怪力貴公子にハートを脅かされています

温風

文字の大きさ
23 / 27
第一章 家庭教師と怪力貴公子

僕、逃げます

しおりを挟む


「いっ……お、重い……」

 全身が痛みを訴えていた。中でも痛いのは下半身だが、腰や股関節以上に、心が痛んだ。『人生終わった』感じがする。

 マンドラゴラ入りドリンクを飲み干したあと、フォルテさまに抱かれた。
 その後は王宮から離宮まで運ばれ、ひたすら看病された。一連の行為のあと、フォルテさま自ら僕の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれたのだ。体を拭いてくれたり、食事を運んでくれたり……態度も言葉もすべてが優しかった。
 それもまた罪悪感に拍車をかけた。

 この国の王子たる人の純潔を犯したのだ。
 正確に言うなら抱かれたのは僕だし、奪われたのも僕の処女なのだけど……フォルテさまの童貞を奪ったのは紛れもなく僕だった。
 フォルテさまは僕に無理やり童貞をむしり取られてしまった。

 薬の名残なのか吐き気も酷くて、回復しかけてもすぐ脱水症状に陥る。数日の間は水を飲むのにすら苦労した。
 お布団をかぶって「ううああ~」と泣き喚いても事態は変わらない。憎いのは媚薬だが、取り返しのつかない失態をしたのは僕だ。罪深いにも程がある。
 生々しく体に刻まれた手や指の痕からは、どんな行為があったのかまざまざと蘇る。マンドラゴラに忘却作用はないらしい。……つらいなぁ、この薬。


 事件から一週間ほど経ったけれど、精神的な苦しみに耐えられなくなった僕は、離宮の人たちの目を盗んで離宮を抜け出した。
 必要なことはすべて手紙に書いて置いてきた。家族と離宮のスタッフたち、そして、僕の大事なフォルテさまへ……。

 すべてを捨てて僕は逃げる。
 どこぞの森で野垂れ死ぬとしても、本望だった。




 まず適当に買った質素な服に着替えた。
 店の人がなぜか女物の服を薦めてきたのだ。それしか僕に合うサイズがないのだという。「嘘だろ?」と思ったが、なにしろ庶民の店なので文句は言えない。
 顔を隠すために三角の布を頭につけ、乗合馬車に乗った。
 山菜取りを生業にする女性に扮したつもりだ。

 硬貨は料理長に借りた。街で手に入れたいものがあると嘘をついて。この先どこかで手紙を書けたら、謝っておこう。

 乗合馬車で母娘連れと隣り合わせになった。お母さんの側にぴとっとくっ付いていた女の子が、飴玉をくれた。

「おねえちゃん、これあげる」
「…………」
「げんきなくても食べてね。食べれば、げんきになれるから」
「……ありがとう」

 食べれば元気になれるか。素晴らしい箴言だ。
 泣き笑いを浮かべて、僕は飴玉を受け取った。それをお守りのようにそっと握りしめる。

 ごめんなさい、フォルテさま。弱い人間で、ごめんなさい。

 僕が本当に逃げたいのは弱い自分からだ。
 弱くて卑屈で、なんの役にも立てない。サフィアという肉体から、存在から、逃げ出したかったんだ。


 後部の座席に座っていたおじさんたちが、なにかに気づいたように馬車の後ろを気にしている。

「なあ……誰か馬で追いかけてくるぞ。盗賊じゃねえよな?」
「知り合いが乗ってるんじゃねえか? おーい、ちょっと馬車止めてやれよ」
「誰かー。あの馬に乗ってる赤毛のにいちゃん、知り合いじゃねえかい?」

 赤毛……? 嫌な予感がする。
 昔っから僕の予感は、嫌なものほどよく当たるんだ。髪をしっかりと布の中に隠して、人陰からそっと覗いてみる。峠の下から、たしかに馬に乗って追いかけてくる者がいた。
 蛇行する山の道を見下ろしていると、木立の間を縫うようにして、赤銅色の髪の人物が見えた。
 やっぱりフォルテさまだ。なにか叫んでいる。

「サフィ! 乗ってるか!?」

 呼ぶ声がはっきりと耳に届いた。
 隠れるようにうつむいて、額に手を当てた。まだ距離があるうちに、進路を変更しなくては。

「……お目目の上、ケガしてるの?」

 隣の女の子が、心配そうに僕を見ている。
 僕の右眉は一部途切れている部分があって、そこには古傷があるのだ。フォルテさまが子供のころに矢を振り回して切れた傷だった。
 女の子は「痛い?」と心配してくれた。
 困ったとき、ついそこを触る癖があるだけで、痛みはとっくに消えている。体に刻まれたフォルテさまとの思い出だ。

「……ううん。これは昔の傷だよ。もう治ったんだ」
「ねえ。もしかして……おねえちゃんがサフィなの?」

 女の子が澄んだ目をして首を傾げた。

「うん。……ごめんね。ほんとは僕、お兄さんなんだ」

 女の子はびっくりした顔になったあと、真っ赤な林檎のように頬を染めた。
「元気でね」と笑いかけて馬車を停めさせた。

「降ろしてください!」

 乗合馬車を飛び降り、臨席の女児に手を振って駆け出した。先の見えない、昏い森の奥へと。
「サフィ!」とフォルテさまの怒号が聞こえた気がした。



 合わせる顔なんてあるものか。
 純真さを犯すように、この身を抱かせて、あの体を求めて快がって狂って泣いたのだ。
 あーもー、ばかばか、僕のばか! 過去を変えられないのなら、自分が消えるしかないじゃないか。

 破滅的な衝動に取り憑かれて、なにも考えず黙々と進んだ。
 途中で街道が右と左に分かれた。どちらへ進むべきか。どちらでもない、道なき道……馬では通れないような獣道がいいと思った。
 街道を逸れ、森へ足を踏み入れた。
 切り株でお昼を食べていた木こりのおじさんが僕に気づいた。
「あれえ、姐さん、そっちの森は熊出るってよー!」などと呼びかけてきたが、立ち止まる余裕はなかった。

 ぬかるみに足を取られても、這うようにして進んでいく。靴はもう泥だらけだ。
 祈るような気持ちで木立をかき分けていくと、しばらくして、不自然に前方の茂みが揺れた。
 木立と木立の間から、黒いかたまりが矢のように飛び出してくる。猪だ。

「ひぃぃぃ!」

 猪は震える僕に目もくれず、脇スレスレの距離を猛スピードで駆け抜け、一目散に森を出ていった。

 父が狩りで獲ってきた猪を見たことがあったけど、公爵家の屋敷にあったそれはすでに剥製にされていた。狩りのトロフィーとして父が持って帰ってきたのだ。
 生きている猪は全然違った。エネルギーの塊で、大砲の弾みたいだった。もしもあの勢いでぶつかっていたら、僕は潰れていたと思う。猪突猛進されなくてよかった……ほっと息をついて、猪の来た方角に目を向けた。

「……ぉぉーい」

 森の奥から人の声がする。中年男性くらいの野太くて低い声だった。

「お~い!」

 さっきより大きくなった。誰かが、近づいてきている?
 さっきの木こりのおじさん……? それとも遭難者か。
 叫び返すか迷って、とりあえず声のしたほうへ近づいてみることにした。ここまできてフォルテさまに見つかりたくない。笹をかきわけて歩き始めると、声は止んでしまった。
 不気味に思って動きを止めた。
 木立の間にふっと黒い影がよぎった気がして、きょろきょろあたりを見回した。やはり誰かいる。思ったより大きな影を見つけて、目がそこに釘付けになった。

「っ…………!?」

 熊がいた。
 熊は二本足で立っていて、その姿勢だけみれば、くたびれたおじさんのようにも見える。
 猪が飛び出してきた木立の隙間に立って、こちらをじっと見つめているのだ。全速力で森を駆け抜けてきた猪の気持ちが、今少しだけ分かった気がした。

「く、ま……?」

 子供のころ、絵本で見た姿そのものだ。ただし首にリボンは巻いていない。マスコットではない、正真正銘、生物としての熊だった。
 長い鼻面は嗅覚に優れている証。ずんぐりとした手足は丸太みたい。茶色い体毛がぶわりと膨らんでいる。

 興奮している……? いや、ちがう。熊は僕を「敵」と認定したのだ。

 シテール王国は、森と湖と草原の国。自然いっぱいのこの国に生を受けたことを、今ほど恨んだことはない。さっきまでの「おーい」という呼び声は、熊だったのだ。
 目尻に熱い涙が滲んで、頬を流れた。

 静かな人生の終わり方を模索して、森まで逃げてきたのに……なにが悲しくて臨戦体制の熊と遭遇しちゃうんだ!?

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

中年冒険者、年下美青年騎士に番認定されたことで全てを告白するはめになったこと

mayo
BL
王宮騎士(24)×Cランク冒険者(36) 低ランク冒険者であるカイは18年前この世界にやって来た異邦人だ。 諸々あって、現在は雑用専門冒険者として貧乏ながら穏やかな生活を送っている。 冒険者ランクがDからCにあがり、隣国の公女様が街にやってきた日、突然現れた美青年騎士に声をかけられて、攫われた。 その後、カイを〝番〟だと主張する美青年騎士のせいで今まで何をしていたのかを文官の前で語ることを強要される。 語らなければ罪に問われると言われ、カイは渋々語ることにしたのだった、生まれてから36年間の出来事を。

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

給餌行為が求愛行動だってなんで誰も教えてくれなかったんだ!

永川さき
BL
 魔術教師で平民のマテウス・アージェルは、元教え子で現同僚のアイザック・ウェルズリー子爵と毎日食堂で昼食をともにしている。  ただ、その食事風景は特殊なもので……。  元教え子のスパダリ魔術教師×未亡人で成人した子持ちのおっさん魔術教師  まー様企画の「おっさん受けBL企画」参加作品です。  他サイトにも掲載しています。

ヤンデレ王子と哀れなおっさん辺境伯 恋も人生も二度目なら

音無野ウサギ
BL
ある日おっさん辺境伯ゲオハルトは美貌の第三王子リヒトにぺろりと食べられてしまいました。 しかも貴族たちに濡れ場を聞かれてしまい…… ところが権力者による性的搾取かと思われた出来事には実はもう少し深いわけが…… だって第三王子には前世の記憶があったから! といった感じの話です。おっさんがグチョグチョにされていても許してくださる方どうぞ。 濡れ場回にはタイトルに※をいれています おっさん企画を知ってから自分なりのおっさん受けってどんな形かなって考えていて生まれた話です。 この作品はムーンライトノベルズでも公開しています。

【完結】おじさんはΩである

藤吉とわ
BL
隠れ執着嫉妬激強年下α×αと誤診を受けていたおじさんΩ 門村雄大(かどむらゆうだい)34歳。とある朝母親から「小学生の頃バース検査をした病院があんたと連絡を取りたがっている」という電話を貰う。 何の用件か分からぬまま、折り返しの連絡をしてみると「至急お知らせしたいことがある。自宅に伺いたい」と言われ、招いたところ三人の男がやってきて部屋の中で突然土下座をされた。よくよく話を聞けば23年前のバース検査で告知ミスをしていたと告げられる。 今更Ωと言われても――と戸惑うものの、αだと思い込んでいた期間も自分のバース性にしっくり来ていなかった雄大は悩みながらも正しいバース性を受け入れていく。 治療のため、まずはΩ性の発情期であるヒートを起こさなければならず、謝罪に来た三人の男の内の一人・研修医でαの戸賀井 圭(とがいけい)と同居を開始することにーー。

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

処理中です...