歩きスマホしてたら異世界に迷い込んじゃったけど世界って救う必要ある?

るき

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Chapter2

02 状況確認

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 薄暗い路地を、ほとんど歩くような速度で走る。
 助けを求めるなら交番だろうか。でもどこにあるのかわからない。今自分がどこにいるのかもわからない。周辺の建物も全く見覚えがない。

 しばらく走って、人の姿がどこにもないことに気付く。大通りに出ても同じ。車すら走っていない。信号も止まっている。遊園地のような施設が見えるけれど、遊具も動いていない。
 人の代わりに街をうろついているのは、異形の怪物たち。街にいた人たちは彼らの襲撃を受け、避難したのだろうか。

 避難するとしたら、どこだろう。周囲を見渡して、一番目立つ建物は。あの白い屋根の、巨大なドーム状の建物。覚えはないけれど、ランドマークだということは理解できる。街の人たちが避難しているとしたら、あそこかもしれない。
 私は周囲を警戒しながらドームの方向に向かった。

 怪物たちの注意を引かないように迂回して、ショッピングモールのような場所に出る。街と同じように、人間ではなく怪物がうろついている。一つ目の獣。石でできた巨人。空には蝙蝠に似た羽根を持つ何か。

 姿勢を低くして、物陰から様子を窺う。前方には、枕に手足の生えたような姿の怪物たちが群れを成している。
 これ以上は進めそうにない。引き返そうとしたけれど、後方からも何かが迫ってきている気配がした。獣の臭いが濃くなる。鋭い爪が地面を打つ音が、徐々に近づいてくる。

 私は背後にある建物の扉を開けて、体を滑り込ませた。怪物を刺激しないように静かに、でも急いで扉を閉める。その場にうずくまって、息を止めて怪物の気配に集中する。怪物の爪の音が、扉から遠ざかっていく。

 なんとか怪物をやりすごすことができた。でも、一度しゃがみ込んでしまったら、もう立ちあがれなかった。

 怖くて体が震える。どれだけ息を吸っても苦しい。鼓動が嘘みたいに早い。手足の先が冷えて痺れるような感覚。頭の中に渦巻く「わからない」に飲み込まれて、溺れて死んでしまう。

 自分のことがわからない。
 ここがどこなのかわからない。
 今がどんな状況なのかわからない。わからない。わからない。わからない。

 ――わからないことを調べるには、どうしたらいいと思う?

 胸の奥にふと、懐かしい誰かの言葉が浮かぶ。
 藁をもつかむ思いで、その言葉に縋る。

 わからない時。行き止まりに直面した時。そういう時に大切なのは――何をわかっていないのか知ること。
 落ち着いて、簡単なことからはじめてみること。できることをひとつずつ確認すること。

 まずは、体を落ち着かせる。
 両手で軽く頬を張って、息を止める。苦しくて死にそう、って思うけれど、このぐらいじゃ人は死なない。大丈夫。自分に言い聞かせながら、十秒かけて息を吐き出す。息を吸って、またゆっくり吐く。繰り返しているうちに、呼吸が整ってきた。

 息苦しさは解決できた。足はまだ震えている。指先も震えているけれど、無理に止めなくていい。
 左腕の袖はざっくりと切れてしまった。でも怪我はしていないし、さっき応急処置(?)をしてもらったから、今は気にしなくて大丈夫。

 次に、今いる場所の確認。
 薄暗い廊下。私が入ってきた扉を背にして、右手側の扉は開け放たれている。左手側の扉は閉められていて、「Staff Room」と書かれたプレートが貼られている。短い廊下の奥にはカフェのような内装の客席と、厨房が見える。
 私はどこかのお店の通用口に逃げ込んだらしい。

 怪物の気配はないから、とりあえずは安全。私はほっと息を吐いた。油断はできないけれど、過度の緊張は禁物。
 壁に手を突いて、ゆっくりと立ち上がる。少しひざが震える。歩くのには支障がない。

 扉が開け放たれた、右手側の部屋を覗く。多分倉庫。無造作にダンボールが置かれ、棚には備品が並んでいる。

 反対側の、スタッフルームの扉を開けてみる。壁際に並ぶロッカー。事務机。休憩所兼事務所という印象。やはり生き物の気配はない。

 部屋の隅にある、試着室のような着替えスペースはカーテンが開け放たれている。覗き込むと、姿見に私が映った。

 ――制服姿の、女の子。

 多分中学生。高校生ではない、と思う。
 両手で頬に触れる。顔色が悪いけれど、違和感はない。怪物の血が顔や服にかかったはずなのに、何故か消えていた。

 身分を証明できるものを持っていないだろうか。ジャケットの内ポケットを確認したけれど、何も入っていない。手で首の周りを探ったけれど、どこにもなにも引っかかっていない。

 一連の動作の後で、ふと気付く。
 何も覚えていないのに、手が勝手に動いた。
 ということは。私は普段、身分証をジャケットの内ポケットにしまっている。首の周りを探ったのは、首から下げるタイプのカードホルダーを利用しているから。つまり身分証を首から下げて、無防備にぶら下げるのではなく内ポケットにしまっている。今は紛失してしまっているみたいだけれど。

 ――記憶がなくても体が覚えている。

 全く何もわからなくなったわけじゃない。励まされるような気持ちになりながら他のポケットも探ってみる。スカートのポケットには無地のタオルハンカチとポケットティッシュ。所持品はそれだけ。
 着ているシャツは白く、アイロンがかかっている。通り一遍の衛生観念を持ち合わせているらしい。持ち物から私についてわかることは他になさそうだ。

 では記憶は?

「……春はあけぼの。π=3.1415...。1969年人類史上初月面着陸。E = mc²。The night is long that never finds the day.」

 自分の名前すら思い出せないのに、学習の記憶はある。体に身に付いた習慣も残っている。この記憶については信頼していい――という前提じゃないと今は動けない。

 私についてわかること。
 無傷。健康体。学生。中等教育を受けている。記憶の一部を喪失している状態。
 私については以上。

 次に場所の特定。
 ここは、どこかの飲食店の事務所。不法侵入。緊急時なので失礼させてもらう。
 壁のスイッチを押しても電気がつかない。明り取り窓から入る光のおかげで、文字が読める程度には明るい。

 カレンダーが壁にぶら下げられている。今は十月。壁にかけられた時計の針は14:34を指したまま止まっている。

 事務机には固定電話とノートパソコンが置かれている。受話器を持ち上げて耳に当ててみたけれど、なんの音もしない。ノートパソコンも、起動ボタンを押しても反応がない。
 ノートパソコンの天板には所属を示す「テディーズコーヒー後楽園アミューズメント店」と書かれたテープが貼られている。

「後楽園」

 声に出して読んでみる。恐らく地名だろうということ以外わからない。でもこの文字列を「ごらくぞの」でも「あとらくえん」でもなく、迷わず「こうらくえん」と読んだことには意味があるかもしれない。

 事務机の引き出しをあける。クリップや画鋲などの備品と、いくつかの封筒が雑然と投げ込まれている。
 封筒の宛名には「東京都文京区後楽」と住所が書かれている。
 現在地は東京都文京区後楽。 テディーズコーヒー後楽園アミューズメント店のスタッフルーム。
 場所については以上。

 そして――状況について。
 正体不明の危険な生物が多数うろついている。街にいるはずの人々の姿が見当たらない。
 以上。

 これでひとまず「何もかもわからない」という状態からは脱却できた。今は「わからないことがある」という状態。

 nullがゼロになった……ぐらいの意味があるといいんだけど。
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