上 下
20 / 56
Chapter1

20 バーチャル∧リアル

しおりを挟む
 空気がびりびりと震えるほどの衝突音と破壊音が響く中、リュカに抱えられたまま宙を飛ぶ。

「――――っ!」

 地面に落ちて転がる。背中を打って一瞬息が詰まったけれど、衝撃は思ったより少なかった。

「…………ご無事、ですか、ニーナ」

 俺に覆いかぶさったリュカの顔が間近に見えた。

「うん、ありがとう……?」

 俺の上からどいたリュカは、そのままどさりと地面に倒れた。
 リュカの顔が真っ青になっている。引きちぎれた白いマントが、見る間に赤く染まっていく。

「――リュカ! ま、まって、今ポーションを……!」

 傷口、なんていうもんじゃない。背中が鎧ごと裂けている。
 震える手でポケットに入れたままのポーションを取り出して、中身を全部かける。液体はほのかに光ったけれど、回復はしなかった。

「はぁ!? なんで効かないんだよ!」

 ステータスを見る。リュカのHPは、ゼロになっている。

「なんで、やだ、リュカ! 死んだら嫌だ!!!!」
「――――」

 俺の声に、リュカの口元がわずかに動いたような気がした。でもそれきり、動かなくなった。
 ハオシェンがへたり込んだ俺を起こして、小脇に抱えて走り出す。

「待って、リュカが!」
「リュカは死んだ」

 戦闘の爆発音が響く中で、冷静なアルシュの声がやけにはっきりと聞こえた。
 ハオシェンに抱えられたまま戦場を振り返る。ドラゴンの周りに、いくつもの金色の光が舞うのが見えた。
 あの光のどれかがリュカなのだろうか。

 ドラゴンから十分に遠ざかってから、ハオシェンが俺を地面に降ろした。

「やべえな、あの突進は。次アレが来たら俺が囮になるから、ニーナを頼む」

 ハオシェンの言葉を受けて、アルシュが頷く。
 二人のやり取りが聞こえているけど、どういう意味なのか理解できない。
 頭が全然回らない。ぼんやりと手のひらを見る。両手にべったりとついていたはずのリュカの血はいつの間にか消えていた。

「――リュカを許してやって欲しい」

 アルシュに言われて、顔を上げる。許すって何のことか尋ねる前に、自分で思い当たる。

「違う! そういうことじゃない!」

 絶対死なないで、命を大事に、という作戦をリュカが守れなかったことを許せないと思っているわけじゃない。

「そうじゃなくて……」

 全然考えがまとまらない。俺はただ首を振っただけで、それ以上何も言えなかった。

「大丈夫だって、リュカなら今頃拠点に戻ってるし」

 ハオシェンが俺の背中を優しく叩く。

「あー……うん、そうだよね。ゴメン、助けてもらってんのに態度悪くて」

 無理矢理明るい声を出して謝る。アルシュは「ニーナは謝らなくていい」とぽそりと言って、俺に背を向けた。

 俺も二人みたいに冷静にならないと。
 ここはゲームの世界なんだから大丈夫。今までだって色々なゲームでキャラクターを死なせた。それで別に罪悪感なんて抱いたこともなかった。当たり前じゃん、本物の人間じゃないし、本当に死んでるわけじゃないんだから。いくらでもコンテニューできるんだし。
 リュカも生き返るんだから、あとで謝って、助けてくれてありがとうってお礼を言えばいい。
 だから全然大丈夫。ムキになることはない。

 ダンジョンの攻略も、もうすぐ時間切れだけど、俺たちにこれ以上やれることなんかないし。元の世界に帰る方法だって他にあるかもしれない。
 近隣の村の人たちはかわいそうだけど、ダンジョンの近くに住んでるんだから仕方ないよね。俺たちには無理だけど、そのうち俺たちよりももっと強い他の誰かがなんとかしてくれる。

 そう思って顔を上げようとしたら、地面に何かがぽたぽたとこぼれているのに気がついた。
 アルシュが握り締めた拳から、血が滴っている。

「――」

 怪我をしてるのか、と尋ねようとした声が出ない。
 斜め後ろから見えるアルシュは、相変わらず表情が読めない。でも、拳に力を入れすぎて、自分の爪で自分の手を傷つけていることにも気付かないぐらい、真剣な眼差しでドラゴンを睨みつけていた。

 ――そりゃ、そうだよな。いくら生き返るからって、仲間を殺されて悔しくないはずがない。

 ハオシェンも落ち着いているように見えるけれど、額に青筋を立てて、反撃の隙さえあればいつでも飛び掛ろうって感じの臨戦態勢だ。

 二人とも俺みたいに「諦めていい理由」を探して冷静ぶってるんじゃない。目の前の敵に自分の力が及ばないことを、真正面から受け止めている。その上で精一杯やれることをやろうとしている。
 アルシュとハオシェンがやろうとしているのは――自分の命を投げ出してでも、俺を守ること。

 二人の気迫に気圧されて、心の底が妙に冷えたみたいな感覚がした。

 いつの間にかスマホが地面に降りて、じっと俺を見ていた。目はないけど、画面を俺に向けて、見上げている感じ。
 俺は膝をついて、スマホに話しかけた。

「……俺は、神様じゃない」

 神様どころか。普通の人間以下。
 この世界に来た時。すごいやばい、死ぬかもしれないって思ったけど、わくわくした。
 面白いことが始まった。何かが変わる予感がした。
 でも。特別な立場になって、仲間ができて、「奇跡」が使えても。

 ――俺は、俺のままだ。

 元の世界にいても、この世界に来ても、何の役にも立たない。いてもいなくても一緒。自分はなにも出来ないくせに、頭の中では他人を見下して馬鹿にしている。
 壁にぶつかった時は、体裁のいい理由を見つけて、言い訳をして、へらへら笑う。
 自分の弱さと向き合うのが、嫌だから。

 情けなくて、悔しくて、しんどくて、目頭が熱い。

「俺は、全然、神様なんかじゃないけど。でも、お前は神器なんだろ?」

 手のひらについていた血は消えた。それでも、俺は、覚えている。
 リュカは「ニーナの為に戦う栄誉をお与えください」って言った。俺の為に戦って、傷ついて、苦しんで、死んでしまった。俺の為に死ぬことが栄誉なんだっていう価値観を、俺がなにも考えずに肯定してしまったから。

 そんなのは、神様なんかじゃない。

「俺は、守りたい。みんなが守りたいと思っているこの世界を、俺も守りたい」

 俺の仲間たち。同じ同盟の戦士たち。オドントケリスや、近くの村に住む人たち。まだ出会ってないけど、この世界で生きる全ての人たち。

 彼らは、ただのゲームのキャラクターじゃない。

 笑うし、怒るし、泣く。悩む。困る。美味しいものを食べたら幸せな気持ちになる。怪我をしたら痛い。血だって出る。それぞれ意思があって、生きて、暮らして、戦っている。

 俺の世界の人間――生きている本物の人間と、なにも変わりがない。

「だから――頼む。力が、ほしい。この世界を平和にしたくて、必死でモンスターと戦っている人たちを、後押しできるだけの力がほしい」

 手のひらを合わせて、指をぎゅっと組んで、祈る。
 スマホに向かって祈るとか。バカみたいだけど。バカでいい。

 この世界に俺を呼んだ誰か。
 この世界を作った誰か。
 もし聞こえているなら、どうか。
 今、俺がここにいることに、意味を与えてほしい。


 俺の願いに反応したみたいに、スマホがカッと閃光を放った。
しおりを挟む

処理中です...