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まだ、寝てたいんだけど

第32話

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 ザザァ…

 ザザザ


 海は、穏やかな陽の下で動いていた。

 女は裸足になり、ズボンの裾をめくる。


 「よっしゃ!いくで!」


 軽く肩を回したあと、勢いよく振りかぶってボールを投げてきた。

 慌ててグローブを構えた。

 向かってくるボール。

 綺麗な回転がかかり、それがちょうど胸の高さまで伸びてきた。

 乾いたグローブの音が、賑やかな海水浴場の隅に響いた。


 「ソフトボール部かなんか?」


 そこらへんの野球部なんかよりも、全然いい球を投げる。

 というか普通にうまい。

 砂浜の上なのに、全然体のバランスが崩れてないし。


 「バスケ部や!」

 「え、バスケ部?」

 「今はとくになんもやっとらんけどな」


 そんな、バカな。

 帰宅部が投げる球じゃないぞ…

 それに「バスケ」だって?

 野球の経験はないってのか?

 それは流石に無理があるんじゃ…


 「キーちゃんに教わってたんや」

 「キー…ちゃん?」

 「ああ、千冬のこと」


 誰かと思った。

 キーちゃん?

 どこをどうもじったんだろうか。

 聞くと、苗字だと言った。

 千冬の本名は、桐崎千冬だったから。


 「あんたも知ってると思うけど、キーちゃん、この街でいちばん速い球投げとったやろ?須磨ドルフィンズのエース。あんたの憧れ」


 そうだ。

 千冬はエースだった。

 誰よりも速いストレートを投げてた。

 みんなの憧れの的だったんだ。

 俺にとっては、世界で一番の。
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