえではありません! どうしてなんでもかんでも引っこ抜いてしまうんですか? サフィが教えてあげたじゃないですか」
「はぁ? 草なんてどれも同じだろうが」
「ぜんっぜん違いますう~! ほら、葉の形をよく見てください」

 僕がフォルテさまの傍に近づくと、すかさず、すっくと立ち上がる。フォルテさまの背丈はもう、僕とほぼ同じくらいだ。

「あーあー、もーめんどくせーな! こんなちまちましたこと、やってられっか!」

 フォルテさまはそう言い捨てると、足に羽でも付けたみたいに駆け出していく。
 僕は追いかけようとして草に足をとられ、無様にすっ転んだ。手首の少し上、掌底のあたりを軽く擦りむいてしまった。

「あいたた……あれ? フォルテさま?」

 フォルテさまのお姿はもう見えなかった。足が速い。
 それでも、昔は笑いながら待っていてくれたのに。

「……どうしたらいいんだろう」

 母さまに相談のお手紙を送ったら「それは反抗期っていうの。サフィちゃん以外、だいたいみんなそんな感じだったわ」などと言われた。

 たしかに僕自身、ほとんど親に反抗した記憶はない。病がちで家族には迷惑のかけどおしだったから、それが引け目になって、十代のころは存在感を消そうと必死になっていた。
 そんな自分の姿に、家を出てから気づいたのだ。

「反抗期って、なんだかさびしいものですね……」

 消極的な性格の僕が教師では、フォルテさまにはもの足りないのかもなぁ……と、後ろ向きなことを考える。
 僕は元来消極的な人間だから、フォルテさまを導くどころか、退屈な思いをさせて精神を倦ませている有様だ。

 ため息をつき、うなだれると、魔除けのハーブ・マグワートの茂みを見つけた。膝を曲げて、屈み込む。

 昔、この葉っぱを乾燥させて、フォルテさまの髪に編み込んでさしあげた。このハーブは、悪夢避けになると言われているからだ。
 あのころはまだお小さくて、僕の部屋で一緒に眠ることもあったっけ。

 懐かしさにひとりでほっこりする。摘もうと手を伸ばして、異変に気づいた。

「な、なんだ、これ……?」

 まだ枯れる季節ではないのに、青々としているはずの葉には勢いがない。ギザギザとしたヨモギ科に特徴的な葉は見る見る間に萎れていき、茶色になった。

 不吉な現象だ。萎れた葉は、さらにどろりと腐ったように液状化する。気持ち悪い。
 僕は慌てて葉から手を離し、立ち上がった。

 そのとき、がさがさと茂みが揺れる。
 橙と黒の異様な縞模様が、目の端に映った。

「……ひっ」

 口がからからに渇き、喉が張り付いたようになる。

 茂みの奥から、大きな虎がのそりと姿を現した。

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