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第一章 家庭教師と怪力貴公子
森の王と赤き獅子
しおりを挟む穏やかで綺麗なだけの「死」なんて物語の中だけだ。毛を逆立てた熊を前にして、今さら冷静になっても遅かった。
僕は息を震わせ、じりじりと後退った。けれど退けば退くほど熊も近づいてくる。
「ううああああ~っ!」
踵を返して駆け出した。が、森の中には整えられた道はない。しかも急な斜面や崖、岩が点在する。まっすぐ進めないし、つま先が木の根っこに引っかかって僕は落ち葉が降り積もった斜面を滑り落ちた。目の前に、大きな岩石が迫る。
──だめだ、ぶつかる!
たしかにそう思ったはずなのに、
「わっ……あ!?」
宙に浮くような感覚がして、滑落が止まった。割れるような衝撃は襲ってこなかった。
僕を受け止めてくれたのは……おそるおそる顔を上げて、くらりと目眩がしそうになった。
「……フォルテ、さま」
僕はフォルテさまの腕にすっぽり収まっていた。驚いたように名を呼べば、じろりと睨まれてしまった。言いたいことがたくさんあるみたいだ。
「なんだその格好。村娘みたいじゃないか」
「あ、これは、その……」
「くそ可愛いな」
だが、悠長なことは言ってられない。熊は僕が滑り落ちた崖下を覗き込んでいる。そして氷上でスケートでもするように、器用に斜面を滑り降りてくるではないか。
大きな岩陰に僕を隠すように座らせて、フォルテさまが立ち上がった。
「……あいつの相手が先か」
「こっ、殺しちゃダメですよ! 熊は森の守り神ですからね!」
熊は森の王。シテール王国の古き森に棲み、この国を森から守る尊き存在だ。ゆえに、狩りの対象にしてはいけない獣だった。
フォルテさまが空を握りつぶすように、ぱきぱきと指を鳴らし、腰からベルトを抜き取った。
「……俺のサフィに手を出したんだ! 熊でも森の王でも、容赦しねえよ!」
熊もフォルテさまも頭に血が上っている。
片手を振り上げた熊がすぐそこまで迫っていた。
「うらぁぁぁぁっ──!」
フォルテさまが、ベルトを鞭のように振り下ろした。
熊は蛇のようなにょろにょろしたものが苦手だとお勉強の時間にお話したことを覚えてくれていたのか。
しかし熊が大きな手を振ると、森の中に突風が巻き起こった。フォルテさまは両手で顔を守ったが、落ち葉や枯れ枝と共に吹き飛ばされてしまった。
「フォルテさまっ!」
今まで戦ってきた獣とは力も動きも違う。熊の茶色の毛並が逆立った。敵意剥き出しだ。
けれど風にも負けず、フォルテさまが曲芸のように、大木の幹を足場にして踏ん張った。
体勢を立て直している隙に熊は僕のほうへ走ってきて、大手を振り上げた。
「うわあああ!!」
地面にうつぶせになって丸くなる。背中の上にのしりと熊の手が乗っかった。
震えていると、衣服を引っ張られ、肌が剥き出しになった。頭につけていた布がとれ、長い髪に熊の太い爪が引っかかった。
「うう……っ」
熊の鼻息が背中越しに僕を追い詰めた。
「獣の分際で、サフィに触ってんじゃねえぞオラァァァァ~ッ!!」
フォルテさまの気勢が森の空気を変えた。めりめりと、なにかが張り裂けるような音がする。木々の梢からいっせいに大小の鳥たちが羽ばたいていった。
森の鳥が一気にいなくなったような静寂が一瞬落ちて、熊が動きを止める。
「どおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ~!!」
フォルテさまが両手で大きな木を引っこ抜き、熊に向かって突進した。そのまま樹木ごとなぎ倒す。熊は大木の下敷きになって倒れ、落ち葉の絨毯の中に沈んでいった。
「あ、あ……熊……」
「終わったみてえだな」
ふっと息をついた、そのとき、落ち葉の中から大きな手がぬぼっと突き出てくる。がさりと熊が起き上がった。「ひえっ」と叫んだが、フォルテさまがひと睨みすると熊はあっさり背中を見せ、のっしのっしと森の奥へ戻っていった。
「あ、あれ……?」
「ふん。これ以上、戦う理由はねえってこった。帰るぞ!」
フォルテさまのお力が熊を圧倒した、というよりも、僕を守ろうとした気持ちの力の粘り勝ちなのかもしれない。
上衣を脱いで、「目の毒だから」といって僕にかけてくれる。
「……僕の居場所、よく分かりましたね」
「うん。ルキウスに借りた」
フォルテさまの胸元から、不満げな態度のハリネズミが顔を出した。プリニウスだ。
細い鼻先をひくひくさせて、挨拶するように「きゅう」と小さく鳴いた。僕の匂いをたどってきたのか。
「ルキウスさまが……よく借してくれましたね」
フォルテさまとは性格も育ちも違う五番目の殿下が。伝家の宝刀を、よくぞこの乱暴な弟に貸し与えたものだ。
「サフィのピンチだからかしてくれたんだよ。あとでなに要求されるか分かったもんじゃねえ」
貸し借りはナシだって言っといたけどな、と軽く舌打ちした。プリニウスはフォルテさまの胸でプスプスと不服そうな音を立てている。
半眼になっている愛らしいハリネズミに思わず笑みを零すと、フォルテさまは途端に不機嫌になってしまった。
「あのさ、何度も言ってるよな。俺の傍から離れるなって。なんで分かってくんねえんだよ、おまえは!」
「でも……」
「でもじゃない! なんで俺から逃げるんだ!?」
フォルテさまが切なげに頬を震わせている。はっとした。
「サフィが、いてくれないと……胸が痛い。穴が空いたみたいに、冷たい風がすーすー吹いてて、しんどくなる」
「でも、僕は…………っ」
逃げたくって逃げてるんじゃない。僕は、自分が情けなくて。
踏みしめた落ち葉がくしゃりと儚げな音を立てた。
「僕は、あなたを、汚してしまった……」
「どうしたらそういう発想になるんだ?」
がばりと強く抱きしめられ、背骨がしなる。僕も手をフォルテさまの背に回した。
「おまえは少し、俺に頼ることを考えろ。もっと俺に委ねればいいんだ。おまえの全部、俺だけに捧げればいい!」
フォルテさまの瞳から、涙が一滴、頬を流れ落ちた。
「サフィがいなくなって、俺も泣きたかったよ……」
「あ……うっ…………」
ひゅう、と喉が鳴った。かたかたと、手足が震える。
「俺が、消えたら……サフィは悲しくないのか? なんとも思わねえのか?」
「ちがっ……ごめんなさい、……ごめんなさい、フォルテさま、ごめん…………っ!」
胸をいばらの鞭で打たれたような衝撃だった。
自分のことしか考えていなかった。フォルテさまの気持ちを置き去りにして。馬鹿で無様で……こんなんじゃ教師どころか、人間失格じゃないか。
恥もプライドもなく、僕はフォルテさまの御前で、声をあげて泣いた。
「……こっ、これからも……サフィをお傍に置いてくださいますか?」
「おまえ以外、誰がいるってんだよ。……おかえり、サフィ」
フォルテさまが明るく笑った。
雨上がりに空から覗いた太陽のような、まぶしい笑顔だった。
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