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02.現代の叡智(ウェイン視点)
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ウェインは、先日千綾と行ったデパートで買ったブランド牛の挽き肉のパッケージを開ける。牛乳でひたひたに浸しておいた少量パン粉とおからの入ったボウルに、挽き肉をぶち込み、溶かし卵を流し込む。それから、数種のスパイスを適量振りかける。それら厳選の食材を菜箸で混ぜ合わせた。再び、石鹸で手をしっかり洗ってからビニール手袋を装着し、挽き肉をしっかりと混ぜ捏ねる。栄養のあるものは、衛生的に作るのがおいしさの秘訣だ。人間にとっては。
そして、ふと考える。
あらゆる淫魔にとって、人間はただの精気搾取の獲物で食事だ。
魔導書が世の流れでどんなかたちになったとしても。それは普遍的なものだ。
人間が動物を殺し、肉の塊にして食らうより、淫魔のほうがはるかに優しい。性的な快楽のなかで精気を搾取し、搾取し続け、廃人にさせるだけ。なにも殺しはしない。恐怖の味が好きな淫魔こだわりの食材のもいるだろうが、たいていの淫魔は、甘味を好む。ときに甘酸っぱくて、ときにほろ苦い悦楽や愉悦にひたひたに浸った人間の精気が大好物だ。
ウェインはとくに甘党でグルメ。選り好みが激しい。
いにしえより、広い世界の数多の人間に自分を召喚させる魔導書を送り込んでは、様々な人間の精気を搾取してきた。
民族紛争、大移動、戦争や領土拡大。旨味を啜っていたのは人間だけではない。淫魔や悪魔も同じで、人間の移動範囲が広がれば広がるほど、魔導書が拡散されて行き、生息地が開拓される。
悪魔も淫魔も人間も、それで欲を満たしてきた。とこしえに変わらない姿。
「こんなもんかな。焦げ目だけ、なんだっけ」
フライパンで丸めた挽き肉に焦げ目をつけるあいだに、オーブンで焼く。魔術で持ち上げた料理の本を見て「おっけー」と、独りごちる。
デミグラスソースと緑黄色野菜中心の添え野菜の準備の下ごしらえ。必要な炭水化物は、蒸したジャガイモと小さな全粒粉パンに決めた。
帰宅した千綾が手洗いうがいをして、部屋着に着替え終わる頃合いを横目で観察する。そして、冷凍庫からパンを取り出してパリッとトースターで焼き、蒸したジャガイモは電子レンジで温め直す。
「わぁっ! 今日もごちそうだ~。いただきまぁすっ」
デミグラスソースでよく煮込んだハンバーグシチューを千綾はにこにこ笑顔で口に運ぶ。添え温野菜も幸いにも彼女は食べ物の好き嫌いはなかったから、腕の振り甲斐がある。簡単な料理から少し凝った料理も手作り菓子も喜んで食べてくれるから、ウェインも喜んで作る。千綾がいない日中が暇だから、本棚にある数冊の料理本を読み、あるいは、記憶した料理やこれまでの記憶を頼りに料理を作っている。
すべては千綾のため。
千綾から良質な精気を得るため。健康体でなければ、いくら治癒効果があっても、良質な精気を得るのを続けられない。
この半年弱で散歩コースになった、良質な品揃えのスーパーまでの道のり。地域猫たちとも馴染みになっており、ウェインに撫でろとせがんでくる。狼でもいればいいのに、日本にいる犬は屋内か庭先に紐で縛られている。
魔の血を引く悪魔も淫魔も、招かれなければその家のなかに入れない。日本の鬼なども同じである。だから、ウェインは犬を撫でてやりたくても撫でられない。散歩中の犬だと人間が寄ってくるから面倒だ。
犬。触りたい。
「おいしい。ひと言で終わらせるのがもったいないくらい、おいしいっ。太っちゃうなぁ」
「それはよかった」
ウェインはワインを口にする。淫魔は人間のような食事を必要としないが、千綾に合わせて食事をとるようにしている。千綾が遠慮してしまうからだ。
彼女のふくよかな唇が咀嚼で動くのを眺めるのも好きだし、うまいものを食わせると絶頂とはまた別の幸福そうな表情をする。
微量であるもの、精気搾取とは違ったエネルギーを得られるのもいい。
千綾は枯れることのない精気と芳醇で甘露のような愛蜜をこんこんと湧かせる逸材だ。手放すなんて考えるのが莫迦らしくなる。
魔導書が電子の海に溶け込んだ現代だから、千綾に出会えた。それは、それかしたら、奇跡というものかもしれない。
「今日ね、会社で後輩ちゃんから恋人がいるんですか? って聞かれたの」
千綾は、ふふっと笑う。ときおり少女のように無防備に微笑むことが増えた。それを見るのが心地よい。犬や猫では得られない栄養素がある。
「でもね。わたし、ウェインには恋をしていないの」
「そうなの?」
人間を魅了して惚れさせることはあっても、淫魔には恋だの愛だのわからない。
惚れた腫れたで身を焦がせるのは、人間の数少ない特権だ。ほかの動物にはない感情だ。
だが、確実に、ウェインの胸のなかをモヤモヤさせた。淫魔が召喚者を恋に落とせていない? 惚れさせていない? 精気搾取中には好きだのなんだの言うくせに?
「けど……。いってきますって言って、いってらっしゃいって言ってもらえて……。ただいまって言って、おかえりって言ってもらえるのが、嬉しいの。だから、仕事を頑張ろうって思えるんだよ」
千綾はワイングラスを回してから、ゆっくりと飲む。ほっそりとした首が上下して嚥下を知らせる。ほろ酔いの色香が漂い始め、ウェインは淫魔の食欲を誤魔化すようにワインを喉の奥へ追いやる。
「新しい職場には馴染んだんだ?」
「うん。上司にも恵まれて、みんな目標意識も高くて刺激されちゃうよ」
千綾は、以前登録した転職サイトのエージェントを通して、三カ月前に職場を変えた。
現在は、欧州外資系保険企業のデジタルマーケティング部へ転職。第六課というチームをまとめるマネージャー候補として奮闘している。
「それはよかった」
すべてウェインの手引きである。というもの。
十八から十九世紀あたりに、ウェインと知人の悪魔で作った交易商会を作った。商会は姿を変えて、大きくなり、分裂し、現在も続く会社の多国籍企業──現在はITで有名──のグループである保険会社、その東京支社が千綾の再就職先だ。
その保険会社の筆頭株主は今もウェインだ。他の会社でも、と考えたが、働きやすさと福利厚生の手厚さで勝手に保険会社を選んだ。
淫魔なのに筆頭株主として長年君臨しているのは、現在も続く伯爵家の当主として名と姿を変えて存在している。
不都合があれば他人の記憶を改ざんすればいい。この現代、記憶改ざんをしたあとで、Webへの改ざんや防犯カメラなどの記録の改ざんもついてくるぞ、と、友人は笑っていた。
(システムは変わっていても、人工知能があっても、最終的には人間がチェックだ。上層部──大将首から崩すのは戦の常套手段だよね)
千綾を苦しめた会社から解放してあげるため、保険会社本社上層部に魔術を使い、千綾をスカウトするように働きかけた。その話は千綾にはしていないし、するつもりもない。
千綾は、千綾で人をまとめる能力があるのだから、適材適所、というわけだ。
ウェインは、千綾を煩わせるものから遠ざけたい。だが、千綾の意見を尊重したいから、強引に転職させたのではなく、スカウトというかたちで千綾に選ばせた。
本音をいえば。
あくせく働かせずに、手元に置いて甘やかして、飼い慣らして、いつでも性行為に没頭し、精気を搾取したい。これまでもそうやってきたのだが、千綾が相手だと、自分らしくない行動を取ってしまう。
いくら、契約者で獲物だとしても、どうしてここまで世話を焼くのかわからない。
自分とふたりきりでいる時間に、千綾が仕事やほかの男のことを考えているのがストレートに嫌だと感じるのも不可解だった。が、千綾は自分の獲物なのだからと深く考えるのをやめた。
「ありがとう、ウェイン。ウェインがいてくれるから毎日楽しいことの連続だよ」
彼女は上機嫌に笑う。無防備な笑顔だ。
なのに。心臓が、とくんと脈打った気がして不可解だった。
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