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Chapter2

03 タブレット(仮)

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 スタッフルームから出て、倉庫をもう一度確認する。カフェの制服らしいエプロンが詰まったダンボールや、様々な備品。あまり整頓されているとはいえない。
 出しっぱなしの工具箱からスパナを拝借する。私の腕力で武器として機能するとは思えないけれど、ないよりはいい。

 スパナを握り締めながら、厨房に入ってみる。
 特に変わったところのない、普通のお店の厨房に見える。全体的に薄暗い。やはりこちらも停電状態。

 大型の冷蔵庫を開く。中には――朽ち果てた何かが入っている。ドアポケットに収納された牛乳パックを持ち上げる。中身は空。ショーケースにも干からびた物体があるだけだ。水道のレバーを上げても水が出てこない。

 調理台には包丁が置いてある。スパナと持ち替えようと思ったけれど、刃物はかえって危ない。振り回したら私の方が怪我をしてしまいそう。

 いくつか役に立ちそうなものを拝借して、フロアの方に移動する。入り口の自動ドアが中途半端に開いている。ガラス張りで外から丸見えなので、姿勢を低くして外の様子に注意しながら調べる。

 客席のテーブルにはマグカップや皿がテーブルに出ていた。割れたり、ひびが入っているということはない。椅子やソファ、床の上に荷物が置かれている様子もない。慌てて逃げた、ということはなく、人々が自主的に落ち着いて速やかに姿を消したという印象。

 飲み物が入っていたらしいマグカップには、茶色い汚れがこびり付いていた。洗わないまま何年も放置したような感じ。でもテーブルの上に埃が積もっている、ということもない。持ち上げて匂いを嗅いでみる。無臭。

 ――そういえば、匂いが全くしない。

 カフェなんだから、もっとコーヒーの匂いや、食べ物の匂いが残っていてもいいはず。ここまで逃げてきた時は必死だったから確かではないけれど、街中も排気ガスなどの臭気が一切なかったような気がする。醜悪な臭いがしたのは怪物たちだけだ。

 一通り調べ終えて、外からは死角になっている客席に座る。
 状況については相変わらず不明な点が多い。いくつかのパターンが考えられなくもないけれど、行動の指針にするには心もとない。

 でも、私について少しだけわかってきた。

 ――私が知っている「常識」について。

 私の中の常識では、街には人がいるものだということ。私の知っている「動物」とは特徴が異なる生き物を「怪物」だと認識していること。私は「怪物」が存在しない状態を「普通」だと思っていること。私は「戦う」ことに慣れていないということ。

 となれば。この状況下で私の持つ「常識」を共有できる可能性が高いのは、あの人だ。
 私が目覚めた時に聞いた、悲鳴の主。多分、男の子。声の感じからして私と近い年齢だと思う。
 怪物に遭遇して逃走したのだから、彼は私と同じ状況に置かれているのではないだろうか。姿を見ていないから、もしかしたら怪物なのかもしれないけれど。
 でも、あの感情のこもった声は、怪物じゃない。意思の疎通ができる「人間」のような気がする。

 目視で「人間」の姿をしていると確認できた存在もいる。
 私を「ヨミ様」と呼んだ女性。角のようなアクセサリーなのか、本物の角なのかわからないけど、全体的に奇抜なファッションの人。
 強い力を持ち、私を助け、自分の衣服まで分けてくれた。でも笑顔で近づいてくる人が味方とは限らない。
 あとこれは偏見かもしれないから申し訳ないんだけれど……あの過激な服装で街中を闊歩して……上半身裸でも全く気にせず……怪物とはいえ生き物を嗜虐する人は、私の「常識」から逸脱してるので……どう接したらいいのかわからない……。

 となれば、次に取る行動は。「避難所になっている可能性の高い場所を探索し、悲鳴の主を探す」でいいだろう。
 まずは最初の考え通り、ドームを目指そう。
 水も食料もない以上、救助を期待してこの場に潜む、という選択はできない。体力があるうちに、日が沈む前に行動した方がいい。

 ――でも。悪あがきをして怪物に殺されるよりも、ここで救助を待ったまま静かに衰弱死する方が、痛い目に遭わずにすむのかもしれない。

 弱気が顔を出した時、店舗の正面入り口から物音がした。

「……っ」

 息を潜めて床にしゃがみ込む。ばたばたと、何かが羽ばたくような音。中途半端に開いた自動ドアから店内に入り込もうとしているらしく、ガタガタとガラスを揺らす音がする。

 柱の影からほんの少しだけ顔を出して様子を窺う。黒い鳥のような何かが、ドアの隙間をすり抜けて侵入を果たした。それだけ確認して素早く顔を引っ込める。
 呼吸が浅くなっているのを自覚して、深呼吸する。

 衰弱死という選択肢は消えた。

 ――違う、これは選択肢なんかじゃない。不条理な力に圧倒されて、追い詰められて流されているだけだ。

 戦おう。無駄だとしても。失敗して殺されてしまうとしても。
 記憶をなくしても、この体は生きている。心臓を動かして、呼吸をして、生きようとしている。
 こんな状況でも、私は自分の頭で考えて、自分で判断して、知恵をふるった。自分に何ができるか、必死で考えた。その中から最善を目指した。
 選択するっていうのは、きっとそういうことだ。

 両手でぎゅっとスパナを握り締めて、気持ちを奮い立たせる。
 体をぴったりと柱に沿わせ、立ち上がる。店内を旋回しているらしい怪物の羽音に耳を澄ませる。音から予測できる動きから行動パターンを読んで、最も接近したタイミングで奇襲を仕掛けよう。
 心の中でカウントする。

 3

 2

 1

 柱の影から飛び出してスパナを振り下ろす。
 ガンッ! と鈍い音を立てて、スパナは怪物に直撃した。そのまま振り抜くと、怪物はびたんと床に叩きつけられ、動かなくなった。

 衝撃で手が痺れて、スパナを落としてしまいそうになる。グローブかせめて軍手が必要だったと頭の片隅で思いながら二撃目を加えようと再び振りかぶって――私は動きを止めてしまった。

「これって……」

 私のよく知っているもの。四角い、B5サイズのノートぐらいの大きさの。

「………………タブレット?」

 板状のタブレット端末。これは私の「常識」の範囲内にあったはずのものだ。でも、私の知っているタブレットには翼は生えてないし、飛ばない――はず。

 これはタブレットに似た形の怪物なのだろうか。それとも、これこそがタブレットの正しい形状で、私が認識している「常識」の方が間違っているのだろうか。

 前提がぐらついて、私は困惑しながらタブレット(仮)の様子を窺った。
 液晶画面を上にした状態で床に落ちている。あれだけ強く叩いたのに、画面は割れるどころか傷一つない。私の力が弱いのだとしても、頑丈すぎるのではないだろうか。

 カラスに似た黒い羽を、スパナの先でそっとつついてみる。ぴくりと反応して、画面がぱっと明るくなった。
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