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第一部 二人の囚人

第18話 外の世界へ。そして…………

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ナナシの意識が覚醒した時、戦いはもう終わっていた。

辺りには人影がなく、あるのは重なるようにして倒れている戦いの敗者たち。

先程までいたハズのノートンの姿がどこにもない。

自分はどのくらいの間、意識を失っていたのだろうか。

ふと、思い出したナナシは慌てて辺りを見回した。

———そうだ、マチミヤ。マチミヤはどこに。

辺りに広がる闇の中をまるで手探りをするかのようにしゃがみ込みながら、ナナシはマチミヤの姿を求めた。

彼はこの広い世界における、たった一人の仲間だ。

覚醒して、まず一番に思い浮かんだ探し人が彼であった。

そしてその探し人は、すぐそばに倒れていた。

あらゆる箇所が青く滲みあがっていて、とても痛々しく思える。

特に酷いのは両腕だ。

あきらかに関節ではない場所で曲がっており、『骨折』していると、ナナシはすぐに分かった。

この辺りの土が凸凹と荒れている。

激しい戦いがあったのはまず間違いないだろう。

——ま、マチミヤさん!!

慌ててナナシは、彼の心臓部分に手を当てた。

そしてホッと胸を撫で下ろす。

「大丈夫。 生きてる」

——だが、早くここから離れないと。

ナナシはマチミヤを肩で支えると、南東門へ目指して歩き始めた。

——ああ、この門をくぐる為に僕たちは……。

今までの苦労が頭の中で蘇る。

キリキリと、ドウモトに刺された腹部のキズも少し痛んだ。

二人とも、ボロボロだ。

だが、ようやく勝ち得た自由への道。

ようやく開かれた南東門の前に立ったとき、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。

「マチミヤさん。とうとうやりましたよ。
外への世界だ……」

そう、思わず口にするナナシ。

だが、隣からの返事はなかった。

しかし、ナナシの耳には聞こえたような気がする。

マチミヤの、喜ぶ声が。笑い声が。

『二人』は、ようやくその第一歩を、門をくぐりぬけ、外の大地へと踏み出した。

辺りに見えるのは、緑の広がる大きな森。

闇の力が作用として、その光景は不気味だ。

だが、ナナシに恐怖はなかった。

あるのは、外の世界への興奮。

マチミヤが、外の世界の魅力を教えてくれたから、今のこの第一歩が共に踏み出せたのだと、ナナシは強く感じた。

そしてナナシは歩みを進める。

憧れの、外の世界へ。



***********************




鈴虫が鳴いているのが聞こえる。

いや、もしかしたら鈴虫じゃないのかもしれない。

僕は別に虫に詳しいわけじゃない。

だが、ジョセフは自らを『虫博士』と自称するほどの虫好きであった。

ああ、夜の森を歩いていると、『トチの森』での日々を思い出す。

そして、家族を失ったあの日のことも。

まぶたを閉じると、その度にあの地獄の炎が思い浮かぶ。

家ごと家族を燃やしたあの炎。

そして、何も出来なかったあの日の自分。

そして、あの仮面の男。

いつの間にか、ナナシの体は震えていた。

あの仮面の騎士への恐怖を忘れた日は、今の今まで一度もない。

こんな闇の中を歩いていると、またあの騎士が飛び出してくるかもしれないと思い、時々辺りを見回してしまう。

だからこの虫の音色に、ナナシは救われていた。

この美しいメロディーが自分に落ち着け、と言ってくれているような気がする。

本当に、お礼が言いたいくらいだ。

そんなことを考えていると、やがて森を抜け、前方に大きな橋が見えてきた。

谷を横切って高くかかっており、長さは10メートルくらいだろうか。

近くに看板が立っており、そこには

「危険。渡るべからず。
先に行きたいのならば、迂回すべし」

と書かれていた。

確かに木材で出来たその橋は、ところどころ腐り落ちており、看板の言う通り、渡らない方がいい気もする。

だが、ナナシらには迂回するほどの時間は残されていなかった。

あと数時間で夜明けだ。

もう集団脱獄のことは、周りに知れ渡っているハズ。

そしてもちろん王国の守護者らしい、あの仮面の勇者にも。

だから捜索隊が来る前に、一刻も早くここから離れなければならないのだ。

「渡るしか、ないよね」

覚悟を決めたようにそう呟くと、ナナシは橋への第一歩を踏み出した。

ギシィィィ。

全く、嫌な音をたてる橋だな。

ナナシはマチミヤを支える手に、力を込めた。

ここでマチミヤを誤って落としたりしたら、橋はその重さによる負担で崩れ落ちてしまうかもしれない。

ナナシの額から汗がこぼれ落ちた。

———下を見ないように。下を見ないように……。


          あ。

だが、やっぱり見てしまった。

谷底は霧がかかってよく見えなかったが、明らかに20メートルの高さはあるだろう。

微かに川の流れる音が聞こえる。

ここから落ちれば、間違いなく即死。

そして、その死体は海へと運ばれる——てな感じか。

ゴクリ。

やや皮肉を込めて心の中で呟いたつもりの言葉が、恐怖にさらに拍車をかけた。




だが、拍車をかけたのはそれだけでは無かった。

ふと、橋のゴール付近。

前方に人影が見える。

闇の中だというのに、その姿はキラキラと輝いていた。

だがその輝きの正体を、ナナシは橋の半ばで知る事になる。

それは殺意の輝きである事を。

「…………あ」

それは、絶対に再会したくなかった相手。

銀の甲冑を見に纏い、その顔には——仮面。

家族の1人を突き殺し、3人を焼き殺し、ナナシに強烈なトラウマを植え付けた悪魔。

「ゆ、勇者…………? どうして……」

この世の中で最も恐ろしく、そして憎い相手を目の前にして、ナナシはそう呟いた。

心の底から震え上がり、歯がカチカチと意図せぬカスタネットのような音を出している。

今の彼には前進する勇気も、後退する勇気もない。

ただ呆然と前を向いて、何故ヤツがここにいるのか。

その答えの出ぬ疑問を頭の中で、ぐるぐると繰り返すしか出来なかったのだった。

「やはり、ここに来たな」

仮面の奥から発せられた低く冷たい声が、谷に響き渡った。

「やはり俺たちは『繋がっている』。
認めたくはないがな」

——つ、繋がっている?

そんな意味の分からない事を、まるで独り言のように呟く仮面の男。

前回と違って周りに、部下らしき騎士たちは見えなかった。

——ひ、一人なのか?

そう恐る恐る声に出そうとするも、声が出ない。

まるで過去のトラウマが、喉の奥を塞いでいるようであった。

だがそんなナナシの心の言葉を、まるで魔法使いのように感じ取ったのだろうか。

冷たくこう言い放った。

「俺は、一人だ。
やはり任務遂行のため、信用できるのは自分だけだと、お前を取り逃した際に学んだからな」

そう言い終えると同時に仮面の騎士は、剣を抜いた。

その剣もまたギラリと危ないほど輝いており、見るものを殺しかねないくらいの『凄み』があった。

だがよく見ると、その剣には『血』がこびり付いている。

まさについ先程まで『人を斬り殺した』と言わんばかりだ。

「先程、脱獄した下郎どもを斬り殺したばかりだ。
お前らを斬れば、今日で10人目だな」

またこちらの心の内を見透かしてような返事だ。

だが、その言葉の響きには何の感情も込められてはいなかった。

まるで、流れ作業のように人を殺したような、そんながらんどうの響き。

——な、なんなんだよ、コイツ。動く殺人マシーンか?

そんな感想を、ナナシは抱いた。

夜明けまで、あと数時間。

だがこの目の前の悪夢を乗り切らなければ、自分には永遠に明日が訪れないだろう。

ナナシにとっての夜明けは、まだ永遠すぎるほど、遠かった。













































































































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